その5
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五
2089年2月18日 13時21分 国務通信網整備局
「だから、なんで怒ってんだよ・・・」
咲季は困惑していた。
「怒ってなどいません。さっさとこの仕事を終わらせたいだけです」
秋野は自慢の銀髪を埃まみれにしながら、天井内部を匍匐前進で進む。作業着は当に真っ黒。長身の秋野にとっては狭苦しい、人一人がようやく入れる程度の天井内部を小さなヘッドライト一つで異変がないか探索させられるとは思ってもいなかった。だが、だからといって機嫌が悪いわけではない。
前を進む咲季は後ろでピリピリした返事を返してくるパートナーに、多少のご機嫌取りをしてみる。
「ほら、もうすぐ終わりだから」
咲季の指し示す方向に、室内の明かりが見える。光は天井点検口から漏れてきていた。咲季は器用に点検口を外し、室内へ降り立った。
室内はサーバールーム前室の受付事務所になっていた。受付カウンターからは、見るからに不審者が天井から降り立つさまを見て、受付嬢が硬直している。
「あ、空調点検です」
咲季が言うも、その言い訳は無理がある、と秋野は心の中で呟いた。
「ここもハズレだな」
秋野も遅れて室内へ降り立つ。同じタイミングでサーバールームから若い男性が出てくる。
「どうでした~?」
「やっぱりここにも特に異常はありませんね」
男性は咲季の返答に頭を抱えてしまった。
「そうかぁ~。確かにここら辺まで火の海になったんだけど、全部改修しちゃったからねぇ」
「・・・爆発音がしてきて、見に来たら前室からサーバールーム一帯が火に包まれていたんですよね?」
「ええ。君も見たよね~?」
受付嬢も戸惑いながら口を開く。
「え? あ、はい・・・」
地味な黒縁の眼鏡をかけたその女性は、消え入りそうな声で同意する。
「・・・そうですか。ちょっと私どもの方もお手上げですね」
秋野が頭に付いた埃を払いながら言う。
「出直そう」
促す秋野に、咲季は不服そうな目を向ける。
「・・・じゃあ、最後にサーバールームの機器データを見せていただいてよろしいですか?」
『もう何も出てこないよ』
かれこれ三時間近く現場調査を行っているのに、手掛かりになりそうなものは何も出てきていない。さすがに秋野は諦めムードだったが、咲季は諦めなかった。
『・・・そうかもな』
咲季の擬似音声が秋野の頭の中でこだまする。
担当者の情報によると、火災の後を復旧するためこのサーバールームと前室の事務所は一斉改築したようだ。咲季はタブレットPCでサーバー機器の修繕履歴データを収集しながら担当の溝口に尋ねた。
「サーバールーム全体の復旧なんて結構時間がかかったんじゃないです?」
「そうなんですよ~。大変だったんですよ~! 特にサーバー機器は丸焦げだったから全部入れ替えで、床やら壁やらも全部張り替えたんで、一カ月以上かかったんじゃないかな・・・」
「そうですか・・・。大変ですね」
彼の言う通り、サーバー類は全て新品だった。新品のラックに床材や天井ボードなんかも真新しい。
咲季は何かを探すようにサーバーラックの床を慎重に見て回った。そして徐に床材の一部を取り外す。
「あ、あの、ちょっと・・・」
サーバールームはフリーアクセスシステムで、床のタイルの下に本当の床がある。その三十センチメートルほどの隙間は空調用の空間になっていて、室内温度センサーが転がっている。咲季は何気なくセンサーのふたを開け裏側を見る。
『日付は82年07月・・・』
簡素な温度センサーだ。電源も何もなく、インターネットにも接続されていないため、機器データも持っていない。
『どうしたんだ?』
