113.大切な人に贈る花
通路には左右に二つずつの扉と奥に一つの扉があり、奥の扉は物置か何かなのか扉の形状が他と違い、左右の部屋が泊まるための部屋のようであった。そのうち一つは店主の部屋なのであろう、扉に「プライベート 開けるな!」の文字が書かれた札が掛かっていた。
リエティールはとりあえずその向かいの部屋の扉を開ける。中は狭く、ベッドと机、ランタンが一つずつ置かれている以外には何もない。窓はあるものの外はすぐ隣の建物の壁であり、換気以外の役割は果たせなさそうである。そして長いこと使われていないのか全体的に埃っぽい。
リエティールは窓と扉を開けたまま一通り埃を払いながら詳しく見ていく。ベッドは粗末な木造で、硬い布団に腰掛けるとギシリと音を立て、少し乱暴に扱えば壊れてしまうのではないかと心配になるほどである。
机は廃材を拾ってきて手作りでもしたのか、でこぼことしておりがたがた揺れる。釘を何度も打ち直した跡があり、苦労が窺えた。
ランプは一応油は入っているようで、使用する上では問題がなさそうであり、マッチも数本が用意されていた。
何にせよ、スラムで暮らしていた廃屋よりはずっとマシであることには違いなかった。
リエティールは窓と扉を閉め、金具を捻るだけの簡単な鍵をかけると、時空魔法を使って仕舞っていた沢山の花を抱えると、次はそれとは別の、中には入れるような大きさの穴を開け、その中へと入っていった。
広い空間の中に、巨大な何かが横たわっていた。
大人でも見上げるほど大きく、くすんだ灰色をしたそれは、紛れもなく氷竜の亡骸であった。
それ以外、余計な物は何もない静かな空間の中に、リエティールは花を抱えて入ってきた。そしてその閉じられた目の前で跪くと、優しい声で語りかける。
「母様、あのね、お花を買ってきたんだよ。 ずっと、見せてあげたかったんだ」
続いて彼女は、氷竜に抱かれるように横たわる、もう一つの亡骸に目を向け、同じように語りかけた。
「エフィ、ずっと見たがっていたでしょう? 本物のお花を持ってきたよ」
そうして彼女は花を一度床に置くと、「まずは母様からね」と言って一つずつ名前と意味を言いながら供えるように並べていった。
薄く縮れた花びらが、正面から見ると星の形のようになっているのは、白いエラザの花。意味は「あなたに愛されて幸せ」。
鮮やかな赤色をした、硬い花びらのまるで太陽のような形をしたそれは、トサルーレの花。意味は「永遠に続く思い出」
淡い桃色をして、中心の辺りが濃い赤色になっているものは、ナリオの花。意味は「魂で結ばれている」。
「このお花にはね、『あなたの望みを受ける』っていう意味もあるんだよ。
……私、頑張るからね。 母様の代わりに、きっと……」
彼女の声は震えていた。その目には今にも溢れそうなほどの涙が溜まっていた。
暫く間を置いて、リエティールは手を伸ばしかけていた花とは別の花の鉢を手に取った。今度はそれをエフナラヴァの前に置いていく。
「これは、エルクニって言って、『楽しい思い出』っていう意味があるんだよ。 短い間だったけど、一緒に過ごせて、幸せだった……。
こっちはね、『家族愛』。 アイブラスって言うの。 血は繋がってないけど、私達は、ずっと家族だよ……。
これは、サニチル、『いつも一緒に』……」
息を詰まらせながら準備していた花を供え終える。そうして、先ほど手を伸ばしかけた鉢を再び手にして、それを震える手で前に置こうとするが、中々手を動かすことができない。
暫く無音の時間が続き、漸く手が動いて花を置いたと思うと、同時に嗚咽と涙の落ちる音が響いた。
彼女が最後に置いたのは、小さな白い花の周りを、細長い雫型の白い葉が囲むように茂っている、アイブロ・ヤリスという花。
その花言葉は「もう一度あなたに会いたい」であった。
「うぇ……ひっく……母様、エフィ……うう、会いたい、よ……ぐす……」
伏せるようにして涙を流し、その泣き声は徐々に大きくなっていく。とめどなく溢れる涙が辺りを濡らして広がっていく。
込み上げる寂しさに手を伸ばし、彼女は氷竜とエフナラヴァの亡骸を縋るように抱き寄せて泣き続けた。
彼女はその亡骸に魂が宿っていないことは理解している。氷竜の遺志は自らの中にあり、エフナラヴァもまた命玉として側にいることも分かっている。
しかし、姿形が目に見えず、触れることも話すこともできない寂しさは、何にも変え難く辛いことであった。
だからせめて目に見えるようにと、ドロクを去る前にその亡骸を空間の中に仕舞いこんだのだ。時間の進まないこの場所ならば、その亡骸が朽ちてしまうこともなく、会いたいときに会うことができる。それに、野ざらしにして誰かに持ち去られてしまう可能性があるのにも耐えられなかった。
リエティールはしっかりと、しかし優しく亡骸を抱きしめたまま、時折何度も「会いたい」「寂しい」と呟きながら泣き続けた。
やがて泣き疲れた彼女は、抱きついたまま静かに寝息を立てて眠ってしまった。




