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85.天文院

 宮殿の北側にある建物は高い尖塔を持っている。

この一角が帝国天文院の場所だった。

今はひとけがなくてひっそりとしている。

重厚な扉をくぐりホールになったところへ入ったがそこにも人はいなかった。


「ごめんください」


 エバンスが声をかけている間に、俺はその辺を見学することにした。

壁には星々の運行を示したレリーフや不思議なスケッチなどがかけられている。

この穴ぼこだらけの球が月なのか? 

地上から見る月はあんなに美しいのに、実際はこんなに穴だらけだなんて知らなかった。

小さいころから月には月ネコが住んでいると聞いてきたけど、こんな穴だらけの荒れた土地で猫が住めるとは思えない。

 扉の軋む音がして天文院の役人が現れた。


「これはエバンス準爵、お待ちしておりました。ご依頼のありました農事暦はこちらになります」

「ありがとうございます」


 エバンスはインクの匂いも新しい農事暦を受け取っていた。

ラゴウ村で買っていたものより少し豪華な気がする。

きっと高級な農事暦なのだろう。

エバンスと話していた役人がこちらの方を見たので軽く会釈しておく。


「こちらの方は」

「単なる付き添いですのでお気になさら――」

「ああっ!」


 俺の言葉はお役人の叫びで打ち消されてしまった。


「貴方はレオ・カンパーニ伯爵!?」


 いえ、内定だけなのでまだ男爵です。


「お邪魔しております」


 今日はちょろっと挨拶して帰るつもりだったのだが、彼の態度がそれを許してくれなかった。


「しょ、少々お待ちください。すぐに長官をお呼びしてまいります!」


 そう言ってバタバタと奥に走っていってしまう。


「どうしたんだ?」

「人工魔石のことで今やレオは有名人なんだよ。もうただの婿養子じゃないってことを自覚した方がいいんじゃない」


 のんびりキャラのエバンスにまで呆れられてしまった!? 

でも、そういうことなんだな……。

ただ単に第18皇女の婿だったら、ここまで彼は慌てなかっただろう。

だけど人工魔石の開発に伴ってフィルのカルバンシア城伯の地位は相対的に上がっている。

婿である俺も同じだ。

今後見込まれる収入も大幅に変わってくるだろう。

すでにただの皇族という扱いではないのだ。


 ぼんやりと考えを巡らせていると奥からわらわらと人が集まってきた。

さっきまでひっそりしていたのに、いつの間にかホールは人でいっぱいだ。


「カンパーニ男爵、ようこそおいでくださいました。私がスピノザ家当主、エティカール・スピノザ伯爵です」


 いかにも学研肌タイプな痩身の伯爵が握手を求めてきた。

年齢は40代中ごろくらいだ。


「突然に押しかけてしまい申し訳ございません伯爵。レオ・カンパーニです」


 ご丁寧に一族の方々を何人も紹介されてしまった。

先代当主のバールーフィー様をはじめ、ご長男のロスモスさん、娘婿のケリングさんまで丁寧に何人もだ。


「ちょうど皆でお茶を飲んでいたところです。男爵と準爵もどうぞご一緒に!」


 なんか断れる雰囲気じゃない……。


 俺たちは応接室に通されて紅茶とサンドイッチやケーキなどを饗された。


「して、本日はどういった御用で天文院に?」


 エバンスにくっついて見学に来たとは言いづらい。

でもしょうがないよね、本当のことなんだから。


「実は友人のデカメロン準爵が農事暦を分けてもらいに天文院へ伺うと聞きまして。以前から興味がありましたのでついてきた次第です」

「男爵が天文にご興味を持たれているとは嬉しいことを聞きました」


 先代当主のバールーフィー様もニコニコと真っ白な髭を揺らしている。

貴族というよりは好々爺の学者さんって感じで、俺に星の話をいろいろしてくれた。

バールーフィー様は話し上手で俺もすっかり天文に興味を持ってしまった。


「私は月を詳細に観察して、月の地図を作るのが生きがいなのですよ。最近はレンズの質も上がり、10年前とは比べようがないほどよく見えるようになりましてな」


 そうだ、スピノザ家に望遠鏡を渡す予定だったな。

ちょうどいい機会だからプレゼントしてしまおう。

そうすればバールーフィー様の月面観察もきっとはかどるだろう。


「実はこの度素晴らしいものを召喚いたしました。フィリシア殿下とも相談のうえ、ぜひスピノザ家の皆様に使っていただいてもらおうということになりまして」

「ほう。男爵が召喚された鉄道模型は私も見せていただいたことがあります。あれは凄かった」

「今お見せしますね。きっと気に入っていただけると思いますよ」


 俺は席を立ち、少し広くなった場所で亜空間から天体望遠鏡を取り出した。


「…………」


 あれ? 