『この部屋の全ては一新したはず。しかもサーバーラック下の火災状況の一番ひどかった場所。だけど、センサーは82年生で、交換された気配がない・・・』
咲季の顔が曇る。
『確かにサーバー類は全て一新されてるけど・・・。本当に火災なんてあったのか? 何にせよ、火災がなかった決定的な証拠にはならないな』
「あのー、もうそろそろ、いいですかねぇ?」
後ろから溝口が声を掛けてきた。彼にも仕事があるのだろう。二人は急かされるようにして現場を後にした。
「あー・・・成果なしか」
咲季は悔しそうに言った。
都心部のビル街を見上げ、人通りの多さに辟易する。国務通信網整備局は都内のど真ん中。LQPAの人口密度とは桁違いだった。人の波の中を歩き、秋野も咲季に続いた。
「・・・」
「・・・」
秋野は溜め息をついた。
「どうしたんだよ。なんか、今日のあんた、変だぞ」
秋野はかぶりを振った。
「・・・何もありませんよ」
いや、自分の異変は自分が一番よくわかっている。ただそれをこの鈍感そうな男に伝えるのが嫌なのだ。秋野の頑なな態度にも成果の出ない調査にも咲季はお手上げだった。
と、その時、咲季のSIMに着信が入る。相手はエイムだった。オペレータパネル上のその名前を確認し、咲季は擬似音声で着信に応答する。
『どうした?』
『そっちはどうかと思ってさ』
咲季はちらっと秋野を振り返り、答える。
『お手上げだよ。そっちは?』
『こっちはこっちで、なーんか雲行きが怪しくってよ。というか、お前もほんとに大丈夫か? さっきから、かめきちがひーひー言ってんだけど・・・』
『え? かめきちが?』
都内にくる前にかめきちを未来とエイムに預けてきたのを思いだす。かめきちには基本的に咲季自身の雑務を任せているほか、ヒステリック・ナーバスの通信雑務も任せている。その為、咲季は遠出するときはむやみにかめきちを持ち出さなかった。
『おうよ。なんか俺たちのイントラネット、急激にサイバー攻撃受けてるぞ・・・』
『どういうことだよ?』
『言いたかねぇけど、この事件、ほんとはヤバいやつなんじゃねぇだろうな・・・?』
『・・・』
咲季はそのまま歩きながら、後ろからの視線を確認する。秋野は気づいていない。だが確かに感じる。わかりやすくこちらを尾行している。そのあからさまな視線はプロのそれではない。プロでないとすればこちらに分がある。
『・・・エイム、ちょっとこの二人の素性、調べといてくれるか?』
咲季がデータを転送する。
『いいけど・・・、お前、帰ってこれるの?』
『久しぶりにがんばるわ。・・・じゃあ今夜、いつもんとこで』
通信を切断する。
秋野に並び、小声で言う。
「インターネット回線を切れ」
「え?」
咲季の声に不意を突かれる秋野。相当ぼーっとしていたようだ。
「つけられてる。これから前時代的な撒き方するから、自分のプライベートイントラネットにログインして、二手に分かれよう」
咲季のその真っ直ぐな瞳の光を見て、秋野はハッとした。そして自分の立場と使命を思い出す。小さく頷く秋野に咲季も頷く。
交差点に差し掛かり、信号が青になるのと同時に咲季と秋野は全速力で反対方向へ走り出した。人の波に紛れ、咲季は逆光の中を進んだ。陰で顔を認識できないような位置で、ちらっと後ろを確認する。やはり追ってきている。ただそんなに足は速くない。追っ手も二人、焦りの見えるその追跡姿に、咲季は相手が素人だと確信する。そこまで確認して今度こそ全力で走り抜ける。
一方秋野に後ろを振り返る余裕はなかった。長身の秋野はどう頑張っても目立つ。しかも今は都心に馴染まない作業着姿だ。咲季のように着馴れた感じもない。仕事柄どんな状況下でも焦らず的確に取捨選択をするよう身体に言い聞かせてきたが、咄嗟の順応性や適応能力は圧倒的に咲季の方が上だった。
