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五七 帝都にて 後

 早速、必要な準備を終えて宿を後にする一行。


 色々と迷惑をかけた主人に会釈をしつつ、二週間もの間世話になった宿に別れを告げる。そうしていざ街へ繰り出そうと宿の扉を押し開けて踏み出した所に、傍の路地から叫び声が上がった。


「ああああぁぁーーっ!!! ぬ、ぬ、ぬしはっ!」


 道行く人々の目が一斉に声の出所へと集まる。例に漏れず宗介も、微かに聞き覚えのあるその声に、舌打ちしつつチラリと一瞬だけ視線を向ける。


 その先、宿の隣に這う裏路地の入り口には、信じられないものを見たような顔で口をパクパクさせている一人の少女が居た。


 褐色肌の彼女が纏っているのはどう見ても文化錯誤している巫女装束。しかしボロボロでみすぼらしい。元はきっと綺麗だっただろう緑色混じりの銀髪も、薄汚れていてその輝きを失っている。背丈は目算だがエリスよりも小さく、であれば歳も相応だと推測がつく。十代手前と言ったところか。


 見る限りの印象は、完全にスラム街出身の子供だ。


「婿殿、あの子は」

「チッ。十中八九、そう(・・)だろうな。行くぞエリス、目を合わせるなよ」

「……ん」


 しかし宗介は気付いていた。フォルテが言う通り、彼女は先ほど部屋を訪ねて来た不審者であると。何せ声が完全に一致していたのだから、考えるまでもない。


 出待ちされていることは予想の範疇だったし、マトモそうなら誠実に応対することも考えてはいたが、あいつは駄目だ。完全に厄介事の種だ。刹那の間にそう判断した宗介は一瞬で目を逸らし、エリスの手を引いて早足気味に歩き出す。一歩先を行くマルクスとゴーレム二体を追い越す勢いで、人混みを縫うように。


 対する巫女少女は逃すまいと、たどたどしい足取りながら存外に素早い動きで回り込んで来た。


「ちょぉっ、待て待て待てぃ! なに当然のように無視して行くんじゃっ! 今、明らかにわらわのことを視認しよったじゃろう!?」

「…………」

「ま、まだ無視を決め込むかっ! ええい、ようやっと得た機会、絶対に逃がさんのじゃ!」


 通せんぼしてくるその少女に対して無言のまま顔を顰めつつ。傍を抜けようとすればその前に立ち塞がられ、あっちへこっちへ。視線を利用したフェイントも交えて突破しようとするが、少女は執拗なまでに進行を妨げる。対する宗介はあくまでも無視する方針のようだ。


 人々の目を惹く言葉無き攻防は一分ほどに渡り、流石の宗介もイライラがピークに達したのか、大きな溜息を吐いて冷たい目を少女へと向けた。


「……おい、ちみっこ。イタズラは大概にしとけよ?」

「い、イタズラちがわいっ! 話があると言うたじゃろ!」


 鋭い敵意、もしくは殺意を宿した視線に若干ながら慄いたものの、少女は退くことなく突っ掛かってくる。肝っ玉は見た目に反して随分と座っているらしい。


 これはもう無視して進むのは無理だなと、宗介は面倒臭い少女に心の底から辟易しつつ、諦め半分で向き合った。まあ、身長差のせいで完全に見下ろす形なので真に向き合ったと言えるかは微妙な所なのだが。


「はぁ……なら、さっさと話してみろよ。聞くだけ聞いてやるから」

「い、いや、それがじゃな。あまり大っぴらにはできん話なんじゃ。で、出来れば、もっと耳が少ない場所に移動したいのじゃが」

「はっ、そうかい。そりゃあ大層なお話があったもんだな」


 が、返ってきたのは巫山戯ている……もしくはおちょくっているとしか思えない言葉。ほんの僅かな好意を無碍にされ、神経を逆撫でされた宗介は半ばヤケになりながら仰々しく手を広げて皮肉を返す。


 気分は真っ直ぐ右肩下がり。こいつと言葉を交わすのは時間の無駄だと、最高に苛ついた表情のままグイと少女を押しのけて歩き出した。


「ま、待つんじゃ! わらわとて巫山戯ている訳では……」

「あのな、こっちもわざわざ子供の与太話に構ってられるほどヒマじゃないんだ。用がないなら俺達はもう行かせてもらう。何処かの誰かさんのお陰で忙しくてな」


 チラリと、さりげない批難の視線がマルクスに向けられる。なお当の本人は何処吹く風なので何ら意味は無い。流石の図太さだろうか。それとは対照的に、巫女装束の少女は愕然とした表情である。


