68.異国の護衛騎士
レイルランドの騎士、オーブリー・ワーナーは迫りくるブリタリアの艦隊を振り返りながら、その端正な顔を憂いに歪めた。
27歳になる長身の騎士は剣の柄に左手を乗せた体勢のまま海風にその身を晒している。
一時前よりも敵船との距離はさらに縮まっていた。
このままでは遠からずブリタリアの船に拿捕されてしまうことは明らかだった。
この広い海原の中でベルギア帝国の船を見つけた時は神に感謝したものだが、その船も帝国側に去っていくのが確認された。
救援を求めることはかなわなかったようだ。
たとえ精強な帝国軍船であっても一隻だけでは四隻のブリタリア艦を相手にすることは難しいだろう。
諦めがオーブリーの心に黒く浸食していく。
だが、背後より誰よりも敬愛する人物の声が響いて、騎士は我に返った。
「オーブリー、状況は好転しませんか?」
オーブリーの後ろには強い海風に飛ばされてしまいそうなほどの小さな少女が立っていた。
少女の名前はクリスティア。
誰もが愛さずにはいられないほどの可憐な姿と、素直な心根を持つ娘だった。
だが今その顔色は不安に押しつぶされて青白い。
「姫様! キャビンにお戻りください。ここは風が強うございます」
この少女こそレイルランドの第一王女クリスティアナである。
年齢はまだ12歳になったばかりだった。
「もはやブリタリアの追跡をかわすことは不可能でしょう。我が身を盾に皆の助命を嘆願してみようと思うのですが」
あどけない王女の顔に必死の決意が籠っていた。
「姫様……。申し訳ございません。そのような心労を姫様にお掛けするなど、護衛騎士としてあるまじき所業でございます。ですが、ご安心ください。我々は既にザクセンス帝国の領海内におります。遠からずかの国の巡視船に出会うこともできましょう」
「ですが……」
「姫様、私は最後まで諦めずに姫様をお守りいたすと誓います。姫様もどうかこのオーブリーを信じてはくださいませんか」
無言でオーブリーを見上げていたクリスティアは、小さな両手で騎士のごつごつした右手を握りしめた。
「私の身をそなたに託しましょう。頼みましたよオーブリー」
長身の騎士は膝を折って姫に頭を垂れた。
姫が船室へと戻るのを見届けてからオーブリーは再びブリタリアの艦隊を睨んだ。
先ほど握られた右手がまだ温かく感じる。
諦めるのはまだ早いと心の底から思った。
「全員聞け! 船底に蓄えている水と食糧、他にも捨てられるものは全て海に捨てるんだ。少しでも船体を軽くして速度を上げるぞ!」
帝国の港までは近いのだが、陸の見えないこの地で食料を棄てるのは本来なら自殺行為に等しい。
風が止まって船が動かなくなることだって考えられるのだ。
だが、オーブリーにとってはそれ以上にクリスティア姫をブリタリアに連れ去られることの方が恐怖だった。
「ワーナー様! 前方より何かが近づいてきます!」
「何かとは何だ?!」
叫びながら前方を確認するがオーブリーには何も見えない。
「あそこでございます」
部下の兵士に詳しい方向を教えられ、ようやく視認することができた。
「あれは……人か?」
小さな板切れに乗った二人の人物が波の間を縫うようにこの船に向かって高速移動してきていた。
♢
アリスと一緒にホバーボードで甲板に飛び移ると十数人の兵士に取り囲まれてしまった。
「何者であるか? 身分を明らかにされよ!」
背が高くてカッコいい騎士が警戒しながら誰何してきた。
「あちらに見えるバルモス島の領主、バルモス男爵レオ・カンパーニです」
俺が帝国貴族と名乗ったおかげか僅かながら緊張が緩む。
「失礼しました。私はレイルランド騎士のオーブリー・ワーナーと申します」
時間もないので挨拶を交わしてから単刀直入で本題に入った。
「オーブリー卿、現在この船はブリタリアの船団に追われていますよね?」
「よくお分かりになりました。後ろから我々を追ってきているのはブリタリアの船です」
「何があったのですか? レイルランドとブリタリアの関係がよろしくないのは知っていますが……」
ワーナー卿は一瞬だけ探るような目つきで俺を見つめたが、気持ちを決めた様に話してくれた。
「この船には重要人物が乗っておられるのです」
「重要人物?」
「はい。レイルランドの第一王女クリスティア姫です」
ワーナー卿の話では留学の為に帝国へ向かっていた姫を攫おうとして、ブリタリアが動いたらしい。
帝国本土でそんなことをすればベルギアのメンツを潰すことになるので海の上での拉致を狙ったようだ。第一王女を人質にできれば何かと有利に働くと考えてのことなのだろう。
「帝国へ留学される王女様を狙うとは、見過ごせませんね」
聞けばお姫様はまだ12歳だそうだ。
そんな少女を誘拐しようとするなんて許せるわけがない。
「このままなんとか帝国の港へたどり着ければいいのですが……。今積み荷を棄てて船を軽くしているのですが、損傷も酷く思うようにスピードが出ないのです」
やっぱり見過ごすことはできないな。
「チャッチャと沈めますか?」
掌で石ころを弄びながらアリスが聞いてくる。
さすがにいきなりアリスキャノンはやり過ぎな気もするぞ。
「最初に警告をしないとダメでしょっ!」
「どうせ無視されると思いますよ」
俺とアリスが対策を相談しているとワーナー卿が割って入ってきた。
「攻撃を仕掛けるつもりですか?」
うーん……。
「まずは帝国領内での戦闘行為をやめるように警告はします」
「それで奴らが引くとは思えません」
「こちらを攻撃してくるようなら反撃も辞さないつもりですが……」
その場合はアリスキャノンで船に穴を開けてやれば速度は落ちるはずだ。
その間にレティシア姫を逃がせばいいだろう。
俺たちはレイルランドの救助を表明したがオーブリー卿の不安は拭えなかったようだ。
ここには俺とアリスしかいないもんね。
軍艦の一隻すら無いんだから心配にもなるだろう。
「察するにカンパーニ卿は攻撃魔法の遣い手なのですね。ですがブリタリアの船のマジックシールドは帝国のそれに匹敵する性能です。生半可な攻撃は弾かれてしまいます」
俺は攻撃魔法なんて使えないんだけど勘違いしているみたいだな。
それにしても、アリスキャノンでもはじかれてしまうのかな?
アリスとしてはどう考えているだろう。
「どう思う?」
「実は先日のハーピー退治で鉄球は使い果たしてしまいました。ですから手元にあるのは浜辺で拾った石ころだけです。マジックシールドを突き破るには至らないかもしれません」
砂岩は脆いんだよね。
「レオ様、いっそこちらの船をバルモス島にご招待して差し上げたらいかがでしょう?」
「どういうこと?」
「この船も損傷している様なので修理が必要でございましょう。それに陸上からならスルスミが使えますので」
機銃で沈まない程度の穴を開けてやれば逃げていってくれるかもしれないな。
「いかがでしょうオーブリー卿、何もないところですがバルモス島へ来ませんか?」
オーブリー卿はしばらく迷っていたが、他に良い手も見つからなかったようだ。
「カンパーニ卿のお申し出に感謝します。我が主に相談する猶予を下さい」
そう言って船室の中に入っていった。
誤字脱字報告をありがとうございました。
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