160.親しい人
「え? まだ戻っていないのですか?」
「はい、昨日からお戻りになられてはおりません……」
受付嬢の言葉に、リエティールは信じられないといった顔でそう尋ねた。しかし何度尋ねようと、エゼールがいないという事実は変わらない。受付嬢が嘘をつく意味も無いだろう。なにより、彼女自身もやや困惑した様子を見せている。部屋を取っておきながら、何も言わずに泊まりに戻ってこないのは不審に思っているのだろう。
「お戻りになられましたら、お伝えいたしますので……申し訳ございません」
「あ、えっと、謝らないでください。
わかりました。 じゃあ、失礼します」
受付嬢が悪いわけでもないので、頭を下げるのを慌てて止めて、リエティールは建物から出た。しかしその表情は優れない。
エゼールは昨日の昼過ぎには既におらず、それ以降一度も戻っていないという。日が暮れる前ならまだしも、日が暮れてからも一度も戻っていないというのは心配になる。
誰か知人の家に泊まった可能性もあるが、エゼールの丁寧な性格を考えると、部屋を取っている以上そういうようなことはしないように、リエティールには思えた。
しかしその可能性がゼロと言うわけではない。今はまだ朝早いので、もう少し経てば一度戻ってくるのではないだろうかと考え、入り口が見えるところのベンチに腰掛けると、本を読みながら帰りを待つことにした。
しかし、結局昼頃まで待ってもエゼールが姿を現すことは無かった。本に夢中になって見落としたかもしれないと思い、もう一度受付に行って確認してみたが、やはり戻ってはいないと言われた。
ほぼ一日戻ってきていないと考えると、いよいよ心配が膨らんでくる。リエティールはエゼールの身に何かあったのではないかと思い、行方を探るべきではないかと考えた。
だが、そう思ったところで行き先に思い当たる節は無い。
リエティールは考えた結果、エゼールと親しそうな人に助けを求めることにした。
「止まれ、何用だ?」
リエティールの前に二人の門番が立ち塞がり、厳しい目を向けてそう尋ねた。
「えっと……その、セノさんに聞きたいことがあって……」
その視線にたじろぎながら、リエティールは目的を正直に話した。
「セノさん?」
「城内警備の上司を努めている人だ。 ちゃんと覚えとけよ」
新人なのだろうか、すぐにピンと来なかった様子で首を傾げる一人の門番に、もう一人の年長そうな門番がそう教える。それを聞いた先の門番は思い出したのか「ああ」と呟いた。
「それで、セノ隊長に何を話すつもりだ?」
二人はリエティールに向き直り、年長の方の門番がそう尋ねる。
ここで下手なことを言えばどうなるかは分からないが、少なくともそう不信がられることではないだろうと思い、リエティールは嘘偽り無く話す。
「お友達のエゼールさんが、昨日から宿に戻っていなくて心配で……。 セノさんは、エゼールさんと親しそうだったので、何か心当たりがあるんじゃないかと思って、それで……」
それを聞いた門番二人は、困ったように顔を見合わせた。事情を理解して同情をしつつも、中に入れるには理由が薄いと思ったのだろう。
少しの間二人は何度か言葉を交わして、それからリエティールにこう返した。
「事情は理解した。 だがそれだけの理由で城内に入れるわけにはいかない。 代わりに今聞いた話を私が伝えてくる。 しばしここで待っているように」
そう言って、年長らしき方の門番は城内の方へと走っていった。リエティールはその背を見送りながら、残ったもう一人の門番と大人しくその帰りを待った。
暫くすると城内から、走っていった門番と共にセノが姿を現した。
まさか本人がやってくるとは思わなかったのか、残った門番は驚きを隠せずに目と口を開き、慌てて姿勢を正して敬礼をした。戻ってきた門番も、その顔には緊張が浮かんでいる。
セノは二人の門番の間に立つと、リエティールの正面に向かい合い、
「やはり貴方でしたか、リエティール嬢」
と言った。
「え? えっと……はい。 こんにちは……?」
何と返すべきか思いつかず、慌てながらなんとか挨拶をしてお辞儀をする。その様子がおかしかったのか、彼は薄らと微笑を浮かべた。
しかし次にはすぐ表情を引き締め、リエティールに向かってこう尋ねた。
「エゼール嬢についてのお話でしたね? 詳しくお話を伺いたいので、ついてきて頂けますか?」
「は、はい! えっと……いいのですか?」
そう尋ねたのは、先ほど入れるわけにはいかないと言われたことに加えて、彼が警備の仕事で忙しいのではないか、という疑問もあったためであった。
そんな思いを分かりきっているとばかりに、彼はすぐにこう答えた。
「ここで話をしては誰かに聞かれてしまうかもしれません。 人の安否に関わる話は慎重にしなければなりませんから。
それと、少しの間持ち場を離れることは他の兵士にしっかりと伝えてあります。 なので心配しないでください」
そう言われ、リエティールは納得すると頷いて彼の後に続いて中に入った。彼がここまで慎重になるのも、エゼールのことを心から心配に思っているからだろう。明確に口にはしていないが、彼のやや強張った表情からリエティールにもそう推察できた。