「い、忙しいじゃと? ずうっと引き篭もっておったぬしが? それはもしや、あれか? ぬしなりの小粋なジョークか?」

「……別に、否定はしないがな」


 この言葉に「ブハッ!」と吹き出すのが事の元凶であるマルクスだ。何がツボに入ったのやら、宗介が不愉快そうに睨んでくるのも気にせず、傍のゴーレムに寄り掛かってヒィヒィと引き笑いを上げる。


「ク、クふっ……! 言われているぞ、“黒級(ひきこもり)”。あろうことか十は歳下の餓鬼に。ふ、はは、傑作だな……っ」

「……俺がどう過ごしてようと、お前達には関係無いだろうが。何ならここで依頼をドタキャンしてやっても良いんだぞ」

「ククク……ふぅ。しかし、依頼を断られるのは困るな」


 思う存分笑ったのか、軽く息を吐いて呼吸を整えるマルクス。皇太子私有の一軍を壊滅させた男が、控え目に評価しても“幼女”と表現すべき少女に言い負かされる姿は、確かに滑稽だ。少なくとも滅多に見れる光景ではない。


 ともあれ。


「すまんな小娘。皇帝権限で、この男は先に使わせてもらう。悪く思うなよ」


 宗介の使用権を主張するマルクスの言葉に、少女は驚愕の色を露わにする。


「こ、皇帝じゃと!? このボンボンが!?」

「言われてんぞ、次期皇帝様(ボンボン)

「フン、この俺の器の大きさを舐めるなよ。この程度で腹を立てたりはせん」


 流石は気性の荒い帝国人を統べるべき男か、少女と宗介の不遜な物言いにも眉一つ動かさない。


 しかしこの少女、どうやらマルクスが次期皇帝その人であるとは知らなかったらしい。この国の住民ではない“流れ”である事が証明された形である。まあ、よもや皇族がこのような下町をうろついているなど想像できようもないので仕方ないのだが、これで少女はますます不審者だ。


 そんな不審者であったが、なおもめげる事なく食い下がってくる。


「ぐぬぬ……! 皇帝だか何だか知らぬが、わらわは扉越しの会話すら許されんかったと言うのに、何故このボンボンは良くて、あまつさえ依頼まで引き受けるのじゃ! 不公平じゃろう!」

「不公平もクソも、どうして顔も名前も知らない、会ったこともない奴と話をしなきゃならないんだ。身の程を知れよ、不審者」

「……ちょっと待つのじゃ。ぬしとわらわは、間違いなく顔を合わせたことがある筈じゃぞ? 会ったこともないとは、何の冗談じゃ?」

「それはこっちのセリフだ。生憎、なんちゃって巫女幼女なんて特徴的な奴、俺の記憶にはただの一人だって居ない。話を捏造すんな」


 何を言ってるんだこいつは、と言う冷たい目は、呆れ半分苛立ち半分といった所だろうか。


「そ、そうじゃ。よく考えたらこやつ、わらわの姿を……くっ、盲点じゃった……」


 はたと何かに気付いたように、頭を抱えて訳の分からないことをブツブツと呟く少女。やがて、もういいだろうと宗介が歩き始めようとした時、少女はふと思い立ったようにポンと手を打ちエリスへと駆け寄った。そしてキョロキョロと辺りを確認し、出来る限り声を潜めて尋ねる。


「の、のう、エリスティアよ。ぬしならわらわのこと、覚えとるじゃろう?」


 どうやら彼女は、エリスを知っているようだった。二人は知り合いなのだろうか。唐突に名前を呼ばれたエリスはキョトンと首を傾げているが……。


「……誰? 名乗ってくれないと、分からない」

「ど、どうして分からんのじゃ!? ぐぬぬ……名乗りたいのはヤマヤマじゃが、この街じゃと、わらわの名は悪い意味で広まっておる。下手に名前を出したら大騒ぎ間違いなしじゃ。のう、分かるじゃろ?」

「……残念だけど」


 どうやら本当に覚えていないらしい。不要な記憶と判断されたのか、それとも少女の捏造なのかは分からないが。少女はガクリと蹲り、「最悪じゃ……」と頭を抱えて唸りだす。


「くうっ、そう言えばこやつも引き篭もり体質じゃった……。なら覚えとらんかったとしても無理は無いのう……。おのれ、二人して引き篭もりおって! ぬしらは夫婦かっ!」

「……悪くない響き」

「夫婦か。いいな、それ」


 ふむ、と今しがた少女が口にした呼び名を反芻する宗介とエリス。二人にとっては魅力的な言葉であったらしい。皮肉が通じないことに、少女は「ほんに呆れた奴らじゃの!」と吐き捨てた。


