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ヒステリック・ナーバス  作者: ななめー
4/8

その4

開いていただきありがとうございます(*´ω`*)


 2089年2月11日 10時32分 理化学総務研究所


(やるからには徹底的に、と言っていたのは、この耳で聞いた)


けど次の日から全力で、とは聞いていない、と秋野は少し愚痴を言いたくなった。チャコールグレーの作業着姿にマフラーを二重に巻き、少し眠気の残る顔で工具バッグを持たされ待機する。


 昨日の咲季たちとの打ち合わせ後、すっかり気が緩んでしまい飲みすぎてしまった。無口で不愛想だが、あれでいて咲季は飲ませ上手かもしれない。


(ちょっと油断しすぎた・・・)


あくびを噛み殺し、表情を引き締めつつ建物の受付前で、時間を確認した。


 現在朝の十時三十二分、理化学総務研究所敷地内発電設備前。LQPAからおよそ三百キロメートル南に位置する理化学総務研究所にこの時間に着く為、咲季にたたき起こされ車を走らせてきた。


「手続き完了。入れるぞ」


「飲んだ次の日の早朝から運転は身体に堪える歳なんだけどな」


「運転って言っても、ほぼ自動運転じゃん」


咲季も眠たそうに長身の秋野に歩み寄る。咲季の方はいつもの着馴れたつなぎ姿で、ごく自然なエンジニアに見えた。


「それでも運転手は簡単に寝れないだろう?」


自動運転車には運転手の網膜認証によって寝ているかどうか判断する機能が付いている。寝ていると文字通り警告音でたたき起こされるのだ。


「じゃあ帰りはあんたのまぶたに目描いといてやるから」


行くぞ、と咲季。


「冗談ならもうちょっと和やかに言ってもらいたいな・・・」


秋野も後に続く。


理化学総務研究所は国の特定施設で、入館申請のないものは警察でも中に入ることができない。もちろん申請も適当な理由では許可が下りないので、実質入館できる人間は限られる。思っていた以上に咲季は行動力のある人間だった。昨日の今日で、こんな重要施設に入れるほど、一諜報局員に力はないと笑った秋野に、「そこは俺の腕の見せ所だ」と言って実際に難なく入館できてしまった。通路を歩く間、どうやったのか聞いても、咲季は首をすくめるだけで何も教えてはくれなかった。


「それで、まずはどうするんだい?」


咲季は頭を指差し、秋野にイントラネットをつなげた。


『ここで喋るのは危険だ。話は通信でやり取りしよう』


『昨日も思ってたんだが、いつの間にネット構築してるんだ、君は』


『まぁまぁ。正規の理由で入ったんだ。正規の作業をしようじゃないか』


咲季は歩を止め、目の前の扉を指差した。そしてためらいなくノックして中に入る。


「失礼しまーす」


「え・・・!」


(防災センター・・・?)


中は警備員と施設管理員の詰め所になっていて、十数人の監視員が監視パネルの前で施設の様子を監視している。施設内はそこかしこに設置された監視カメラと、防犯マイクにより、ほぼ死角がないように設計されていた。それを一挙に監視するのがここ、というわけだ。


 秋野の心配をよそに、つなぎ姿の青年はその事務室の所長と思しき人物の許へ近寄った。


「発電設備の調査に参りました。柊と申します」


『偽名か・・・。ちなみに私は何て名乗ったらいいかな? 柊君?』


『あんたは飯島な』


眼鏡をかけた五十代前後の男性が徐に口を開く。


「調査・・・? 今日そんなのあったかな? どこの業者さん?」


「関東円電です」


「あれ、いつもの業者さんじゃないのねぇ? 柊さんに、そちらが飯島さんね」


所長は眼鏡を外して卓上のオペレータパネルで作業申請書の会社名を確認している。自己認証IDもどうやら完璧のようだ。その所作からして、特段警戒の気配はない。実在の大手電力会社名で正規の作業申請書が通ってきている段階で、ほとんど信じ切っているのだろう。


