100.二人の真意
南門の周辺を見たその後、リエティールは夕方頃まで町のあちらこちらの景色を目に焼き付けた。興味本位で貴族街の方も少し覗いてみたが、警備の兵らしき人影が巡回しているのが見え、迂闊に近付いて怪しまれるのも怖かったため、遠目に見るだけにしてすぐにいつもの東地区に戻ってきた。少し見ただけであったが、立派な門構えの家々がずらりと並んでいるのは圧巻であった。
特にこれと言ったことはしていないが、ほぼ一日中歩き通しだったため疲れていたリエティールは、日が完全に暮れてしまう前に宿へ戻り、食事を済ませた後は最後のオルをゆっくり堪能し、早めに寝て明日に備えるつもりでいた。
そうしてリエティールは宿に戻り、少し奮発してエルタックのケイツを注文する。ネクチョクと同じ家畜の一種であるエルタックの肉は、ネクチョクの肉より高価なものである。嘗てのドロクでは主力の品であり、世界中の美食家の憧れとも言われたほどである。
勿論ここでリエティールが食べるのはそんなブランド物のような価値の高いものではなく、あくまでも手が出せる範囲のものである。それでも彼女にとって贅沢品であることには変わりない。今日のこの食事はクシルブでの最後の夕食である。故に記念に残るような食事がしたかったのである。
暫くして運ばれてきたケイツは、じゅうじゅうと音を立てて、その焼きたての熱さが目に見える。かけられたソースはつやつやと輝き、立ち上る煙と共に芳醇な香りがリエティールの鼻腔を擽る。
彼女はごくりと生唾を飲み、それから意を決してそれを口に含む。絶妙な焼き加減のケイツは程よい弾力と柔らかさを兼ね備えていた。
イップの一押しであったデューウェットもかなり美味しいものであったが、これには敵わないだろうとリエティールは思った。彼がデューウェットを推したのはその値段も理由だったであろうことは分かっていたため、比較するべきではないとは思うものの、リエティールの中では問答無用でこのケイツが宿一番の料理の地位に躍り出た。
じっくりと味わって食事を終えたリエティールは、少し休んだ後にオルへ入る。オルに入れるのも今日が過ぎればまた暫くの間は無いだろう。オルのような習慣は少なくともこの周辺では一般的では無いので、こうして運よくオルのある宿に泊まれることはそうそう無いであろうためである。
心地よさをゆっくり堪能したリエティールは、頬を赤く染めた状態で自分の部屋へ戻っていた。そして部屋の扉に手を掛けた時、
「リー!」
と、聞きなれた声がかけられた。振り返ると、少し焦った様子で駆け寄ってくるソレアとイップの姿があった。
リエティールは何事かと驚き、二人に「どうしたんですか?」と声をかける。息を整え、まずソレアが口を開く。
「間に合ってよかった……いや、別に明日でもよかったんだがな」
続けてイップが、
「明日ごたごたするのもよくないと思って、できれば今日これを渡したかったんっす!」
と言い、彼はリエティールに紙で包まれた何かを差し出した。差し出されたので反射的にリエティールはそれを手に取るが、一体何事かと戸惑って二人の顔を見る。
開けてもいいと言われ、リエティールはとりあえず言われるがままにその包装を解く。
「え、これ……!?」
紙の中から現れたものを見て、リエティールは予想外のものに思わず驚きの声を漏らし、再び二人の顔を見る。ソレアもイップも、その反応に満足したのか笑みを浮かべていた。
それは一冊の本であった。題名は「魔法学習」。リエティールが読みたいと言った魔法についての本であった。
しかし本は貴重品である。一体どうやって手に入れたのであろうか。とリエティールが思っていると、その疑問を予想していたのか、ソレアが話し始める。
「実はな、この町の図書館では月に何度か本の整理が行われるんだ。 古くなったものや需要が少ないもの、新しい版が出された本なんかはその時古本として売られるんだ。 で、今日がその整理の日だった訳だ。