 何はともあれ、これで少女は万策尽きた訳だ。宗介も彼女の相手をするのに飽きを感じてきたらしく、エリスの手を引き颯爽と歩を進める。


「もういいだろ? じゃあな、魔人族(・・・)の不審者。もう付き纏って来るなよ」

「っ!? ばっ、おぬし、此処でそんなことを口にしてはっ!」


 同時に置き土産だと言わんばかりに放たれる、爆弾発言。


 途端に顔を蒼ざめる少女に、道行く人々から少なくない数の視線が向けられる。ただでさえ目を惹くやりとりをしていた為、今しがた宗介が発した言葉は途端に注目を集める事となった。


 それも当然だ。ここは人間の国であり、魔人族は一般的に敵である。例え根拠のないホラ話であったとしても人々が注目してしまうのは必然。もちろん、少女の姿を見て途端に興味を無くす者や半信半疑のまま通り過ぎて行く者など、反応は様々で、本気で信じている者は一割にも満たないだろう。


 しかし宗介にとってはそれで十分。


「ほう? この娘が魔人族と言うのは本当か?」


 こちらに御座すはマルクス次期皇帝陛下だ。やがて一大国を担う者として、この国家転覆にも繋がりかねない僅かな可能性を見逃す事などあり得ない。そんな彼に目を付けられた少女はまず間違いなく詰所行き、宗介は厄介払いが出来て万々歳という訳だ。


「確証は無いが、十中八九間違いないと思うぞ。みすみす招き入れるとは、帝都の警備もガバガバだな。これが人間の殺戮を企むような輩だったら、今頃は大惨事だぞ」

「貴様がこの事態の元凶なのだがな……。まあ良い。娘よ、話を聞かせてもらうぞ」


 マルクスがスッと手を掲げれて合図すれば、二体のゴーレムや道行く屈強な帝国人達によって即座に包囲網が敷かれる。最悪の場合も想定した完全臨戦態勢で。マルクスの命令に疑う事なく剣を抜く帝国人達は、影から彼を護衛していた兵士達だろうか。


 おかげで包囲された件の少女はタジタジだ。


「じ、冗談じゃろう? 確証も無しに一個人の自由を奪うと言うのか?」

「なに、時間は取らせんよ。詰所で話を聞くだけだ、やましい事が無ければ直ぐに終わる。やましい事が無ければな……連れて行け」

「お、おのれ腕を掴むでな……あぁっ! な、なんじゃこやつらの力は、振りほどけんっ! 待っ、後生じゃから堪忍してほしいのじゃぁ〜〜!!」


 包囲網によって逃げ道を防がれ、ゴーレム達に為す術もなく捕まえられる少女。事実上、ボディが保つ限り無限の馬力を誇るゴーレムの腕力からは、例え魔人族と言えどそう簡単には抜け出せまい。両腕を掴まれてズリズリと、無様な格好で引き摺られて行く。


 一応、ある程度の命令は聞くようにしたとは言え、自らが創ったマルクス監視用のゴーレムが良いように使われている現場を見て内心穏やかではないのが宗介だ。皇帝力が成せる技に戦慄を隠せない。


 とは言え、お陰でこうして厄介事から逃げられるのだから、僥倖だったと言うべきか。


「すまんな西田よ。本来ならば冒険者ギルドまで同行する予定だったのだが」

「別に迷ったりしないし要らねえよ。お前も含めてさっさと消えてくれ」

「いや、今のギルドは少々ピリピリしていてな。貴様らだけで向かわせたら確実にイザコザが起こるだろうから、そうならないよう仲介するつもりだったのだが……。頼むから大事にはしてくれるなよ?」

「……余計なお世話だ」


 何かやらかす前提で話を進められていることにヒクヒクと顔を顰めつつ。念押しして人混みの向こうへ消えて行くマルクスを尻目に、宗介は少し不機嫌そうにしながら、冒険者ギルドへと歩みを進める。


 その後ろでジトッと、若干非難めいた目を向けてくるのがフォルテだ。


「なぁ、婿殿。一体いつから気付いていたんだい?」


 フォルテが言いたいのは恐らく、巫女装束の少女の正体に気付いたのはいつなのかと、そういうことだろう。彼女もまた、直感で正体に思い当たったのだ。


 で、正体が分かったなら相手をしてやってもよかったのではないか? と。


 宗介は苦笑いだ。


「まあ、エリスの名前を出した辺りで。本人は忘れてるのか、それともシラを切ってるだけなのかは分からんが、エリスと友好関係を持ってる奴なんて魔界の同胞かクロノスくらいしか居ないからな」


