五八 逃避
エタりはしないと、俺は言ったぞォ!
感想等ありがとうございます。しっかり読ませて頂いております。
本当に亀更新で申し訳ありません……。
がたり、ごとり。街道を往く馬車が規則的に揺れる。
積み荷を満載にした荷馬車と人用の馬車数台からなる小規模の商隊は、帝都を出発してから一夜を挟んで北へと進んだ後、大森林を迂回して避ける為、今まさに進路を東に向けて進んでいる真っ最中であった。
この進路を取るということは即ち、この一団が、奴隷を調達しに向かう不埒者ではなく、さらにその北……大森林を挟んだ向こう側に位置する都市“メルクリア”へ向かう一団と言う事。つまりは、宗介達が依頼に従って護衛対象とする商隊という事だ。
「結局、ここまで魔物の襲撃も無しっと。平和なもんだな」
依頼を受けた冒険者の為に用意された馬車の中で、壁に背を預けてくつろいでいた彼は、退屈そうにぼやく。
もうすぐ綺麗な夕焼けが拝めるだろうと言う所まで傾いた太陽が車窓から彼を照らしており、それが少しばかり鬱陶しそうなのは吸血鬼の血が故か。
くぁぁ……と溢れる欠伸は、正しく平和の象徴。気分はもっぱら夕方の電車に揺られる学生である。隣に寄り添うエリスもそんなゆるい空気に流されたのか、宗介の肩に頭を置いてスヤスヤと寝息を立てている始末だ。
「良いことじゃないか。平和は貴重なものだよ」
対面に座るフォルテは、その光景を見て少しばかり羨ましそうにしている。しかし如何に平和とは言え見張りを欠かす訳にもいかないので、自重しているらしい。
宗介は思わず呆れ顔である。
「そりゃあそうだし、楽に越したことはないけどな? だが、こう何も無いと俺達が護衛する必要は無かったなとか思えてさぁ」
「無駄な事だって、時には必要だと思うけどね」
「必要な無駄って……」
龍巫女が討伐されてから二週間。街道周りの脅威は、燻っていた冒険者達によって既に排除された後だった。
確かに軍人崩れの者達が我が物顔でギルドを牛耳っていたものの、長い間仕事が無く金欠に陥っていた冒険者達は、生活する為に軍人崩れの支配下に入ってでも働かなければならなかった。勿論、報酬の内何割かは天引きされて行くのだから否が応でも死に物狂いで働く必要がある。魔物達がその数を減らすのも当然だろう。
ともあれ、平和は尊いものだ。世界でも類を見ない程に平和な国からいきなりこんな世界に放り込まれた宗介は、きっと誰よりもそれを知っている。
だからこそ一時の平和を目一杯享受するように、彼は慈しみの表情でエリスの銀髪を優しく撫でる。
――なんとも自然にその手が握られ、白く柔らかな頬に誘導された。
「っと、起きてたか」
「……寝てる」
「そいつは……寝言のつもりなのか?」
すりすり。幸せ一杯といった風に顔を緩ませながら、義手に頬擦りするエリス。宗介としては、ゴツゴツして硬いだろう等と思う所もあるのだが、当の本人は気にしていないらしい。
「……ずっとこうして居られるから、好き……。できることなら、いつまでも、どこまでも、二人で……永遠、に……」
むにゃむにゃとしながらギュッと宗介の手を握り、エリスは小さく本音を零す。腐っても吸血鬼、夜型と言うか夜行性と言うか……本来、日中は棺桶の中など光の差さない閉鎖空間で眠っているような種族なので、少し寝惚けているようだ。
しかし永遠とは、これまた不老不死の吸血鬼らしい想いである。しかも本当に実現可能なため、宗介も返す言葉に詰まってしまう。
特に、普段は何も言わず隣に寄り添うエリスの貴重な本音だ。戯言と流すには少々重く、そして大事な言葉である為、無視もできまい。
「永遠、か」
それは、全てを捨てて、誰もいない世界の果てで紡ぐ二人だけの未来。世界が終わりを迎えるまでいつまでも続く小さな幸せ。
全てを捨てるとは、即ち。半ば喧嘩別れのようになってしまった幼馴染やクラスメイト、そして日本で暮らしているだろう家族の事まで何もかも綺麗さっぱり忘れてしまうという事だ。
エリスの存在以外、もはや何一つとして残っていない宗介にとって、その選択は間違いなく幸せな選択だろう。
全てをかなぐり捨てて、何もかも諦めて。