貴重品とあって、新しく古本が出ると物好きな貴族なんかがすぐ買ってしまうんだが、今日は売り出される前から並んで、リエティールが欲しがってた本がないかいち早く探したんだ」
「生き物について書かれた本はなかったっすけど、運よく魔法についての本が出てたんで、迷わず買って来たっす!」
ソレアの横でイップが胸を張る。
リエティールは昨日の食事での会話の真意が判明し、二人が自分のためにそこまでしてくれたことに感動を覚えた。
彼女は再び手に持った本に目を落とす。確かに表紙は擦り切れており、中身のページも切れたのを修繕した跡が軽く捲るだけでも幾つも目に入ったが、しっかりと読める。「学習」と銘打っているだけあって、基礎魔術のこと以外にも書いてあるようであった。
いくら古本と言えども、貴族が買いに来るような物なので、そうそう安い値段ではないだろうということは容易に想像できた。
「ありがとうございます! ……でも、私からはお二人になにも……」
リエティールは心の底から二人に感謝はしたが、同時に自分からは二人に対してこの本に見合うような贈り物ができないことに後ろめたさを感じていた。
そうして俯いた彼女の頭に、不意にぽんと手が置かれた。驚いて顔を上げると、その手がソレアのものであることが分かった。彼は眩しいほどの優しい笑顔で、
「物なんかいらねえぞ。 俺達にとってはお前と過ごせた思い出が宝物だからな!」
と言い、続けてイップも、
「そうっす! おいら達はリーと一緒に行動できてとっても楽しかったんすよ!」
と明るい顔で言う。その言葉が本心からのものであることは二人の様子から疑いようもなかった。
だが、それでもリエティールはどこか腑に落ちないことがあった。自分はただの新人のエルトネである。ドライグでの二人の信用のされ方から、きっと二人は今までも新人のエルトネに教育をしたことがあるだろうと考えられた。彼女は自分が普通の人間ではないが、エルトネとしては極めて普通の存在であることは分かっており、二人にここまで特別扱いされる理由が分からなかった。
しかし、ソレア達はそんな不安もお見通しなのか、言葉を続けた。
「そりゃ、今までも新人教育はしたことはある。 でもな、ここまで普段から一緒に行動を共にしたことはなかった。 せいぜい依頼に付き添って面倒を見てやるくらいだったさ。
だが、なんと言うかな、お前はイップに似てたんだよ。 危なっかしくて放っておけない、そういうところが、エルトネになりたての頃のこいつと重なった。 そして成り行き上行動を共にしていると、懐かしくなってなあ……情が湧く、って言い方はおかしいかも知れんが、そんな気持ちになったんだ」
それを聞くと、隣のイップはどこと無く恥ずかしそうな顔をしている。自分の過去のことを思い出されて気恥ずかしいのだろう。
そんな彼も気を取り直し、リエティールにこう話した。
「おいらはずっと後輩に憧れてたんっす。 いつか自分も後輩を持って、ソレアさんみたいに頼りになる先輩になりたいって。
でも、中々自分を慕ってくれる後輩っていうのは得がたいものっすから……そんな時にリーがソレアさんにつれられてやってきて、頼りにされた気がして凄く嬉しかったんっすよ。
リーはおいらの初めての後輩、特別っす!」
二人のその言葉に、リエティールは自分が本当に良い出会いをしたのだと痛感した。もしもエトマーでソレアと出会うことがなければ、こうして二人と長く行動を共にすることもなかったのだろうと考えた。そもそもエルトネになろうとしたのもソレアの勧めがあってのものであり、あの出会いがなければエルトネにならず、二人に助けられることも無く、苦しい生活をしながら旅をすることになったかもしれない。
リエティールは本を胸にしっかりと抱き、
「大切にします……!」
と二人に告げた。二人もその言葉に嬉しそうに頷いた。




