五六 帝都にて 前
私用にて二ヶ月もお待たせしてしまい、申し訳ありません……。
頂いた感想には全て目を通させて頂きました。間が空いてしまっているので返信は控えさせて頂きますが、代わりにここでお礼させていただきます。
今後もゆっくりですが続けて行きますので、どうかよろしくお願いします。
アングライフェン大帝国、帝都。
強固な外壁に囲われたその円形の大都市は、帝国の栄華を体現するかのように巨大な帝城を中心として、住民の階級や立ち並ぶ建物によって貴族街や商業区など幾つかの区画に分けられている。区画ごとに街の様相は様々であり、初めて帝国にやって来た旅人には東西南北それぞれの様式の違いに驚く者も多いのだとか。
そんな帝都の一角、西の観光区の裏路地にある女性の声が響き渡った。
「ああ、もう! 一体いつまでそうしているんだい!?」
我慢の限界だ! と言わんばかりの声にギョッと辺りを見回す通行人達。出所はどうやら、観光区でも随一の大きさを誇る高級宿の一室らしい。
カーテンが締め切られたその部屋に泊まっている張本人……宗介は、ゆったりとしたロッキングチェアに腰掛け、腕の中という定位置にエリスを抱えながら、呆れたような視線を件の叫び声の主であるフォルテへと向けた。
「そりゃあお前、エリスは吸血鬼だぞ? 濡れた髪をそのままにしてたら爛れたりして大変なんだから、しっかり乾かしてやらねえと」
「ん……」
「いや、それは確かにそうだがっ」
当然だよな? とでも言わんばかりに顔を見合わせ肩を竦める宗介とエリス。しっとりと濡れた銀髪に宗介が手櫛を通せば、義手の掌からドライヤーのように温風が吹き出し、エリスはくすぐったそうに頬を緩める。その姿はまるで小動物のように愛らしい。
なお、彼らが今何をしているのかと言うと、シャワーを浴びた後、髪を乾かしている真っ最だ。ドライヤー代わりに使用しているのは義肢内蔵の焼却砲“メギド・カノン”の最低出力放射という荒技だが、髪を乾かすには丁度いいらしい。
なお吸血鬼にとっての“水”とは、命を奪うに足る劇物である。吸血鬼は流水を渡れないという伝承があるが、それはこの世界でも変わらない。勿論、身体が殆どゴーレムの宗介や弱点自体を克服したエリスにとって言えばその限りではないのだが、だとしても水浴びや入浴などは出来る限り避けるべきなのだ。
とは言え、吸血鬼ならばそれでも問題は無い。不老不死であるということはすなわち、新陳代謝が停止しているのと同義である。つまり垢などに悩まされる心配が無いということだ。大気中の塵や埃で汚れることはあるにしても、影に同化したり変身したりすれば対処出来る。
それでも彼らがシャワーを浴びたのは、
「……清潔を保つのは、乙女の嗜み」
「まあ、乙女云々よりも人としての嗜みの一つだろうな。少なくとも俺の故郷には風呂文化が根付いてたから、シャワーくらい浴びないと落ち着かん」
と言う訳らしい。
「それはそうなのだが、私が言いたいのはそうではなくて……っ」
うぎぎ、と苛立ちを噛み殺して我慢するフォルテ。やがて諦めたように大きなため息を吐いた。
「はぁ……。帝都に来てから二週間、この宿から一歩も出てないだろう? どうするつもりだい、婿殿?」
フォルテが一言物申したかったのは、つまりそう言うことだ。
“天空の塔”の一件の後、あてもなく彷徨った末、アングライフェン大帝国帝都に辿り着いた宗介達。彼らはそれから流れるように宿を取り、何をするでもなくダラけた生活を送っていた。引き篭もりだとかニートだとか、世間一般から見てもあまり良いとは言えない状況だろう。
合点がいったのか、宗介はエリスの髪を撫でる手を止め、「そのことか」と呆れ混じりに肩を竦める。
「あのな、帝都に見所が無いっつったのはお前だろ、フォルテ」
