12.私の夢
「ねえおばあちゃん」
「なあに?」
「その、とねいくな?っていうのは、どんな見た目なの?」
真っ白な世界。右も左も分からない、手足の感覚すらもう分からない、そんな世界で、少女はかつての会話を思い出す。
「そうねえ。 昔読んだ本にはね、とても大きな体をしていて、鱗と牙を持っていると書いてあったわ」
「みんなそうなの?」
「それ以外のところは、それぞれ全く違うそうよ。 例えば翼があるかないか、飛ぶのが得意だったり、泳ぐのが得意だったり、色々と違うらしいの」
「へー。 じゃあ、ここの近くに住んでるのはどんななの?」
尽きること無い疑問をぶつける少女に、女性は少し困りながらも知る限りのことを全て話してくれた。
氷竜ドラジルブは、その体は雪のように白い鱗で覆われていて、背中には全てを包み込むような巨大で煌く翼を持っている。そしてその瞳は鱗と同じく真っ白だといわれている。
一度歩けば雪が舞い、二度歩けば大地が凍る。まさに氷雪の化身と呼ぶに相応しい力を持っているのだ。
「なんだかかっこいいね!」
「でも、本当にそうなのかは誰も知らないの。 全部古い本の中にしか書かれていないことだから」
「なんで? 今も生きているんでしょ?」
「それはね、誰も近づけないからよ」
古種は自らの巣に篭り、人前に姿を現さない。そしてその地は古竜の膨大な力によって人が安易に近づけない状態になっている。
火竜の住む大地は灼熱の溶岩地帯で、マグマが揺らめく炎に包まれている土地だ。その熱さの前には、どのような耐火の備えも意味を成さない。
海竜は海の中央、複雑な海流の海域に住み、どれ程巧みに船を操ろうと中心にはたどり着けず、たとえ近づけたとしても、海の底までたどり着くことは不可能だといわれる程深いとされている。
天竜は遥か天空を飛び続け、降り立つとされている山は、雲を貫くほど高い、反り立つ崖の上である。加えて風が吹き荒れ、登頂記録は未だに無い。
そして氷竜の住処は吹雪に覆われた氷雪の大地。並の覚悟では一瞬にして豪雪に呑まれ命を落とす。
一見、吹雪を抜けることさえできれば辿り着けそうにも聞こえるが、一筋縄ではいかない。雪原の中央には巨大な氷の分厚い壁があり、それは左右見渡す限り続くのだ。ドーム状になっているとも、箱型になっているとも言われているが、真実は定かではない。
その氷の強度はどれ程のものなのか、つるはしは全く歯が立たず弾かれ、傷をつけることすらできず、炎で溶けることも無い。直接手で触れようものなら、忽ち張り付いて離れなくなるというほどの強烈な低温で、かつて訪れた調査隊は、一部の隊員が手袋や上着を持っていかれたと記録している。通称「氷の要塞」と呼ばれるほどである。
「──つまり、とても危険な場所なのよ」
「会えないんだー……会ってみたかったなー」
少女は残念そうにそう言った。それに対して女性が、
「もし会えても、とても恐ろしい存在なのだから、生きては帰れないかもしれないのよ?」
と苦笑して言うと、少女は女性の顔を不思議そうに見つめて、
「どうして? もしかしたらとても優しいのかもしれないよ」
と言った。女性はその言葉に目を丸くした。古種が優しいなんて、考えてもみなかったことだったためだ。
「だって、誰も会ったことがないんでしょ? とっても強いかもしれないけれど、だから悪い生き物だって決まりは無いもん!」
少女の中には「恐れ」ではなく「憧れ」だけが在った。スラムの中の狭い世界しか知らない少女は、ただ純粋に好奇心だけが満ちていた。
(氷竜……あなたはどんな生き物なの?)
前を見つめる少女の視界に映るのは、ただ只管の白無地。けれどその瞳には、確かな目的地が見えていた。
生きているのが不思議な程弱った彼女は、しっかりとした足取りで進む。氷竜に出会うまでは止まらないという確固たる意思を持って。
「……そうね。 あなたの言うとおりだわ」
女性は優しく笑って少女を撫でた。そして続けてある話を始めた。
「ずっと、ずうっと昔のお話よ。 それこそ、御伽噺の世界の話ね」
「なになに?」
彼女は目を輝かせて見上げる少女を見つめて、愛おしそうに目を細める。
「その頃、氷竜は今みたいな吹雪を吹かせずに、人間を受け入れていたそうよ。 そして、たくさんお話もしていたそうなの」
「ほんと!?」
「ええ、けれど、残っている記録が殆ど無くて信じる人は全然いないのよ。 でも、もしかすると本当のことかもしれないわね。 本当は、あなたの言う通り優しいのかも」
その話を聞いて、少女はぱっと笑顔になる。それは希望に満ちた顔だ。
「じゃあ、じゃあ! おねがいしたら会ってくれるかも! 私いつか会いにいく! たくさんたくさんお話しする! それでね、おばあちゃんにも教えてあげる!」
「あら、まあ……ふふ、楽しみね」
それが、少女の抱いた最初の夢であった。女性は穏やかに笑うだけで、「無謀」だとも「危険」だとも言わなかった。ただまっすぐな少女の夢を肯定してくれていた。
(おばあちゃん、待っててね)
凍りついた少女の顔が、ふっと柔らかい笑みに崩れる。
たくさんお話するのは無理かもしれない。けれど、会うことはできるかもしれない。いや、会うまでは死ぬわけには行かない。必ず、必ず会うのだ。
(それが、私の夢)
少女の中に「恐れ」は無い。たった一つの「憧れ」だけがそこには在った。