77.プーさん
本日二本目。
書籍化発表記念でまだまだ投稿します!
夜の街へ遊びに行きたいと言われて、マインバッハ伯爵は困ってしまったようだ。
「いかがいたしたマインバッハ? そなたにも行きつけの店くらいあるのだろう?」
「ございますが、そこは陛下のお顔を知る者も多く、万が一陛下の存在が知られれば大事になってしまいます」
マインバッハ伯爵が行くような店は最高級の店であり、客だって宮廷の高官や貴族ばかりなのだ。
普段から陛下の身近にいる人が多いので身バレするリスクは高い。
「ではアニタよ、そちはどうだ?」
「え~、学院時代に使った店はございますが、普通の食堂ですよ」
「それではつまらんではないか。もっとこう、なんていうのかな、わかるだろう?」
陛下が何を求めているかはわかるけど、あまりにもいかがわしい店はまずいよね。
たとえどんなボッタクリ店にいったとしても、お金は国庫からでるので支払い能力はほぼ無限で心配はない。
もっともそんな支払いはアニタが拒否して暴れて終わると思うけど。
それから性的なサービスのある店もだめだな。
護衛の俺たちが同じ部屋に入れないというのは大問題だ。
病気の心配もあるもんね。
「まったくもって使えない奴らよ。レオ、そなたはどうだ? 良い店があれば案内しろ」
俺にはあの店しか思いつかないよ……。
他にお酒を飲ませる夜の店なんて入ったこともないし。
「一軒だけ心当たりがございますが……、陛下やマインバッハ様が行くようなお店じゃございませんよ。お客は一般的な庶民ばかりですし」
あれはチープな高級店もどきだ。
「そういう店に行ってみたいのだ!」
陛下が望むならいいけどさ。
「しかしレオはよくそんな店を知っていたな」
「実は友人というか知人の経営する店でして。レレベル準爵という人なんですが」
俺が準爵の名前を出すと陛下は小首をかしげた。
「レレベル……、はて、どこかで聞いたことがあるな」
帝国は版図が広いので貴族だけでも3000人以上いる。
伯爵以上ならともかく、準爵の名前なんか陛下が知っているわけないと思うぞ。
だけど、すぐに陛下は手を打って何かを思い出したようだ。
「ああ、メダリアの男か!」
「ご存じだったのですか⁉」
驚く俺を見て陛下はクックッと笑った。
「あれは気立てのよい娘だからな、儂にとってはお気に入りなのだ。もっとも宮廷で生きていくには優しすぎる。メダリアが成人の儀式を辞退した時はホッとしたものよ」
陛下はメダリアさんの暮らし向きを気にしていて密かに調査させていたようだ。
そうやって皇子や皇女の身辺調査をしているの?
まさか、俺とフィルとのことはバレていないよな。
アリスがセンサーで周囲の様子は確認してくれていたようだから大丈夫だとは思うけど……。
「そうか、メダリアの男が経営する店とはな。別の意味で楽しみが増えたではないか」
お忍びだから身分を明かすことはないけど、もしもレレベル準爵がこのことを知ったら卒倒してしまうだろうな。
知らぬが花とはよく言ったものだ。
一本裏通りに入ると例のけばけばしい看板が姿を現した。
『男の館 ハニートラップ』
「ほうほう、エロスとスリルを感じさせる良い名ではないか」
陛下の感性はレレベル準爵と同じ!?
アニタは物珍しそうに店を眺めているけど、マインバッハ様の皺は少しだけ深くなった気がする。
「伯爵……申し訳ございません」
「よいのだ。我々はいずこにあろうとも陛下をお守り差し上げるだけのこと……」
そんな悲しそうに微笑まないでください。
罪の意識が大きくなってしまいます。
「陛下……、じゃなくてプーさん、さっそく入りましょう!」
アニタ、陛下のお名前はプテラノ二世だけど、さすがにプーさんはないだろう……。
「うむ、プーさんか! それはよい。マインバッハもレオも今宵は余をプーさんと呼ぶのだぞ!」
生真面目なマインバッハ様が一気に老け込んだのは気のせいだろうか?
店の前にやってくるともう顔見知りになっている店員さんが走ってこちらにやってきた。
「これはカンパーニ様、ようこそおいでくださいました。すぐにオーナーにご来訪を伝えてまいりますので」
俺は店員さんの耳にそっと打ち明ける。
「本日は大変身分の高い人たちがお忍びでおいでです。VIPルームは使えますか?」
「すぐに準備をさせましょう」
陛下は不服そうだけど、警備の関係上個室の使用は絶対だ。
「余は……私は一般のフロアでも――」
陛下が不平を言いかけた時に陽気な声が響き、この店の主が姿を見せた。
「紳士淑女の皆様方、男の館 ハニートラップへよくおいでくださいました。私はオーナのレレベル準爵と申します。そちらのカンパーニ卿とは苦楽を共にした友にございまして、今宵は皆様方にも最高のサービスでおもてなしする所存でございます」
芝居がかった口調でレレベルが挨拶をし、後ろに控えていたお姉さんたちも丁寧に頭を下げた。
「うん、うん、厄介になるぞ」
陛下が言葉をかけるとお姉さんたちが3人掛かりで陛下に群がりVIPルームへと案内していく。
お姉さんたちに囲まれて陛下は上機嫌で店の奥へと通された。
部屋には既に何本もの酒瓶が用意されていた。
値段は高くないのだが宮廷では飲まれないような珍しい酒がテーブルの上に並んでいる。
レレベル準爵はもてなし上手らしく、気の利いた軽食を何種類も用意してくれていた。
宮廷の食事に比べれば贅沢ではないのだが、気軽に食べられて美味しい物ばかりだ。
「これは?」
「騎士爵イモの素揚げでございます。こちらのケチャップをつけて食べるのが昨今の流行でございますぞ」
ジャガイモの素揚げを食べた陛下が顔をほころばせた。
「美味いではないか!」
すかさずお姉さんが新しいポテトフライをつまむ。
「プー様、もう一本いかがですか?」
お姉さんにケチャップ付きを食べさせてもらって陛下もご満悦だ。
この人達、相手が皇帝陛下だと知ったらどんな顔をするんだろう……。
「オーナーよ、この店で一番売れている酒はなんだ? それを飲んでみたいのだが」
「庶民の舌の友と言えばビールとウェッピアでございますなぁ」
ウェッピアは麦や芋を発酵させて作る蒸留酒だ。
リンゴなどの果実を混ぜて風味付けすることも多い。
アリスの故郷では焼酎という酒がこれによく似ているそうだ。
酒精のかなり強い火酒でもある。
レレベル準爵は何本ものウェッピアを持ってきてくれた。
「一番人気はこちらです。ですが、私のお勧めはこれですな」
イイチコールとルシファーか……。
前者はコストパフォーマンスが非常によく、後者はウェッピアにしては非常に滑らかで香りがよい高級品とのことだった。
「どちらにも、それぞれの良さがあるな……」
陛下は感心しながら二つの酒を飲み比べている。
アニタも飲んでいたが、マインバッハ伯爵は一滴も飲まなかった。
俺も護衛の任を考えるととてもではないが飲む気にはなれないよ。
トイレに行くふりをして無線機でアリスに連絡を取っておいてはある。
運用可能な偵察衛星をすべて使ってハニートラップの周囲を警戒してもらっているのだ。
アリスも街のどこかに潜んでいるはずだ。
「レオ様も安心してハメを外してください」と言われたけど、とてもそんな気分にはなれなかった。