「た、確かにそう言われてしまえば反論出来ないが……それでも何か、こう、あるだろう? このままでは駄目になる一方だ。そのことは婿殿だって分かって……」
「ああ、そうだな。それで? どうせ何やったって無駄なんだ、別に良いじゃねえか」
「む、無駄だなんて、そんなことはないだろう? 未だ残っている魔王軍と戦うだの、人々の為に魔物を駆逐するだの、勇者として出来ることはいくらでもある筈だっ」
成る程、確かに勇者としてすべきことなら幾らでもあるだろう。未だ魔王や幹部の一柱である“巨鯨”は健在で、魔物達の脅威も世界中に残っている。近付かなければ問題無いとは言え、宗介達が攻略した“トリッド活火山”や“フォールン大空洞”、“ヴィルト大森林”にだって未だ強力な魔物が蔓延っているのだ。
勿論、この事は宗介も分かっている。分かっていてなお彼は……
「それこそ無意味だ」
無慈悲に冷たく切り捨てる。
「悠斗が居る。葵が居る。他のクラスメイト達だって居る。あいつらは皆、一騎当千の勇者達だ。今はまだ足りないにしても、これからきっと強くなっていく。魔王を倒して世界を救うヒーローとしては、あいつらの方が適任だ。……もう、俺なんかの出る幕じゃないんだよ」
微かに歯がゆさを宿した口振りだった。少し俯きがちの眼はゾッとするほど暗く、何処か遠くを見つめている。腕にも無意識の内にか力が篭っており、抱きしめられているエリスは少し窮屈そうだ。まあ、彼の心中が手に取るように分かるエリスは、何も言わず抱擁を受け入れているが。
人間を救うのは、人間の役目である。
いや、別にそんなルールがある訳ではない。例えば正義の魔人族が人間を助けたとして、それは確かに素晴らしいと賞賛されて然るべき行為だろう。
……だろうが、それを助けられた人々が受け入れるか否かは、全くの別問題なのだ。
人間とは、“自分達と違う存在”や“理解出来ない存在”を排斥しようとする生物だ。
何故なら、彼らは弱いから。魔人族や亜人族、魔物など多種族と比べれば、人間は圧倒的に身体的能力で劣る。勿論、それを補って余りある繁栄力や開発力などは持っているが、それでも全体的に見れば弱い種族であると言えるだろう。魔王軍によって滅亡の危機に陥り、勇者召喚に頼ったのが良い例だ。
である以上、不安要素や不確定要素、イレギュラーを可能な限り排除しようと考えるのは自然であり、それが多種族の排斥へと繋がることも必然であった。これは宗介の故郷の世界でも同じである。呼び方こそ“イジメ”だとか“宗教戦争”なんかに変化するが、本質は変わらない。
ならば、“人間”ではないエリスやフォルテが……そして宗介が、彼らに受け入れられるという保証はあるのだろうか。いや無い。上辺だけは感謝しつつ内心では懐疑の目を向け恐怖を抱くのが関の山だ。最悪、目に見えて拒絶されることもあるだろう。
それはとても悲しく、そしてとても辛いことだ。少なくとも宗介には――大切な人達に拒絶され否定された宗介には、もう耐えられなかった。もしもまた同じことが起これば、きっと立ち直れなくなる。
「……それが君の選択だと言うのなら、私はもう、何も言わないよ」
「おう、そうしてくれ」
疲れたようにベッドへ腰を下ろすフォルテ。彼女を横目に、宗介は再びエリスの髪を整えにかかる。しかし、普段は優しく、それでいて敵に対しては剣のように鋭い隻眼は、どこか暗い闇を宿していた。
完全な地雷。それも核地雷級の触れてはならない……触れられたくない話題だった。フォルテの話にだって一理ある為、表立って非難することはしないが、それでも宗介が纏う空気は無意識の内に重くなる。
それきり、ひたすらに無言の時間が過ぎ……不意に宗介が顔を上げた。各所に秘密裏に配置した感知用小型ゴーレム――治安があまり良くない街なので、不埒な輩に憩いの時間を邪魔されないよう設置した――を通じ、部屋に近付いてくる気配を察知したのだ。