「はい、こちらの電力設備は三島電工さんですよね? その三島電工さんからの依頼で、三ヶ月前の事故調査をしてほしいと・・・」


あまりに堂々とした受け答えに、秋野は感服した。


「あーなるほどねぇ。・・・でも、無駄だと思うよ?」


所長は小さな声でこそっと呟いた。


 目線を動かさず口元に手を当てるその姿に、二人はすぐに直観的な視線を意識する。施設を監視しているのは何も施設管理員だけではないということだ。


「三島電工さんもね、かなり調べたんだけどお手上げでさ・・・」


咲季も少しだけ声のトーンを落とし訊いた。


「実際に爆発した箇所自体は特定できたんですか?」


「・・・一応ね。けど、肝心の原因が何なのかはさっぱり・・・」


「その場所、案内してもらうことはできますか?」


ああと所長は監視パネル前で作業をする島田という男に声を掛け、咲季たちの案内を彼に頼んだ。


 咲季よりも身長の低いやや小太りの島田は、あからさまに不機嫌な顔で彼らを現場まで案内した。お世辞にも美男子とは言い難い島田からは、二人に対する敵意のようなものさえ感じ取れた。


 ダウンライトもまばらな長い廊下の末、発電機室が見えた。


「なんだって三か月も前の調査に付き合わなきゃいけないんだよ。こっちは年度末迫って忙しいんだっつうの」


悪態をつき、手持ちのライトをぶらぶらさせ、島田は左手で静脈認証の扉を開けた。


「お忙しいところすみません。調査が終わったらすぐ帰りますので」


こんな嫌味な相手にも、秋野はにこりと笑顔を向けて返した。


「・・・当たり前だろ。だいたい今さら見たって現場はもう復旧しちゃってるから、調査も何もないんじゃないの?」


部屋に入るなり、部屋の明かりが自動で点灯する。島田が指し示す事故現場は、彼の言っていた通り、綺麗に復旧され、爆発の痕跡などなかった。


 咲季は黙ってあたりを調べ始める。巨大な発電機が五台並ぶその場所は、天井も高くテニスコート四、五面程度の広さがあった。各発電機は五台とも稼働していて、耳を聾する大きな音があたりに充満していた。エンジンとコンプレッサーの音に混じり、天井付近に設置された給排気ファンから風の音がする。ダクトの先はそのまま建物の外に通じているようで、新鮮な外気が常時取り込まれている。


「島田さんも事故当時、こちらにいらっしゃったんですか?」


「いたも何も、ここの火災に気づいたのは俺だよ」


「火災に気づいた? じゃあ第一発見者ということで・・・?」


発電機から配電ケーブル、ジャンクションボックス、動力盤と見て回る咲季を横目に秋野は島田に訊く。


「そうだよ。あの日も俺が監視パネルの前で施設内監視をしてたんだ。それで火の手に気づいて、慌てて現地に向かってる途中で爆発音が数回聞こえてきて・・・。ここに着いた頃にはスプリンクラーが作動して消火活動中だった」


「・・・ということは、最初に火が上がって、次に爆発したと? ニュースでは爆発物が仕掛けられてたとありましたけど・・・」


島田は鼻で笑った。


「あんなの記事のでっち上げだよ。爆発物なんて見つかってない」


「・・・」


秋野は眉間にしわを寄せた。


「あ、もしかして防犯マイク気にしてる? 大丈夫、この部屋、カメラはあるけどマイクはないから。まぁ、マイクがあったとこで、この発電機の音の中じゃ何も聞こえやしないけどね」


その発言で悪態を吐き続ける彼に合点がいく。


 咲季が秋野の許に戻ってきて、工具バッグから小型のタブレットPCを取り出した。


「・・・で? なんかわかったの?」


あくまで人を見下したような目で、島田が咲季に言う。


「まあだいたいわかりました」


「ほら、わかるわけないんだよ、三か月も前のことなんて・・・。って、え? わ、わかった?」


咲季はPCで発電機室内の機器データを吸い出して言う。


「まず、自己損傷で取り換えられた部品機器は以下の通り。発電機三台、エンジン三台、動力盤五台」


PCに映る損傷部分を実際の機器に投影し、想定ホログラムを出現させる。


「これら異常があった部分には共通点があります。一つ目は、事故当時異常をきたした機器はすべて稼働中だったこと。二つ目は、これらの機器にはオペレーティングシステムが搭載されていたこと。そして三つ目」


ホログラムを切り替える。事故当時の想定出火状況が映る。


「島田さんの話から出火状況を想定すると、出火が起きてから爆発に至るまで火災警報が鳴っていなかったことになる。そうですね?」


「え? あ、あぁ・・・。け、警報は、確かに鳴らなかった・・・。爆発して、スプリンクラーが回りだして、それから警報が発報した・・・」


「火災警報盤も火災報知器もオペレーティングシステムが搭載されています。場所は出火位置に程近い」


動力盤と発電機脇の火災報知機が、ホログラムで位置と個数が表示される。


「この位置で火が上がったら真っ先に火災警報が鳴るはず。それが鳴らなかったということは・・・」


『物理的に火災警報が鳴らないように細工された・・・?』


秋野は咲季に視線を送る。咲季も通信で答える。


『いや、物理的な細工はなかった。状況から考えて、出火した機器を含め火災警報盤までの全オペレーティングシステムをハッキングされた可能性が高い。出火から爆発まで十分かかった点を考えると、システムハッキングで通常機器に流れる電流値を超過させて過電流を引き起こし発火させたんじゃないかな。これだと発火から爆発まで物理的な出火、外的要因での事故に見える』


