83.宮廷という場所
陛下の昼食はいつもに増して豪勢だった。
シェフ・アントニオさんの新作パンが特に目をひく。
風味豊かな発酵バターをふんだんに使ってあり、サクサクとした食感で美味しい。
三日月パンと名付けられたそのパンは、アリスの世界ではクロワッサンと呼ばれるものに近いそうだ。
陛下は豪快に肉にかぶりつき、よく食べ、よく喋っていた。
デザートはエバンスが温室で作ったイチゴを使ったムースだった。
添えてあるアイスクリームも美味しい。
コーヒーを飲みながらみんなで談笑していると突然陛下が俺を見つめた。
「どうしましたか?」
「レオよ……もう二、三人嫁をとれ」
いきなりなんですか?
アリスはロイヤルファミリーの前でガッツポーズを取らないでほしい。
「しかし、私にはフィリシア殿下が」
陛下はわずかに残ったコーヒーを飲み干して、つまらなそうな顔でカップをもてあそんだ。
「レオの気持ちもわかるが、このままでは貴族派が収まらんだろう。お前は力を持ちすぎたのだ」
つまり各派閥のパワーバランスをとるためにいろいろな派閥出身の嫁をとれと?
「このままではレオ君は暗殺の対象になってしまうかもしれないのだよ」
シリウス殿下が恐ろしい事実を優しいお顔で説明してくれた。
「レオよ、お前の忠誠がフィリシア一人にあることは感じている。お前自身には権力欲などなく、フィリシアの手伝いだけで満足する男ということもな」
鋭い陛下の洞察力!
でも、陛下やシリウス殿下のことも結構好きなんだよね。
義理とはいえお父さんとお兄さんだし。
「だが、周りの物はそうは見ない。お前のことを帝室の宝として危険視するだろう。貴族派だけがそのような見方をするのなら問題は小さいのだが、皇族であってさえお前を危険視する者は少なからずおる」
フィルの兄弟にも俺の存在を快く思っていない者がいることは知っている。
なるほど、宮廷で生きていくためにはなるべく特定の敵を作らないように立ち回らないといけないわけだね。
「ほれ、あの者などどうだ? レオは左翼府の総監と仲が良かっただろう? あれはメーダ子爵の娘だったな。本家は貴族派の重鎮であるレブリカ侯爵家だ。穏健派とはいえ貴族派の中核をなす人物の親戚を貰うのだ。貴族派に配慮したというポーズにはなるだろう」
思わずフィルの顔を見たが、真顔で頷いているだけだった。
「少し考えさせてください」
「うむ。あまり時間を掛けぬようにな。春にカルバンシアに戻るまでには答えを出せ」
陛下は俺の判断を待つような言い方をしているけど、これはほぼ命令なんだろうな。
シリウス殿下も貴族派の側室がいるそうだし、なかなか難しい。
ただ、相手がレベッカなら不幸な結婚とも言えないんだよな。
なんだかんだでレベッカとは気が合うし、頼りにもなる。
フィルとも話し合って、真剣に考えてみることにしよう。
もちろんレベッカの意思を確認してみないと。
居間に戻ってフィルと二人で話をした。
「フィルはどう思う?」
「そうね。貴族派の誰かとの婚姻は必要だと思うわ。レベッカなら人柄もわかっているから安心ね」
「だけど、フィルはそれでいいの?」
自分の都合で何人も側室を持つなんてことが許されることなのかよくわからなかった。
「レオ、厳しいことを言うようだけど、これが帝国の貴族社会なの。私だって本当は私だけのレオでいてほしいけど、そうはいかないのが王侯貴族というものだわ」
所詮俺とフィルでは宮廷で生きていくことに対する覚悟が違っていた。
「フィルが納得できるなら俺も考えてみるよ」
「ええ。そしてできることならレベッカと結婚してほしいわ。レオの強さはよく知っているけど宮廷闘争というのはレオが想像している以上におどろおどろしいものなの。私も第十八皇女ということでこれまでは安穏としていられたけど、これからは状況も変わってくるかもしれないわ」
「つまり、フィルも暗殺の対象になるってこと?」
