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当たり前の日常を想う

作者: 嚢中の玉

交通機関が一概に駄目になったことは、事前にある程度予測していた。だからこれといった対処が出来ないことが分かっても、大した焦りを覚えなかった。

込み合った道路のせいで何時もの倍近くの時間をかけて家に着いた私は、マンションの駐車場に車を停めて、車外に出た時のまとわりつく様な暑さで顔を歪めた。午後8時前だというのに、九月初旬の大阪は相変わらずの熱帯夜だ。

キーを掛けながら、その手元が何時もより暗いことに気が付いた。地下の駐車場だというのに、非常口を示す誘導灯しか点いておらず、携帯を取り出して足元をライトで照らして歩く。何かの不具合だろう程度には、その異常を認識していたのだが、自宅を含めた地域一帯が停電していたとは思っていなかった。

エレベーターの前に立ち、スイッチを押しても反応が無かったことで、「あぁ、停電してるのか」と他人事のように呟いて気が付いた。

家に入ると自分以外の音がなかった。そこで初めて停電の怖さをしったかもしれない。電子レンジで温める用に買ってきた惣菜と、缶ビールの入った袋が振り子のように揺れ、擦れた音がよく響いた。

水道の蛇口を捻る。出ない。少し肩を落とした。調べてみるとほとんどのマンションでは、水を送るポンプがあり、電気が必要なのだということがわかった。

幸い、南海トラフ地震が近いということを、多くの識者が言っていたので、簡素ながら、災害セットのようなものは確保しており、水1ケース、ラジオ、電池、懐中電灯、カップ麺、缶詰や乾パンといった程度は用意してあった。そこではっとして、ガスコンロに向い、スイッチを捻る。チチチッと音を残して火がついた。こんな僅かな当たり前の出来事に大きな大きな救いを感じた。

電気会社の情報サイトにアクセスしようとしたが、通信障害なのか、携帯からは繋がらず諦めた。そこで、少し落ち着いた。

暑い。今後の予定などを考えるよりも、まずは暑いことをなんとかしたいと思った。窓を開け放ち、どうせ溶けてしまうならと氷を入れた水を飲み干す。服は汗臭く、ベタベタとした肌も嫌に思ったが、水が出ないのでどうすればいいのか分からなかった。近くの銭湯に営業しているかの確認電話を入れてみたが、停電しているのだから繋がらなかった。

九時を過ぎ一層の暗闇が覆う街へ私は車で乗り出した。仕事からの帰路では特に感じることはなかったが、改めて様子を伺うと信号機が機能していない交差点が多かった。自宅までの帰り道はいつも以上に混み、流れに沿っての運転であった為、そうしたことをあまり意識していなかったからだと思う。信号の灯りがない交差点となれば、たいそう通過するのに恐ろしいのだが、優先道路を優先し、渡れそうなら隙をぬって渡ればそれほど難しいことではなかった。なにより、辺り一帯が被災しているのだ。車の通行量自体が少なく、困難ではないのは当然だった。

コンビニを目指して五件目、漸く灯りの点いた店に辿り着いた。道中に見たひしゃげた看板や、角度を大きく変えてしまい役に立たなくなっていた信号、倒木、散乱する枝葉とゴミ。暴風渦巻く景色を、穏やかに落ち着いた今になっても、その台風の爪跡からくっきりと感じとれた。コンビニに入ると、手前にある商品棚がある程度埋まっていたので少し安堵したのだが、食品や飲料水の棚になるとごそっと商品がなくなっていた。こんな緊急時でも売れないものはあり、選り好みする余裕があるようで、とある飲み物や食べ物は、殆ど残っていたから可笑しくなった。ビールといったアルコール飲料なんかは多く残っていた。

私はボディーシートと制汗スプレー、明日用のパン(値段の割には小さい)に、お茶を買いトイレを済ませて家に戻った。

 簡単にご飯を済ませるといよいよお風呂場へと向かい、べた付く身体を洗うことにした。洗面器にペットボトルから水を注ぎ、タオルを湿らせて身体を拭く。思っていたよりもべた付く不快さは失われて良かった。気を使ったのは洗髪で、水の使用を控えたつもりだったが、必要量はどうしても多いものだから、買い置きの水も半分に減った。

