69.バルモス島へご招待
本日二本目です。
オーブリー卿が船室に入ってから5分もしないうちに、俺たちはクリスティア姫の部屋へと呼ばれた。
船の中で一番上等なゲストルームには姫をはじめ幾人もの臣下が俺たちを待っていた。
「カンパーニ男爵、ようこそおいでくださいました」
左手でスカートを軽く折るようにつまみ上げクリスティア姫は頭を下げる。
レイルランド風の挨拶なのだろうが、流れるようなしぐさが優雅だ。
まだあどけなさの残る顔に憂いをたたえているが、ぱっちりとした瞳は深い藍色で見るものを惹きつけずにはいられない。
身長はレベッカよりも少し低く、全体的な印象は美しいというよりは愛くるしいといった感じだ。
「バルモス男爵、レオ・カンパーニと申します。この度はとんだご災難でしたね。私も帝国貴族としてできる限りのご助力をいたします」
「ありがとうございます。見知らぬ異国の地で心細い思いをしていました。そのような労りのお言葉をかけていただき嬉しく思います」
クリスティア姫は12歳と聞いていたけど、随分と大人びた話し方をするんだな。
「それで、カンパーニ男爵、バルモス島へこの船を避難させるとお聞きしましたが、ブリタリアの兵たちにどう対抗されるつもりですか?」
姫の横に立っていた50代くらいのご婦人が聞いてくる。
この人はクラケット伯爵夫人と言って姫の後見人だそうだ。
ガリガリに痩せていて目つきは鋭い。
さっきからジロジロと人を値踏みするような視線を送ってきて、俺を不快な気持ちにさせる。
その顔は先日戦ったばかりのハーピーになんとなく似ていた。
「正直な話をしますと、バルモス島は無人島で在留する兵士などは一人もいません」
正確に言うなら浜辺ではレベッカが待っているけどそこは省略だ。
俺とアリスしか戦力がないことを知ったレイルランドの人々がざわめきだした。
「ただし、陸上ならば私は非常に強力なアイアンゴーレムを呼び出すことができるのです。それさえあればブリタリアの船が島に近づくことなど不可能です」
「おお! 男爵は召喚士でいらしたか」
「はい。それに先ほど帝国へ帰しました船が数日後には友軍を連れて戻ってくるでしょう。この船を修理するための資材や食料も積んでくるはずです」
俺の説明にクリスティア姫をはじめクラケット夫人やオーブリー卿もどうにか希望の光を見出したようだった。
会見を終えて甲板に出るとアリスがスッと身を寄せてきた。
「いかがでしたか、クリスティア姫は?」
「とても可愛らしい方だね。年の割に聡明みたいだし、立派なお姫様だと思うよ」
「さようですか。ではクリスティア姫を攻略対象と認定します」
病気が始まったか……。
「アリス。俺にはフィルや皆がいる、もうそれで充分なんだよ。それにあんな小さい子じゃ恋愛の対象になんてならないよ」
「何を言っているのですか。あと三年もすれば立派なレディーになること請け合いです。三年なんてあっという間に過ぎるのですよ!」
生まれて1年くらいのオートマタがどの口で言うかね。
「どうぞこれをお使いくださいませ」
アリスが小さな小瓶を差し出してきた。
「なにこれ?」
「フェロモン香水EXを1000倍希釈したものです」
厳重に封印していたのに、いつの間に持ち出していたんだ!?
差し出された小瓶をすぐに亜空間に収納した。
「あっ! 何をするんですか? ライバルはあのイケメン護衛騎士ですからこの程度のドーピングなど許される範疇でございます!」
「許されるわけがないだろう!」
倫理的にもダメだが、これを使って姫様の前に出たらクラケット夫人にまで狙われてしまうかもしれないじゃないか!
「誰でも彼でも異性を魅了する薬なんて危険すぎるよ」
「……噂によると年上に身を任せるというのも素晴らしい体験らしいのですが」
「いやだ」
イルマさんとかマルタ隊長みたいな人なら想像くらいしちゃうけど、クラケット夫人だけは許してほしい。
キリング・ミー・ソフトリーってわけにはいかないぞ。
あっヤバイ……アニタのことを想像しちゃった。
あれも一応年上だ。
だけどあいつが相手だったら必死に抵抗しないと本当に何をされるかわからないもんね。
不毛な会話と妄想をしているうちに船はバルモス島へと近づきつつあった。
アリスが人工衛星からの情報を受け取っているおかげで岩礁地帯を避けながら船は島へと進めるのだ。
やがて船底が海底に当たらないギリギリのところまでやってくると、船はそこで錨を下ろした。
ここからは上陸用のボートに乗り換えてもらう。
スルスミのワイヤーをボートにひっかけて巻き取らせたので、ボートは波の上を滑るように走った。
みんなボートのスピードに怯えているようだったが、若いレティシア姫は次第に慣れて、滅多に味わえないスリルを楽しんでいるようにも見えた。
クラケット夫人なんてすぐに気絶していたな。
みんなが青白い顔をしている中でオーブリー卿だけは顔色一つ変えずに落ち着いたものだった。
さすがイケメンは違う……。
上陸の際に足が水に濡れないように、ボートを柔らかい砂浜まで引き上げてから姫に下りてもらった。
「バルモス島へようこそ。今はまだ何もない島ですが」
俺だって昨日初めて来たんだから仕方がないけど、やっぱりお客様に休んでもらえるようなコテージくらいは用意しておいた方がいいな。
それは後で考えるとして今はブリタリアの船を追い払うのが先か。
砂浜に置かれたスルスミをレイルランドの人々は驚嘆の目で見ていた。
でも驚くのはまだ早い。
このままブリタリアの船が近づくのなら嫌でもスルスミの性能を目の当たりにすることになるだろう。
ブリタリアがこちらの警告を受け入れるならば良し、無視をするというのなら母国に帰りたくなるまで攻撃を続けるまでだ。
ブリタリアの船は真っすぐにバルモス島へ進路を取り我々の後を追ってきている。
俺としては招待もしていないゲストを島に上陸させる気はないのだ。
しばらく船の動きに注視していたアリスがマイクを渡してきた。
「どうぞレオ様。そろそろスルスミのスピーカーの音声が届く距離でございます」
「了解」
「相手が聞き取りやすいようにゆっくりと話してくださいませ」
「わかった」
ベルギア帝国はこの世界で最大の国なのでベルギア語は公用語として使われている。
俺にはブリタリアの言葉は分からないが、ベルギア語で喋ればこちらの言うことは理解してもらえるはずだ。
「あーあー。ブリタリアの 諸君に 警告する。 繰り返す ブリタリアの 諸君に 警告する」
俺の間延びした声が冬の海に響いた。