「・・・ということは、ど、どういうことなんだよ?!」


島田に詰め寄られた咲季は口の端を上げて笑った。


「オペレーティングシステムのエラーによる過電流で出火したんでしょう。火災警報が鳴らなかったのもエラーによる通信異常でしょうね」


「OSのエラー・・・。そうか、やっと腑に落ちたよ」


島田はうんうんと首を縦に振り、一人納得していた。


「現場をろくに知りもしないやつらが、簡単に外的要因だなんだって騒いで、それに気づかない設備管理が悪い、なんて言われて腹が立ってたんだ。そうだよ、異変があれば俺らが気付かないわけないんだよ」


「わかりますよ。先程の防災センターの様子を見ても、管理の方々が気付かないように爆発物を仕掛けたり火災報知器に細工をしたり、なんて現実的ではありませんよね」


島田の態度が百八十度急変する。


「いやぁ、あんた、柊さんだっけ? わかってるなぁあんた、大したエンジニアだよ、ほんと」


さっそく所長に報告だ、と上機嫌に部屋を後にする。


『でも、本当にそう言い切ってしまっていいのかな・・・』


訝る秋野。


『状況的にこの部屋に入るまでには入館・防犯カメラ・静脈認証と三重のセキュリティを突破する必要がある。その危険を冒して侵入できたとして、細々と爆発物を仕掛けるだなんて不確かな方法を、あんたはとると思うか?』


『・・・いや』


『もし俺がわざわざ侵入しなければならないなら、もっと確実に、大きな影響を残そうと思う』


『たとえば?』


『建物自体木っ端微塵にする』


『さすがはスケールが違うね』


咲季と秋野は先刻とは全く別人の島田の後ろを黙って歩いた。


『それは冗談だけど、直接侵入できたなら発電機五台とも爆破しようと思わないか? なんで三台だけなんだと思わないか?』


『それは確かにそうだな』


『理由は簡単だ。それ以上できなかったからだ。犯人はオペレーティングシステムをハッキングすることしかできなかった。けれどその手法で五台すべてを爆破するには何かしらプログラムを走らせたりちょっと手を加えなければならない。今俺が推測した過電流を用いた出火なら手の込んだ作業は必要ない。実稼働している機器だったらすんなり実行できる。だから爆破されたのは三台だけだった』


島田が嬉々として所長に報告してくれたおかげで、咲季たちはすんなり解放された。防災センターを後にする際にはお礼まで言われたくらいだ。退館手続きを済ませ、外に出た頃には日が傾きつつあった。


「まぁ、確実な証拠はないけど、現地の状況と犯行意義から可能性を探ると信憑性は高い推測だと思うけど」


「確かに信頼のおける仮説だね。それも限りなく事実に近い仮説だ」


問題は、その仮説により容疑者が膨大に増えてしまったということだった。


「さて、じゃあ戻ろうか。さすがに明日は休ませてもらうぞ」


秋野は気を取り直して伸びをして、咲季に向き直った。その顔には疲労も見えるが、どこかすっきりした印象を受けた。


 帰り支度をする作業着の似合わない男の後ろ姿を見ながら、咲季は何か忘れているような気になる。


(・・・あれ、なんか忘れてるような)


「・・・あ!」


「ん? どうした? 咲季」


日も暮れようとしているその時、先日同僚と交わした約束を思い出した。


「リラと飯食いに行くの忘れてた!」




2089年2月11日 20時15分 LQPA構内 レストラン カントリー・ダイナー


「・・・」


「・・・」


二十時十五分、カントリー・ダイナー、賑やかな店内はオールドアメリカの雰囲気で統一されていたが、果たしてオールドアメリカを懐かしいと感じる世代が店内にいるのかと訊かれると、答えるのは難しい。LQPA内では若者たちが気兼ねなくわいわいできる健全なお店として重宝されていた。