――それが出来れば苦労はしない。
「……そうだな。永遠の平穏が得られたら、そいつはきっと何よりも最高だ」
されるがままに腕をエリスに任せ、少し困ったように優しくはにかむ宗介。
その酷く濁された答えにならない言葉に、寝惚けている筈のエリスの顔が一瞬だけ残念そうに曇った気がした。
そうして少し罪悪感に苛まれていると、どうやら話を聞いていたらしい、御者台に座り率先して手綱を引いていた商隊の隊長が声をかけてきた。
「確かに平和が一番ですが……不慮の出来事と言うモノは起こりますとも。人生も、商売も、旅も。その点、ニシダ殿は私の知る限り最も安心できる護衛ですからな。少なくとも今回の商売において最悪の事態は避けられるというものです。いやぁ、本当に幸運でした!」
「そいつはどうも」
はっはっは! と少し辛気臭い空気をかき消すように景気良く笑う彼は、いつぞやに宗介が護衛を請け負った商会、“大鷲商会”のリーダーだ。
と言うのも、帝都のギルドでの一件の後、宗介達を出迎えた依頼主とは、トリッドから聖王国王都へ向かう道中を共にした一団だったのだ。
何でも、現在向かっているメルクリアに商売の気配を感じて帝国にやってきたものの、同じ匂いを嗅ぎつけた同業者が多かったことと、急いで駆けつけた為に規模が小さかったこと、加えて帝国及び聖王国間の不仲が影響し、護衛の冒険者にあぶれてしまったのだとか。それを見かねたマルクスが依頼を拾い、同じ聖王国から来た宗介の下へ届けに来たという寸法だ。
図らずして早期の再開を果たした形である。
「ま、アンタとまた仕事ができるのは、こっちとしても有難いよ。気兼ねなく力を振るえるからな」
「おぉ、それはそれは。全く頼もしい限りですな!」
この事は、お互いにとっても僥倖だった。
言うまでもなく、宗介の力や武器は異質かつ強大に過ぎる。こんな力を実力主義な帝国人の前でひけらかしてしまえば、根掘り葉掘り問い詰められて厄介極まりない事態に陥ることは明白だろう。
その点、この商隊は既に宗介らの力を知っているので、黙らせる手間が省ける。それに一度護衛をこなしたおかげで、仕事上の信頼も少しばかり構築されている為、初対面よりは幾分か気が楽だ。
商隊側は勿論、帝国の冒険者達よりもよほど信頼に足る護衛が雇えて安心。
言わばWIN-WINの関係である。
「――しかしまあ、よくも大陸横断してまで聖王国から遥々と……。そんなに大きなリスクを背負ってまで運ぶ価値はあるのか、あの積荷は」
暇つぶしの雑談がてら、商隊長に話題を降る宗介。まあ、どちらかと言えば単純な疑問を氷解させる為という意味合いの方が強いようだが。
ビッと親指で指し示すのは、彼らの乗る馬車の後ろをついて来ている一台の荷車だ。金属で補強された頑丈な木箱がギッシリと詰め込まれている。
「あれ、アルコールの類だろ? しかも相当キツいな。ここに居ても分かる」
「おや、しっかり密閉したつもりでしたが香りますかな?」
「鼻は鋭いほうだからな」
あまり役に立たない吸血鬼の嗅覚である。とは言え【感覚共有】を重ね掛けすれば、その感覚器官の鋭さはバカに出来ない領域に達する。常人の十数倍は軽い。
これもまた人外である証拠な為、宗介としては悩ましい限りだが。
「まあ、御察しの通りですな。積荷はトリッド名産の火酒、“龍殺し”です。あ、何でしたら飲んでみますかな? 龍殺しの銘は伊達ではありませんからな、一口飲めば、例え龍族であろうとたちまち夢心地です」
「勘弁してくれ、慣れてないんだ。……それよりも、そんなモンがメルクリアで売れるのか?」
「あそこも職人が多い国ですからな。汗水流して働いた船大工や漁師にとって、直ぐに酔っ払うことが出来、なおかつ悪酔いしないこの酒は至高の一杯ですとも」
海の街メルクリア。帝都から北に、亜人族が住まう広大なヴィルト大森林と、南への潮風を阻む山脈を越えた沿岸部に発展した臨海都市。
主要産業と言えばやはり、その立地と豊富な海産資源を活かした漁業や、南から運ばれてくる豊富な木材を利用した造船業だ。であれば必然、大酒飲みの屈強な男共の数は多くなるだろう。確かに酒は売れる筈である。