「私が誰かの利益を大きく損ねるような存在になるなら、そういった恐れも出てくるわ。今は人工魔石が貴族派を含めたすべての派閥に利益をもたらすという考え方に誘導していくのが大切なのでしょう。そのためにもレベッカとの婚姻は必要になってくると思うの……」
金と政治というものは本当に業が深いものなのだなと実感した。
俺は気分を変えるために努めて明るい声をだした。
「わかったよフィル。この話はここまでにしよう!」
「そうね。私も少し疲れました」
「そういえば今日は早朝からバタバタしていただろう? だからまだ今日の召喚魔法をやっていないんだよ」
フィルには内緒にしていたが、実は魔石製造試作機のお披露目準備のために昨日の夜から一睡もしていないのだ。
「まあ。でしたらここで召喚を試してみない? 私も久しぶりにレオの召喚を見たいです」
扉が開いてアリスが顔を出す。
「痴話げんかは終わりましたか?」
「そんなものしてないよ。それよりも今から今日の分の召喚魔法を試すんだ」
「できれば盗聴器かタッチペン付きのタブレットを召喚してください」
そんなに都合よくいくもんか。
俺は気持ちを切り替えて集中した。
「豊穣と知恵の女神デミルバとの約定において命ず。異界のモノよ、我が元にその姿を現せ!」
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名称 天体望遠鏡(シュミットカセグレン式)
説明 有効径355㎜ 集光率2500倍 15等星までの星を観察できます。各種倍率のアイピース、双眼装置・経緯台をセット。
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「随分と古めかしい天体望遠鏡でございますね。もっともGPSに対応した自動導入装置がついていたとしても異世界では何の役にもたちませんが」
自動導入装置が何なのかはわからないけど、目の前にある紺色の筒は星を見るための道具らしい。
「これが天体望遠鏡なんだ。話に聞いたことはあるけど、実物を見るのは初めてだよ。こんなに大きな物なんだね」
筒の長さは俺の肩くらいまでありそうだ。
「私は帝国天文院で見せてもらったことがありますが、この望遠鏡は私が使わせてもらったものよりずっと大きいですよ」
異世界の望遠鏡はこの世界のものよりも進んでいるのだろうか?
「やっぱり大きい方がいいのかな?」
「男の悩みみたいな発言をされますね」
俺が言いたいのは単純に望遠鏡の性能の話なんだが……。
「この世界の望遠鏡と比べてどうなのかなって話だよ」
「それは、視野は広いし映像もクリアだし、倍率だって段違いです」
やっぱりそうなのか。
「さっそく今夜あたり夜空の観察をしてみようか?」
嬉しそうに頷いたフィルだったけど、すぐに真顔になって一つの提案をしてきた。
「レオ、もしよかったらこれをスピノザ伯爵に寄贈することはできませんか?」
スピノザ伯爵というのは帝国天文院の長官を務める人物だ。
天文院は星々の運行を観測して暦や時刻を測り、農耕に欠かせない農事暦を作ったりする役所である。
最近までは国の行く末を占うなんてこともしていたけど、現陛下の御代になってからはやっていない。
陛下は占い嫌いで有名だからだろう。
それはともかくスピノザ家は代々天文院の長官を司る家柄で、帝国貴族の中でも最も古い名家だった。
「あっ、もしかしてこれも貴族派に配慮するってやつ?」
「ええ。露骨ではありますが賄賂ですね。でも、これほどのプレゼントならスピノザ伯爵も喜んでくださると思いますよ」
この世界ではありえないような技術を持った望遠鏡ならそうなるだろう。
「そうやっていろんなところにパイプを作っていくってわけか……」
「はい。そのうえで人工魔石でも便宜を図ってあげればよいかと思いますわ」
こうやって人脈を作っていくというわけだね。
「俺としても役に立てられる人が使ってこその道具だと思うから、望遠鏡はスピノザ伯爵に贈るのがいいと思うよ」
スピノザ伯爵には折をみて接触してみようということになった。
今は社交シーズンだから、どこかのパーティーで会うこともあるだろう。