直後、重苦しい気を祓うように、部屋の扉が三度ノックされる。それから一拍の間を置いて扉越しに聞こえてきたのは、宿の老主人のしわがれた声だった。
『おくつろぎの所、失礼致します。お客様にお会いしたいと言う方がいらしておりまして……』
「心当たりが無い。早々にお引き取り願ってくれ」
『えっ』
完璧にして圧倒的、そして清々しいまでの即答。思考時間は秒も無かったのではないかと思える解答速度に、扉の向こうで目を丸くして困惑する気配が伝わってくる。
だがこの宿なら、間違いなく要求を飲んでくれる筈だ。何せ、わざわざ客のプライバシーを尊重してくれる宿を探したのだから。
『よ、よろしいのですか?』
「ああ。と言うより、初めに誰も通すなと伝えた筈だが」
『はぁ、かしこまりました。では、そのように』
どこか渋々といった風に引き下がる老店主。それから間も無く、今度はヤケに幼さを感じさせる少女のような声が聞こえて来た。
『な、なぜ会えぬのじゃ!? ようやっと見つけたんじゃぞっ!? 一目会って話をするくらい構わんじゃろう!』
『当店ではお客様のご希望が最優先となっておりまして。せめて身分証の類を提示して頂かないと、これ以上の交渉は不可能です』
『ぐ、それはじゃな、深い訳があって……。ともかくっ! せっかく見つけたと言うのに、扉一枚で断念など出来んのじゃ! どうか、どうか後生の頼みを聞いてたも!』
どうやら、訪ねて来た客人とやらはすぐそこまでやって来ていたらしい。探し人は本当に宗介だったのか、それともエリスかフォルテか、はたまた人違いか……知る由など無いが、少なくとも宗介には聞こえてくる声にも独特な話し方にも心当たりは無かった為、目を閉じ耳を塞いで我関せずを貫き通す。
お生憎様、何者にもこのプライベートな世界を邪魔される謂れは無いのだ。
『申し訳ありませんが、これ以上はお客様のご迷惑になりますので……』
『ああっ、わらわの首根っこを掴むでな……ちょっ、待っ、待って欲しいのじゃぁ〜〜!』
そうこうしている内に話が付いたのか、幼い声がドップラー効果を効かせて小さくなってゆく。ゴーレムを通じて感じる気配も消え、静かなる聖域が戻って来たことに宗介はホッと安堵の息を吐いた。
そして気付く。膝の上のエリスが、ムスッとした顔で見上げて来ていることに。
「……あー、どうした?」
「……女の声。いつの間に、浮気……してたの?」
予期せぬ言葉に宗介は、思わず吹き出した。エリスとしては未知の接近に不安なのだろうが、そんなこと考えたこともないのに、言いがかりにも程がある。
「浮気って……。あのな、俺がそんなことしてないのは、四六時中一緒に居たエリスが一番よく知ってるだろ? 勘弁してくれよ」
「……それじゃあ、あの女、誰?」
「俺が聞きたいくらいだ。声からして明らかにエリスよりも幼い筈だし、そんな幼女の知り合いなんて地球にもこの世界にも居ねえよ」
これが真実であり事実だ。少なくとも宗介は、ここ暫く宿から一歩も出ていないのだから、顔見知りなんて出来る筈もない。強いて言えば宿の主人と世間話を交わすくらいだろうが、その主人だって皺が入った白髭のお爺さんである。断じてロリっ娘なんかではない。
ならばエリスかフォルテどちらかの知り合いではないのかと尋ねてはみるが、やはり首は横に振られるだけだ。と言うより、この三人の友好関係が極めて狭いことは確認済みなので、わざわざ聞くまでもなかった。悲しい。
「ま、分からんなら放っておけばいいさ。不審者相手に真面目な対応を取る必要も無いだろ」
「……邪魔者なら、潰すだけ」
「なんというか二人とも、他人に厳しくなっている気がするのだが。いや、最初からこんな風だったか……?」
見定めようとするフォルテの視線に、しかし宗介はフンと鼻を鳴らすだけで答えない。自覚があるのやら、無いのやら。