しかし。そこにフォルテが待ったをかけた。
「商隊長殿。魔王が現れて以来、漁業も造船業も軒並み衰退してる筈では?」
「ああ、海の魔物は陸の奴らとは比べ物にならない程強大だってことくらい、俺も知ってるぞ」
……と、現状はフォルテと宗介が指摘する通りだったりする。
海の中には、足を持つ生物にとって絶対的な枷である重力が存在しない。それはつまり、自らの体重によって圧死する事が無いという事である。水圧に肉体が耐えうる限り海洋生物の体長、体重に限界は無いのだ。特に魔物ともくれば魔力を得れば得るほど巨大化の一途を辿るだろう。
その最たる例が――魔王軍幹部の一柱、“巨鯨”である。
元々、水を司る大精霊“ネレウス”の使い魔であったそれは、宗介が調べた限りガレオン船すら丸呑みにするらしいではないか。となると推定でも三桁メートルは軽い。地球の鯨は大きくても三十メートル超であるから、規格外にも程がある。
魔王が現れて以来、この世界の海にはそういった正真正銘の化け物がウヨウヨと存在する。とてもではないが漁業など出来たものではないし、船は作ったところで役立たずだ。であれば必然、メルクリアは衰退の一途を辿ることになる。
……のだが、商隊長はフフンと鼻を鳴らすと、自信満々に言ってのけた。
「断言しましょう。近いうちに海は解放されます」
商いに生きる者が、よもや勘一つで動くとも思えないので、その言葉にはきっと何か根拠があるのだろう。宗介は、単刀直入に問いを投げかける。
「根拠は?」
「勇者様の一団が、巨鯨を討伐する為にメルクリアへと旅立ったと言う噂を耳にしましてな。私がここに来たのは、それによって再興されるであろう産業の下見と、魔王軍によって一度リセットされた交易路の最確保の為でもあるのですよ」
「……勇者だって?」
その答えに、宗介の顔が途端に険しいものへと変わった。寄り添って眠っていたエリスの耳もピクリと反応し、薄眼を開けて目を覚ます。
勇者。今、宗介が最も頭の中から消し去りたい言葉だ。
そしてそれから連想される人物……幼馴染達は、今、宗介が最も会いたくない人物である。
いや、会いたくないと言えば嘘になってしまう。どのような顔をして会えば良いのか、会ってどうすれば良いのか分からない、と言うのがより正確だろう。
もしバッタリ鉢合わせでもしたら、気まずいどころの話ではない。
「その勇者ってのは、鮮血姫や龍巫女を倒した六人組か?」
なので、それとなく仔細を尋ねてみるが……
「いえ、そちらの方々は王都に戻られたと聞きます。今回、巨鯨討伐に向かわれたのは、別の御一行ですな」
「そうか」
彼の心配は、どうやら杞憂だったらしい。その言葉に内心、ホッと胸を撫で下ろす宗介である。
勇者は何も、悠斗達しか居ない訳ではないのだ。総勢三十余りの中には、彼ら以外に奮起する者が居てもおかしくない。今回巨鯨討伐に乗り出したのは、そういったグループなのだろう。
そうと分かれば宗介は、途端に興味を喪失する。
「おや、随分と反応が薄いですな」
「別に会うことも無いしな。勇者様方が何をしていようと、俺には関係の無い事だしな」
「そうですか? 滅多にない貴重な機会なのですが……」
勇者について尋ねながら薄い反応を示す宗介に、商隊長は意外そうな顔をするが、知ったことではない。
幸か不幸か、宗介の見た目は随分と変貌してしまっている。加えてクラスメイト達とは適度に距離を置いて接して来たので、もし街で鉢合わせたとしてもそう簡単に正体がバレたりはしまい。こちらから会う理由も今の所無いし、であればこれ以上気にする必要も無いだろう。そういう判断に基づいて導き出された結論である。
まあ、これが彼にとって喜ぶべき事かどうかは別問題なのだが。
その事を危惧してか、ヒソヒソ声でフォルテが尋ねてくる。
「良いのかい婿殿? 一応、同郷の仲間だろう?」
「そりゃあ、仮にも学び舎を共にしてきた訳だし、愛着だって無くはないがな」
宗介とて、同じ教室で勉学に励み力を合わせて体育祭や文化祭を乗り切ってきた、顔も名前も知っているクラスメイト達に対し、全くの無関心という訳ではない。