(こんなときでさえ、咲季と張り合ってるようじゃ私もまだまだだな)
今は少しでも早く追っ手を撒く必要がある。秋野もなりふり構わず体を動かした。
2089年2月18日 17時27分 都内某所
秋野は肩を上下させ、上気した呼吸を整えるよう街路樹に背を預けた。まだまだ日の短い季節、もう日が落ちてしまった。あと十分もすれば星の輝く時間に突入する。秋野は時刻を確認する。
随分と走った気がする。追っ手なんて当に振り切ったはずだが、念には念を入れ、体力の限界まで走ってやろうと走った結果がこれだった。諜報局員として要求されるだけの体力は持ち合わせているが、スポーツ選手ではないので、明日このツケが回ってくるんじゃないかと一瞬恐い発想が頭をよぎる。
咲季はネット回線を切れと言っていた。IDをオフライン表示にして自分の居場所を追っ手に知らせないためだ。しかし現在の電車やなんかの交通機関・自動車もID認識が主流で、IDオフライン状態では使用できない。つまるところそれは徒歩でLQPAまで戻れと言っているも同然だ。
(ここからLQPAまで何キロあると思ってるんだ・・・)
都心から二十キロメートル近く走った気がするが、それでもまだ二百キロメートル弱ある。秋野は深くため息をついた。
(今日の私はどうかしていた)
本来、秋野は淡白な性格の為、誰かに対抗心を燃やすようなタイプではない。まして嫉妬なんてしたこともなかった。それは今まで、彼と張り合えるほどの人間が周囲にいなかったとかそういうことではないし、本人も自分が努力型の人間だと自負している。原因は確実にあの男。咲季に対する長年の畏怖の念と、最近になって知った人間らしい彼の魅力、加えてリラの話を聞いたせいもあり、自分の中で処理しきれない感情が彼を意固地にさせたのかもしれない。
(今の私じゃ完敗だな)
自嘲する秋野。けれどそれは素直に納得できた。
と、そこへ排気音を鳴らし、バイクが近づいてくる。オイルの焼ける独特の匂いが秋野まで届く。
「よ。奇遇だな」
男はヘルメットをとる。
「咲季・・・何してるんだよ」
どこから見ても古臭く今にも止まってしまいそうなバイクに跨り、咲季はにやりと笑った。その姿があまりに様になっていたので、思わず笑ってしまう。
「自分でネット回線切れって言ったくせに、自己認証IDの必要な乗り物に乗るとはいい度胸だな」
「心配いらない。IDがなくても乗れるようにその辺はちょっといじった。あ、俺がどっかから盗んで来たとか思ってるな?」
「ちがうのか?」
「失礼なやつだな。親切なバイク屋のおっちゃんに言って貸してもらっただけさ。大丈夫、ちゃんと元に戻して、なんならパーツのカスタムくらいして返しに行くよ」
秋野はふっと表情が緩むのを感じる。自分の想定外をいくこの男の頼もしさといったらない。
「ちゃんと返せよ」
「だったらあんたんとこの経費でバイク買ってくれよ。IDがなくても乗れるやつ」
咲季はもうひとつヘルメットを秋野に放り投げ、自分もヘルメットを被る。
「わかった。用意しよう」
秋野はいつもの自分が戻ってくるのを感じていた。ただこの男に作り笑いをしても意味がないともうわかっている。秋野は素直な笑顔を見せ、男の後ろに乗った。
「結構遠くまで走ったんだな。やるじゃん。探したぜ」
「それはどうも」
大の男二人を乗せ、マフラーから白煙を上げ走り去るそのバイクは、前時代的な二人にぴったりの乗り物だった。
2085年6月15日 9時45分 サイエンスコンクール会場
春が終わり、辟易するような暑さがやってくる予兆を感じる季節。雨の多いこの時期に、久しぶりの晴れ間が見える。風は柔らかく、穏やかな日の光に昨日までの嵐が嘘だったようだ。