ただ確かなことは、エリスの頭を撫でる手に……黒光りする機械の手に落とされた視線が、何時にも増して暗いことだろう。
そして、その目がピクリと、再び不快げに細められたこともまた確かだ。
「む、婿殿、どうした?」
「チッ、また客人らしい。しかもとびきり鬱陶しいタイプのな」
心底嫌そうに飛び出したおおきな舌打ち。それに呼応するかの如く、ズカズカ、ガシャガシャと幾つかの足音が響いて来て……
「フハハハッ、邪魔するぞ!」
轟音と共に部屋の扉が蹴破られた。
吹き飛んだ扉の向こうに居たのは、宗介達も見知った顔の一人。金のオールバックと真紅のマントがトレードマークの、アングライフェン大帝国が皇太子マルクスその人であった。背後にはフルプレートの騎士を二体引き連れている。
その姿を見た瞬間、宗介ら三人の顔が途端に歪んだ。嫌な奴が来やがった、と。勿論口には出さないが、宗介によって代弁するように向けられた“シュトラーフェ”の銃口はその内心を如実に表しているだろう。
「帰れ」
「クク、久方ぶりの再開だと言うのに随分と釣れないではないか」
「当然だろ。アンタと話すことなんざ一つも無いし、俺達の平穏を荒らされる謂れも無い。そもそも宿の主人には誰も通すなと伝えておいた筈だ」
指の太さほどもある仄暗い銃口に臆することもなく。マルクスは宗介の言葉に笑い声を上げた。此奴は何を言ってるんだと言いたそうに。
「フ、ハハハハ! 全く、何を言い出すのかと思えば……此処は俺の国だぞ? つまり俺がルールだ。一市民の意思と俺の意思、どちらがより尊重されるかは自明の理であろう!」
「……成る程。鬱陶しいったらありゃしないな」
チラリと、マルクス達の後ろに視線をやれば、そこには申し訳無さそうに頭を下げる老店主の姿が。言わば彼も被害者である為、流石にに責める訳にもいかない。故に宗介は早く帰れという圧力を銃口に乗せつつ、再び照準をマルクスの額に合わせる。
同時、彼の後ろに控えていたフルプレート達が両手剣を引き抜き、その切っ先をマルクスの首筋へと向けた。
キラリと輝く銀閃。ともすれば、謀叛を起こしたのかと目を剥くような光景だ。渦中の外に居る宿の主人など、突然のこと過ぎて何が起こったのかも分からないままアタフタしている。
しかしマルクスは動じない。何故ならこれは、謀叛でも何でもないから。
「生憎と今の俺はあまり機嫌が良くないんだ。ついうっかりその首を飛ばしちまう前に消えることを勧めるが」
と言うのも、宗介に呼応するように動くフルプレートは、やはり宗介謹製のゴーレムだった。彼がよく創る機械仕掛けとは違って、いかにもゴーレムゴーレムしている。
これはマルクスに対する監視及び暴走抑止の為に付けた二体だ。四六時中彼の周りで監視の目を光らせ、再び亜人族に侵攻しようとするなど不穏な動きを見せた場合、即座にその首を落として阻止する役割を担っている。時たま力仕事に使用されたりしているようだが、まあ許容範囲だろう。
「ふむ。何があってピリピリしているのかは知らんが、そう熱り立つな。銃とやらで撃たれては、流石の俺とて無事ではすまん。そうなったらどうなることか……よもや分からぬとは言うまい?」
「清々するだろうな」
「ククク! 皇太子殺害という大犯罪を犯そうとして、事もあろうに清々するときたか! つくづく常識の通じん奴よ!」
「死神の鎌を突きつけられていながら豪胆な態度を崩さないお前も大概だろうよ」
くつくつと笑うマルクスに、不敵な笑みを返してやる宗介。しかし直ぐに嫌悪を露わにした顔に戻ると、諦めたように銃口を下ろした。
やはりマルクスは苦手だ。流石は次期皇帝か、度胸が段違いで全くと言って良いほどこちらのペースに引き摺り込めない。むしろ気を付けていないと相手のペースに呑まれてしまいそうである。出来ることならこのままお帰り頂きたいところだろうか。
