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氷竜の娘  作者: 春風ハル
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9.時の流れ

 時計も無ければカレンダーも無い。彼女が屋敷から逃げてから、二人が共に暮らすようになってからどれ程の時が過ぎたのか。

 女性はすっかりスラムでひっそりと暮らすことに慣れ、少女は一人でスタスタと歩けるようになり、手伝いも積極的にするようになった。

 手伝いとはいえども、布を切ったり縫い合わせたりと言う直接的な仕事をしているわけではない。手元がしっかりしてきた頃に女性が教えようとしたのだが、どうも生粋の不器用らしく怪我ばかりするので、布の仕分けに加えて完成した服を運んだり、火の番をするくらいであった。


 一度、少女から夜に古着や布を集めに行くのについていきたいという申し出があったのだが、流石に危険だと女性は断った。女性は共同のゴミ捨て場の場所は勿論、長年繰り返してきたことで、そこまでの様々なルートと警備兵の通る場所、果ては街灯の照らす範囲まで全て熟知していた。歩けるとは言えどまだ子どもだ、転ぶことも多い。しかも帰りになれば両手が塞がり、女性がフォローできずに見つかってしまう可能性が高い。

 今日だってそうだ、少女は走り回るのが楽しくて転び、運悪くお気に入りの、女性から最初に贈られた服を破いてしまい、泣きながら縋りついて来たのだ。だから今は代わりに古着を着せて、破れた箇所を直している最中だ。

 女性は手直し途中の服を見て考える。当初は足首が隠れるほどの丈であったのに、今はもう膝の辺りまで上がってきている。袖も手がすっかり覆われるくらいだったのに、今は手首まで丁度届くくらいだ。

 これでは寒いだろう。少女が訴えてこないのは、平気なのか、我慢しているのか。今度服を売ったら、食費を少し減らしてタイツのようなものでも買ってあげたほうがいいかもしれない。それに今までは拾ってきた上着をそのまま着せていたが、そろそろちゃんと一つ上着を作ってあげよう。

 そんなことを考えていると、そういえば、と女性は思う。今まではずっと過去のことばかり考えて引きずっていたのに、少女がここにやってきてからは、これからのことに思いを馳せられるようになったな、と。そう思うと、自然と口元に笑みが浮かんだ。そうやって自然と笑えるようになったのも、少女と出会ってからだ。


──チクリ。


 小さな痛みに、これからのことに思いを馳せていた女性の思考は引き戻される。縫い針が指を刺し、ぷっくりと小さな血が浮き出ていた。

 女性はそれを見て目を細めた。針で指を刺すなど、いつ以来だろう、と。


 女性は極めて器用だった。それこそ少女くらいに幼い頃から、針と鋏をいつも持っていた。勿論最初の頃は何度も指を刺して涙目になっていたが、母と何度も練習をしていくうちに手が慣れてきて、いつしか手が感覚を覚え、刺すことは滅多になくなった。

 それからも、何度も何度も繰り返し、色々な生地を縫い続け、生地ごとの縫う際の力加減も無意識に調整できるようになった。最初に大きさを確認すれば、どれ位の時間手を動かしていれば縫い終わるのかも分かるようになった。


 女性には縫い物に関して、天賦の才のようなものを持っていた。初めて夫となった少年と出会った時から数年で、その仕立ての腕は類稀なるレベルにまで達していた。言葉にはしなかったが、母はとっくに自分を超えてしまったと感じていたのだ。


 スラムに来てからも、その腕は衰える事は無く、むしろ自身の生活の為になくてはならないものであったため、更に磨きが掛かったほどだ。


 だというのに。

 女性は血を滲ませる自身の手を見る。いつか老いてしまったと思った時より更に時は流れ、手のシワもより鮮明に刻まれていた。痩せているせいで余計に見窄らしい。

 その腕が震えているのは、寒さのせいだろうか。その目が霞むのは、乾燥のせいだろうか。


 違う、老いたせいだ。

 彼女は分かっていた。自分がもうかつてのように服を作れないことを。知らない間に時が流れ、その時がもう戻らないことを。


 それでも、と。女性は片隅で鍋の火加減を見つつ布の仕分けをする少女を見る。

 あの子を守らなければ、と。できることがあるならば、この命がある限りはどんなに辛くてもやり遂げなければならない、と覚悟を決める。

 それが、子を持てず、夫を最後まで支えられなかった自分に課せられた、罪滅ぼしのための試練なのだと、自分に告げる。

 もしかすると、これはただの自己満足で、理由などは後付けの建前なのかもしれないが、それでも少女だけはなんとしても守りぬきたいと、そう彼女は思う。

 色を失った世界に咲いた、暖かな色の花を、守りたいと。


 視線に気がついた少女が不思議そうに首をかしげ、「なあに?」と言う。女性はただ笑って「なんでもないわ」と答える。

 指の血はとっくに乾いていた。女性は再び修繕作業に戻る。今度は目を離さず、確実に、丁寧に。


 そうして、寒い日々は過ぎていく。

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[一言] めっちゃクオリティ高し(◍´꒳`)b
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