毎年サイエンスコンクールでは、その一年間で科学の幅広い分野において国内発表された論文や優秀な実験結果に対し、賞が贈られる。研究職に就く者にとっては登竜門的な扱いを受けることもあるが、はっきり言ってリラは興味がなかった。控室の戸がノックされる。
「間もなく表彰式に入ります。ガーランドさんの出番は表彰式の次なんで、そろそろ準備お願いしますね」
はい、と言われるがままオペレータパネルにスピーチ用の原稿を準備する。
コンクールも毎度の常連になりつつある彼女にとっては、変わり映えのしない退屈な時間だ。ただ今年は少し勝手が違う。今回彼女は表彰される側ではなく、主催側でお膳立てされた講演講師として壇上に上がる。分野のまるっきり違う畑違いの専門家たちを相手に、何を話せというのか。リラは憂鬱な面持ちで、重い足取りで舞台下手へ向かった。
世界は日々進歩していく。一つ一つできること・考えられることの選択肢が増え、着実に歩み続けてきた人類に思いを馳せ、リラも一歩一歩階段を上る。それは一人で成せるものではなく、長い道のりを先人のバトンを繋いでやってきた全世界の成果。それらの最先端にいる研究者たちが集まっている中で、ほんの一分野で、狭い世界で研究を続ける自分に話せることは何なのか、考えれば考えるほど、何も思い浮かばない。
(もうやだ。帰りたい・・・)
そのとき、
「あぶない!」
声と共に階上から数枚の紙が落ちてきた。
(紙・・・?)
都合よくリラの足許に舞い落ちたその資料を見て、リラは言葉を失った。
「すみません」
その声の主を見上げる。少年が階段を下りてそれを取りに来る。その顔に焦りのようなものは見られなかったが、声には申し訳なさが感じられた。
「けがは・・・?」
「え? いえ、大丈夫です・・・」
相手はリラと同じくらいの年齢の少年。階段差もあってリラとは頭一つ分、身長に差ができる。黒目がちのあどけなさの強い少年はリラの顔を見て、不思議そうに呟く。
「あの・・・、それ・・・」
「あ、これ、あなたの・・・?」
リラは手の中の数枚のA4紙に目を落とす。デジタルの文字の上から手書きで修正された跡がある。
「あ、はい」
「あなた・・・、今日の発表者?」
「そうですけど・・・、なにか?」
「いえ、ごめんなさい。紙資料なんて久しぶりに見たから・・・」
「ああ。好きなんです、こういうの」
少年は少しだけはにかんで答えた。彼は手元の残りの資料を大事そうに抱えている。そのどのページにもカラフルな付箋が貼ってあったり、マークされた跡が見える。
リラが物心ついた頃から、周りにそうやって紙資料を使用する人間はほぼいなかった為、その光景はとても新鮮だった。
「すごいですね。発表、がんばってください」
リラは心からの笑みで、少年を送り出した。手渡す資料を持つ手が彼の指先に触れる。
「ありがとう」
少年はそう言って、階段を上がっていった。
ただその瞬間、時間にして数分で、リラには少年の人となりがわかったような気がした。もちろん全てを理解したわけではなくて、彼の思考を形作る重要な何かを感じ取れた、ただそれだけのことかもしれない。それでも、他者を理解するということは本当はそういうことなのかもしれない。
たったそれだけで、今までの鬱々とした気持ちが嘘のように吹き飛んでいた。単調な毎日に顔をうずめ、つまらなくしているのは誰か。新鮮な感情は彼女の心を大きく揺さぶった。そしてハッとして、視界の端から消えようとしている少年に声を掛けた。焦って追いかける。
「ま、待って!」
「・・・」
少年は振り返る。
「あの、あなたの、名前は・・・?」
少し不思議そうに顔を傾げ、少年は名乗った。
「・・・咲季。九重咲季」
