102.ある王の精励
エクナドは執務室で山積みになった書類に次々と目を通し、時折判を押していた。すると執務室の扉がノックされる。
彼が「入れ」と一言発すると、「失礼します」という言葉の後に扉が開き、従者の男は恭しく頭を下げる。
「調査隊からの報告書をお持ちいたしました」
「そうか、読み上げてくれ」
エクナドは彼を一瞥すると、小さく頷いてからそう言い、再び書類に目を落とす。従者の男は一呼吸置いてから手に持った報告書を読み上げる。
「調査隊は予定通り帰還の途につきました。 定刻通り到着する予定です。
町の住居内の捜索は全て終えましたが、生存者の姿は確認できませんでした。 また、その死因は凍死または刺傷のいずれかであり、室内のものは全て凍死、屋外のものの多くが刺傷によるものでありました。
救助した家畜は無事全てエトマーへの移動が完了し、残されていた飼料の類の譲与も終えました」
生存者がやはり居なかったという報告に、エクナドは複雑そうな表情をするが、同時に家畜が無事に受け渡されたという点については安堵していた。
ここ最近、彼の忙しさには拍車が掛かっていた。それはやはりドロクの影響が大きく、特に家畜関係の理由が急増していた。
ドロクの家畜は高級ブランド品であり、国内での需要の高さは勿論のこと、国外にも多大なファンが居る。国としての貿易品の一位二位を争うほどの人気の品であったといっても過言ではない。
国内流通分を除くと、国外に輸出できる量は限られ、毎回その配分の仕方には困らされていた。国としては南部の暖かい地域の国々との貿易品を多く仕入れるため、そちらを優先したいと思うものの、ずっとそちらを優遇していれば他国との関係に影響を与えてしまうため、大きな差別はできない。
幸いなことに、現状この国はどの国とも友好な関係を保っている。しかしドロクの畜産物が断たれた今、各国から一体いつになったら輸出が再開されるのか、回復の目処は立っているのか等、多くの文書が休むことなく届けられていた。
エクナドはそれらの手紙一つ一つに丁寧に返信を続けていたのだが、流石に疲れていた。しかし今回の報告で、確実とまでは言えないものの、生産を再開できる目処が立ったと連絡することができれば、少しは落ち着くだろうと思ったのである。
従者の男は続けて禁足地についての報告を読み上げる。
「『氷の要塞』については、既存の調査結果と同様に破壊することは不可能な硬度であり、進入は不可能と判断しました。
ただし、氷竜による吹雪がなくなったことが今後影響を与える可能性もあるため、定期的に調査を続けることを推奨します。
氷竜の痕跡については未発見であり、この地を去ったか、あるいは『氷の要塞』の中に姿を隠しているのか定かではありません」
それを聞いてエクナドはやはりかとため息をつく。以前報告を受けた時は、吹雪が止んだことを氷竜がその地を去ったと解釈したが、後々冷静になって考えてみると、吹雪を制御できるのであればまだ要塞の中に身を潜めている可能性もあるのではないかと考え、何とか内部の様子を探れないかと調査を要請していたのである。
だが案の定、吹雪が止んだだけで要塞の氷の強度が下がっているなどということはなく、進入は不可能とだけ答えが返ってきた。
「最後の報告ですが、元スラム街の狭い路地の一角に、氷でできた奇妙な物が発見されたとあり、写し絵が同封されております」
「なんだと?」
エクナドがそう言って顔を上げると、執事のナイドローグが前に出て、従者の男から写し絵を受け取りエクナドへと手渡しする。
写し絵というのはアーマックで作製された似せ絵のことであり、言葉で説明しにくい場合や詳細な情報が必要だと判断された時に使用するため、優秀な調査隊員であるピールには性能の良いアーマックの一式を持たせておいたのである。
彼は写し絵に目をやる。そこに映っていたのは確かに奇妙なものであった。しかしよく見ると、歪ではあるがそれが花のような形をしているということが分かった。何の花、というものはなく、よく花のモチーフとして用いられるような、二枚の葉に五枚の花弁を持った普遍的な花の形である。
一目で花と分からなかったのは、それがまるで幼子の粘土細工のように不恰好であったからである。
「これは……なんだ?」
思わずそう言ってしまうほど、その存在は謎めいていた。見た限りではその周囲はただ真っ白な雪が積もっているだけのように見え、変わったものは見当たらない。
「報告書によりますと、この氷の下に何かあるのではないかと判断し掘ろうとしたのですが、硬い氷で覆われており破壊ができなかったとあります。
……『氷の要塞』と同程度かと判断されました」
「それは……!」
エクナドは顔を強張らせる。それ程硬い氷はそうそう簡単に扱えるものではない。それこそ現時点では誰にも破壊できない強度のそれを、地面に加工して埋め込むなどできるとは思えない。
つまり、この氷は氷竜が何らかの意図を持って作り出した可能性が高いというわけである。
(しかし、その意図が全く分からん。 何故スラムの路地にこんなものを?
……だが、住民を全滅させるほどの力を持った氷竜が作ったものだ。 もしこれが大切なものを隠しているのだとすれば、迂闊に手を出して何かあってからでは遅い)
そう考えたエクナドは、従者の男に報告が以上であるか確認すると、返信は自分の手で書くと言い、一度下がらせた。男が出ていった後、エクナドは書類作業を止めて返信の文書を書き始める。
もう既に帰還を始めているため、普通であればこの報告への回答は帰還してからになるが、鳥の精霊種が文書を運ぶため、移動中であっても迷うことなくやり取りが出来るのである。
エクナドは紙にペンを走らせる。家畜に関してはエトマーに対して定期的に経過報告を送るように、国が全面的にサポートし、問題があれば国の負担で問題に合った専門職の人間を派遣する、という旨の内容を書く。
「氷の要塞」については調査隊からの提案通り、これからも定期的に調査隊を派遣して変化がないかの確認を継続することを決定した。
そして最後の謎の氷の花については、可能な限り近付かず、絶対に手を触れないように、と言い付けた。
ペンを置き、エクナドは大きく息をつく。
「お疲れ様です。 ようやく一段落、と言ったところでしょうか」
ナイドローグがさり気なく紅茶を差し出してそう言う。エクナドはその紅茶に口をつけて頷き、
「ああ、だがまだ問題は片付いていない。 少しは減るだろうが……早く片付いて欲しい物だ」
と答えると、再び憂鬱そうに息を吐いて頬杖をつく。それからすぐに姿勢を正すと、彼は改めて書類作業に戻った。
休むことを知らない彼の背中を、ナイドローグがどこか悲しみを含んだ視線で見つめていることに、エクナドが気がつくことはなかった。