「・・・悪かった、まじで」


咲季は何度目かになる謝罪の言葉を口にしたが、リラはじーっとその顔を見つめ返すだけだった。


 約束の時間に遅れたことについてはまだ納得できる。ただ、何故この場にもう一人同席しているのか、彼女にはそれがわからなかった。リラは長い黒髪を耳に掛け直し、ラムコークを飲みながら作業着姿の同僚をまじまじと見つめる。視線からは呆れを感じ、居心地の悪さを感じ、咲季はまた謝ってしまう。


「・・・ごめん」


さすがに可哀そうになってきて、ようやくリラは口を開いた。


「もうわかったわよ。これ以上怒ってると私が意地悪みたいじゃない」


リラは溜め息をつき、渋々彼の謝罪を受取った。それを聞いてほんの少しほっとする咲季。そしてもう一人、居心地の悪さを感じていた長身の男も胸を撫で下ろす。


「・・・ところで、どうしてこうなったわけ?」


「すみません、ミス・ガーランド。こうしてあなたたちのデートを台無しにしたのは、すべて私の責任でして・・・」


「デートじゃねえって・・・」


「デートじゃないから!」


二人の声がかぶる。リラは否定したものの、咲季も否定したことが気に入らないらしい。青年に怒りの視線を向ける。


「じゃあ秋野さん、詳しく説明していただけます? 何故、約束の時間に遅れ、来たかと思ったらきったないつなぎ姿で、あろうことか初対面の年上の男性を断りもなく引き連れてやってきたのかを」


「ええと・・・」


その迫力と言ったら、いつもにこやかな笑顔を作っていられる秋野をもってしても威圧させる力を持っていた。


「彼には、個人的な仕事の依頼をしておりまして・・・、作業に思ったより時間がかかってしまいました・・・」


「ふーん。それで?」


まるで興味がなさそうだ。だが秋野は諦めない。完全に気配を消している咲季を横目に、にこりと笑ってキザなことを言ってのける。


「こんなに素敵な女性を待たせているなんて露知らず、大変失礼いたしました」


「はいはい」


しかし、リラもなかなか手強かった。明らかに彼女の視界に秋野は入っていない。


「・・・」


肝心の咲季は黙ったままきょろきょろしている。表情はいつもの通り起伏が少ないが、目線の動きから気まずさを感じていることはわかった。


 リラは何気なく青年の挙動を観察して、ぽつりと呟いた。


「ただ楽しくごはん食べたかっただけなのに・・・」


「・・・え?」


言ってからハッとするリラ。完全に口が滑ったようだ。


「いや! ちがう! いや、ちがくはない、けど・・・」


咲季はもっと怒鳴ってくるかと思っていただけに少し驚いていた。そして背すじを正し改めて彼女を真っ直ぐ見つめ言った。


「リラ。・・・本当に悪かった。ちょっとデリカシーがなさすぎた」


素直で直球のその態度に、ようやく彼女の怒りのゲージが下がった。


「う、ううん。もう、いい」


秋野は笑顔のまま、こんな無骨な対応に自分が負けたかと思うとはらわたが煮えくり返る思いだった。


「・・・仕事って実験の応援かなにか?」


「え? あー・・・そんな感じ、かな?」


ちらっと秋野を見る。正直今の秋野は咲季のフォローをしたくない気持ちでいっぱいだったが、そこは年上の矜持と言ったところ。にこやかに咲季の言葉を継ぐ。


「咲季君の技術力は国内外で評価されているんですよ。これからもちょくちょくお手伝いいただくと思います」


「へぇ、咲季ってすごいんだ」


リラは感嘆の声を上げた。


「それはそうと、・・・なんでいきなり飯に誘って来たんだ?」


「なんとなくよ。ほら、私、去年からLQPAに入ったから、友達もいないし。仕事も今までのと全然勝手が違うから・・・。ほら、咲季っていつも難しそうなことしてるでしょ? 慣れた手つきで完璧に仕事してるのを見て、ちょっと話してみたくなったっていうか・・・」


「リラだって難しい仕事やってるじゃないか。いつも淡々とこなしてるから前からやってたのかと思ってた」


「え? そ、そう・・・?」


テーブルに頼んでいた料理が運ばれてきた。咲季は鉄板の上の熱いハンバーグを味わった。


「ああ。前は何やってたの?」


「前は、・・・理論物理学の研究をちょっとね」


現在の物理学分野では、理論の研究を行う理論物理学と、その理論証明を行う実験を行う実験物理学が先鋭・専門化されている。その為、どちらの分野にも同時に精通することは難しく、両方を網羅する物理学者はほぼ皆無だった。