それが、咲季とリラの初めての出会いだった。
2089年2月18日 22時25分 BAR Quasar
静かなことは悪いことではない。場合によっては好まれる。それと同じくらい騒がしいことは悪いことではない。少なくとも未来にとっては、静かなことと騒がしいことはほぼ同義だった。だからどちらにも偏らないよう一人でいる時は必ず音楽をかけて中庸を目指した。そういう意味で、咲季の構築したこのコンサートホール疑似空間は未来には最高の空間だった。しかし今、疑似空間は崩壊の瀬戸際にあり、音楽よりも空間の崩れ去る音の方が大きくなりつつあった。
『みくちゃーん、調子はどう?』
エイムは疲れた声を出した。未来は答えない。
先刻よりも雑音が多くなってきた気がする。デジタル空間の崩れる音は独特で、決して物理的な響きはないのに耳に残る。弱くなったり強くなったりを繰り返す、金属音のようなノイズの波が頭中を飛び交い、気がつくとそこかしこに虚無の姿が見える。
『あれ、いつもの無視ですか』
エイムは慣れた口調で、集中しているのかぼーっとしているのかよくわからない未来の顔を覗き込んだ。
『咲季と秋野さん、帰ってこないな・・・』
『あたしがいるでしょ! っとに、良くないぞ、そういうの』
あくまでエイムの声は耳に入っていないようで、未来は今まで壁面に出していたホログラムを消した。音楽もいつの間にか止んでいた。よく見ると音響スピーカーが半分消えかけている。
『もう、エイムは帰った方がいいと思う・・・』
『第一声がそれ!? ちょっと優しさ足りなくない? そういうとこだぞ、本当にもうっ』
『ちがうよ。もう、ここも完全になくなっちゃうと思うから』
天井から大きな照明機材が舞台めがけて落下してくる。破片やら何やら飛び散ってはいるが、もちろん当たったところで痛みはない。
『まぁ、死にはしないし、最悪咲季に会ったときに、最後まで待ってたアピールできるからもうちょっといようかと』
『・・・お前、ほんとに最低だな』
咲季の声だった。
『やだっ、咲季君♡ 帰ってたの~♡』
咲季も秋野もエイムに蔑みの目を向ける。よく見ると二人とも煤まみれだ。
『ってなんか二人とも雰囲気変わったね。イメチェン?』
『おかえり。二人とも大丈夫?』
『ああ、二人は大丈夫か?』
『うん』
『あたしはだいじょばなかったわ』
『なら良かった』
『いや、ちょっとみんなして無視しないで! 寂しい!』
それを見て秋野は満足そうに笑った。
『・・・あんた、性格悪いな』
『君に言われたくないよ』
先日の恨みの為か、秋野の態度にエイムの取り付く島はない。
『けど、さっきも言ったけど、この事件、まじでちょっときな臭いぞ』
『ああ、俺もそう思う。理化学総務研究所の方は誰かに監視されてるっぽかったし、国務通信網整備局の方では追っ手につけられた』
咲季は持ち帰ったデータ資料をヒビだらけの壁面に映す。データと一緒に通信網整備局で調査に付き合ってくれた担当と受付嬢の顔写真も映し出される。
『そうだ、この二人だけど、頼まれたとおり調べといたよ』
『ありがとう。どうだった?』
『この二人、通信網整備局の人間でも何でもなかったぞ』
『・・・やっぱり』
エイムは画像データに自分の調べたデータをティップスで貼り付ける。
『二人とも理論物理学エネルギー研究機構の研究員だ』
『エネ研って・・・LQPA併設の機構だな』
理論物理学エネルギー研究機構、その長ったらしい名前を正確に覚えている者はいない。関係者もそうじゃない人間も揃ってエネ研と呼んでいたその機構は、LQPAの敷地のすぐ隣に併設されている。分野自体が似通っている為、両方で仕事をするものも多かった。
『あぁ、思いっきり見張られてたらしいな』