 魔界より魔王軍の尖兵として人間界へと足を踏み入れ、フォールン大空洞に居を構えてからの“鮮血姫”は、それ以降、滅多に地上には出てきていない筈。つまりエリスと友好関係にある存在は、彼女と契約した大精霊か、同じ魔人族しかあり得ない。そして、よもやあのちみっ子が大精霊クロノスな筈など、天地がひっくり返ってもある訳が無く。


 ならば答えは自ずと一つに絞られる。


「と言うか、エリスもあいつの正体について薄々勘付いてるだろ? 分からないフリをしてるだけで。あれだけヒントがあって気付かない筈が無いしな」

「……さあ? あれが、たとえ誰であっても、私たちには関係のない話……でしょ?」

「まあな」


 心の底から興味無いですと言わんばかりに、視線を帝都の街並みへと移すエリス。その冷たい認識には、しかし全く返す言葉もない。


 例え少女の正体に察しがついたところで、こちらから首を突っ込む理由にはならないのだ。そして宗介は、かねてより無駄なことはしない主義である。関わることが無駄ではないという結論が出ない限り見え見えの地雷を踏み抜くようなことはしない。


 あれ(・・)がどういう存在で、どういう理由で訪ねてきて、そして連行された先でどうなるのか。


 宗介にとっては文字通り、知ったことではなかった。


 宗介にはエリスが、エリスには宗介が居るのだから。


「――さて。折角だし、軽く帝都を楽しみながら向かうとしようか」

「ん、賛成」


 どちらからともなく手を握り、寄り添い歩く宗介とエリス。


 やっと邪魔者が消えて取り戻した二人の世界は、何処か暗く、しかし確かに幸せそうで……


「何というか、彼女も災難だな」


 哀れむようなフォルテの呟きは、帝都の喧騒へと消えて行くのだった。




 ◆




 所変わって、冒険者ギルド帝国本部。


 国を跨ぐ一大組織の本部だけあって、その規模は圧倒的だった。流石に帝城を凌ぐ程ではないが、それでもトリッド等の冒険者ギルドとは比較にならない。まるで一つの要塞である。


 街の何処からでも見えるようなサイズのお陰で、迷う事なくそこに辿り着いた宗介達一行は、早速、巨大な獲物も運び込めるよう設計された大きな扉を押し開く。


「さて、マルクス曰くピリピリしているらしいが……っと」


 扉が開けば、途端にドッとギルド内の騒がしさが溢れてきた。


 内装は見たところ、食事処か酒場に酷似している。事実似たようなものなのだろう、ギルドの依頼受注や報告の受付だけでなくバーカウンターなども併設されている。元よりそういった場に集まる人々の間で行われてきた個人同士の取引を、一事業として確立、拡大したものが冒険者ギルドだ。それの総本山ともなれば、このような形式になるのも必然だった。


 広間一杯に並べられたテーブル席には、少し遅い昼食を摂っている者から、カードを使った賭け事に興じている者、大量の酒瓶に埋もれている者など様々な冒険者が居る。微かに漂ってくる血の香りは、何処かで喧嘩でもあったのだろうか。血の気が多い帝国らしい。


 それらをぐるっと見回した宗介は、ん? と怪訝そうに眉を顰める。


「昼間の割に人が多くないか? “龍巫女”が倒された影響で依頼は増えてる筈だろうに」

「事情があるんだろうね。マルクス陛下が仰っていたように」

「成る程な。……なあ、やっぱり宿に帰らないか? 何となくだが猛烈にバックれたい気分だ」

「……同意。私とソウスケ、水入らずの、貴重な時間を潰してまで、依頼を受ける価値……無いはず」

「いや、二人共。ここまで来てとんぼ返りなんてそれは……」

「はぁ、分かってるよ。言ってみただけだ」


 ピリピリと感じる嫌な予感は間違いではないだろう。あまり立ち入りたくは無い状況のようだが……宗介は大人しく腹をくくりギルドの中へと足を踏み入れる。


 そうして背後の扉が重い音を立てて閉まると、同時、先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、冒険者達の視線が一斉に宗介達へと向けられた。


