16.悠久の年月
少女の体調は回復しつつあったが、やはり万全と言うわけではなかったため、暫くの間は食事と軽い運動をし、頻繁に休息を取る生活を送ることになった。
『ねーさま!』
軽い運動をし、休憩を取っていると、子竜がそう言いながら少女のもとへと駆け寄った。子竜は未熟で、魔法もまだ殆ど使えない状態であるらしいが、念話だけはすることができるようで、少女に構ってといわんばかりによく話しかけていた。
少女と子竜のどちらが先に生まれたかという正確なことはわからないが、面倒を見るという立場であり、精神年齢的に大人びている少女の方が姉らしいだろう、と氷竜が言ったところ、それを聞いた子竜は少女のことを「ねーさま」と呼ぶようになった。同様に、氷竜のことは「かーさま」と呼んでいるようであった。
それに対して少女はエフナラヴァに愛称をつけて「エフィ」と呼んだ。氷竜のことはなんと呼ぶべきかまだ決まっていない様子だったが、時たま子竜が話すのにつられて「母様」と呼びそうになり、慌てて口を噤むことがあった。父と母のことを思い出すと、どこか胸の奥が痛むように感じて落ち着かないためであった。
駆け寄ってきた子竜を優しく抱きとめて撫でていると、出かけていた氷竜が帰ってきた。
少女がいる場所は氷竜達の寝床のための空間らしく、氷竜は一日のうちに何度かここを出て別の場所へ出かけていく。その場所の詳しいことは、少女も子竜も知らないのであったが、どちらも氷竜が作った、人間が「氷の要塞」と呼ぶ空間の内側にあるというので、正しくは「出かける」とは違うのだが、少女も子竜もここから出ることは無く、氷竜の行く先も大分離れているというため、出かけると言っている。
氷竜が腰を落ち着けると、子竜は少女の腕の中からするりと抜けて氷竜の方へ駆け寄る。少女にも懐いてはいるのだが、やはり子竜にとっての一番は母親のようであった。子竜が近寄ると、氷竜は鼻先を近づける。そしてその鼻先にしがみつくように乗っかると、氷竜はそのまま子竜を持ち上げて背中へ移す。「キュキュ!」と嬉しそうに鳴きながら、子竜は氷竜の背中を滑り、翼の間に落ち着く。
「あの、エフィには父親もいるのですか?」
氷竜から水を受け取りながら、少女が尋ねる。母親がいるならば父親もいるのではないかと考えたのだが、氷竜はその問いに首を横に振った。
『いや、これに父親はおらん。
お前が知っているかは知らぬが、我ら古種と呼ばれる者は、魔操種と呼ばれる者と同様で、番を必要とせん。 子を成すのに番を要するのはお前達人間と無垢種と呼ばれる者たちだけだ』
「では、どうやって生まれるのですか?」
少女が再び尋ねると、氷竜は続けて答える。
『我ら古種と魔操種は、その身に宿す魔力で子を成す。
必要な魔力はそれぞれ違うが、成熟し十分な魔力を蓄えなければ不可能だ。 おおよそ必要な魔力の倍を貯めてから子を成す。 そうしなければ魔力不足で世話をしたり自身が生きていくことが難しくなるためだ。
尤も、我はそれができなかったのだが……』
そう言うと、氷竜は深いため息をつく。自分を不甲斐ないと嘆いた時と同じ、責めるようなため息であった。少女が不思議に思ってどういうことかと尋ねると、氷竜はやや答え辛そうに言う。
『前にも言ったとおり、やむを得ぬ事情があってな、これを成す前に全ての魔力を使い果たしてしまったのだ。
しかし我に残された時間は少ない。 そのために必要な分の魔力が回復してすぐに成したのだ。
そのせいで苦労をしているのだが、仕方の無いことだ……』
再びため息をつく氷竜の背から、子竜が不思議そうに顔を覗かせて氷竜の顔を覗き込む。それに気がついた氷竜が、苦笑しつつも「気にするな」と鼻先でつつくと、子竜は嬉しそうに何ながら背中に転がり戻る。
これの精神が未熟なのは魔力不足が原因かも知れんな、と氷竜は小さく呟き、複雑な表情で少女に向き直る。少女はそれを受けてどうしようもなく、ただ苦笑するしかなかった。
「でも、そんなに魔力が必要だとすると、魔操種は数を増やせないのではないですか?」
少女は魔操種がどんなものかは話でしか知らないが、無垢種と同じように種類ごとにたくさんの個体が世界中におり、大量に倒してもそう簡単には根絶できない存在だということは知っている。子を成すのに、氷竜のように苦労するほど大量の魔力を使うのであれば、そうそう困るほど数は増えないのではないかと考えたのだ。
『魔操種は我ら程大量の魔力は必要とはせん。 弱いものであれば数日に一度子を成せるであろうし、成熟も早いだろう。 強いものであっても数年程度だろう。 数百、数千といった年月を必要とするものはおらん』
数千という言葉に、少女は想像もできない長い時間氷竜が子を成す為に耐えてきたことを思う。それと同時に、それ程長い時間をかけて回復しなければならないほどの魔力を、一体何に使ったのだろうという疑問も浮かんできたが、氷竜の苦々しい表情を思い出すと、あまり聞くべきではないだろうと考え、尋ねるのを控えた。
一時やや暗い空気にもなってしまったが、そこに少女の小さな腹の音が響く。空腹でいることに慣れてしまっていた少女は特に気にした様子もなかったが、それに反応したのは氷竜であった。
体力を戻す為に空腹は良くないと、すぐさま食事をするように少女に言った。
そうして、少女の目の前に以前と同様に白く光る穴が、以前より大きく開く。少女が以前これについて尋ねたところ、これは時空という属性の魔力を使った、時空魔法の一つらしく、中は時間の進まない不思議な空間になっているという。そして氷竜はその中に食料を含めた様々なものを貯蓄している。この空間の中に生き物が入ると、再び出てくるまでその生き物以外の時間が止まるのだ。
最初こそその不思議さに随分と戸惑った少女であったが、二、三度入ると恐怖心などはほとんどなくなり、抵抗なく入ることが出来るようになった。
栄養があるからと優先して食べるように言われているいくつかの木の実や豆類を手に戻り、少女はふと疑問を覚えて氷竜に尋ねた。
「あの、この中にあるものって、誰かからもらったものなのですか? パンみたいな調理品もありますし」
『うむ、それらはかつて人間が我にくれたものだ。 どれ程前であったかはもう忘れてしまったがな』
その答えに、少女は以前女性が話していた、氷竜が人間と交流を持っていたという話は本当だったのだと確信した。今もこうして人間である少女に優しくしてくれているのは、きっと恩だけではなく、元々人間と共に生きていたからなのだ、と。
「どうして今は……」
少女がそう尋ねかけ、氷竜が悲しげな瞳でいることに気がつく。そして、きっとこれもどうしようもない事情というのに深く関わっていることなのだろうと察した少女は、それ以上の言葉を紡ぐのを止め、果物を口にした。瑞々しく甘い果物の風味に少女は先程まで感じていたもやもやした気持ちも忘れ、豆の独特の食感に満足感を覚える。そして、女性にも食べさせてあげたかったという思いが浮かび、再びどこか寂しい気持ちになるのであった。