エイムはさらに続けた。
『しかもこの通信網整備局の事件、そもそも事件だったかどうかも怪しいぜ? 爆破時刻直前、通信網整備局内のサーバー通信量が尋常じゃないくらい増加している。外部からサイバー攻撃を受けたログが残ってた』
通信網の攻撃状態を時間の経過に合わせてホログラムを動かすエイム。その経過ごとに増える攻撃数は、サーバーの爆破時刻ぎりぎりまで増加を続けている。
『この攻撃元は?』
『もちろん掴んでるぜ』
エイムは得意気に言った。
『攻撃元は仮想集積CPUのあらゆる場所。それこそ世界中のCPUからだ。だけど、さらに調べていくと、このCPUたちが攻撃するようしむけた指令はある一点から送られてることがわかった』
世界中の通信動向の光を辿っていくと、エイムの指し示す点滅しているある一点へ辿り着く。
『このCPUは?』
エイムは両手を上に向けかぶりを振った。
『そこまでは追えなくて・・・』
『セキュリティコード解けないの?』
『みくちゃんは簡単に言ってくれるぜ・・・』
『じゃあわたしやってみる』
未来はエイムの掲示したホログラム上でCPU使用回線とセキュリティ画面に向き直って何やら操作を始めた。
『そういえば、未来の方は何かわかったか?』
未来は顔を上げずそのまま答えた。
『一応・・・。ワークス・メディアの役員はやっぱりほとんどが各理系業界の理事とかお偉いさんにつながってるみたい。気になったのは、ワークス・メディア報道部門。あのウェブニュースを直接書いた部門の名誉顧問は光子加速研究所の教授が兼任してるの』
『・・・』
咲季の顔が曇る。
『光子加速研究所って、これもLQPAの併設機関じゃん! あたしも実験でたまに行くし』
『それに、この光子加速研究所からワークス・メディアへ多額の入金履歴もあった』
『献金か? いや、一企業から研究施設への献金なら社会貢献の一環で話はわかるけど、その逆・・・?』
秋野も訝る。
『名目は?』
『ワークス・メディア製の機器を大量購入したことになってた』
『へぇー、報道部門が何の機器売ってんのかしらねぇ、咲季? それとも自社製品は報道部門が営業してるのかしらん? やっぱりきな臭いわねぇ』
エイムの質問に咲季は頷く。
『わたしもそう思って、もうちょっと銀行口座とお金の動き、覗いちゃったんだけど、光子加速研究所からもう一か所大きなお金の動きがあったわ。今度は一企業なんかじゃないよ』
『?』
その場の三人が怪訝な顔をする。そして少し嫌な予感がしてしまう。その予感は的中する。
『国際条理締結機構 仮想集積CPU研究所 南極支部』
『・・・!』
『もう、冗談やめてよ・・・』
未来は至って真面目な顔で答えた。
『冗談じゃないよ。それに、これ見たら信じられるんじゃない?』
未来が作業を終え、エイムのホログラム上にデータを反映させた。
『この短時間でセキュリティ突破してハッキングできたのか・・・』
秋野は驚いた。三人でヒステリック・ナーバスだとは言っていたが、三人ともハッカーだとは思っていなかった。
問題の仮想集積CPU内のアドレスとホスト名が表示される。アドレス 1500街区A-A31番、ホスト名 ガーランド。
『ガーランド・・・』
『しかも使用回線はインターネットじゃなく、イントラネット・・・?』
『・・・ちょっと何が何だか分かんなくなってきた』
エイムはお手上げの仕草で脱力したように座席に腰掛けた。
『ワークス・メディアがLQPA廻りと通じているのはわかった。そのLQPA廻りの研究機構は仮想集積CPUとも通じていて、仮想集積CPUを使って通信網整備局にサイバー攻撃をしていた? 何の為に・・・』
『もしかして・・・』
