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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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169.罪の原因

「そこまでにしてください」


 静まり返った空間にそう声が響く。見ると、近くにあった部屋の中からイティル、セノ、そして後ろに庇われる形でエゼールが姿を現した。


「……わかってる」


 デッガーは僅かな間の後、めり込んだ腕を引いて数歩下がる。女はその場に力なくへたり込み、魂の抜けた顔をしていた。

 そんな彼女の元にイティルは近付き、淡々とこう告げた。


「ネクシブ様、貴方に拉致及び監禁の容疑が掛かっております。 詳しい話をするために、同行を願います」


 それを聞いた女、ネクシブは、わなわなと体を震わせ、


「な、な……冗談じゃないわ! 私はっ私は、この家のためを思って尽くしているだけなのよっ!?」


と叫び、その目をギョロリと動かしてエゼールを見る。あまりに凶悪なその視線に、エゼールは体を震わせてセノの服を強く掴んだ。


「あんたが! あんたがいつまでも頷かないからっ! 素直に親の言うことを聞いておけばいいのに!

 あんたのせいよっ!! 私は悪くないっ!!! 悪くないわっ!!!」


 そう乱暴に言い放つと、ネクシブは腰が抜けたまま這うようにしてバタバタと入り口の方へ逃げようとする。イティル達は、その背をじわじわと追い詰めるようにゆっくりと追いかけた。

 ネクシブは扉まで辿り着くと、よじ登る形でドアノブにまで手を伸ばし、それを捻って開き外へ飛び出そうとする。

 しかしそんな彼女の行動を許すはずも無く、目の前にはシースとリエティールが立ち塞がっていた。門番の男も、不安げな顔をしつつも協力するように並んでいた。


「な、ぁ、ああっ!!! 何なの、何なのよぉっ!?」


 思い通りにいかない現実に、彼女は完全にパニック状態に陥り、頭を振り乱して奇声を上げる。そんな彼女をイティルとシースは冷静に拘束し、動きを封じると。


「こ、こんなことしてぇ! プレホン商会よ!? ここがなくなったら、国だってただじゃすまないわよ!? 今までどれだけ! どれだけ出資してきたかっ!!!」


 イティル達をきっと睨みつけ、ネクシブはそう脅し文句を言う。しかしそんな言葉はどうでもいいとばかりに、隣にいたセノは冷たく、


「商会一つ無くなったところで、この国が立ち行かなくなるとでもお思いですか?」


と言い放つ。そしてイティルは玄関で呆然と立ち尽くすデッドリグにこう言った。


「デッドリグ様、貴方にも来ていただきます。 既婚と分かっていながら女性に手を出すことが犯罪である、ということはご存知ですよね?」


 その言葉に、デッドリグは顔面を蒼白にし、それから勢いよく首を左右に振って言い訳をする。


「ち、違う! 知らなかった、知らなかったんだっ!! 彼女は、未婚だと言って近付いてきて……!」


「彼女の元の夫は貴方の商会に所属していました。 誓いの輪もしていたはずです。 それでも知らなかったと?」


 イティルの言葉に、デッドリグは「うっ……」と言葉を詰まらせ、やがて諦めたようにうなだれた。

 そして、まだ立ち上がれてすらいないネグルドニにも声がかけられる。


「拉致監禁の事実の隠蔽をし、幇助したとして、貴方にも来ていただきます。 よろしいですね」


「……はい」


 彼は酷く落ち込みながら、素直に頷いて答える。

 そんな彼の目の前に、デッガーが手を差し伸べた。驚きつつも、ネグルドニはその手を取って立ち上がらせられる。

 目で「何故?」と尋ねる彼に、デッガーはこう言った。


「俺はお前が気にいらねぇ。 だらしねぇしやり口も汚ねぇ。 だが、お前も……苦しんだだろう」


 口調は平坦で、言葉遣いは酷くきついが、その顔は同情と安堵が入り混じったような複雑な顔をしていた。そんな彼の言葉に、ネグルドニはなんと返せばいいのか暫く悩んだ後、小さな声で「ありがとう」と言った。


