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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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119.路地裏に咲く花-2

 それから父は魂が抜けたようになってしまった。デッガーとバロッサには何が起きたのか全く理解できなかった。

 呆けて、仕事にいくどころか自室から出ることすらなくなった父を、不安げに見つめることしかできなかった。食事を持っていっても口をつけることはなく、食器を手に取ることも無かった。

 そのまま飲まず食わずで数日が経ち、このままでは父が死んでしまうと思ったデッガーは、無理矢理にでも食べさせようと食事を持って部屋を訪れた。

 父はベッドの上で壁に寄りかかるようにして座り、窓の外を見つめていた。


「とうさん、一口でいいから、食べて……」


 デッガーがそう声を掛けると、彼は徐に顔をデッガーの方へ向けた。この数日ですっかりボロボロになってしまった彼の目は落ち窪み、まるで木の洞のように真っ暗で、視線は定まっていなかった。そして彼は口を動かし、搾り出すような、蚊の鳴くような声で小さく、


「ごめんな……ごめんな……」


と繰り返し呟き始めた。水分を取らずすっかり枯れてしまっているであろうに、彼の目からは窓を伝う雨のような涙が零れ落ちた。

 誰に謝っているのか、デッガーには分からなかった。ただ父の無表情なはずの顔に、確かな苦痛と後悔の色が浮かび上がっていたことは分かった。

 デッガーは父が怖くなり、食事を置いてそのまま部屋を飛び出して扉を閉めた。そしてバロッサのいる自分達の部屋に戻ると、どうしたらいいのかわからずただ泣き続けた。バロッサはそんな兄を、何があったのか分からないながらに慰めようと、優しく抱きしめながら背を擦った。


 それから数日が経ち、デッガーとバロッサは父が部屋にいないことに気がついた。慌てて家の周辺を探して回ったが、父の姿はどこにも見当たらなかった。二人は途方にくれ、寂しさに涙を流した。

 今思えば、それは二人に迷惑をかけたくないという、彼の僅かに残った正気が取った行動だったのであろう。しかし当時まだ幼い子どもであった二人は、突然父がいなくなってしまった理由など分からず、悲しみにくれるのみであった。


 それから二人は、質素な生活を続けた。お金を得る方法も分からなかった彼らは、備蓄が尽きれば家具を売り、それを繰り返して何とか食いつなぎ、最後には家を失った。

 家を売ったお金を大事に隠しながら、二人は路地裏を転々とした。初めこそ屋外で日々を過ごすことに不安を感じていたが、次第に二人は順応し、心の傷も少しずつ癒え、日々の中に楽しみを見つける余裕も出てきた。長いこと忘れていた笑顔も時折見せるようになった。


「みてお兄ちゃん! こんなところにお花がさいてる! かわいいなあ」


 ある日暗い路地裏に花を見つけ、バロッサがそう言ってはしゃいだ。暗くじめじめとした場所には不釣合いな、明るい桃色の可愛らしい花が幾つも咲いていた。


「こんなところにもお花ってさくんだね。 お花ってかわいくてつよいんだね」


 そう言ってバロッサは花に優しく触れながら微笑を浮かべた。そんな妹にデッガーは、


「この花に負けないくらい、バロッサは可愛くて強いよ」


と言った。バロッサはそれを聞いて不意を突かれたように目をパチクリさせていたが、言われた意味を理解すると、恥ずかしそうに笑って、


「ありがとう、お兄ちゃんだいすき!」


と言った。その笑顔に釣られるようにデッガーもまた笑った。

 何もかもを失ったデッガーにとって、こうして自分を慕い笑ってくれるバロッサの存在は、まさに路地裏に咲く花のようなものであった。彼はただ、この妹だけは必ず守ろうと意思を固くした。


 家を売ったお金も無限ではなく、多かった所持金も次第に少なくなってきた。デッガーは自分の食べる分を減らしてでも、妹の食べ物はしっかり買えるようにお金を分けた。

 そして何とか僅かでもいいからお金を稼ぐ方法はないかと彷徨い、彼はエルトネになる決心をした。エルトネになれば身元をドライグが保証してくれるため、町の出入りがしやすくなる。王都では簡単な依頼は出づらいが、エルトネになれればこの町を妹と共に出て別の町に行くこともできるだろう。

 そう思い彼は早速バロッサの手を引いてドライグに向かった。人混みに何度も弾かれながらなんとかドライグにたどり着き、登録するための列に並んだ。

 時間が掛かりそうだったので、デッガーはバロッサに近くで待っているように言った。お腹が空いたらあそこで何か食べているんだよと、自分の持っていたお金の半分ほどを渡して食堂の方を指差した。

 バロッサが頷いて壁際に向かったのを見届けてから、彼は順番を待ち、登録手続きを進めていった。


 暫くして顔の撮影を終えたデッガーが戻ってきた時、先ほどの壁際にバロッサの姿は無かった。何かを食べにいったのかと思い食堂の方へ向かうが、幾ら探してもバロッサの姿は見つからなかった。

 次第に焦りが募り、デッガーは近くのエルトネに片っ端から妹を知らないかと声を掛けて回った。知らないと答えるエルトネが多くいるなかで、ようやく手がかりになりそうな発言を彼は得た。それは小さな女の子が複数の男に手を引かれてドライグを出て行くところを見た、というものであった。

 デッガーはその男の特徴を聞き出し、次のその男達が何者なのかを聞いて回った。するとその男達はどうやら素行が良くない、というような話がちらほらと聞こえ、デッガーは居ても立ってもいられずドライグを飛び出して、バロッサの名前を叫びながら街中を走り回った。

 日が暮れるまで探し続けたがバロッサは見つからなかった。翌日デッガーは自分が持っていたお金を全額提示して、一緒に妹を探して欲しいと依頼を出した。決して多くはない金額ではあったが、数人の心優しいエルトネがそれを受け、一緒になって町中を探し回った。


 数日経ったある日、一人のエルトネがそれらしいものを発見したとデッガーに言った。いったいどこだとデッガーが詰め寄ったが、彼は言いづらそうに顔を背けた。それでもしつこく訊き続けるデッガーに根負けして、彼はデッガーを連れて狭い路地裏の方へと向かった。

 酷く入り組んだ、異臭のするような暗がりで彼が見たのは、凄惨な様子で横たわる妹の姿であった。


「バロッサ!?」


 デッガーは悲鳴のようにそう名前を読んで妹に駆け寄り抱き上げた。衣服は裂かれたようにボロボロで素肌を晒し、持っていたはずのお金は一枚も無く、虚ろに開いた瞳からは光が消え、顔は蒼白に染まり、息をしていなかった。大好きな兄に抱きしめられても、花のように愛らしく可憐に笑うことは決してなかった。

 デッガーは声が枯れるほど泣いた。エルトネはその姿を見て心を痛めたのか、報酬はいらないといってデッガーが出した分のお金を置いていった。

 しかしもうデッガーにはそのようなものは最早どうでもよかった。お金より何より、たった一人の大切な妹を失ってしまったのだから。


 その日からデッガーは表情を失い、死んだように彷徨い歩くようになった。

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