 ジロジロと舐め回すような目の数々。並みの新米冒険者ならば、怖気付いてしまう所だ。


 まあ、翼付きという異形の黒鎧を纏った火傷顔(フライフェイス)の眼帯男に、冒険者であるなど信じられないような歳の可憐な少女、そしてこれまた冒険者とは対極の位置に居るような立ち振る舞いの凜とした騎士というトリオだ。注目を集めてしまうのは致し方ない。


 宗介がギロリと睨み返せば、皆、蜘蛛の子を散らすように目を逸らすが、それでもチラチラと横目で観察してきたり、ヒソヒソ声でこの新顔三人について話す声が後を絶たない。


 ともあれ手さえ出してこなければ関与する所でもないので、宗介は、「まあ別に良いか」と咎めることなく歩いてゆく。不快な視線に不機嫌そうな顔をしているのもあいまってか、広間の真ん中を真っ直ぐ歩いてもただ遠巻きに観察されるだけだ。


 本来なら喜ばしいことであるし、宗介としても楽で良いのだが、血の気の多い帝国の、特に血気盛んだろう冒険者ギルドとしては少々不気味だった。


「……何だか、変な感じ」

「エリスもそう思うか」


 宗介の後ろにピッタリとくっ付きながら、ボソッと呟くエリス。


 いささか気味の悪い冒険者ギルドの中でも特に不気味な点……僅かに感じる、哀れみの視線。エリスが感じ取り、宗介も肯定した違和感の正体である。


 出元は、広間の中央から離れた外周近くの冒険者達からだろうか。「可哀想に」「こんな時に新入りなんて災難だな」などとも聞こえてくる。勿論、そのような哀れみを向けられる理由に心当たりは無かった。


 ぷんぷんと感じる嫌な気配に、猛烈な勢いで増幅していく帰宅欲。はぁ、と大きな辟易の溜息が溢れる。


 それでもその欲を押し潰して宗介は歩みを進め――案の定と言うか何と言うか、スッと、行く手を邪魔するように足が出された。


「……チッ」


 宗介は大きな舌打ちと同時に歩を止め、目だけでチラリと足を出して来た輩を一瞥する。


 そこには、どこか見覚えのある鎧を纏い下卑た笑みを浮かべる男が居た。見れば、似たような鎧を纏い、「へへへ……」とこれまた下卑た笑みを浮かべる連中が同じテーブルに何人も居るではないか。


 恐らくはそういう一団なのだろう。いわゆる新人いびりと言う奴だ。或いはもっと厄介な代物かもしれないが、まあ、そこはどうだって良い。


 要は、どう対処しても難癖付けてくる鬱陶しい奴らに絡まれた、と。そう言うことである。


 今日は朝からこんなのばっかりか、と内心で大きな大きな溜息を吐いた宗介は、半ば諦めてその足を蹴り退けた。苛立ちが無意識の内に現れたのか、結構な強さで。


「っでぇ!? おいおい兄ちゃん、そりゃ無いぜ?」


 途端に男が声を上げ、通せんぼするように立ち上がる。装甲靴のお陰で痛みはそれほどだった筈だが、随分とオーバーなリアクションだ。


 しかし、立ち上がった男は随分とガタイが良い。背も宗介より頭一つほど高く、随分といじめ抜かれたのだろう肉体は、鎧を着ていてもその下を覆う筋肉が透けて見えるようである。頭の上から睨みつけてくる顔の剣幕も相当なものだ。


 心底どうでもいい――宗介は内心で吐き捨てた。


「あー、何だ。生憎と道端の石ころになんて興味を向けないタチでな、気付かなかった」

「……野郎」


 お前は自分にとって、その辺の石ころと同レベルだ。遠回しにそう宣言した宗介に、男がピクリと青筋を浮かべる。


「なあ、最近のガキはごめんなさいの仕方も教わんねえのか? 舐めた態度取ってる痛い目見るぞ」

「気を悪くしたなら謝るよ。悪かった悪かった。ほら、これで許してくれるだろ? すまないが、俺は依頼を受けに来たんだ。昼間っから飲んだくれてるお前らなんかに用は無い、通してくれ」


 邪魔なものをどかすように、ぐいっと男を押しのける宗介。男はきっと自慢のガタイで以って大樹の如く立ち塞がるつもりだったのだろうが、ゴーレムの膂力に敵うはずも無く、目を丸くしていとも簡単にたたらを踏んだ。


