108.エゼールと「あの人」
そんなこんなで色々とありつつも、二人の旅路は特に大きなトラブルもなく順調に進み、数日後にはついに副王都「エルバリムダ」に到着した。
「うわあ……」
町に入る前から、リエティールはそんな間の抜けた声ばかり出していた。まるでクシルブの大通りにいるかのように、街道には大勢の人間がおり、入街前から既に町の中にいるのではないかと錯覚を起こしそうなほどの賑わいであった。
待機列の規模もさることながら、それを受け入れる門の大きさも見上げるほど立派であり、何も知らなければここが王都であると言われても信じてしまうだろう。
中には、この巨大な列を行ったり来たりして、食べ物や飲み物、観光案内等を売るために駆け回る商人も何人かおり、エゼールが言うにはこれもいつも通りの光景なのだとか。
そんな、何もかもが新鮮である故に、リエティールはただ驚くことしかできないのであった。
入る前からそんな様子である町の中は、それ以上に賑やかなものであるのは当然であった。入ってすぐのところは大きな広場になっており、地形的には人の密度を下げるように工夫がされてはいるものの、町の地図が書かれた看板には大勢の人が殺到し、店に呼び込みをするため動き回る従業員らしき人が忙しなく人々に声を掛け、人を惹きつけようと音楽を奏でたり踊って見せたりするパフォーマーがいたりと、その騒がしさというのはクシルブの大通りなど遥かに越えていた。
そんな広場の中を二人は進み、なんとか人のいない隅を見つけてそこに一度立ち止まった。
「ふう、ようやく副王都についたわね。
もう王都もすぐそこだから、ここから別行動しても大丈夫なのだけれど、リーちゃんはどうしたいかしら?」
一息ついて、エゼールはリエティールにそう問いかける。自分より王都に詳しいエゼールに案内して欲しい気持ちはあるものの、自分の都合で振り回すのもよくないと思い、リエティールは悩む。その末、王都までの道順を聞いて別れようと考え、そう伝えようと彼女が口を開こうとした時、
「やあ、やあ! これはこれは、エゼール嬢ではないですか! ここにいらっしゃったとは!」
と、大きな声によって遮られた。声が聞こえて来た方へ振り返ると、髭を蓄えた綺麗な身なりの男性が、にこにことした笑みを浮かべて手を振りつつ、エゼールの元へ歩いてきているのが見えた。着ている服はところどころピカピカと光る金の装飾がつけられており、見るからに高級そうである。
リエティールはちらりとエゼールの顔を横目で見る。彼女は笑みを浮かべてお辞儀をして挨拶を返していたが、その笑みがどこかぎこちないもののように見えた。
「プレホン様、お久しぶりでございます。 ですが、何故ここへ……? こちらから伺おうと思っていたのですが」
エゼールがそう尋ねると、プレホンと言われた男は髭を撫でながら「ほっほ」と笑い、
「御父君よりエゼール嬢がこちらへいらっしゃると伺っておりましたのでな、こうして待っておったのです」
と答える。それに対してエゼールは「そんな、わざわざ……」と申し訳なさそうに深くお辞儀をするが、その表情はやはりどこかぎこちない、苦笑混じりのものであった。しかしプレホンはそれに気がついていないのか、変わらず笑みを浮かべたまま「おきになさらず」と言うだけであった。
そんな彼は、ふとエゼールの横にいるリエティールの存在に気がつき視線をそちらに向ける。
「おや、エゼール嬢、こちらの可愛らしい御方はお知り合いですかな?」
「リエティールさんです。 王都へ向かうフコアックの中で知り合い、ここまで共に参りました」
エゼールに紹介されたので、リエティールはプレホンに向かってぺこりとお辞儀をする。
「ほっほう! これはこれは、どうも初めましてリエティール様。 私はデッドリグと申します。 プレホン商会の会長をしております、どうぞ以後お見知りおきを。 デッドリグでも、プレホンとでもお好きにお呼びください。
どうやら、その身につけていらっしゃる品は我が商会の物のようですな。 いやはや、有り難い! 今後とも、質の良い品をご所望でしたら、是非我が商会をご利用ください」
それをみたプレホンは軽快に笑うと自己紹介をする。裕福そうな見た目をしていたのは、どうやら貴族ではなく商家の当主だからであったようだ。リエティールが身につけている鞄を見て、すぐに自分の商会の品だと分かったようで、気分が良さそうである。恐らくデザインにブランドとしての何らかの目印があるのだろう。
プレホンはその調子のままエゼールに向き直ると、
「それで、エゼール嬢。 もしよろしければこのまま我が屋敷へいらっしゃいませんか? 勿論リエティール様も一緒で構いません。 息子も貴方に会えるとなれば喜んで迎えてくれるでしょう」
と尋ねる。一方のエゼールは一層表情がぎこちなくなる。そして彼女はリエティールの手を取ると、
「申し訳ありません。 リエティールさんは先を急ぐので、私は王都を案内して差し上げる約束をしておりますから、今回は失礼させていただきます」
と言い申し出を断った。王都を案内する約束などしていないのにそんなことを言ったということは、どうやら行きたくはないようだ。
それを聞いたプレホンは眉を下げて残念そうな顔をする。
「おお、そうですか、それは残念ですが、事情があるのでしたら仕方のないことですな」
プレホンはそう言って素直に引き下がった。ここで無理に引きとめるようであれば、エゼールが嫌がるのも分かるのだが、今のところプレホンはいい人のように感じているリエティールからすると、何故嘘をついてまで拒否するのかは分からなかった。
「申し訳ありません」
「いえいえ、そうお気になさらず! それでは、プレホン商会とラツィルク家の関係をより良くしていくためにも、帰り際には少しでも良いので是非お立ち寄りくださいね」
プレホンは立ち去ろうとするエゼールに、嫌な顔一つせずそう言って見送った。ラツィルクというのはエゼールの家名だろうか。家名があるということは、エゼールの家は貴族ということになる。
広場を足早に後にし、少し離れたところで脇道に立ち止まって休む。一息ついたところでリエティールはエゼールに尋ねた。
「どうして嘘をついてまで断ったんですか?」
その問いに、エゼールは気まずそうな表情を浮かべ、やがてこう答えた。
「プレホンさんのことが嫌いとか、そういうことは無くて……とても良い人ですし……。 でも、どうしても……あの人とはお近づきになりたくないの!」
エゼールは「あの人」に対してはっきりと拒絶を示した。リエティールが「あの人?」と再び問うと、エゼールは話しにくそうに、重たい口をゆっくりと動かした。
「私の父と、プレホンさんは代々の長い付き合いがあって、とても仲が良くて……。 それで、父は私に、デッドリグさんの息子と、結婚して欲しいと……」
そこまで言い、エゼールは吐き捨てるように次の言葉を言った。
「でも、でも! 何度見てもあの人は駄目なの! 多少恰幅がいいのは平気よ。 でも、あのてかてかしてる肌は、どうしても駄目……! 触れない! それにあの自信たっぷりな物言いも!」
そういう彼女の顔は少し蒼褪めている。どうやら心の底から嫌なようだ。はっきり言葉にはしていないが、これは「生理的に無理」というものなのだろう。
それから暫く、リエティールは泣く様に愚痴を零すエゼールの背を優しく撫でながら、黙って宥め続けた。




