14.氷竜
少女が目を開くと、目の前にあったのは白い空間であった。ただその一色でありながら、細やかに煌くその様子は幻想的で、少女はここがあの世であるのではないかと感じた。
歩くことをやめた少女の体は積み重なった疲労により鉛のように重く、まるで自分の体ではないように感じられた。か細く抜けていく呼吸と、弱弱しい心臓の音の響きが、少女にまだ生きていると主張してた。しかし少女はそれでも自分が生きているのか疑っていた。もう自分の体を突き動かす目的が無いのだというのに、生きているとは思えなかったのだ。
体力も気力もない少女であったが、唯一体温だけが戻ってきていた。激しい吹雪の中に長時間晒されていた体は、当時それこそ凍死体のように冷たくなっていたが、今は吹雪も無い空間にあり、弱りながらも動き続けていた心臓が徐々に体温を戻していた。もしもあのまま雪原に倒れ臥したままであったならば、少女はまもなく本当に死んでいたであろう。
(生きてる……?)
意識が戻ってから暫くしてから、少女はようやく自分が生きているのだと認識した。しかし同時に何故生きているのかという疑問が脳内を覆い尽くしていた。
ピクリと動いた指先がなにか柔らかいものに触れたことをきっかけにして少女に触覚が戻り、それが毛皮であることに気がついた。それもふわふわとした厚みがあり暖かい。それと同じものが体の上にかけられていることにも同時に気がついた。着ている服からは雪がすっかり落とされ、雪の一片も残っていない。身につけていたものはどれもなくなることなくそのままであった。
ここまでの事実を踏まえると、明らかに誰かの手によって少女が運ばれてきたということになる。
(でも、あの時には誰も……)
そう考えながら彼女は氷竜と、追われていた小さな「何か」の存在を思い出す。しかしあの小さな生き物には自分を運ぶような力はなさそうに見えた。では氷竜が?と少女は思うが、自分を助ける理由が分からなかった。助けたところで氷竜には何の得も無く、であれば本当に純粋な善意からの行動であったのだろうか。
どこか腑に落ちないまま、このまま考えていてもしょうがないとあたりを探るように少女が視線を動かし、重い体をなんとかして動かそうと力を入れる。しかし碌に力が入らず、もぞもぞと蠢くことぐらいしかできない。そしてそれだけでも僅かばかりの少女の体力は見る見るうちに無くなっていくのだ。
もどかしく思う少女は、何かが歩く足音を聞き取った。カツカツという、何か硬いものが床とぶつかる足音だ。少女はなんとかしてそちらに視線を向けようと首を捻る。それが視界に入るのと、少女に声が掛けられたのはほぼ同時であった。
『目が覚めたか、人の子よ』
その声は直接頭に響くような、どこから聞こえてくるのか分からないものであったが、少女にはそれが目の前にいる存在から発されていることがすぐに分かった。
「え、き、のが……ど……」
少女は思わず声を漏らしたが、その声は掠れており思ったように発生することはできなかった。しかしそんな少女を見て、氷竜は穏やかに目を細める。その目はかつて女性が少女に向けてくれた、慈しむような優しい目と同じように見えた。そう思うと同時に、少女は無意識に目を潤ませていた。だがすぐに、相手が氷竜であるという事に意識が向き、緊張感がそれを掻き消した。
『ふむ、起き上がれぬか』
氷竜がそう言うと、不意に少女の体を持ち上げるように床が盛り上がった。緩やかなカーブを描きながら垂直近くまで持ち上がると、それはまるで椅子のような形を成し、少女は自然と座る形となっていた。
何が起きているのか現状についていけずに目を白黒させている少女をよそに、氷竜は続ける。
『まずは物でも食べて体力を戻すといい』
その言葉と同時に少女の目の前に白い光を放つ穴がぽっかりと開き、そこから零れ落ちるように一つのパンが現れ、少女の膝の上に落ちた。彼女は思わずそれを手に取り、その柔らかさに驚いた。少女が触れたことがあるのは、あの固いパン一つだけであったため、パンは皆固いものだと思い込んでいたのだ。
少女は驚きつつも、空腹に押されるようにして、そろりとパンを口に入れる。その風味の豊かさに少女は感動し、動揺する。ふわりと柔らかいそれは、体力の無い少女でも咀嚼し飲み込むことができるほどであった。
あっという間に食べ終えた少女に、氷竜は今度は手を差し出すように言った。もはや言われるがままの少女が手を出すと、光が集まると同時にそれが氷の塊へと変じ、器の形をとって彼女の手に収まる。続けてその器の上にまた新たな氷が現れ、今度は溶けて水となり、器の中に溜まっていく。
氷竜に飲めと言われ、少女はそれを口にする。氷が解けただけの水のはずであるのに、まるで水ではないかのように、体中に染み渡っていくように少女は感じた。
パンを食べ水を飲み、休息した少女はようやくまともに動けるようになってきた。立ち上がることはまだ叶わないが、自力で姿勢を変えるくらいであればできる程度まで回復した。喉の掠れも落ち着き、ようやくまともに会話ができる状態になっていた。
少女には目の前の氷竜と言う存在に尋ねたいことがそれは山ほどあった。元々もし会えたら、と思いながらある程度の質問したいことはあったのだが、それ以上に今の現状について聞きたいことが多すぎた。