反応が薄いな……。


「男爵、これは……?」

「異世界の天体望遠鏡です。説明書はこちらに……って翻訳がまだだった!」


 伯爵に渡す前に翻訳しておこうと思ったんだけど、まだやってなかったんだ。


「ロスモスや……儂を立たせておくれ」


 バールーフィー様はびっくりしすぎて腰が抜けてしまったようだ。

それでも孫のロスモスさんに支えられて震えながら望遠鏡の方へ近づいてきた。


「これが異世界の望遠鏡……」

「私が説明書を読みますので、バールーフィー様方はお聞きになりながら装置を点検してください」


俺がそう言うと伯爵が声を上げた。


「誰ぞ、男爵のお言葉を書き写すのだ!」


 紙とペンの用意ができたところで俺は説明を開始した。


 スピノザ家の人々の喜びようは凄まじかった。

長男のロスモスさんなんて二十代後半だけど踊りだしそうな勢いだった。

バールーフィー様にいたってはハラハラと涙を流していたし、プレゼントをして本当に良かったと思う。


「男爵、このように過分なものを頂戴いたして我ら一同、どのようにお礼を申し上げてよいかわかりませぬ」

「いえ。これこそ帝国の天文学を担うスピノザ家が所有するべき道具だと考えています。学問と人々のために役立てていただければ私も嬉しいです」


 こんな感じでいいかな? 

名門のスピノザ家が俺たちと近しければ、それだけアンチは減ると思う。


「さっそく観測をしたいところですが、今日はあいにくの天気ですな」


 外はどんよりと曇っている。

夕方からは雪になるとアリスが言っていたな。

気象衛星コマワリの情報だ。


「観測条件のいい日に私にも見せていただけませんか。フィリシア殿下と伺いたいと思うのですが」

「もちろんでございます。今は60年に一度見られるというアレー彗星が近づいているのですよ。肉眼でも見られますが、望遠鏡を使えばよりはっきりとその姿をとらえられるでしょう」


 それは楽しみだ。

晴天の日に訪問することを約束して天文院を後にした。


   ♢


 アリスの予想通り夕方から雪になった。

まだ舞っている程度だけど粉雪だからきっと積もるだろう。

こんな雪なのに俺はわざわざ外に出て人を待っていた。

庭園の大樹が枝を広げているので雪が体に降りかかることはなかったけど、かなり寒くはある。

周囲はもう薄暗く、庭園の魔道灯の光が柔らかく雪に反射している。

やがて、レベッカが小さな体を揺らして小走りでやってきた。


「どうしたのレオ? アリスにここでレオが待っているって言われたけど。こんな日に外に呼び出すなんてどうかしているわ」


 俺もそう思う。

だけど、他に適当な場所を思いつけなかったのも事実だ。

アリスによると告白と呼び出しには切っても切れない相関関係があるそうだ。


「呼び出しを受けることによって女性はあれこれ想像して、勝手に気持ちを盛り上げてくれます。待ち合わせ場所につく頃には受け入れオッケーなメロメロ状態になっているはずでございます!」

「断言しているけど本当に?」

「そういう研究データーもあるということです」


 例の根拠のないデータの話かと思ったが、これからの会話を誰かに聞かれるわけにもいかない。

そうかと言って自分の部屋に呼び出すのもはばかれる。

結果として小雪の舞う庭園での待ち合わせになってしまったのだ。

 それはともかく、俺は今からレベッカに大切な話をしなければならない。

そう、俺はいよいよレベッカに告白して、結婚を前提としたお付き合いを申し込むつもりでいた。

陛下から急かされていたし、貴族派との調整とかパワーバランスとかいろいろあるんだけど、それとは別にレベッカに惹かれていることも事実だ。

たとえ政略結婚だとしてもレベッカ以外とだったら受け入れることはできなかったかもしれない。


「突然呼び出してごめんね。実は大切な話があるんだ」


 レベッカが瞳を見開き、小さく息を飲むのが聞こえた。


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