表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒステリック・ナーバス  作者: ななめー
1/8

その1

そんなに遠くない未来、一人のエンジニアの物語。

一、

2089年2月9日 9時56分 レプトン・クウォーク加速実験機構 実験室


そのコンクリート無塗装の静かな機械室では、給排気ファンの高周波音だけがひんやりとした空気を揺らしていた。そこかしこに配置された配管やらケーブルラックの滑り台は、自身の稼働への待望をひた隠す実験装置を取り囲み、その緊張感を増幅させている。


「電源投入、良し。エアーバルブ、良し。吐出圧8メガパスカル確認。発射ガン、充填準備に入る」


咲季は四畳半程もある素粒子発生装置内の確認を終え、三重扉を手際よく締めていく。

 発生装置脇のオペレータパネルの方から応答が入る。


「咲季~、ネットワーク通信正常。加速器班より『異常なし』、実験区画各班より『異常なし』。発生装置超電導コイルも準備完了です~」


オペレータパネル作業台に鎮座したかめのぬいぐるみは器用にパネルを操作すると、咲季の状態を確認し、別工程作業者へ通信応答を行う。


『発射班、素粒子発生装置準備中。陽子 毎秒1024個、θ90度で発射準備完了。中性子 毎秒640個、θ270度で発射準備、完了。軌道訂正は両粒子の精度±0.5%フルスケールで対応します~♪』


『了解です。今回実験使用エリアの確認を行います。A区画 陽子照射実験、C区画 中性子衝突実験、D区画 陽子爆発実験。各人員配置準備願います。素粒子発射は予定通り10:05:30です。咲季、よろしいかしら?』


素粒子発射台を取り囲む、人の大きさ程ある超電導コイルの点検をしながら、咲季はかめきちに向かって親指を立てて合図する。


『咲季大丈夫だって~』


『もう、このやり取り面倒だから、いい加減実験中くらいネットワーク回線使ってってかめきちも言ってやってよ』


『咲季、頭の中に他の人の話し声が聞こえるの嫌なんだって~』


ほぼすべての実験作業員は体内SIMカードを使用して、イントラネットワーク回線に参加して会話を行う。実験開始連絡から他愛のない雑談まで、この擬似音声ネットワーク通信を使用しているのは、もちろん便利の一言に尽きる。何十何百キロメートル離れていようがタイムラグもなく、聞き逃しや聞き間違いもないことから、間違いなく優秀な伝達手段なのだが、かたくなに使わない人間がいるのも事実だった。


「かめきち、発射班準備完了だ」


『10:04:02、素粒子発射準備工程完了。発射班、発射合図まで待機入りま~す♪』


咲季はオペレータパネル横まで来ると、グローブを外し、作業卓上のコーヒーに口をつけた。


 イントラネット上の会話は、オペレータパネルにログとして表示されている。ログは忙しなく、各作業班の応答を羅列していく。咲季はぼーっとそのやり取りを眺める。


『導圧管内部圧、正常。超電導コイル磁界、正常。発生装置内部温度、正常。発射予定時刻まであと一分』


咲季はかめきちの頭を撫でた。かめきちは手足をパタパタして喜んでいる。


『実験班、各区間工程完了。加速器班へ、D区画への入射速度を+0.026%修正見直しを頼む。時間まで待機に入る』


『加速器班、D区画への入射速度+0.026%修正了解です。実験開始時刻30秒延長をお願いします』


『リラ、たばこ吸ってきていいか?』


緊迫したやり取りをよそに、咲季は至極マイペースに管制官へ声を投げた。


『何バカなこと言ってんのよ! やっとオンラインになったかと思ったら、第一声がそれ!? あと30秒くらい待ってろ! どあほ!』


「・・・怒られちゃったね」


咲季はかめきちの頭から手を離し、肩をすくめた。


 オペレータパネルからは緊張感のあるカウントダウンが始まる。館内通信スピーカーからも同様のアナウンスが流される。物理学実験の一番の集中処、言ってみれば一番の見せ場と言っていいこの瞬間に、くつろいでいるのは敷地内では彼以外にないだろう。咲季は作業用のつなぎの上半身部分を脱ぎ、冷めたコーヒーを飲み干した。