 そうしたやり取りの最中、シースは素早く動き本部まで応援を呼びにいっていた。やがて他の巡邏隊エシロップと共に戻ってきて、ネクシブ、デッドリグ、そしてネグルドニの三人は連行されることとなった。

 去り際、ネグルドニはエゼールの方を見た。エゼールは不安げな表情でセノの後ろから彼を見ていた。


「エジー……」


 自分の有様を見て、彼女が一体どのような感情を抱いているのか、哀れみなのか、嫌悪なのか、それとも安堵なのか。それは彼にはわからなかった。

 ただ、彼はすれ違いざまに力なく微笑むと、


「ごめん、僕じゃ幸せにできないみたいだ……」


と呟き、その声は誰に届くようなことも無く、夜の闇の中に消え去っていった。



 その翌日、リエティール達もまた事件の関係者として事情聴取を受けていた。とは言え、事件にそこまで深く関わっていたわけでもないため、発覚の経緯などを説明する程度で終わり、すぐに解放された。

 帰る前に、リエティールが他の関係者の事を尋ねると、暫く悩んだ後、他言無用の条件をつけた上で特別に現状を話してくれた。

 セノとデッガーはリエティールと同じく、軽く話を聞き取ってそのまま解放されるという。詳しい話はされなかったが、デッガーに関しては、デッドリグの罪の方に関しての聞き取りもあるのだろう。

 エゼールやネグルドニ達はより詳しい話を聞くため、まだ完全に解放されてはいないが、エゼールに関しては被害者であり、知っていること自体は少ないため早めに解放される予定だという。

 ネグルドニ達に関しては、程度は違えどそれぞれに刑が科されるのは確実のようであった。今回の事件に関して、ネクシブは否認を続けており、精神状態が不安定なままだそうだが、ネグルドニとデッドリグの方は素直に話したという。



 ネグルドニは、嘗ては普通の子どもとして愛されて育てられていた。

 年齢を重ねた後、将来はデッドリグの跡を継ぐ子として教育を施されたのだが、そこであまりにも才能が無いことが露呈してしまう。計算が苦手でミスばかり、話術を学んでも人前に立つと緊張して頭が回らなくなる。

 失望したネクシブは徐々に彼を抑圧するようになった。罵倒を浴びせられ、時には暴力も振るわれるようになったネグルドニは、ストレスによって過食気味になり、婚約を望まれる相手となったエゼールに依存気味の愛を向けるようになった。

 過食によって肥満になった容姿を罵られ、貴族の娘と結婚する以外、お前には価値が無いのだと唾罵を繰り返された。激しい暴力にすっかりトラウマを植えつけられた彼は、今回のネクシブの暴走の際も、一度は拒んだものの従わざるを得なかった。町中で見つけたエゼールをやっとの思いで家に連れ込み、そしてネクシブの指示に従って渋々あの部屋に閉じ込めた。

 しかし、ネクシブにエゼールをどんな手段を使ってでも言いくるめろと指示をされたものの、彼女を傷つけることを望んでいない彼は塞ぎこみ、殆ど接触せずに引きこもっていたのである。

 エゼールが誰かと会話しているということに気がついたのも彼であった。しかし彼女を縛り付けることに抵抗があった彼は、無理矢理聞きだすこともせず、静かにしろと言った程度で口枷などもしなかったのだという。


 デッドリグもまた、初めはネクシブからの過剰な接触を警戒していた。だが、彼女の猛烈なアプローチによって、彼女は本気なのだと思い込み、その艶かしい美貌にすっかり酔ってしまった彼は、ノイタシドの妻、既婚者であると知りながらも不義を働いてしまった。

 初めは愛し合っていたのだが、徐々に彼女の目的が自分の財産だと気がつく。しかし既に子を儲けていたため、簡単に離れることができず、判断を渋っているうちに彼女にあらゆる面で権利や弱みを握られていき、逆らえなくなってしまった。

 ラツィルク家に婚約の話を持ちかけたのもネクシブからの指示であり、彼自身は安定した今の生活に満足していたため、貴族とのつながりを深めて恩恵にあやかる、というような欲は無かったようであった。


 こうした経緯を知った巡邏隊の中では、ネクシブには可能な限りの重い刑を、という意見が主流となっていった。

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