 完全に機嫌の治ったリラもおいしそうにドリアをほおばった。


「理論物理学?」


秋野はふと疑問に思った。


「そういえば、四、五年前に素粒子物理の分野でガーランド理論で発表があったけど・・・」


「ああ、そういえばあったな」


咲季にも覚えがあった。当時は画期的な理論として国際的に話題になった理論だった。


「え? もしかして、リラが発表したの?」


「う、うん。まぁ」


「それはすごい! お若いのにずいぶん難しい分野で成果を出されているのですね」


秋野も咲季も新鮮な驚きを感じた。リラも思ってもみない讃辞に多少の照れを見せる。


「だったらなおさらなんで実験分野に鞍替えしたんだよ?」


「うーん、理由はとくにないんだけど。ちょっと別の世界を見てみたかったっていうのもあるかな」


「そうか」


「でも、あんたに褒めてもらえたのは、素直に嬉しいかも」


リラはふふっと笑った。彼女の様子を見て、秋野は口を開いた。


「・・・どうやら本当に、私はお邪魔なようだね。邪魔者はこれで失礼するよ」


秋野は食事もそこそこに立ち上がる。


「え? そんなつもりじゃ・・・」


引き止めるリラ。


 とそのとき、後ろから肩を叩かれる。


「そうそう、秋野さん。遠慮すんなって」


「え?」


秋野は振り返ると、声の主に驚く。


「だ、誰・・・?」


声の主は恰幅の良い男性。年は咲季と同じくらいだろうが、その体重は咲季の二倍近くありそうだ。この寒い時期に薄いパーカー一枚羽織りで外を歩いているのは彼くらいのものだろう。


「孝太郎」


「なんであんたがここに?」


咲季とリラも目を丸くして孝太郎と呼ばれた男をじっと見つめる。


「なんでって冷たいなぁ。俺も同僚だろ? リラ」


孝太郎は秋野を強引に座らせると、自分も咲季の隣りに腰かけた。


「お前、来るなら来るって言えっていつも言ってるだろ」


「もう! 咲季君たら照れちゃって♡」


「お前がその姿でやるとマジで気持ち悪い。やめろ」


咲季は苦虫を噛み潰したような、ひどく嫌そうな顔を孝太郎に向けた。


(あれ・・・。なんかこの光景、見たことあるような・・・)


秋野はその様子に既視感を覚える。秋野は自分が青ざめていくのがわかった。咲季がその様子を察し、告げる。


「秋野さん・・・、残念だけどあんた、こいつのこと知ってるよ」


「改めまして俺は乃木坂孝太郎。エイムで~す♡」


孝太郎はにやにやした笑みで、秋野に握手を求めた。


「・・・君が、エイム・・・?」


さすがにこの百kg漢のむさくるしい男を前に、笑顔も作っていられない。真顔になってしまう。孝太郎はそれを見て、してやったりだと言わんばかりにカッカッと笑い声を上げた。


「あれ、秋野さん、アバターとか使わない人? いまどきID毎にアバター使い分けとか普通でしょ?」


「まさか・・・」


「孝太郎、まさか秋野さんもだましたの?」


「失礼な! 俺は純粋にアバター使い分けてるだけだってーの。あっちが勝手に勘違いしたんだろ? 秋野さんもこれくらいでショック受けてたら若い子に笑われちゃうよ? お・じ・さ・ん♡」