 決して身長は高くない。顔つきも幼さが若干残る。しかし無数の小さな傷の付いた薄汚れた両手には、エンジニアとしての彼の在り様が滲んでいた。


『素粒子発射まで10・9・8・・・・』


「咲季~、もうすぐ発射だよ~♪」


素粒子発射装置の発射開始は一万分の一秒の狂いも許されない。オペレータパネルによる寸分違わぬ制御により発射スイッチが押される。


「ああ」


青年は年季の入った革のブーツの紐を緩める。


 これは素粒子発射装置に限ったことではない。加速器も実験装置も管制官のタイムスケジュールも全て自動制御が中核を担っている。それでも、最後の最後、機械やハードウェア装置の最終調整には、人の手が必要なのだ。今この実験に携わる人間は、それをよく理解していた。もちろん先刻、彼に罵声を浴びせた管制官も、例外ではなかった。


『5・4・3・2・1・』


「発射開始~♪」


ちょっとしたワンルーム程の素粒子発射装置に目に見えて変化はない。音もほとんどない。代わりに発射導管周辺に設置された超電導コイルからは、ブーンと耳に残る大きな低い音が聞こえてきた。


 咲季はオペレータパネル上で、素粒子の発射データを確認する。


『発射状況、良好。誤差、位相なし。このまま定刻まで、発射続けま~す♪』


管制官はかめきちの報告を受け、素粒子加速状況のモニタリングに移っている。ここまで来ると、咲季の仕事はほぼ終わったも同然だった。


 経過観察は人工知能が担っている。咲季はオペレータパネルをAI処理に切り替えると、そそくさと機械室を離れる準備を整えた。


「かめきち、行くぞ」


「は~い♪」


未だ忙しない管制官へ、ぽつりと呟く。


『リラ、今度こそたばこ吸ってくるから』


『はいはい、わかったわよ! けど呼んだら必ずすぐ戻ってきてよね!』


管制官の後ろで何人かの笑い声がした。


『はいよ』


苛立たしげなその管制官の擬似音声に、青年は少しだけ嬉しそうに口元を緩めた。




某日 某所


人には美意識がある。それは至る場所に現れる。立ち居振る舞い、言動、思考、対人折衝、それらは単なる断片的なワンタイムアクションではない。その積み重ねにより、自身の人生を形作っている。美意識が人の生き方を左右すると言っていい。傍から見たら狂気の沙汰でも、当事者にとっては、重要な意思決定だったりする。


 男は無言で、その時が来るのを待っていた。


 研究所兼周辺地区への給電設備は二十四時間三百六十五日運転の宿命を負っている。彼が見つめる先には、照明に照らされた発電・給電棟が面白みのない生き方への不満めいたものを蓄積している。厚手のコートから覗く顔は冷たく、白い息が世闇に溶ける。風はなく、人気もない。静寂は聞き飽きた。男の正直な気持ちだった。しかし、それを顔に出すのは、彼の美意識に反する。ただじっと時を待つ。


 例えば、これをすると誰かが困るだとか、こう言えば誰かが傷つくだとか、そういったものに近い強迫観念は、時を待つ行為に似ている。流れる時の速さは、自身では決められない。遅くも速くも出来ないけれど、必ず何かを動かす力を秘めている。


(そんな強迫観念は、無くなってしまえばいいんだ)


そうなれば、もう待たなくていい。


 男は右腕の時計に目を落とし、脳内イントラネットワークから流れる正確なカウントダウンに集中した。時計をわざわざ見る必要なんてないのだけれど、通信網からの情報の方が正確なのはわかりきっているのだけれど、それもやはり彼の美意識かもしれない。


 そのカウントがちょうどゼロになるとき、数百メートル先に佇む白の建物で外気取り入れ口の金属片が吹き飛ぶのが見えた。遅れて突風と爆音が彼に届く。煙が上空に昇り、周辺建物の灯火が順次消えていく。もちろん全ての明かりが消えてしまっても、完全な闇にはならない。中心で火の手の上がる施設があるからだ。自身の設備的機能を失って尚、周囲を照らしているその様は、何とも滑稽だ。


 男は心の中で声にならない声を上げたが、表情は微塵も動かさなかった。唯一、先刻まで失望と苛立ちに沈んでいた青い瞳を爛々と輝かせ、ネットワーク上に持ち場の状況報告を流す。二言三言の簡素なやり取りだったが、そこには彼らに必要な情報があった。


 男は持ち場を後にする。草を踏みしめる音だけがそこに残った。夜は長く、多くの問題を抱えたまま、ただじっと耐えている。それは夜の持つ美意識という名の強迫観念のせいかもしれない。


読んでいただきありがとうございました(*´▽`*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