 そうして力尽くでこじ開けた道を堂々と、エリスとフォルテを後ろに控えて進むが……件の男とテーブルを共にしていた連中が、一斉に取り囲んで来た。


 ぐるっと見渡す限り、やはり皆一様に同じ鎧を着ている。肉付きも良い。宗介は内心で天を仰ぎながら、そう言えば以前にも似たような奴らと相対したなと物思いにふける。


 あれは確か……そう。トリッドから聖王国王都に向かう道中だったか。丁度、似たような一団を壊滅させた記憶がある。あれからそれほど時間は経っていない筈だが、随分と昔のように感じる。むしろ、色々と衝撃的な出来事が多かったせいで殆ど記憶から消えていた。


 そうして何処か遠い目をしていると、先ほど押しのけた男が「まあ待てよ」と肩を掴んできた。


「なあ、兄ちゃんよぉ。もしかして俺達が誰だか知らねえのか?」

「さあ? さっきも言ったが、興味無い。心当たりが無い訳じゃないけどな」

「そうか。じゃあクソガキにも分かりやすく説明してやるがな、今、ここを取り仕切ってるのは俺達だ。帝都で冒険者をやりたいなら、俺達の機嫌は損ねないほうが良いぜ」


 ほう? と宗介は辺りを見回す。しかし、広間の中に彼らを止めようとする者はおらず、ギルドの職員も見て見ぬ振りだ。どうやらこの男の言葉は事実で間違いないらしい。


 それがまかり通る現状はどうなんだ、と言う話ではあるが、恐らく、これがマルクスの言う『ピリピリしている』状況なのだろう。兵士不足のせいで彼らの取り締まりにまで手が回らず、その隙を突いて勝手にギルドを牛耳り、勝手に依頼を斡旋することで報酬を中抜きして小金を稼いでいると言った所か。


 帝国ではそれが許される。いや、厳密に言うと法的には許されないが、実力主義を謳う帝国において最も偉いのは強者である。法とは絶対強者の命令の次に遵守するものなのだ。


 そして、彼らは恐らく帝国の軍人崩れ。要は軍隊の次に強い組織という事になる。彼らより上の軍隊が別の用事に手を焼いている今、ここは彼らの天下という訳だ。


「俺達の許可がなけりゃ仕事は受けられねえ。もしかするとテメェらは王国じゃ有名な冒険者なのかもしれねえが、帝国(ここ)では関係無えからな。大人しく帝国流のルールに従ってもらうぜ」

「成る程。それで? あんたらは俺にどうしてほしいんだ?」

「あぁ? 舐めんなよクソガキ。テメェがどうしたいかだろ。俺らに頭下げんのが嫌なら回れ右、依頼を受けたいなら誠意を見せてみな。俺達は寛大だからな、例えば後ろのべっぴんさんと嬢ちゃんを一晩貸すとか……そうすりゃ、さっきの舐めた態度も丸っと許してやるぜ」


 男達の粘っこい視線がフォルテとエリスに向けられる。まあ、どちらも外見は一級だ。下卑た欲望を向けられる事だってよくある。勿論、それを良しとする宗介ではないし、二人も決してその欲望を受け止めはしないだろうが。


 ともあれ。宗介はほとほと呆れ果てたように溜息を吐くと、自らの肩を掴む手をパシリと払った。


「お前らに従う道理が無いな。猿山の大将を気取ってビジネスをするのは別に構わないし、それでお前らが私腹を肥やそうと知ったことじゃない。好きなだけやればいいと思う。だが、それに俺達を巻き込むな。一々対処するのも面倒なんだよ」

「っ、テメェ……!」


 男の目に危険なものが宿る。対する宗介は、ただひたすらに真っ暗で、ゴミを見るような冷たい瞳を向けるだけだ。


 その態度が頭に来たのだろう。男は傍のテーブルで横になっていたガントレットを装備すると、ギシリと音が鳴るほど強く手を握り拳を作る。


「言うに事欠いて猿とは、大きく出たなクソガキ! 痛い目見ねえと分かんねえか!?」

「事実を言ったまでだろ。いや、むしろ猿の方が幾らか利口かもな。あれはあれできちんと秩序を持った集団だ」

「この野郎ッ!!」


 轟、と鉄拳が唸りを上げた。自慢の腕っ節から放たれるそれは、直撃すればまず昏倒は免れない一撃だろう。


 やりやがった! 始まった! とギルド内が沸く。放たれた拳はその歓声のような野次の中、ゴカァン!! と金属と金属がぶつかり合うけたたましい音を打ち鳴らした。


「……へぇ、反応は悪くねえな」

「そりゃどうも。で? これで終わりか?」

「んな訳あるかよ……って、ぐっ、何だよテメェの握力、解けねえだと……!?」


 男の鉄拳は、宗介の掌によってガッシリと受け止められていた。当然、一度掴まれた以上、引き抜くことなど不可能だ。鋼鉄の鎖で絡め取られたかのようにビクともしない。


 しかし男は存外に冷静で、すぐに一歩踏み込み、もう片方の拳を振るう。引いてダメなら押してみろ……例えば、獣に噛み付かれた時は引き抜こうとするのではなく押し込む方が、かえって口をこじ開けることになって食い千切られずにすむのだとか。


 しかしその理論が宗介に通用する筈もなく。


 ズドンッ!!


