130.明日に備える街並み
流されるままに購入したドレスの入った鞄を渡され、「また明日」と挨拶を交わして二人は分かれた。
着付けに関しては、着替えつつ店員に教えられたものの、一人で着るのは難しいと判断した結果、明日もここに持ってくれば着付けを手伝ってもらえるように話がつけられた。勿論、その手数料はエゼールがリエティールに気がつかれないように、こっそりと支払っていた。
ドレスを持ったまま町中を歩き続けるわけにも行かないので、リエティールは一度宿に戻って部屋に戻る、フリをして空間の中に仕舞いこんだ。ナーツェンのことを信頼しており、いかに人が来ない場所であるかを知っているとは言え、やはり鍵の無い部屋に大切な贈り物を置いておくというのは落ち着かなかったためである。
宿に戻ってきたのは昼の少し前の時間であったので、リエティールはそのまま部屋で本を読んで時間を潰し、昼食にはナーツェンの料理を食べることにした。
食べている間、そういえば、と気になっていたことを思い出し、彼女はナーツェンにそれとなく尋ねてみた。
「ナーツェンさんは、四竜教のことは知っていますか?」
「ん? ああ、勿論知っとるぞい。 この国じゃ主流の教えじゃし、わしもたまにやつの妹に会いにいっとるわい」
当然と言った口調で彼はそう答えた。この国の人であれば、やはり四竜教のことはよく知っている人も多いようだ。
「あの、私昨日教会で聞いて、少し気になっていることがあるんです」
そう言って、リエティールは続けて尋ねる。
「お祈りの言葉のことを、司教さんは『古い言葉』と言っていました。 でも、古い文献で氷竜は『ドラジルブ』と言う名前で呼ばれていると読みました。
ドラジルブは今も意味が通じる言葉です。 でも、古い言葉と言う言い方だと、昔は違う言葉が使われていたみたいに思います。 そこが、よく分からなくて……」
そこに疑問を持った理由はそれだけでなく、そもそも長い間人間と会わずに暮らしてきた氷竜は、今使われている言葉と変わらない言葉を使っていた。それ以上に、氷竜の記憶を遡っても、今と変わらない言葉で会話していた記憶があった。
もし古い時代の人間が今と違う言葉を使っていたならば、その記憶があるはずで、氷竜もその言葉を使ったはずである。
司教が「古い言葉」と言った時、そのことがずっと疑問であったのだ。
その問いに対して、ナーツェンは「ふむ」と顎に手を当てて言った後、こう答えた。
「まあ、古い言葉というのは間違っておらんがのぉ。 正しくは『方言』じゃろう」
「方言……?」
リエティールは首をかしげ、ナーツェンは頷いた。彼は説明を続ける。
「うむ。 建国王トラットスは、もともと山奥に暮らす少数民族の出じゃった。 外との交流が無かったせいで、独自の言語が発達したのじゃろうと言われておる。
彼は村を出て外の言葉を学び、人並みに使えるようになってから氷竜の元へと向かったとされておる。
じゃが、四竜教は彼のことを崇め、その故郷の言葉を絶やさないために、祈りの言葉にわざわざ彼の故郷の言葉を使ったのじゃと。
つまりはそういうことじゃ」
リエティールは成る程、と納得した。それにしても、かなり難解な方言だったなあ、などと考えていると、
「まあ、その難解さゆえに、今では祈りの言葉以外には殆ど残っていないと言われておるがのぉ」
とナーツェンは言った。それを聞いて、あの言葉を難解に思うのは自分だけじゃなかったのだと、リエティールは少し安心感を得た。
昼食を終えたリエティールは再び外に出てドライグへ向かう。街中にはところどころパーティに向けた装飾が成されており、その中にある旗をよく見てみると、なにやら商会の名前とシンボルマークらしきものが書かれているのがわかる。プレホン商会という名前が多く見られたので、恐らくそうだろうとリエティールは考えた。
道端で屋台の買い食いをしていた人に尋ねてみると、案の定商会のものだったらしく、曰くパーティの開催のために出資してくれた商会の名前が載せられているのだという。
歩きつつ旗を見ていたが、プレホン商会と書かれた旗が圧倒的に多く、いかにその商会が財力を持っているのか、ということが嫌でもよく分かった。
そして、そのような商会と親しくし、その上結婚まで申し込まれる程であるエゼールの家が、やはり力を持っている一族なのではないかと、リエティールは一人息を呑んだ。
そうこうしている間に広場までたどり着く。以前来たときに確認しており、ここに町全体の地図が設置されていることは知っていたので、それを見てドライグまでの道のりを確認する。
人が多い故か、地図の看板は裏表に載っている大きな物が二箇所に設置されており、人が分散するように工夫されていた。
それでも人が多いことには変わりが無いので、リエティールは合間をうまく縫って覗き込むようにして看板を見た。幸いにもドライグは目立つように大きな印がつけられていたので、探すのにはそう時間は掛からなかった。
道のりを確認した後、彼女は地図の中心にある巨大な建物、即ち城に目がとまった。そして看板から離れ、それがある方向を見上げる。高い建物に遮られつつも、それらよりずっと背の高い城の姿がそこにはあった。まだ遠いためはっきりとは分からないが、それが如何に立派であるかというのは、ここからでもよく分かった。
明日そこに行くのだと思うと、どことなく緊張したリエティールであったが、今はそんなことを考えても仕方が無いと頭を振り、ドライグに向けて歩みを進めるのであった。




