171.手を取り合って
「え……? それは、どういう……」
思っても見なかった言葉に、リエティールはポカンとして聞き返す。
するとエクナドは少し言いづらそうな顔をして悩んでから、こう答えた。
「今この場で詳しい理由を説明することはできないのだが……そなたに興味が湧いた。 それで、親睦を深めたいと思ってな……もう少しこの場所に留まっていて欲しいのだ。
滞在場所や必要な物はこちらで最上級のものを用意する。 使用人もつけ、生活の不自由は無いようにすることを保障しよう。 ……どうだろうか?」
その王の言葉に、周囲にいた重鎮らしき人物達がざわめいた。彼の申し出は、それこそ外国から来た王族などをもてなすような、言葉通り最上級のもてなしであったためだ。
ただの一介のエルトネ、しかも年端も行かないような少女に対する応対にしては、明らかに過剰なものであった。
しかし彼らが幾らそれはおかしいのではないかと思ったところで、王が決め王が言った言葉である以上、そこには何らかの意味があるはずであり、この場で不用意に異議を唱えることはできなかった。
「……ごめんなさい。 私は、行かなければならないところがあるので、ここにはいられません」
「なっ……!?」
暫くの間の後に出たリエティールの返答に、重鎮の一人は思わず声を出して驚いた。彼以外の者達も、信じられないと言った面持ちで驚愕、或いは怒りを露にしていた。
「き、貴様っ! 国王様がもてなしを、それも最上級のものを約束するとおっしゃられているのだぞ!? それを、無名のエルトネ如きが……」
「やめぬか」
中でも短気であった一人が声を荒げるが、すぐさまエクナドはそれを鋭い視線で射抜きつつ静止する。睨みつけられた男は、ぐっと息を詰まらせて口を噤む。その頬を冷や汗が伝った。
まだ幼いながら、その威厳ある眼力は、一睨みで大人を黙らせるほど威圧的なものであった。特に今この場では、必要以上に力強さが増しているように見えた。周囲にいた別の人々も、その異様さに視線を向けられていないにも拘らず息を呑んだ。
エクナドは視線を和らげリエティールに向け直すと、
「数日でも、駄目か?」
と尋ねる。
「その……私は思っていたより長い間、王都に滞在しました。 私の旅の目的のためにも、早く次の場所へ向かいたいのです」
周囲の反応を受けて、リエティールは断ったのは不味かっただろうかと思って遠慮がちにそう答える。
「そうか……ならば、仕方が無いな」
「え? あの、本当に大丈夫なのですか?」
あっさりと引き下がったエクナドに対して、もっとしつこく、色々と条件を変えて頼んでくると思っていたリエティールは拍子抜けしたという調子でそう言った。
「私は人を無理矢理引きとめるのは嫌いでな。 そなたはエルトネで旅人だ。 残念ではあるが、断るというならそれで構わない。 元々無理を承知で言ったことだ」
困惑するリエティールの顔を見て、彼は言いながらふっと表情を和らげる。その顔は、やはり子どもとは思えないほど落ち着いて大人びた笑みであった。
そんな彼の様子を見て、これ以上無理は言われなさそうだと判断し、リエティールはほっとして息をついた。
「ただ、それならば聞きたいことがあるのだが、そなたは一体何のために旅をしているのだ?」
「それは……私の家族の為です」
「家族の?」
リエティールの答えにエクナドがそう繰り返すと、リエティールは頷く。
「私は家族の夢を叶えるために、どうしてもやらなければならないことがあります。 そのためには、ここにずっといるわけにはいきません」
「そなたは、家族全員の夢を背負っているのか?」
エクナドの問いに、リエティールは少し悩んだ後頷いて肯定する。
「……全てを背負うことは、辛くは無いのか?」
どこか躊躇いがちに彼がそう尋ねると、リエティールは首を横に振ってからこう答えた。
「私一人の力ではありません。 私は皆に支えられて生きているのです。 私の側にはいつも皆がいて、私を助けてくれているのです」
穏やかな顔でそう答える彼女を見て、エクナドは一瞬驚いたような顔をして、それから「そうか……」と呟くと暫く考え込むように視線を逸らして俯いた。
その後、彼は表情を元に戻して再びリエティールに向き直った。
「もう一つ聞こう。 そなたはこれからどこへ向かうのだ?」
「ええと、船で大陸に渡ろうと思っています。 それから、北から南に向かうつもりです」
エクナドの問いにリエティールがそう答えると、彼は「ふむ」と呟いてから、
「なら、丁度良いだろう。 ナイド、あれを」
と側に控えていた執事に声をかける。言われた執事、ナイドローグはすぐさま一つ礼をすると、一度下がり、そしてすぐにその手に一つの箱を持って再び現れた。
エクナドはその箱を受け取ると、玉座から立ち上がってリエティールへと近付く。突然近付いてきたことに驚いて瞬きをする彼女の前で、彼は箱の蓋を開いてその中身を見せる。
