111.掛けられた声
エゼールと別れた後、リエティールは彼女に言われた通りに道を進み、図書館へとたどり着いた。
クシルブにあったものとは、石造りと言う点は同じではあるが、その大きさは比べようもなかった。とは言え、荘厳さを感じさせる外観はどことなく雰囲気が似ており、もしかするとクシルブのものはこの王都の図書館を真似て作られたのではないかとリエティールは考えた。
そんなことを考えつつ、リエティールは中に入り入館の手続きを済ませる。利用方法は同じのようで、蔵書の数が多いためか若干料金が高くなっていたが、その分返ってくる金額も多くなっていた。
内部の雰囲気もクシルブで見た時と同じようであったが、その規模はやはりとてつもなく、一階建てであったクシルブの図書館とは違い、正面には巨大な階段が設けられ、二階まで存在していた。
天井は高くドーム状の屋根にある窓から光が差し、中央部がぼんやりと明るく照らされる様子はより一層神秘的であった。
しばし雰囲気に呑まれて見とれていたリエティールだったが、ここに来た目的を思い出すといそいそと本を探し始めた。
内部は広く、一見目的の物を探すのに苦労しそうであるが、本棚ごとにどんなジャンルの本があるのかが示されており、見取り図も所々に設置されているので、植物の本が置かれている棚を探すのにそう時間は掛からなかった。
リエティールは花に関する本の並ぶ棚の中にいくつか花言葉について書かれた本を見つけた。その中から感覚で一冊の本を引き出して手に取る。
本の表紙に描かれた題名は「大切な人に贈る花100選」。リエティールは一人小さく頷くと、早速近くの机に向かい本を広げた。
真剣な眼差しで一ページずつじっくりと読み込み、気に入った花の名前と意味をメモに書き込んでいく。特に興味を引かれたものには線を引いて強調した。
その本を読み終えると、別の本を取り出してそれも読み込んでいく。照らし合わせてみると先ほどの本に載っていなかった意味があるものもあるということに気がつき、より真摯に読み込んでいく。特にメモに名前を書いた花に関しては、万が一悪い意味があってはいけないと思い、一字一句逃さないといった様子で目を光らせていた。
時間も忘れるほど真剣に取り組み続け、不意に鳴った空腹を訴える音ではっとし、彼女は顔を上げた。気がつけば太陽の光は傾いており、とっくに昼を過ぎていた事に気がつく。
図書館は飲食が禁止されているため、この場で食べ物を食べることはできない。まだまだ知りたい気持ちはあったが、もう十分な量の名前がメモ一杯に書かれていると気がつくと、彼女はそこまでにして本を片付けた。
一度気になると空腹の主張は激しくなり、退館の手続きを済ませた後はとりあえず何か食べようと手頃な屋台で軽食を買って済ませる。この辺りではエイリアリードという魔操種がよく狩れるのか、その肉の串焼きが売られていた。ワルクと比べるとまた違った食感だがそこまで硬くも無く、クセもあまり無い淡白な味であった。
初めて食べる食材を味わいつつ、リエティールは花屋へと向かう。そして先ほどエゼールと見ていた花屋に着くと、メモを見ながらそこに書かれた花が無いか探していく。
そして目的の花を見つけると、リエティールはすぐにそれを購入した。メモに書かれた花全てを買いたいところではあるが、量が多すぎるので線を引いたものだけを選ぶ。
そして花を受け取ってから、リエティールはまだ宿を探していないことに気がつく。エゼールに良い宿が無いか聞いておくべきだったと後悔しつつも、急がなければ路上で一晩明かすことになってしまうと思い、人目を憚って花をこっそりと仕舞ってから急いで宿を探しに走り出した。
宿屋が集まっている場所まで来たが、流石王都と言うべきか、どれもこれもが立派な建物であり、宿と言うよりはホテルと言ったほうが正しいものばかりが並んでいた。いかにも高級といった外観にリエティールは尻込みし、どうしたものかと立ち往生してしまった。
とりあえず人の多い通りから少しずつ離れる方向に歩き続けてみると、漸くリエティールでも入れそうな雰囲気の宿も見えてきた。しかしそれでも料金はクシルブの宿とは段違いに高く、悩みながらその辺りをうろうろと歩くことしかできなかった。
「おい、そこのちっさいの」
突然声がかけられて、リエティールは反射的に振り向いた。そこにいたのはソレアにも負けないくらいの大男で、筋骨隆々の腕には傷跡があり、背には鈍器と見違えるほどの巨大な分厚い刃を持った剣を背負っていた。彼はその鋭い目でリエティールを見ていた。
その風貌に、リエティールは思わず縮み上がり、息を詰まらせた。大通りから大分離れたこの通りは、人通りはあるとは言え、そこまで多いわけでもなく疎らである。そんな場所に現れた強面の大男のエルトネという状況は、リエティールを怯えさせるのには十分すぎるほど雰囲気があった。
「こんなところで何うろついてやがる」
おまけに声も低いと来れば、恐怖心を抱かずにはいられない。ヤーニッグよりも遥かに強そうであり、リエティールは手も足も出ないと本能的に感じていた。勿論魔法を使えば勝てる可能性はなくはないだろうが、まさかここで使うわけにもいかない。
そしてクシルブからの出立直前、ソレアに言われた言葉、
『人間の中にも敵になる相手が居るかもしれないってこと、忘れるんじゃないぞ』
それが鮮明に思い出されてしまう。
質問には答えなければならないと思いつつも、ただ口をパクパクさせて空気を漏らすことしかできないでいると、男は目つきを鋭くした。リエティールは最早悲鳴をあげることもできない。
しかしその様子を見た男は、すぐに目つきを戻すと、ため息をついて眉尻を下げた。
「あー……、やっぱり声掛けるんじゃなかったぜ……」
その顔はやはり何度見ても厳ついが、どこか悲しそうにも見える。少なくとも悪意はなさそうであると、リエティールは感じた。そう思うと、少しだけ気持ちが落ち着き、声が出せるようになってきた。
「あ、あの……」
「ああ?」
リエティールが勇気を振り絞って声を出すと男はそれに答えるが、やはり怖さが抜け切れず、リエティールは声を震わせながら途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「わ、私、王都……宿、さがし、て……それで、その……」
それを聞いた男は再びため息をつくと、
「やっぱりそんなこったろうと思った。 しかし、考えなしに王都に来て宿に困ってる奴があいつ以外にも本当にいるとはな」
と、呆れ交じりの声で答えた。そして次に「来い」とだけ言うと、さっと向きを変えてすたすたと歩き出してしまった。リエティールは暫し呆然としてその背を見ていたのだが、少しすると彼は振り返り、苛立ちの混じった様子で、
「来いって言ってんだろ」
と言い放つと、再び歩き出す。その声に体をびくつかせながらも、リエティールは黙ってその背中を急いで追いかけた。




