156.帰り道
リエティールの持つ槍の穂先は、真っ直ぐに鱗の無い部分へと、深々と突き刺さった。
「ガギャアアアァァァアアアァァァッッ!!!!!」
途端に響く、空気を割るような断末魔。今まで頑丈な鱗に守られていた分、抉られた傷口に更に突き刺さる痛みには耐性が無かったのだろう。
その巨体に、リエティールの小さな槍で突き刺した程度では、一見すると全く致命傷にはならないようにも見えるが、痛がり様は尋常ではない。リーフスが鱗の隙間に剣を刺した時とは全く違うものであった。既に傷になっていたこと、剣で傷つくよりも深々と刺さったことが主だった原因であろう。背中に傷を負う、という予測を全くしていなかった為かもしれない。いずれにせよ、その一撃はニログナにとって想像を絶するものであった。
叫んだ直後、それはズドンッ、と轟音を立てて気を失って地に伏した。その弾みで背中から転げ落ちたリエティールを、デッガーが駆け寄って抱きとめた。
一瞬、二人の目があったが、デッガーはすぐに降ろして顔を逸らしてしまう。しかし、
「よくやった」
と、極めて優しい声でそう言った。その言葉に、リエティールは心の底から喜んで、自然と笑みが零れた。
そんな二人の下にリーフスが歩み寄って声をかける。
「デッガー殿、怪我をしていたというのに助けに来てくれて感謝する。 貴方が来なければ無事では済まなかっただろう。
そして、リエティール……勇気を振り絞り、共に戦ってくれたこと、心から礼を言う」
深々と頭を下げたリーフスに、先に答えたのはデッガーだ。
「気にしなさんな、隊長さんよ。 あの程度、痛み止めの薬さえ使えばどうってこと無い。
それに、礼を言うのはこっちの方だ。 身を挺してこいつを庇ってくれたんだろう? ……本当に、ありがとう」
最後の言葉を言う時、デッガーは顔を俯けながらそらし、どこか声が震えていた。リエティールはちらりと見上げたが、彼女の位置からでもその表情を窺い知ることはできなかった。
デッガーから視線を外して、リエティールはリーフスのほうへと向き直ると、
「私も、ありがとうございます」
と言ってペコりとお辞儀をした。そして頭を上げた時、二人の目があった。そのときリエティールが感じたのは、尊ぶような、それでいていとおしむような、不思議で温かい視線であった。
その視線を感じとり、リエティールは彼の言った「勇気を振り絞り」が、単純に戦いから逃げなかったことだけをさしているのではなく、魔法が使えることを明かしたことに対しても言っているのだろうと思い当たった。
二人がそんな風に視線を交わしている間に、デッガーはと言うと、その場から離れてニログナに近付いていた。
「終わったような雰囲気を出しているところ悪いが、こいつにまだ止めを刺してない事は忘れていないよな?」
そう言って、彼は鈍器のような大剣を振り上げると、それを全力でニログナの首へと振り下ろした。鱗と骨、そして肉が破壊される音が響き、数度の後にニログナの頭部は胴体から切り離された。これでようやく、ニログナの命が絶たれた。
それからデッガーはニログナの左眼から命玉を取り出す。それは氷竜のように両手で持つほど巨大ではないものの、ティバールやホララブのものよりもずっと大きかった。
「とりあえずこれと、あと鱗を何枚か……これだけでかければ、探せば貴石の類でできた鱗もありそうだな」
流石は罠を買い渋る程収入を気にするだけのことはあると言ったところか、全ては持ち帰られずとも、少しでも価値のある部分を選んで持ち帰ろうとする心意気は健在であった。
「でも、どうやってここから帰ればいいんでしょうか?」
リエティールがそうリーフスに尋ねる。流石にこの大穴を攀じ登るというのは無理がある。先が見えるならばまだしも、穴の上は暗闇に消えている。落ちていた時間から考えても相当な深さであることは明らかであり、挑む前から心が折れる程だ。
その当然な問いに、リーフスも口元に手を当てて思案する。
「流石にこの深さともなると、上から縄梯子を下ろすわけにも行かないな。
普通のニログナがここから地上に向かうのに使ったらしい穴がいくつかあるから、脱出できる可能性があるとすればそれだが……歩いて登るにはどれだけ時間がかかることか、想像したくもない……」
「じゃあ、方法は……」
まさか一生ここから出られないのではないか、という想像をして顔色を悪くしたリエティールが呟くと、リーフスはそれを落ち着かせるようにこう言った。
「無いわけではない。 地上にいる者が風の魔術師か霊獣使いを呼んで来れば……」
そう言いかけた所で、彼は異常を感じて言葉を切る。側にいたリエティール、ニログナから鱗を剥いでいたデッガーもそれに気がつき、辺りを見回した。
低い地鳴りが鳴り響き、パラパラと石の屑が落ちる音が聞こえる。
「まずい、崩落が始まった!」
リーフスの言葉通り、あちらこちらが音を立てて崩れ始めていた。先ほどの話にも出ていた普通のニログナの通路も、どんどんと塞がっている。
無理に開けられた大穴が、ニログナの断末魔か、あるいは倒れた時のものによる振動で限界を迎えたのだろう。
このままでは生き埋めになる。三人の脳内には共通したその考えだけが浮かんでいた。
リーフスは焦った様子で何か無いかと周囲を見回し、リエティールは蒼褪めて立ち竦み、デッガーは忌ま忌ましげに顔を歪めていた。
三人はまともな打開策も思いつかないまま、ただ崩落する大穴の中心で佇むことしかできなかった。