そこにあったのは、銀のエンブレムであった。エンブレムはエルパの実を象った枠の中に、繊細に意匠化された美しい雪の結晶が施され、その中央に青い宝石があしらわれているものであった。
「これはこの王家を象徴するエンブレムであり、関係者あるいは友好な者である、ということを証明するものだ。
私には三人の姉がいて、それぞれ大陸の別々の国に妃として迎えられている。 これをみせれば、姉達はそなたを丁重にもてなしてくれるであろう。 旅先何か困ったことがあれば遠慮せずに使って欲しい」
そして、とエクナドは真剣な顔になって続ける。
「これをそなたに渡す代わりに、私の友となってもらえないだろうか?」
──ドクン。
その言葉を聞いた瞬間、リエティールはどこかでその言葉を聞いたことがあるという感覚に陥った。無意識のうちに、それを一体どこで聞いたのかと思い出そうとすると、心の奥底から湧き出すように、自然と口から返答が出ていた。
「永遠の友好を」
エクナドはその言葉を、そしてその顔に浮かべられた、先ほどまでの彼女からは想像もできなかった神秘的な笑みを見て、意識が今までにない程引き締まるのを感じた。まるで人智を超えた高尚な存在と対面したかのような感覚であった。
「──心から感謝する」
彼はその言葉と同時に、その場に跪いた。
それを見た瞬間、先ほどまで凛と澄ましていた執事も、押し黙っていた重鎮たちも、厳格な騎士達も一斉に慌て出し、すぐさま「頭をお上げになってください!」と取り乱した。
その騒ぎにはっとして、リエティールも我に返って慌てふためいた。一国の王が頭を下げるなど、あってはならないことなのだ。
それからすぐにエクナドも驚いた様子で顔を上げ、「すまない」と慌てる人々に謝って立ち上がった。
彼は一つ咳払いをして仕切りなおすと、改めて感謝を述べてエンブレムを手渡した。
その後、リエティールが城を出て、エクナドも謁見の間から執務室へと戻っていた。書類の積まれた席についた彼に、ナイドローグが尋ねた。
「エクナド様、先ほどは何故急にあのような行動を?」
あのような行動、とは跪いたことである。いつもあらゆることをさらりとこなす彼が慌てふためくような大事であった。理由を聞かずにはいられなかったのだろう。
「彼女の答えを聞いて、そして顔を見た瞬間、ああしなければならないと感じた時には、すでに体が動いていた」
エクナドはそう当然だというように答えた。
「あの少女が、それほどの存在であると?」
「俺の想像が正しければ、間違いない」
ナイドローグは信じられないという思いを捨て切れなかったが、エクナドの語調からは偽りのようなものは一切感じ取ることはできなかった。そしてそのことから、彼の中には何か確信があるのだろう、と想像することができた。
「さて、問題は文字通り山積みだ。 片付けるぞ」
話を切り替えるためか、わざとらしくそう言ってエクナドは書類に手を着け始める。しかし、いつもなら一つ一つをじっくり読んでいくところを、今回はさっと目を通すと幾つかの山に振り分けていく。
そしてある程度分けたところで、ナイドローグを呼びつけてこう言った。
「この書類はナニフ大臣に、こっちはアッフェロ大臣、それからこれはモシアラン大臣に渡してくれ」
そう言われたナイドローグは、跪いた時ほどではないにしろ、酷く驚いた顔をした。
今までであれば、こういった書類はしっかりと目を通してから、最終的な確認だけを大臣達に協力させていたためである。
そんな彼を見て、エクナドはまるでいたずらが成功した、歳相応な子どもっぽい笑みを浮かべてからこう言った。
「彼女の話を聞いて、考えを改めた。 俺にも頼れる者が多くいるのだということを、今の今まで忘れていたのだ。
これからはもっと皆を頼ろうと思ってな。 ふふ、特にアッフェロは財務大臣だから暫くは忙しくなりそうだ。
と、いうわけだ。 頼むぞ、ナイド」
「……ええ、かしこまりました。 王様」
そう言って彼が浮かべた笑みは、今まで彼に向けてきた子を見るような笑みではなかった。
「……ですがその前に、念のためもう一度言わせていただきますが、今後はもう二度とあのような危険な真似はしないでください。 一歩間違えれば、亡くなられていたかも知れないのです。
勿論、許可をした私にも責任はありますが……ともかく、単独行動は決してなさらないでください」
そういう彼の顔は、笑みから厳しいものに変わっていた。そこには単に咎める意図だけではなく、純粋な心配も浮かんでいた。
そんなナイドローグの言葉に、エクナドはもう聞き飽きたというような力のない苦笑をすると、
「ああわかった。 単独行動をしたのは反省していると言っただろう?
だが、これからも俺は俺らしく、自分の理念を貫く。 それがもしも間違っていた時には……お前が止めてくれよ」
と言う。そんな彼に、ナイドローグは若干の呆れを見せつつも、口元を柔らかに緩め、
「承りました」
と綺麗に礼をした。