今、自ら会いに行こうとまでは思わないが、風の噂で誰かの訃報でも流れてきたら少しは悲しむだろうし、勇者としてのお役目が終わって日本に帰る時は、誰一人欠ける事なく大団円を迎えて欲しいと思っている。
……が。
「こんなナリじゃあ、口が裂けても“仲間”なんて言えねえよ」
仄かに暗い視線が落とされた機械の掌。
その手は、迎えるべき大団円に自らの居場所は無いという事を物語っていた。
アダマンタイトとその他金属から作られた、黒鉄の手。そこに人体の暖かみなど存在せず、太陽に透かしても流れる血の色が透けて見えることは無い。勿論、顔の火傷痕も眼帯に隠された禍々しい眼もそのままである。
曰く、化け物。
自ら選んだ結果とは言えど、どうして勇者達の仲間を名乗ることが出来ようか。
そう名乗ることは諦めても諦めきれないが、どうしたって覆せない事実なのだ。
「……悲しいね」
「かもな。だが、俺にはエリスが居る。居てくれる。今はそれで十分だ」
十分なんだ――自分に言い聞かせるように繰り返し、傍の彼女をそっと抱き寄せる宗介。
……どこか縋り付いているように見えるのは、決して見間違いではないのだろう。
であればエリスは、その懇願に応えるだけである。
宗介が自分の事を一番に想ってくれるというのは、まさに願ってもない状況なのだから。
「……大丈夫。私はずっと、ソウスケの側に居るから……」
「後から『嘘でした』なんて、勘弁してくれよ?」
「……そんなこと言わないわ」
「なら、安心だ」
安心したように頬を緩ませる宗介。それに釣られてエリスの表情も一層柔らかなものとなる。
古塔での一件以来、一層仲が深まったと言うか、雁字搦めに絡まって解けなくなったと言うか……。まあ、仲が良いのは悪いことではないのだろうが、傍から見ているフォルテや商隊長としては、甘ったるいような重いような如何ともし難い空気に少しばかり居心地が悪い。
「いやはや、仲がよろしいですなぁ……。ともあれ、もうじき今日の目標である町に到着しますから、人目は憚ってくださいよ? 我々が恥ずかしいですので」
「分かってる分かってる。俺達だって流石にそれくらいの常識くらい弁えてるさ」
流石の宗介とて、わざわざ自分から公衆の面前で見せつけて喜ぶ趣味は無い。ので、大人しく商隊長の言葉に従って一時中断とし――エリスは少し物足りなさそうだが――、御者台側の窓から進行方向に目をやる。
成る程確かに見えてきた。急ごしらえで仕上げたらしい木製の外壁に覆われた小規模な町だ。一部は石造りのしっかりした外壁も見える。破壊された石壁を木によって応急的に補修されたと言った具合だろうか。
ここはまだ、目的の臨海都市ではない。帝都とメルクリアの間に作られた宿場が中心となって発展した町である。この町から先は大森林と山を避ける形で大陸の端、休憩所など無い海沿いの峠道を行くことになるため、一日でその道を抜けられるよう、この宿場町でじっくり英気を養うのが習わしなのだ。
聞き及んだ限りによると昔は人の往来が激しく両都市間を行く商人や旅人が落とす金で非常に栄えていたようだが、“龍巫女”が帝国にやって来た際、彼女によって一度破壊されてしまったのだとか。今はその龍巫女が居なくなった為、急ピッチで再興が進んでいるらしい。
「いやぁ、本日中に到着できそうで何よりですな。もうすぐ日が沈みますから、ギリギリです」
魔物が出てこなかったお陰で予定よりも一日早く宿場町に着けて、嬉しそうな声を漏らす商隊長。
対して宗介は、キッと目を細めて街道の向こうを睨みつけた。まるで遠方をつぶさに観察するように。次いでエリスも何かに気付いたのか、スンと小さく鼻を鳴らして呟いた。
「……ソウスケ、気付いた?」
「ああ。するとエリスも気付いたんだな」
二人目を合わせて頷く様子に不穏なものを感じたのか、フォルテと商隊長は不安そうに「何かあったのか」と問いかける。
宗介はジッと件の宿場町を見据えながら、一拍の間の後、重々しく口を開き――
「血の香りがする。それも相当濃い上に新鮮だ。急いだ方が良さそうだぞ」
不慮の事態とは得てして起こり得るものであると、平和な護衛依頼は途端に幕を降ろすのだった。