「それで、何しに来た? まさか自殺しに来た訳じゃないんだろ? 俺達の平穏を犯しに来たっていうなら喜んで介錯してやるが」
「よせ。俺とて貴様らの盛りを邪魔する気など無かったのだ」
「盛ってねえよ。至ってプラトニックな営みだ」
「クク。どうだかな。ともあれ、もしも介錯が必要になる時が来れば、その時は改めて依頼するとしよう。だが今はその時ではないのだ」
宗介とエリスの仲睦まじい姿を茶化すように口元を歪ませるマルクス。下卑た嫌らしい笑いに、二人の機嫌は右肩下がりを通り越して垂直降下だ。先程から邪魔されてばかりなのも相まって、『こいつウザいな』『力尽くで追い出すか』『いやもういっそ本当に殺してやろうか』とドンドン思考が過激な方向へとシフトしていく。
逆に冷静なのがフォルテだろうか。二人のヘイトが溜まっていく様を客観的に見ることが出来るので、彼女は冷静さを保てているようだ。
「殿下、そのくらいに……。自分の首を締めることになりますよ?」
「おぉ、それは恐ろしいな。俺もまだ死にたくなど無いし、お遊びはこれくらいにして本題と行こう」
飄々と、マルクスはやはり恐れる様子もなくおどけて見せる。その姿にやはりイラッとする宗介達だったが、マルクスにとっては関係ない。いや、苛立っている姿を見て楽しんでいるのかも知れないが。性格の悪さは一級なので。
ともあれ。彼は懐から丸めた羊皮紙を取り出すと、ポイと宗介に投げ渡した。それを危なげなくキャッチした宗介は、不機嫌な目から一転、怪訝な目でそれを観察する。
「何だこりゃ。開いたら魔法が飛び出す巻物とかじゃないだろうな?」
「そんな訳あるか。暗殺するにしたってもっとマシな方法を取るに決まっているだろう。それはただの依頼書だ」
その言葉を信じて開いて見れば、確かに冒険者ギルドで一般的に使用されている依頼書だった。あまり冒険者ギルドを利用しないとは言え、宗介も何度か見たことがある。
「……つまり、アンタの用事ってのは、俺に直接依頼をすることか?」
「そう言うことだな。なに、簡単な護衛の依頼だ。“黒級”の貴様らであれば簡単だろう?」
挑発するような言葉にフンと鼻を鳴らし、依頼書を確認する宗介。
内容は、アングライフェン大帝国北部に位置する臨海都市“メルクリア”へ向かう商隊の護衛。
ここしばらくは同都市と帝都の間に存在する“龍巫女”の脅威により一時流通が途絶えていたが、最近になってその脅威が取り払われた為、今、メルクリアと帝都を結ぶ街道はかなりアツい。キている。つまりはその流れに便乗する商隊の護衛だろう。
ルートとしては未だ魔物が残る“ヴィルト大森林”を左手に迂回する形なので、危険度は決して低くない。が、別段、“黒”の宗介達に名指しで依頼するほど危険でもない筈だ。“銀級”のパーティーでも着けば十分である。
ならば、
「……裏が、ある?」
「だろうな。大方、体良く俺達を追い出そうって所だろ」
首を傾げるエリスに、大体の事を察したのか宗介は肩を竦める。そんな彼の推測は見事に的中していたらしい。
「別に隠すつもりは無かったが、察しが良いな。そうだとも、貴様らには早々に帝都から出て行って貰いたいのだ。貴様らが居るだけで兵士達の士気はダダ下がり。大森林の一件でトラウマを抱えた部下共は夜な夜なうなされて、それはもう酷い有様よ。挙句の果てにはもう耐えられんと脱走する輩まで現れる始末だ。このままでは帝都の治安維持や防衛に支障が出る」
「それは……自業自得じゃないのか」
「いや、返す言葉も無い」
マルクスの私有軍は、大森林での公にされていない例の一件で甚大な被害を受けた。仮にも次期皇帝が個人で保有する精鋭揃いであった為、その精鋭達が見るも無残な姿で敗走して来たとなれば他の兵士達にも恐怖は伝播する。
