86.冬の夜空に響く声
雪の降る庭園は音もなく静かだ。
俺が自分の気持ちと今の状況を説明する間、レベッカは身じろぎ一つしないで聞いてくれていた。
俺たちがいる木の下にも雪が吹き込み、二人の肩を薄っすらと白くしていく。
「――そういうわけで、俺と結婚を前提としたお付き合いをしてほしいんだ。お願いします」
レベッカは大きなため息をついた。
「私も貴族の端くれですから、こんな状況がくれば受け入れなければならないのは理解しているわ。お父様や一族もレオとの婚姻を望んでいるのはわかっているもの……仕方ないわよね……」
せせら笑うようにレベッカが答える。
その表情からは気持ちを読み取ることはできない。
「もしも君が嫌なら断ってくれてもいいんだ。だけど……だけど俺は側室を貰うならレベッカがいい!」
レベッカがびっくりしたように顔を上げた。
「レベッカじゃなきゃ嫌なんだ! どうせ結婚するなら愛がある方がいいし……」
レベッカは首まで真っ赤になって怒りの表情を見せた。
「バッカじゃないの! 政略結婚で愛を求めるとか、アンタは贅沢すぎるのよっ!」
バカと言われて、ついムキになって俺も大声になる。
「だって、幸せになりたいだろう!?」
「じゃあ何? 私を側室にすればレオは幸せになれるっていうの!?」
「そのとおりだよ!!」
なんでだかわからないけど、いつの間にか怒鳴り合ってしまっていた。
「ふんだ! 私だってレオと結ばれれば幸せなんだからねっ!!」
「だったら問題ないよな!?」
「ええ、望むところよっ! さっさと私を貰いにきなさい!!」
レベッカの声が冬の空に吸い込まれて、再び世界に静寂が戻った。
「そ、それじゃあ遠慮なく……」
「そ、そうね……。とりあえずそのお付き合いというのを……」
一旦冷静になってしまうと、今までの勢いが嘘のように二人ともしどろもどろになってしまう。
「本当に感謝してほしいわ。レオが困っているみたいだから助けてあげるんだからね……」
なんだかんだでレベッカはいつだって優しい。
「うん、感謝している」
「わかっているのならいいのよ……。こうして付き合うことに決まったんだし……私もその……嬉しかったりするから……」
これで当人同士の同意はとれたけど、貴族の場合はお付き合いをする前に親の許可が絶対に必要だ。
「メーダ子爵にもご挨拶に行かないとね。俺たちのこと許してくれるかな?」
「問題あるわけないじゃない。お父様は本家のレブリカ侯爵からもせっつかれていたみたいでかなり気を揉んでいたそうよ。最近では胃が痛いが口癖になっているみたい……」
貴族というのも大変なんだな。
「わかった。近日中に訪問する手紙を今晩したためるよ」
レベッカが急にモジモジし始めた。
寒いからトイレ?
言ったら殴られるから言わないけど。
「あのね、レオさえよかったら、これから私の家にいかない?」
「家ってメーダ子爵のところ?」
レベッカはコクンと頷いた。
だけどこんな時間に押しかけて失礼ではないだろうか。
しかも娘さんとのお付き合いを許してもらうのに、アポなしで押しかけるなんてできるわけがない。
「いくらなんでも非常識すぎない?」
「普通はそうなんだけど、このままじゃお父様の胃に穴が開いちゃうと思うの。一刻も早くレオの口から安心させてあげて」
それは大変だ。
「じゃあ、すぐにメッセンジャーを遣ろう。二人連名でこれから伺うと書けば用件は察してもらえるんじゃないかな」
「うん。それでいいと思う」
メーダ子爵に訪問したい旨と非礼を詫びる手紙をその場で書いた。
後は侍従の誰かに届けてもらえばいいだけだ。
その時、闇が動いてアリスが現れた。
「その書状、拙者がお届けするでござるでございます」
その変な語尾はモード・ニンジャのアリスか!?
「アリスが届けてくれるの?」
「拙者のことは影とお呼びください……でござる」
よくわからないけどノってあげた方がいいのかな……?
「影、頼めるか?」
「御意」
手紙を渡すと影は闇へと溶けた。
アリスが本気を出せば5分もかからずにメーダ子爵の家に到着するだろう。
それだけ魔石の消費量が上がるので自重してほしいのだが、たまには全力で体を動かした方がAIにとってもストレス発散になるかもしれない。
「アリスが返事をもらって帰ってくる前に、外出の許可をとってくるよ」
「ええ。私も副官たちに後のことを頼んでくる」
俺たちも遅い訪問に向けて準備を開始した。
アリスは15分もしないうちにメーダ子爵からの返信を持って戻ってきた。
レオ・カンパーニ男爵へ
なんの遠慮もございません。ささやかな酒宴を設けてお待ちしております。お気軽においでください。
セルゲイ・メーダ
子爵は無礼な訪問を許してくれたようだ。
「メーダ子爵の様子はどうだった?」
「返信を直接私に手渡してくれたぐらいですから、今頃は首がキリンさんになっているでしょうね」
キリン? 聞いたことがない。
「どういうこと?」
「今や遅しとレオ様たちを待っているということです。“なるはや”で頼むとおっしゃっていましたよ」
「なるはや?」
「本当は言っていませんが、それくらい早く来てほしそうな顔をしていたという詩的な表現です」
アリスの異世界言語は謎だけど、歓迎されてはいるようだ。
だったら急いだほうがいいかもしれない。
「手土産は何にされますか?」
そうだな、手ぶらで行くわけにはいかないよな。
「一つは決まっているんだ。子爵は胃が痛いそうだから前に召喚した胃薬を持っていくつもりだよ」
「ああ、キャスター10ですか。あれはよく効くみたいですね。胃潰瘍だって手術なしで治りますから」
「でもさ、薬だけってわけにはいかないよね。他にいいものないかな?」
以前はブランデーを贈って喜ばれたけど、胃薬とお酒を同時に渡すのもどうかと思う。
「そうですねぇ……、私なら携帯型アンチマテリアルレーザーライフルが欲しいですが……」
そんなものをプレゼントできるか!
「娘さんと結婚を前提としたお付き合いを申し込みに行く手土産に、武器はないだろう?」
「娘さんのハートを貫きたい! って感じでダメでございますか?」
レーザーが貫けるのは200㎜の鉄板であってハートじゃない。
「それだったら、先日召喚した置時計なんていかがです? 星の運行が同じ並行世界から召喚されたようで、完璧に使用に足りますから」
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名称 機械式置時計
説明 名門、エルーム社製による正確無比な機械式置時計。機械式8日巻き。秒針ダイヤル付き。ナノマシンによる部品自動修復により経年劣化がありません。千年の時刻保証付き。
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あれか。
陛下に献上しようと思っていたのだけど謁見の機会がなくてそのままになっていたんだよね。
この世界にも時計はあるけど、1日に数分の誤差が出るのが当たり前だ。
この時計は本当に時間が狂わないから驚いてしまう。
「いい考えかもしれないな」
「永遠の愛を誓うという意味をこめましたって感じで、丁度よい贈り物ではないですか?」
アリスにしてはうまいことを言う。
それでいくことにしよう。
亜空間の中の品物を確認してからレベッカを迎えに行った。