170.突然の来訪者
翌朝。
リエティールは軽く身支度を整え、宿を出る準備をしていた。
エゼールも無事に元の宿泊先に戻り、今日の午後にクシルブに向けて帰ると言っていた。しかし昨晩はバタバタしていてまともに話すことがあまりできなかったため、今日の午前中に改めて別れの挨拶をする予定であった。
そう言った理由で、少し早めに起きたリエティールが部屋を出ると、同時に宿の扉が開いた。デッガーかナーツェンか、と思いそちらを見てみると、思いがけない人物がそこにはいた。
「ピールさん……?」
「やあ、ここで合ってたみたいだねー。 よかったよかった」
そう言って彼はうんうんと頷く。相変わらずマイペースであった。ちなみにナーツェンはカウンターの奥にいて物珍しそうに彼を見ており、デッガーはまだ起きて来てはいない様である。
「えっと、一体どうしたんですか?」
リエティールが小走りで近付いてそう尋ねると、彼は簡潔に一言、
「王様が君に会いたいってさー」
と言った。その言葉にリエティールどころか、聞こえていたナーツェンも驚いて目を見開いていた。
「王様が……?」
そう聞き返すと、ピールは頷いて「そうだよー」と答える。何故かと続けて尋ねると、彼は首を傾げて、
「さあ? 僕は詳しいことは知らないよー。 ただ話がしたいから呼んでこいって言われてさー。 ほら、僕フットワーク軽いからー?」
と軽い調子で答える。リエティールが呆気にとられ何も言えずにいると、彼の背後から霊獣種であるウォラが顔を覗かせ「ピィ」と鳴く。そんなウォラの頭をピールはよしよしと撫でながら、
「ウォラに乗ってく? ウォラも君を乗せたいみたいだし、お城まではあっという間だから時間も掛からないよ?」
彼の言葉に同意するようにピィピィと鳴き、ウォラは首を引っ込めて身を屈め、すぐにでも乗せて飛んでいけるような体勢になる。
予想外の事態に呆然としていたものの、国王からの要請であれば断るわけにもいかないと、リエティールはピールの誘いに従うことにした。
振り向いて、驚いたままのナーツェンに、
「あの、今までお世話になりました! えっと、デッガーさんにもよろしく伝えてください!」
と言ってペコりとお辞儀をすると、ナーツェンは、
「……おぉ、元気での」
とまだ気の抜けたままの調子でそう言い、手をふらふらと振った。
ウォラの背に二人がまたがると、ウォラは大きく羽ばたいた。風を精密に操っているのか、大きな翼が動かされても、周囲に激しい砂埃が舞うようなことは無かった。
上空へと上がると、リエティールは小さく歓声を上げた。背に乗って飛ぶのは二回目だが、前回は状況が状況であったため、碌に周囲に気を配ることもできなかった。しかし今回はそういった切羽詰った状況ではないため、景色を眺める余裕があった。
上空から眺める町並みは輝いて見え、それをあっという間に飛び越えていく。眼下に広がる城の庭は、植え込みやとりどりの花が規則正しく並び、まるで一つの絵画のような美しさを誇っていた。
ピールが合図を送ると、ウォラは庭の一角の開けた場所に降りた。そのままウォラを伴い、ピールに従って城内に入る。ピールと一緒のためか、門番に特に声をかけられるようなこともなくスムーズに進んで行く。
城内に入って階段を上がり、中央にある巨大な扉の前に立つと、ピールが扉の向こうに向かってこう言った。
「王様、言われた通り、リエティールちゃんを連れてきましたよー」
すると程なくして「入れ」という声が聞こえ、内側から門が開かれる。重たい音を立てて開かれたその向こう側には、絢爛豪華に飾られた謁見の間が広がっていた。
中央に敷かれたカーペットの道の両脇には多くの兵士が並び、その他にも重鎮らしき荘厳な衣装に身を包んだ人物も見える。そして一番奥の玉座には、国王エクナド・エンガーが座してリエティールを見ていた。
「それじゃあー、僕はこれで」
「へっ?」
一つ頭を下げ、そう言ってくるりと踵を返したピールに、リエティールは驚いて思わず声を出して振り返った。
「僕のお仕事は君をここに連れてくることだからさー。 ここからは君が自分でやらないとー」
目をぱちぱちとさせるリエティールを置いて、ピールは「ばいばーい」と軽く手を振って去っていってしまう。はっとした時には一人扉の前に立ち尽くしており、強い視線を感じて汗を流す。
パーティ参加者の連れ合いの一人、という以前城に来た時とは違い、今回は大勢の城の関係者に見られており、しかも国王直々に呼び出されたという状況であるため、緊張感が段違いであった。
ガチガチに身を固めながらも、このままここに立っているわけにもいかないと、心の内で何度も自分に言い聞かせて覚悟を決め、ぎこちない動きで一歩踏み出した。
歩いている最中も、周囲の視線が突き刺さり、見えている以上に道が長く感じ、息が詰まるようであった。
必死の思いで玉座の前まで辿り着き、固い動きで深々と頭を下げる。顔を上げると同時にお互いの視線がばっちりと合う。立食パーティで目があった時は何とも無かったというのに、周囲の雰囲気のせいでどきりと心臓が跳ねるほどの緊張感に飲まれる。
「あの、その、リエティールです。 えっと、何の御用、でしょうか……?」
なんとか最低限の挨拶をすることができ、リエティールは漸く一息つくことができた。まさか状況が違うだけで、同じ人物相手でもここまで変わるのか、と驚きを隠せなかった。
そんな風に、目に見えて強張っている彼女に、エクナドは少しだけ頬を緩めると、こう言った。
「よくぞ参った、リエティール。
……単刀直入に言おう。 暫くの間この国に滞在してもらえないだろうか?」