孝太郎はあおるような口調で秋野に食って掛かる。


 さすがにいらっとした秋野だったが、そこは大人。嫌味には嫌味で返す。


「いや、ショックだなんて心外だな。ただ、君のような自分の身だしなみに気を遣えない美意識の乏しい人物が、美少女のアバターを使ってるとは予想外だっただけだよ」


にこりとしているが、そのこめかみに血管が浮かんでいるのを咲季は見逃さなかった。


「俺、美的センスは一流なんでね」


「笑いのセンスの間違いじゃ?」


ぽつりと咲季。秋野も二の句を継ぐ。

その場の三人が三人ともそう思っていた。


「だったら少しダイエットした方がいいと、老婆心ながら忠告しておくよ」


「いや、俺は本能に忠実に生きるって決めてるから。好きな物を好きなように食べるって誓いたててるから」


「秋野さん、こいつには何言っても無駄ですよ。私も何回注意したことか」


秋野はリラに慰められる。


「まったく、どうして咲季がこいつと友達なのかさっぱり分かんないわ」


リラの半眼を気にも留めず、強気に口を開く孝太郎。


「咲季は前時代的な人間が好きだからね」


周囲からの風当たりがいくら強かろうと心折れないその強さはほんの少し羨ましい。


「まぁやっぱり、頭の固いおじさんには、わかんねぇかな、俺の良さは」


「・・・なぜだかわからないけど、無性にアルコールが飲みたくなったんで、もう少しこのまま飲ませていただくよ」


こうなりゃヤケだ、と秋野。


 結果、当初の予定とは全く違った組み合わせでよくわからない飲み会へ発展した。




 2089年2月12日 0時20分 LQPA構内 市街地


 何かに突き動かされることは決して悪いことではない。しかしその結果後悔することもよくあることで、今正に何をあんなにムキになってアルコールを摂取したのかと自責の念がふつふつと湧き上がっていた。この歳になってこんな考えなしの行動をとったのは本当に久しぶりだった。


(何をしてるんだ、俺は)


夜風に当たり、少しでも酔いが早く醒めないかと秋野は期待した。


「本当にもうこの辺でいいですよ? 私、一人で帰れるから」


リラは顔の赤い秋野に気を遣って言った。


「いやいや、私だって男ですから、ここで君を一人で帰すなんてできません。それに一人でなんて帰したらそれこそ咲季に殺されるよ」


リラは笑った。


「それもそうね」


冬の夜空は驚くほど澄んでいて、頭上を見上げればはっきりと星座が見えた。何百年前の光を今地表に届ける冬の大三角がリラと秋野を照らす。


 街灯が数十メートルおきに鎮座しているが、暗闇の世界を照らしきるには少なすぎる光量だ。二人の歩む道は寂しげに、静かに二人を待っている。


「今日は本当に、すみませんでした」


「もういいって。楽しかったし。それに秋野さんと孝太郎がいてくれたおかげで、緊張せずに済んだの。ありがとうございました」


リラも少し頬が赤かったが、秋野の比ではなかった。作っていない心からの彼女の笑顔を見て、秋野の気持は軽くなった。それと同時に、少しだけ彼女のその笑顔を寂しく思う。


「・・・いえ」


「私ね、咲季が好きなんです」


「・・・はい」


「でも、咲季には彼女がいるんです。会ったこともあるの」


「知ってたんですか・・・」


秋野は少し驚いた。数歩先を歩くリラも、彼の反応にもっともだ、と頷く。


「咲季の彼女はとてもかわいい人で、はっきり言って私の入る隙なんて、これっぽっちもないの」

リラは敢えて明るい声を出した。秋野にオーバーな仕草をしてみせる。


「でもね、・・・咲季ってずるいんです」


秋野はリラの歩幅に合わせ、ゆっくりと歩く。石畳の歩道に、革靴の足音が響く。


「無愛想で、何考えてるかわかんなくて、デリカシーとか皆無の癖に、仲間思いで大事なところでは、すごく優しく受け止めてくれるんです」


白い吐息はずっと彼女の想い人の為に空へ霧散していく。饒舌に語る彼女のなんと幸せそうなことか。


「さっきもね、酔いつぶれた孝太郎ほっぽり出して、私を優先して送ってくれようとしたの、嬉しかったなぁ。私の気持ち、気づいてるんだろうけど、絶対拒絶しないの。仲間としての私をないがしろにしないの」


「・・・」


「・・・わかってる。それは、私だけに向けられた優しさじゃないってことはわかってるの。それでも、いいんです。・・・それでいいの」


「・・・リラさん」


こんな場面には過去幾度も遭遇した。相談する女性たちが、こんな時掛けてほしい言葉も、秋野はよく理解していた。わかっているつもりだった。だが、なぜだろう。彼女の顔を見ていると、それが一つも出てこない。それはきっと、彼が酔っているからだけではない。


 リラは笑った。


「リラでいいよ。秋野さん、ごめんね、こんな話聞かせて」


「・・・思い通りに、ならないものですね」


かろうじて発した言葉は誰に向けられているものか。眉間に皺を寄せる秋野の顔を覗き込み、リラはふふっと笑った。


「思い通りにならないから、楽しいんですよ」


なんて物分かりがよいのだと秋野は思った。自分の気持ちを、思うようにならないフラストレーションを上手に抑制し、なんて大人な対応をするんだろうと。秀才の女性は自分の恋愛さえも、そうやって頭の中で割り切ってしまうものなのか。秋野はリラの笑顔を見て悲しくなった。そして彼女にそんな表情をさせているあの男に、無性に腹が立った。