そしてその恐怖の対象が自国に、それも他ならぬ帝都に滞在しているとなれば、不安で不安で仕方ないだろう。特に件の一戦で生き延びた者にとっては、その不安もひとしおである。それこそ夜眠れなくなる程に。眠る度、夢の中で命を刈り取る銃声がフラッシュバックするのだ。
だから、恐怖のタネである宗介に出て行ってもらう。何とも分かりやすい理由だった。
しかし理由はそれだけでもないらしく、マルクスは「それにな」と言葉を続ける。
「今の貴様には、ふとした拍子に何かしでかしそうな雰囲気がある」
「……そう見えるか?」
「当然だ。そんな奈落の底のような眼をしていれば誰だってそう思うぞ?」
「……フン」
月夜よりも黒い、真っ暗なそれ。果てが見えない暗黒のように濁った、宗介の右眼。
何者をも恐れぬマルクスですら本能的に恐怖を覚える闇が、そこにはあった。これこそが、彼を早々に街から追い出そうとする一番の理由に他ならない。
「貴様のそれは、全てを諦めた輩の眼だ。いざとなれば一切合切道連れに自害することも躊躇わないような輩の眼だ。そんな、いつ何時暴発するかも分からない爆弾を……しかもひとたび爆発すれば帝都を丸々吹き飛ばす爆弾を抱えていられる程、我々の懐は大きくない」
「は、そうかよ。随分と小さい国だな」
「抜かせ、貴様が大きすぎるだけだ。……ともかく、そこへ持ってきて丁度良い依頼があってな。依頼主が聖王国の商人だという理由で残っていた依頼も、同じ聖王国から来た貴様らならば抵抗も無いだろうから、ついでに消化してもらおうと言う訳だ」
なるほど、理に適っている。
聖王国と帝国はあまり仲がよろしくないので、冒険者ギルドでも依頼主を見て受けるかどうか判断する、なんて事が十分に起こりうるのだ。その結果受注されずに残った依頼は、依頼主の意向で取り消されてギルドを介さない裏の方法で達成される等、ギルドにとっても国にとっても手に余る厄介な代物となる。それを消化できて尚且つ厄介払いも出来るとなれば、まさに一石二鳥。嬉しい限りだろう。
「……ソウスケ、どうする?」
「受ける理由は無いが、受けない理由も特に無いな。仕事を背負うのは面倒だが、ここで断ってマルクスに付き纏われるのも面倒だろうし」
「クク、よく分かっているな。もし断ったならば力尽くでも退去してもらうつもりだ」
ほらこれだ、と呆れたように溜め息を零す宗介。結局のところ選択肢は一つしか無いのだ。他の選択肢は事前に潰しておく……交渉における常套手段である。
まあ、力尽くで別の選択肢を作ることも不可能ではないが、それをして帝国と全面戦争になるのも面倒だ。大人しく提示されている選択肢を呑むべきだろう。僅かな思案の内にそう結論を出した宗介は、向かうべき街の名前を記憶の底から引きずり出してみる。
「海の都メルクリア……白塗りの壁に青い海、そして新鮮な海産物だったな。ま、他にすることもないし、観光と洒落込むのも悪くないか。二人とも、異論は無いよな?」
「……ん。ソウスケが行くなら、わたしも、ついてく」
「別に帝都に思い入れも無いし、良いのではないか? 少なくともこの街で無為に過ごすよりは、幾らかマシだろうしね」
思えば宗介は、この世界に来てから海を見た事がない。この世界の海とは巨大で危険な魔物達が蹂躙跋扈する魔境であるが、側から見る分には綺麗な事に変わりはないだろう。それに宗介達ほどの力があれば、魔物共を叩き潰して悠々と海水浴を楽しむことも不可能ではない筈だ。吸血鬼の体質的に大丈夫かは別として。
ここは異世界、どうせやることが無いならアテもなく彷徨うのもまた一興。そうしている内に何か見つかるかもしれない……とは希望的観測に過ぎないが、フォルテが言うように何もしないよりはずっと良い。
「ふむ。と言うことはこの依頼、受けてくれるのだな?」
「ああ。アンタの思い通りに動かされるのは癪だが、今回だけ乗ってやることにするよ」
宗介は依頼書を仕舞うと渋々といった体で、二週間振りに重い腰を持ち上げた。