 十一時を過ぎ、うだるような暑さの中、懐中電灯をランタン代わり布団を敷いた。あたりの静寂が嫌ではなかったが、これだけの代償を払い手に入れたものであると考えると、普段の喧騒を受けいれているほうがずいぶんとましに思った。

 嫌に湿った布団に横になって停電状況を調べたり、復旧の目処や多少の災害知識などの記事を読む。水や食料についての記事をいくつか読んだが、災害対策という事前準備の必要性と、そこから生まれる後悔というところに帰結した。

 SNSでは善人と悪人がいつものように至る所で喧嘩を勃発させ、答えのない論争を架空の掲示板で争っていた。



 翌朝はいつもの時間に起床する。辺りの静けさで、なんとなく今日は日曜の朝なのかと錯覚する。いや、私達の住む一帯は被災し、活力が失われているからの静けさだと気がつくと、いつのまにか顔が強張り、静かな町並みを目に焼き付けるように見渡した。

 生まれて初めて体験する、記憶する災害だった。


 会社は特に被災したということはなく、平常とまではいかないが、体裁を保つ程度には営業することができた。しかし、こんな時に不動産の話をしに来るような人はおらず、昼を前に「復興に向けて動こう」という支店長の言葉と共に、市役所に問い合わせ、被災して今も尚困難な状況におかれている人達の役に立とうと動くことになった。

 支店長は、「それがな、営業に繋がるんだ。それに人を助けることを知らないと、自分が困った時に助けてもらうということがわからなくなるんだよ」と、傍から見れば少し愉快に、ちょっと失敗をした社員を励ますような声色と態度で説明をした。これだけの災害だ。私にもなにかしら人を助けることが出来るのだろうと簡単に考えた。

 しかし、現実は、行政は、組織は、社会は入り組んでいた。

 思うように動けない状況で何をしたらいいのか分らないところでまず失望し、被災者に対する行政機関という組織に失望し、そして、何も分らないし、出来ないし、力のない自分への失望で昼からを終えた。

 一個人の無力なんて当然だとは分っていたつもりだった。自分は平凡だ。大勢を救えるような力も知恵もない。分っていたつもりだった。しかし、僅かにでも力になれるような気概だけは持っていた。だけど、そんなものは持っている、持っていたほうが害悪だった。……なにも出来ない無力な自分、私。


 限りない諦めと、限界を知った自分から、活力を生み出すのは難しかった。

 定時を過ぎて戻って来た会社で、時間だけを食いつぶしたような仕事を終えた私は帰路に着いた。


 呆然とした感情は、車を運転することすらままならないような面持ちだったが、どうにか家にたどり着き、静まり返っていた我が家へと踏み入れた。

 食料がないとか、水も無くトイレも風呂も満足に済ませない状況だということは、頭から随分と離れていたと思う。帰りにいくつかコンビニやスーパーを過ぎ去ったはずだが、そんなものは意識の外で、全く気付いていなかったのだから。

 だから、だから無意識に、部屋の電気のスイッチを入れて灯りが点いたということに驚くのが遅れた。

 停電は終わっていたのだ。

 今思えば、エレベーターにも乗ってきていた。地下駐車場も明るかったと思う。ドアを開けた時に、家の音も聴こえてたと思う。周りも明るかった。

 悔しさと嬉しさとやるせなさで奥歯をかむぎりりという音がした。

 ごくごく普通の平常を、たった一日で取り戻したに過ぎないというだけなのに、大きな救いを受けたような感慨が心を占めた。

 

 私の家は復旧を得た。しかし、今も尚多くの人達がその希望の光を求めて、耐え忍んでいる。

 突然、悩み出した私では今回は何も出来なった。しかし、次は、次こそはと握り締めた拳と共に、まさかの時に人を助ける、そんな働きが出来る程度にはなりたいと、どうすればなれるのかと、真剣に向き合おうと心に誓った。

 

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