 まだ強がろうと口を開くリラを前に、秋野は急に彼女を抱き寄せた。


「!」


「だからって、無理して笑う必要、ないでしょう」


リラは驚き、目の前の紳士の顔を見上げる。整った顔が今は翳り、悲しそうなその面もちが彼の本心だとわかると、リラは動けなかった。


「思い通りにならないことは悪いことじゃない。けど、それに抗ったり、もがいたりすることだって、悪いことじゃない」


「・・・」


先刻から自分の発する言葉が、純粋に彼女だけに向いているはずの言葉が、なぜか巡り巡って自分の胸に返ってきていることを自覚する秋野。それを全て酔いのせいにしたい自分と、自覚したくない自分の心の奥底からの声を、どうするべきか彼にもわからない。


「・・・秋野さん、ありがとう」


リラは目を閉じ、秋野の背に両手を回した。自分の腕の中で、彼女が声を殺して涙を流す。その様子に、秋野は両手にさらに力を込めた。今の彼に出来ることはそれだけだった。




 2088年4月1日 18時29分 南極 国際条理締結機構 仮想集積CPU研究所 南極支部


 レベル五の無菌室。田辺は空になったCPUポットの縁を歩き、再稼働前の最終チェックを行った。何千何百という数の同じ形のポットが整然と並ぶ様にほんの少しの恐怖を感じる。


『CPUポット、異常なし。エーテル注入開始します』


通信先では了承の声。ガラス越しに眠っているのが見える女性の仮想集積CPU再参入の準備が着々と進んでいく。


 田辺は眠る彼女がエーテルに浸されていくのをただ黙って見ていた。


 いつか彼女とは話したことがある。若いのにとても聡明な女性だった。


『エーテル充填正常。格納エリアへの移動準備完了。該当被験者の格納エリアは606街区C-Z208番』


そして、何かに絶望したような翳りのある女性だった。その様子が他の人の目には達観したように映っていたようだが、田辺にしてみれば自分の孫と変わらない若者が、何に対しても失望している姿というものは心にくるものがあった。


『田辺さん、ちょっと待ってくれ』


通信先では、処置が手間取っているようだった。田辺は言葉の通り、次の指示を待った。


(何で私はこんなことをしているんだろう)


通常、仮想集積CPUへの参入は本人の意思が必要不可欠だ。本人の直筆サインと参入意思表明をポットに入る直前に行う。CPU参入期間もそのときに決める。参入期間は必ず有限で、本人の意思が変わった場合を想定して一年二年といった短いスパンが設定される。それだけ参入する人間の意志を尊重しているということだ。


 しかし今日の彼女の場合、それらは徹底的に無視されていた。


『格納エリアの修正を行う。田辺さん、場所の再確認をお願いします』


「え・・・?」


愕然とした。田辺は手元のオペレータパネルで格納エリアの確認をする。


(なんで・・・)


当初の予定位置は以前彼女が参入していたときに使用していた場所だ。


(これは、業界指定イントラネット用の区画・・・? 仮想集積CPUとして扱わないということか?)


全CPUはインターネット経由で集合体として扱うので、基本的に個人のCPUを単体として扱うことはしない。だが、イントラネットで個々のCPUを区別して使用することもできる。もちろん、当の本人の負担は増えるが、仮想現実に入っている間にその変化に気づくことはない。


『場所に、間違いないんですね?』


『ええ、間違いありません。移動先の修正を頼みます』


オペレータパネル上で計測している彼女の心拍数が徐々に上がっていく。


 田辺はオペレータパネルで格納先の修正を行う。液体が完全に彼女を頭の先まで浸し尽くす。エーテルが一定のレベルに達すると、太いチューブから流れ出ていた液体がぴたりと止まった。ポットのハッチが自動的に閉まる。ポット内で眠る人間は肺までエーテルで満たされ、必要な酸素はエーテル経由で取り込まれる。


『格納エリアの修正、完了しました。エリアは1500街区A-A31番。エーテル充填完了。これより移動開始します』


(本当に、何をやってるんだ)


頭上からレール状稼働クレーンがポットを持ち上げる。そのまま格納エリア先までレールに載せられ搬入されていく。


 再参入が完了すれば、彼女がどんな扱いを受けているのか、外部の人間が知る由もない。偽造された彼女の直筆サインが、田辺の手の中のオペレータパネル上で正常に受理されてしまった今、書面上の不備に気付ける人間もいない。かと言って、ここで自分が声を上げたところで、一体何になるというのか。この状況を覆せるのか。ガラス越しに見える彼女が泣いているように見えた。


(これでいいんだろうか)