 無慈悲な発砲音が男の肘を貫いた。


「ぐッ!? チクショウ――」


 耳をつんざく轟音にギルド内が一気に静まり返る。その中で、何が何やら分からないまま撃ち抜かれた衝撃で弾かれる腕に引っ張られるように、男は距離を取ろうとする。しかし宗介がそれを許さない。未だに離すことなく掴んでいる手を、男の何倍、いや何十倍もある力で強引に引き寄せると……


 ゴガァンッッ!!!


 前に出て来た男の足を踏み潰すように、義足内蔵のパイルバンカーをブチ込んだ。


「――――ッッ!?!? ぐ、ぁ……」


 足の甲に風穴を開けられる激痛に、もはや声にならない嗚咽を零す男。


 丁度、先ほど宗介の行く手を阻むように出した足が潰された形だ。因果応報とはよく言ったものである。


 宗介が手を離し、杭を引き抜くと、男は激痛に立っていられず尻餅をついて崩れ落ちた。それを冷たい目で睥睨した宗介は、男の目の前にしゃがみ込み、額にシュトラーフェの銃口を突き付ける。


 未だ熱を持ち、白煙を上げる大きな銃口を。


「なあ、帝国(この国)は実力主義だったよな?」

「そ、そう、だ……」

「じゃあ、ここで俺がお前を殺しても、何ら咎められる謂れは無い訳だ。お前ら全員、皆殺しにしてから依頼を受けたって、別に構わない訳だ。俺の方が、お前達より強いからな?」

「っ――」


 戦慄。


 地獄の果てのように暗い目で男を見据えながら、ゆっくりと、一言一言を心の奥底に刻み付けるように話す宗介に、男はゾッと顔を青ざめた。


 こいつなら本当にやりかねない、と。


 しかし宗介は以外にも、引き金を引くこと無く立ち上がった。輪状の軽い火傷跡こそ男の額に残っているが、そこに穴は空いていない。


「けどさ、それじゃあ駄目なんだよ。気に入らないから、腹が立ったから……そんな理由で人を殺めるなんて、人間のやることじゃない。殺人鬼(シリアルキラー)の所業だ。俺はそんなものになるつもりは無い」


 ふぅ……と深く息を吐き、言葉を零す宗介。


 それは、彼にとって超えてはならない一線だった。


 依頼を受けたのなら躊躇うことなく引き金を引こう。乞われるようなことがあったのなら、それが善か悪かくらいは考えるだろうが、善き結果に繋がるなら殺すことに迷いなど無い。郷に入っては郷に従えという言葉もある。この世界において、悪を殺すことは人道的行為足り得る。


 だが大した理由もなく人を殺すのは、例えこの世界であろうとも人の道から外れた行動なのだ。


 ああ……何もかも引き金を引くことで解決してしまえば、それはとても楽だろう。例えば朝方の少女との一件だが、あれだってその場で引き金を引いていればたった五秒で片付いた問題である。


 しかしそれをしてしまえば、彼は正真正銘の化け物(・・・)に身を堕とすことになり、もはや二度と人の道に戻ることは出来ないだろう。宗介としてもそれだけは避けたかった。それだけは避けねばならなかった。


 自分が、自分である為に。


 それなのに。


「それなのにお前は、お前達は、何度も俺の神経を逆撫でして来る。ずっと機嫌がよくないってのに、何度も何度も何度も何度も……! なぁ、自分を抑えるのも楽じゃないんだよ。気を抜いたら本当に……」


 ――殺してしまいそうになる。


 ハンドガンを握る彼の右手に、ギリッと力が篭る。引き金に掛けられた人差し指が目の前の男で憂さ晴らしをさせろと震える。


 限界だったのだ。天空の塔での一件から、もう、何もかも。


 だが、何とか理性を保ってきた。こんな奴らの命と引き換えに化け物(・・・)の称号を背負うなど絶対に嫌だったから、極限まで心を殺して何も考えないよう努めて来た。微かに震える手はそれの表れである。


