164.燻る思い
リエティールはなるべく抑えた声で、エゼールが帰ってこない事、その知り合いである城の兵士に相談をした事、その結果プレホン商会に疑いが掛かったことを説明した。
話し終えると、ナーツェンは「なるほどのぅ」と顎に手を当ててつぶやき、デッガーは硬い表情のまま考え込むように俯いた。
少しの間の後、デッガーは急にリエティールの手を両手で掴んだ。驚いて声も上げられずにいる彼女に、彼は懇願するような真剣な眼差しでこう言った。
「頼む。 その明日の集まりに、俺も連れて行ってくれ」
リエティールが呆然としているうちに、彼は再び顔を俯けて話し始めた。
「俺はあの日から、ずっと強くなることを考えてきた。 考えるしかなかった。 少しでも気を抜くと、怒りで気が狂いそうになるからだ。
頼む、どうか俺に踏ん切りをつけさせてくれ。 迷惑はかけない、頼む……」
その声は、普段の彼の様子からは想像もつかない程の弱弱しいものであった。掴んでいる手も小刻みに震えている。その震えが怒りから来るものなのか、悲しみから来るものなのか、あるいは別の何かなのか、理由は分からなかった。
リエティールは困惑し、中々返事ができずにいた。
彼女は、できれば自分の勘違いであって欲しいと思っていた。しかし今の彼の言葉で、彼の幸せを奪ったのがプレホン商会である、ということを確信してしまった。
そしてそれは、プレホン、つまりデッドリグがその全ての原因である、ということが確定したということである。
多少なりとも悪い人ではない、という印象を持っていたリエティールにとって、その事実はすんなりと受け入れられるものではなかった。
しかし、受け入れにくいことだからと言って、事実が変わるわけでもなく、デッガーの今の姿を見て断ることはできなかった。
リエティールは一つ頷くと、
「わかりました。 明日、一緒に行きましょう。 きっと大丈夫です」
と言った。
それを聞いたデッガーは、安堵に顔を緩め、「ありがとな」と言った。それから手を離し、すぐに顔を背けて片手で顔を覆うと、
「情けねぇな……こんな顔あいつに見せられねぇよ」
と呟き、何かを振り払うように左右に首を振ると、いつも通りの強面に戻り、カウンターに夕食の代金を置いて部屋に戻っていった。
それを手にとり数えたナーツェンは、
「お前さんも明日に備えて早く寝るといい」
とリエティールに言い、食器を下げ始めた。リエティールが代金について言い出そうとすると、声を出す前に彼はデッガーから貰った硬貨を見せた。
掌で光る四枚の銀貨を見て、リエティールは小さく笑みを浮かべると、「ごちそうさまでした」と言って部屋に戻った。
翌朝、リエティールはデッガーと共に朝食を済ませると、早速約束の場所へと向かった。
広場から繋がった幾つかの道の内、比較的人通りの少ない狭い道へと入る。それでも人の集まる広場と繋がっているので、そこそこの人数が行き交っている。
地図に従い、その道を進んで少ししたところにある路地に入り、目的地に辿り着くとセノが立っていた。
「セノさん!」
「おはようございます、リエティール嬢。 少々陰になった場所なので迷われないか心配しておりましたが、大丈夫だったようですね。 早めに来ていて良かったです」
リエティールが声を掛けると、セノは微笑んで挨拶をした。しかし、彼はすぐに表情を引き締めると、リエティールの横に立っている人物に目を向け、
「それで、そちらの方は?」
と問いかけた。その視線は射抜くような厳しい目である。
リエティールは内心ドキッとしたが、なんとか怯まずにこう答えた。
「この人はデッガーさんで、信頼できる人です。 怪しい人ではありません」
「急に来たやつを信じろっていうのは無理があるとは思うが、信じて欲しい。 俺はプレホン商会に因縁があってな……無理を言ってついてこさせてもらった」
それを聞いたセノは、視線の鋭さはそのまま、リエティールに向く。
「話したのですか?」
「そ、れは……」
自分が約束を破ったということは分かっているので、リエティールは怯えて言葉に詰まる。そんな彼女の前にデッガーは一歩歩み出て、
「俺が無理矢理聞きだしたんだ、こいつは悪くねぇ!」
と視線を遮って庇うように立った。セノは無言で彼の顔を見る。言葉はなかったが、その目が「目的を言え」と言っていることは明らかであった。
「俺は、プレホン商会に恨みがあって、復讐がしたかった。 けど、王都一の商会だ、簡単に近づけるわけがねぇ。 嫌がらせの一つもできやしない。 だからずっと耐えてきた。
だが、今はもうそんなことはしたいとは思ってねぇ。 ただ、あの野郎に、今まで溜め込んできた思いをぶつけたい。 で、あいつの罪がはっきりしたのなら、それが暴かれる瞬間を見たい。 それだけだ……」
暫しの沈黙の後、セノはその目をゆっくりと閉じた。そして再び開くと、
「……事情は分かりました、特別に、私は許可しましょう。 ですが、今回は私達だけで行動するわけではありません。 プレホン商会の本部及び邸宅のある副王都の巡邏隊にも協力してもらうことになっています。 向こうで合流する手筈になっているので、行動を共にするのはそちらにも許可を貰ってからです」
と言って、まずは副王都へと行くことになり、二人はセノの後に続いて王都から出発した。
暫くして副王都へと到着し、そのまま待ち合わせ場所となっている所まで案内されていくと、そこには巡邏隊の制服を身に纏った二人の人物がいた。
セノは二人に挨拶をすると、連れてきた二人と対面させる。
「こちらの二人は副王都の巡邏隊の、イティルとシースです。
以前私と何度か街道警備の仕事を共にした仲で、今回の件を実行する許可を取るのに尽力してくれました。
事件の疑いがある以上、城の兵士の独断で行動することはできないため、調査にはこの二人に協力してもらうことになりました」
イティルとシースは紹介されるとビシッと敬礼し、挨拶をする。巡邏隊であることを示すバッジが胸元で輝いている。
リエティールとデッガーも二人に挨拶をし名乗った。お互いに顔と名前をしっかり覚えたところで、セノはイティルとシースに対して、今回の二人、特に予定に無かったデッガーの同行について事情を話した。
話を聞いた二人は顔を見合わせると小さく話し合い、やがて一つ頷き、
「特別に許可しましょう。 しかし、決して我々の邪魔をしないこと、暴力沙汰を起こさないと誓ってください。 我々の目的はあくまでも、誘拐、監禁の事実を確かめることです。 貴方がもし暴行を行った場合、貴方も逮捕することになります」
と答えた。それに対してデッガーは、
「ああ、誓う。 俺の行動は俺が責任を持つ。 迷惑はかけねぇ」
と答えた。答えを聞いたセノの視線は、普段どおりの穏やかなものに戻っていた。
「では、今日の詳しい予定をお伝えしましょう」
と話し始めた。