ポットの搬入経路で、いつも通りの誘導を行う数人の同僚たちを見て、正しい正しくないを仕事だからと簡単に割り切ってしまえることは人間の業なのかもしれないと田辺は落胆した。




 2088年4月1日 18時20分 某所


(結局やること半分残ったまま休暇終わっちゃったな)


正確には、あと数時間で終わろうとしている。暗雲が空を覆い、夜の寒さが身にしみる。彼女は急いで帰路に就いた。


休日最後だというのに、彼女の気持ちは心ここにあらずだった。原因はわかっている。図書館での一件以来、何かを忘れている感覚が一向に抜けない。自宅手前の坂道を上り、自分の住むマンションの一室を見上げる。


(こんなに寂しいところに住んでたんだっけ・・・?)


電灯はまばらにしか点いていなかった。その八階建ての単身用マンションの室内は、人が住んでいる温かみが見えない。思えばいつからここに一人で住んでいるんだろう。考えてから、彼女は自嘲した。何バカなことを考えてるんだ、と。


(社会人になって、引っ越してきたんじゃない。五年前に・・・)


足を止めた。


 暗闇の中の帰り道に、人影は彼女だけ。


(五年前?)


急激に疑惑の念が浮かんだ。


(その前は? そもそも仕事って・・・、私何してたっけ・・・?)


当たり前に感じていた冬の寒さまで、今は疑わしい。


(・・・私って、誰?)


忘れていたのか、考えないようにしていただけか、自分のことだけではない。信じて疑わなかったこの世界は、誰のものだ。楽な方へと流されていって考えてこなかったのは、誰の人生だ。自分の生きる世界は果たして“本物”か。


 突然だった。数メートル先にあの少年が見える。いや、似ているが少年よりも少し大人っぽい青年。暦上ではもう春だが、まだまだ冬の寒さが残る時期に薄いつなぎ姿でコートも羽織っていない。


「・・・」


声を掛けるのをためらう。彼は誰だ。自分の中の異変に、世界の異変についていけない。彼女は恐怖を感じた。


(いや、確かめなきゃ)


鼓動の音が聞こえる。心拍数が上がっていくのが、自分でもわかる。姿は少し違うけれど、図書館で出会った彼に違いない。


 ゆっくりと足を踏み出す。自分の足音だけが響き、彼は動かない。顔は暗がりでよく見えない。黒髪と揺るがない瞳の光だけが彼女に向けられる。


(・・・)


恐怖に対峙しているはずなのに、その光に、不思議と不安は感じない。歩み寄るごとに、彼の顔がはっきりしてくる。


 不意に記憶が蘇る。今まで思い出せなかったのが嘘のように、彼の名前を思い出す。


「・・・九重、咲季」


どうして忘れていたのか。どうして思い出せなかったのか。彼女の足が速度を上げる。長らく自分の中で手をあぐねいていた思いにようやく決着がつく。


「咲季・・・、私・・・」


もう声が届く距離。そこにあって彼からは生きた呼吸の音も聞こえない。ただ真っ直ぐ彼女を見つめている。いや、彼女を見ているのではない。彼女はさらに歩み寄り、青年の顔に触れる。


 青年の顔はひんやりと冷たかった。そこに生気は感じられない。何の感触もない。


 彼女の瞳から涙が零れおちた。それは、彼女の生み出した幻影。彼女の記憶の中の彼の姿。彼女が“現実”で会いたいと願うただ一人の人物。


「・・・会いたい」


青年の姿が消えていく。青白い光となって霧散していくその姿に、無性に寂しさを感じる。


 全てが思い通りになる世界で、恐怖するものもなく、何の不満もないはずなのに、自分の気持ち以外は何も見えない。いや自分の気持ちさえ覆い隠し、見えないふりをしていることもある。記憶の中の彼に触れることはできても、本当の彼の気持ちに触れることはできない。


 完全に彼の姿が消える。彼女の中にはっきりと記憶が蘇るのを感じる。それと同時に絶望する。この世界で、どうあがいたって彼には会えないのだから。おそらく、明日から何の変哲もない日々が繰り返されていくのだろう。今思い出した自分の気持ちさえ、いつ忘れてしまうとも限らない。それを実行するのは紛れもない自分。恐怖は自分の中にある。彼女を閉じ込める世界に打つ手はあるのか、絶望の中で考える。


(忘れてはいけない)


彼女は心に深く刻み込む。記憶に留めようとすると、改変されてしまうかもしれないから。決意を胸に、彼女は機会を待つことにした。



読んでいただきありがとうございました(*´ω`*)

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