 へたり込む男や取り巻き達は、口を開けない。いや、きっと宗介が何の話をしているのかすら分かっていないだろう。分かるのはただ一つ、ヤバい奴に手を出してしまったと言う事実だけだ。


 やがて、心の内を僅かながら吐露した事で気持ちが落ち着いたのか、宗介は一度深呼吸をし、再び銃口を男に、及び周囲の仲間達に向けた。


「二つ、お前達に選択肢をやる」

「選択、肢?」

「ああ。生きるか死ぬかの二択だ。生き恥晒しながら逃げて俺の視界から消えるか、それとも後ろのお友達にテメェの脳髄ブチ撒けてみるか。二つに一つだ、五秒で決めろ」

「っ、それは……」


 男達はうぐっ、と返答に詰まる。


 一つ、自分から喧嘩を振っておきながら無様に敗北した事を認め、今の立場をかなぐり捨てて逃げ延びる。二つ、無駄に足掻いて仲良く犬死に。何方を選んだところで彼らにとっては屈辱の極みだ。どう足掻いても冒険者同士での笑い話にされるのは必然、即座に決めろと言う方が酷である。


 が、それは宗介には何ら関係の無い話。


「死を選ぶなら、その時はその時だ。仕方ないから俺が手ずから皆殺しにしてやる。ただ――お願いだから、俺を化け物(・・・)にしないでくれ。な? 頼むよ」

「っ……チクショウ! 覚えてやがれクソガキが!」


 真摯にお願いすれば、その意を汲んでくれたのか連中はそそくさとギルドを後にする。足をブチ抜かれた男も、食い物にされていた冒険者達による嘲笑を浴びながら、仲間に支えられて逃げて行った。最後に恨みがましい視線を残して。


 張り詰めていたものが解れ、宗介はシュトラーフェを仕舞うと小さく息を吐く。身構えていたエリスやフォルテも、大惨事とまで至らなかった事にホッとした様子だ。


「全くヒヤヒヤしたよ。よく耐えたね、婿殿」

「……ん、お疲れさま」

「自分でも良く耐えられたなと思うよ。と言うか、まだスッキリはしてないし……ともかく、これで邪魔は無くなった。行こうぜ」


 やれやれと肩を竦め、普段の調子を取り戻す宗介。そのまま何事も無かったかのようにカウンターに向かって歩き出す様子は、ともすれば先程とはまるで別人のように映っただろう。側から見れば。


 だからこそ、エリスは無言で宗介の隣に駆け寄ると、彼の右手を自身の両手で包み込み、きゅっと胸元で抱きしめた。自らの体温で以って、優しく温めるように。


 宗介は一瞬、驚いたような顔を浮かべたが、やがて真意に気付いたのか、先程からずっと強張っていた頬をふっと緩める。


「ありがとうな、心配してくれて」

「……いいの。私には、これくらいしか、できないから……」

「十分すぎるくらいだよ」


 衆人環視の中なので、目を閉じて静かに想ってくれる彼女の頭を撫でてやりたい欲を抑え、言葉で礼を伝える程度にしておくが、それでも嬉しかったのか、「……んっ」と微かに微笑むエリス。同じく事情を察していたフォルテも、宗介の背に優しく寄りかかり静かに目を伏せる。


「なあ、婿殿。もしも不安になったなら、エリスティアでも私でも、どちらでも良いから、いつでも相談してくれて良いんだよ。少なくとも私達は、君の味方だからね」

「……はっ。お前に心配されるほど落ちぶれちゃいないさ」

「ふふ、酷い言いようだ」

「まあ、形式上は主人とその所有物って関係だからな。……ただ、お前も、ありがとうな」


 少し恥ずかしそうに告げられた言葉に、フォルテはクスリと小さく笑った。


「普段からこれだけ素直だったら、もっと可愛いげがあるんだけどね」

「要らねえし余計なお世話だ」

「あうっ! それ、結構痛いからね……?」


 ずびし! と鋭いデコピンがフォルテの額を襲う。勿論、宗介が全力を出したら人の頭など軽く破裂させられるので、随分と手加減した一撃だ。それなりに愛着を抱いている事の表れだろう。


 そんな具合で、二人の気遣いによって鬱憤が少しばかり霧散した宗介は、此処に来た本来の目的を果たすべく、懐から依頼書を取り出して受付カウンターへと足を運ぶ。



 ――俺はまだ、化け物じゃない。



 頭の中で、その言葉を何度も何度も繰り返し唱えながら……。

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