118.路地裏に咲く花-1
デッガーとバロッサはこの町の一般家庭で生まれ育った、母と父の二人と暮らす極普通の兄妹であった。
父はとある商会に所属している商人でそこそこの収入があり、貴族のようとまでは流石にいかないが、一般家庭としては比較的裕福な暮らしができていた。
母はよく家を留守にする父に対して、日中は朝早くから起きて家の仕事をしていた。しかし二人が寝静まる夜中になると、時折仕事をする為に家を出ていた。デッガーはある日寝つきが悪く夜中に目を覚ました時にこのことを知ったが、母は自分達のためを思って働いてくれているのだと思ったので、寂しさを押し殺して何も言わず知らないフリをした。
父親に中々会えないのは寂しいものであったが、時折家族のために休日を作ってくれる父のことを、デッガーもバロッサも大好きであった。
四人の暮らしはとても穏やかで、何不自由の無いものであった。
ある日のことであった。父はいつもより遠くの町へ行くと言い、次に帰ってくるまで二月ほど掛かると家族に言った。
デッガーもバロッサも悲しんだが、涙をこらえて父に応援の言葉を何度も掛けた。母は静かに頷いて、「無理をしないで」と声を掛けた。父は勿論だと答え、家族全員としっかりと抱擁を交わし、家を後にし、町を出ていった。
見送った後、デッガーとバロッサは涙ぐんでいたが、母は悲しい顔を見せずに二人を慰めた。
その日から数日がすぎ、二人の兄妹は父が帰ってくるのを今か今かと心待ちにしながら日々を過ごしていた。そして二人は、父が帰ってきた時にサプライズで喜ばせてあげようと考えて、二人だけの秘密にして家族全員の似顔絵を描いた。そこに「いつもありがとう」のメッセージを添えて、紙を丸めてリボンを結び、更に紙で花を作って花束まで用意した。
それから、二人は父の喜ぶ顔が目に浮かぶようだと笑いあい、より一層帰りを待ち遠しく思うのであった。
一方の母は、父が出かけてからと言うもの毎夜家を出て行くようになった。初めの頃は以前と同じように二人が目覚める前に帰ってきて、朝には何事も無かったかのように家事仕事をしていたのだが、日が経つに連れて徐々に帰りが遅くなっていった。
それは収まることなくエスカレートしていって、一月経つ頃には二人が起きてから帰るようになった。当然のように朝食の用意も無く、デッガーは妹のために、仕方なく慣れない料理をするようになった。
大変だとは思いながらも、母は夜中中一生懸命働いていて、もっと大変なのだと考え、泣き言も文句も一つも言わずに家事をした。
それからも、母は夜に起きて家を出、朝帰ってきて日中の多くを寝て過ごし、また夜に出かけていくという生活をずっと続けていた。デッガーとバロッサの寂しさはより強くなり、父を恋しく思い、四人で過ごした休日を思い出しながら、あともう少しの辛抱だと言い聞かせて帰りを待ち続けた。
そのようなことは、父は何も知らないで、ただ早く家に帰って家族の喜ぶ顔が見たいとだけ思い、一生懸命町を渡り歩いた。
彼の努力が功を奏したのか、売れ行きがよく良い品も手に入り、予定よりも数日早く帰ることができるようになった。
これは家族も驚いて喜ぶだろうと、彼は笑顔で想像しながら帰途に着いた。
父が王都に戻ってきたのはもう夜明けも近い時刻であった。父は商会まで行くとフコアックとエスロを所定の位置に戻し、荷降ろしをして倉庫に片付けた。会長に渡さなければならない売り上げ明細は、明日渡そうと思い大切に持って帰ることにして、彼は足早に我が家に向かった。
朝起きて子供たちが驚く顔を楽しみに、彼は誰も起こさないよう努めて静かに扉を開いた。そして妻が寝ているであろう二人の自室の扉を開いた。
しかしそこに妻の姿がないことに気がつくと、彼は一体どうしたのだろうと不審に思った。
彼は妻が夜中に働きに出ることがあることは知っていた。しかし夜明け前には帰ってきて眠っていることも知っていた。
何かあったのだろうか、と彼は心配になったが、行き先も分からないのに探しにいっても仕方が無いと、帰りが遅れているだけかもしれないと思い、彼は家の前で妻の帰りを待つことにした。
眠気と戦いながら彼が待ち続けて、朝日が昇り始めて辺りが薄ぼんやりと明るくなってきた頃、妻は普通よりも豪華なフコアックに乗って帰ってきた。父はそれを見て言葉を失うほど驚いた。
なにせその豪華なフコアックから、妻だけでなく商会長まで一緒に出てきて、笑顔でキスをしながら別れたのだから。
フコアックが去り、彼女はようやく家の前で呆然と立ち尽くす己の夫の姿に気がついた。そして彼女は顔を蒼褪めさせてその場から逃げようとしたのだ。
父はそれを逃すまいと追いかけて腕を掴み、怒りに任せて「どういうことだ!」と怒鳴りつけた。それでもなお逃げようとする彼女に、父は平手打ちをして「答えろ!」と何度も繰り返した。
「とうさん……?」
その声に、父ははっと振り返った。怒鳴り声に気がついたデッガーとバロッサがそこにいて、不安そうな顔で見つめていた。
その拍子に彼の腕の力が僅かに緩み、母は一目散に逃げていった。父はただそれを追わずに見つめ、力なく膝を折って座り込んだ。絶望に染まったその目からは、とめどなく涙が溢れ続けていた。




