120.路地裏に咲く花-3
自分の着ていた上着を脱ぎバロッサの体を包み込むと、デッガーはより一層人気の無い狭い路地裏の暗がりに、隠すように横たえた。そして、かつて彼女が気に入っていたあの花を摘んできてはそこに植えた。
大好きな花に囲まれて眠る彼女は、しかしとても苦しげな顔をしていた。それが彼女の最後の瞬間、どれほど苦しく、辛く、悲しかったのかをまざまざと表していた。
バロッサはまだ十歳の幼い少女であった。歳相応に純粋で、お転婆で、前向きで、そして感受性が豊かであった。
デッガーは悔やんだ。自分の選択が間違っていたのかと悩み続けた。エルトネになって多少無理をしてでもお金を稼ぐことが出来なければ、妹一人生かしてやることもできなかったであろう。しかしそのために僅かな時でも目を離すのは間違いだったのだ。
あの時、理由を話して妹と手を繋ぎ、一緒に登録の手続きをしていれば。あるいは子どもでもできる仕事を死ぬ気で探していれば。いくら後悔しても、もうやり直すことはできない。
唯一つ、彼が確信していたことは、妹が耐えがたい苦痛の中で、兄がきっと助けに来てくれると信じ続けていたであろう事であった。
家を失って後にした時、彼は妹に告げたのだ。「何があっても兄ちゃんが守ってやるからな」と。その時の妹の純真な眼差しを、今でもはっきりと思い出すことができる。
「……クソッ、クソがっ!! くそ……バロ、サ……」
自分は妹を裏切ったのだ。
彼はただ自分の拳を、血が滲むまで地面に叩きつけ続けた。
その日は暗い曇天であった。丁度昼を回った頃、相変わらず人の来ない店のカウンターで、男はぼんやりと外を眺めていた。そしてじっとしているのも落ち着かず、彼はこの日五回目になる、店までの道に設置した目印の小さなランプの確認に出かけた。
その道中、彼はふと何かの気配を感じて、ランプの無い横の路地に目をやった。いつもより暗いその日は、その道は一層暗かったが、ランプの明かりが届くギリギリの端に人影があるのに気がついた。
目を凝らしてみれば、それは子どもで、この辺りでは寒いであろう一枚のボロ布の服を身に纏い、酷く痩せこけ、あちらこちらに傷を負い、しかし鋭い目はまるで野生の凶暴な無垢種のようにギラギラとした、まるで幽鬼のような男であった。
普通の一般人であれば、裸足で逃げ出すような不気味さであったが、元々エルトネで肝の据わっていた男は、その子どもをじっと観察するように見つめた。
すると向こうも男に気がついたように視線を上げ、フラフラとした足取りで近付いてくる。近付くにつれてよりはっきりと姿が見えてくる。そこにいたのは、無垢種でも亡霊でもなく、ただ死に掛けの浮浪児であった。
危険は無いと判断した男は、その少年に近寄って声を掛けた。
「お前は誰だい」
「……れ」
少年は男の顔を見て、絞り出すような声で言った。
「……とを……ら、くれ……」
彼の射抜くような視線が揺らぎ、枯れた瞳に水が浮かぶ。
「いもうと、を、とむらって、くれ……」
切実な願いを口にすると共に、彼は膝を折って倒れ込んだ。男はその少年がまだ息をしていることを確認すると、自らの店に連れて帰って介抱した。
暫くして目を覚ました少年は、呆然とした様子で辺りを見回していた。どうやら気を失う直前のことを覚えていないようで、目が覚めたかと声をかける男の姿を見て酷く驚いていた。
男は自分のナーツェンと言う名前を名乗り、よく煮込んだ野菜のスープを差し出した。最初は訝しげな顔をしていた少年も、目の前でナーツェンが一口食べて見せると、少し時間を置いて一口含み、そして火がついたように一気に流し込むように食べつくした。
それからまた寸刻休憩し、体力が戻ってきたようで少年は先程よりまともに話ができるようになった。彼は自分をデッガーと名乗り、ナーツェンに感謝をすると同時に、姿勢を整えて真剣に頼みごとを口にした。
「妹を、弔ってください」
それを聞いたナーツェンは、真面目な顔で詳しい話をするようにデッガーに求めた。彼は暫く暗い顔で俯いたまま、やがてゆっくりと経緯を話始めた。
妹は不幸な死を遂げた。親も頼みも無い彼は妹を弔うこともできず、ただ花を添えてやることしかできなかった。しかしそれではあまりにも妹が可哀想なので、どうにかしてちゃんとした形で弔い、せめて安らかに眠って欲しいのだ、と言った。
ナーツェンは暫く考え込んでからデッガーに尋ねた。
「お前はエルトネか?」
すると彼は少し悲しみの色を強くしてから、カードは受け取っていないが登録の手続きはしたと答えた。「ならば」とナーツェンは言う。
「お前の妹の弔いはしてやろう。 そして暫くの間お前がここに住み、自由に飲食することも許可する。
だがその代わり、一人前のエルトネになり金を稼げ。 金を返すのはそれからでいい」
その申し出に、デッガーはすぐ了承した。必ず立派なエルトネになり金を返すと誓い、ナーツェンの書いた誓約書に指で捺印した。
デッガーの案内でバロッサの遺体の隠し場所にいくと、暗がりの中に花が咲いている場所があった。デッガーはその合間を掻き分けるようにして、服に包まれたバロッサを抱き起こした。
躊躇うデッガーに服を解いてもらい、ナーツェンはその状態をざっと見る。涼しい気候が幸いしてそこまで酷くはないが、少しずつ腐敗が進んでいる箇所もあった。彼はデッガーに再び服に包んで店に運んで待機しているように言い、彼自身は教会へ向かって弔いの手続きをした。流石に光の魔術師に頼むことはできなかったが、腕のいい火の魔術師が弔いをしてくれることとなった。
魔術師と共に店へ行き、そこからデッガーを伴ってバロッサの亡骸を教会へ運ぶと、魔術師の炎によって丁寧に綺麗に焼かれることとなった。墓地に埋めるため残った骨を箱に入れる際、デッガーはボロボロと大粒の涙を零していた。
そして地の魔術師が作った墓碑を用意して無事に埋葬が終わり、祈りの言葉を唱え終わると、教会の司祭はデッガーに対してある申し出をした。それはエルトネとして依頼を受け、定期的にこの教会に来て清掃の仕事をして欲しい、と言うものであった。デッガーは突然のことに驚きつつも、その有り難い申し出をすぐに了承した。
実は司祭はナーツェンに弔いの話をされた際、デッガーの身の上の説明もされていた。彼を哀れに思った司祭はその時に依頼をしようと決めたのである。
エルトネとして依頼をこなすことで、デッガーは少しずつ「自分にもできる」という自信をつけていき、生きる気力を取り戻した。
そして今度こそ大切な人を守れるようにと毎日鍛錬を重ね、今では強きエルトネとして名を連ねるところまで辿りついたのである。