咲季はハッとした。そして思い返す。自分の目で見てきた状況・データ、そして二人の調べた事実、それらを鑑みて最も可能性の高い道筋を推定する。
『三つの事件を起こした犯人は、おそらくエイムと未来のつきとめた仮想集積CPUガーランド。けれどそれをよく思っていない人間がいる。そして何としてでもその事実を隠したい。だから、自分の息のかかった人間・企業を利用して、外部に漏れないよう隠ぺいした・・・』
咲季の発言を受け、秋野も自らの目で見てきたものを確かめるように頷いた。
『そうか・・・、別に事件自体を隠す必要はないんだ。その事件に仮想集積CPUが関与していることさえ隠せればそれでいい。だからあえて外的要因で起こった事件のように捏造した』
『つまり・・・、実行犯と隠ぺいしたやつは別ってこと、よね? はぁ、誰よ、この事件引き受けてきたやつ。あたしどうなっても知らないからね!』
エイムはうんざりと言って背もたれにふんぞりかえった。次の瞬間、座席が崩れ跡形もなくなり、エイムが床に体を打ちつける。大きな悲鳴も虚しく、想像通りといば想像通りだが、誰も気にしてない。
『・・・なんで隠すのかな』
『仮想集積CPUで事件を起こす理由もわからないな。・・・ただ、イントラネット上でCPU利用されながら、インターネットへ指令を出力できるってことは、ある程度ハッキング技術を持った人間であることは確かだ』
秋野は未来と咲季に口を開く。
『・・・私には、誰かが仮想集積CPUの中から叫んでいるように聞こえる。誰かが、何かを伝える為に、必死に訴えた結果が、あの事件なんじゃないかな』
咲季は考え込んだ。証拠は確かにないが、何かに導かれるようにして答えに近付いている。
『秋野さん』
未来が思い出して言う。
『あのね、もうひとつ気になることがあるの。このイントラネット上の仮想集積CPU、ガーランドから秋野さんへ、過去一年間でサイバー攻撃が仕掛けられた履歴があるの』
『サイバー攻撃?』
『うん。でも回数はそんなに高くなくて、なんていうか・・・、コンスタントにちょっとずつというか・・・』
『あんた、自覚はあんの? あれかもよ、ストーカー的な』
秋野は逡巡した。自分の進む道がどこへ繋がっていくのか、全く見えない。このまま自分の感じるままに進んでいいのかという一抹の不安を残したまま、それでも進む以外の道が思いつかず、口を開く。
『誰かが、訴えてる。もしかしたらそう感じていることが、その結果なのかもしれない』
『・・・サブリミナル効果か』
咲季も不確かな道を歩いている自覚があった。
『・・・可能性は十分か。自分でも不思議だったんだ。ヒステリック・ナーバスのことはもちろん知っていた。けど、だからと言って事件後すぐに君たちに協力を仰ごうだなんて突飛な発想、自然と自分の中から出てきたとは思えないんだ。それに、ヒステリック・ナーバスと咲季が結び付いたのも、なんとなくというか、勘のような、うまく説明できない偶然が重なって・・・』
足元が揺れるような心許なさ。それは疑似空間でも同時に起こっている。空間がいよいよ歪んできた。
『とにかく、今日はここまでにしよ。この攻撃仕掛けてきてる連中があたしたちのセキュリティを突破できるとは思えないけど、話聞かれないとも限らないんだし』
エイムは立ち上がり、音響設備の残骸をぴょんととび越えた。
『・・・それもそうだな』
咲季は未来と秋野にも促し、ホールを後にする。
ノイズの乱れが派手に火花を散らす。
『・・・咲季』
『どうした?』
足元のおぼつかない空間で、未来はふらつく感触を持て余した表情を浮かべている。
『あのね・・・』
そこに立ち尽くす二つの影の声は、崩壊の音色の中徐々にかき消されていった。
最後まで読んでいただきありがとうございました(*´ω`*)