五五 決別の果てに
漆黒の大空を、一体の巨影が人知れず横切って行く。何処へともなくユラユラと。
宗介はその巨影こと飛竜型生体ゴーレム“バスカヴィル”の背の上で、ただの一つも言葉を発することなく、眼下に広がる大森林を眺めていた。
いや、その目はきっと何も見てはいまい。ずっと何か考え事に耽っているようだ。唯一動くのは、風に煽られて虚しく揺れる鉛色の髪だけである。
そんな彼の腕に抱えられているエリスと少し離れた所に腰を下ろすフォルテは、落ち込む彼を不安そうに見つめ、時たま二人で顔を合わせては肩を落とすということを繰り返す。普段、彼の腕の中に居る時はどこか満ち足りたような無表情をしているエリスも、今だけは何とも困ったような顔だ。
無理もあるまい。宗介が幼馴染との再会を何よりも大切に思い楽しみにしていたかは、二人とも良く知っている。だからこそ何と声をかければ良いか分からなかった。
故に無言。何も切り出せぬまま時間だけが過ぎて行く。
そんな具合で、三人を乗せた半機の飛竜は、背の上に重苦しい静寂を纏わせながら飛び続け……やがて“天空の塔”が闇に溶けて見えなくなってしまった頃。
重い静寂の中、宗介がポツリと彼女の名を呼んだ。
「……なあ、エリス」
「……ん」
不意に呼ばれたエリスは、やっと口を聞いてくれたことに僅かながら安堵しつつ、彼の腕の中でジッと顔を見上げる。そうして急かすことなく、静かに目を見つめて言葉を待つのだ。
一拍の間の後、宗介は意を決したように一つの問を零した。
「俺は、“化け物”か?」
「……それは」
どう答えたらいいのか、エリスは思わず言葉に詰まる。
否定してやることは簡単だ。ここで「違う」と返してやればそれでいい。
しかし、そう答えた所で誠意など無く、上辺だけの返答にしかならないのは明白。それはきっと彼に対する慰めの言葉にはなり得ないだろう。何せエリスの贔屓目を考慮しても、今の彼が“人間”であるとは言い難いのだから。
半分が吸血鬼で半分がゴーレム。鋭く尖った犬歯は人外の証であり、如何なる回復を以ってしても消せない火傷痕は恐怖を煽る。黒と紅の禍々しい左眼は悪魔か何かのモノだと言われた方が余程信じられる。
人間か化け物かの二択を迫られた場合、どちらがより適切かは……言うまでもないだろう。
「……言葉に詰まるってことは、そうなんだろうな。答え辛いこと聞いて悪かった」
宗介とて自覚はある。いや、幼馴染から面と向かって言われてしまった以上は自覚せざるを得なかった。
頭の中で幼馴染の言葉が何度も繰り返される。否定して掻き消そうにも、否定する為の言葉が見つからない。
もはやどうしようもなく、小さく溜め息を吐いて遠い目を浮かべる。
化け物。人ならざる者。
ならばもはや人の世に居場所は無いと言っていいだろう。
それはこの剣と魔法の世界だけに留まらず、故郷にだってきっと――――
と、不意に腕の中から微かな温もりが消失した。抱きしめられていたエリスがするりと抜け出したのだ。
「エ、エリス……? 何で……」
彼女は、幼馴染に拒絶されてしまった今の宗介にとって最後に残った“大切”。それすらも失ってしまっては、誇張でも何でもなしに生きていけない。
故に、顔を真っ青にして絶望の表情を浮かべる宗介を――――エリスは優しく抱きとめた。
「っ……」
いや、身長差的問題のせいで、どちらかと言えば抱き着く形に近いか。フワリと、風になびいた銀糸の髪が宗介の鼻をくすぐる。悲しそうに目を伏せたエリスは彼の首元に顔を埋めたまま、一言一言ゆっくりと聞かせるように語りかける。
「……私は、ソウスケを否定しない。誰が何と言おうと、私だけは、いつまでもソウスケの味方であり続ける」
「……どうしてお前は、そこまで」
「……確かにソウスケは、“化け物”かもしれない。けど、そんなのどうだっていい。私は今のソウスケを知っている。例え他の誰もが知らなくても、私を助けてくれたソウスケは、今ここにいる。…-私にとってはそれが全てで、ソウスケは何処まで行っても変わらずソウスケだから……」
――――だから、安心して?
普段とは丸きり逆の立場でかけられたその言葉。幼馴染から向けられた“拒絶”とは正反対の言葉は、ポッカリと穴が開いた宗介の心に染み渡る。
小さい身体でありながら全てを受け入れ、“化け物”である自分を変わらず想ってくれる抱擁力。
それは大切な存在から否定されて無防備になっていた彼にとって、効果抜群と言う他無かった。
「っ……エリス……!」
「ん、よしよし……」
殆ど無意識のままエリスの背へと震える腕を回した宗介は、腕の中の存在を確かめるように抱きしめ、声にならない嗚咽を漏らす。
それはまるで、子供が親に縋り付いて啜り泣くよう。身長こそ反転しているものの縋り付かれる側のエリスは、少し困ったような表情だ。
しかし、決してそこに呆れの色は無い。零れる涙や漏れる嗚咽全てを一身に受け止め、「良い子良い子……」とくすんだ灰髪を撫でるエリスの瞳は、愛しの我が子を抱く母のような慈しみを宿していた。色こそ人ならざる者の証である鮮やかな紅だが、そんなこと彼女らにとっては些事に過ぎない。
「どこまでも、いつまでも……私だけは、ずっとソウスケといっしょにいる」
「……信じても、良いんだな?」
「ん。……私も、拒絶されて、一人になってしまうことの辛さ……知ってる。だから絶対、ソウスケをひとりぼっちになんてしない」
「――――っ」
その言葉に感極まったのか、エリスを抱く腕にギュッと力を籠める宗介。もう何があっても手放さないという無言の主張に、エリスは少々窮屈そうにしながらも、「仕方ないなぁ」と言った具合に頬を緩ませた。
「すまん、暫くの間このままで居させてくれ……」
「……ん。今だけは何もかも忘れて、甘えてくると良い。私が全部、受け止めてあげる……」
嫌な顔一つせず、優しく慈愛に満ちた微笑みで宗介の抱擁を受け止めるエリス。銀の髪が月に照らされ夜風に煌めく光景は、さながら聖母のようだった。少し離れた所からそれを見つめるフォルテは、どこか呆れたような表情でボソリと呟く。
「全く、上手く利用したものだね」
「……何のこと?」
「とぼけても無駄だよ。傷心の所を誘導して自分にだけ目を向けさせる……お見通しさ」
「……何がいけないの? あんな有象無象なんて必要ない。……違う?」
「別にとやかく言うつもりは無いさ。しかし、仮にも勇者様が有象無象とはね」
中々キツい物言いに、苦笑いを浮かべるフォルテ。当然だと言わんばかりに答えたエリスは、紅い瞳に少しだけ怒りの色を見せた。
「……私の勇者は、一人だけ。あんな奴らなんて、認めない。ソウスケには要らない。私が居れば、それで良い。空いた穴は私が埋める。私がソウスケの“一番”になる。だから……」
誰にも渡さない。
そう言って、自分のものだと主張するように宗介へと抱きつき返すエリス。
彼女とて内心では必死だった。何せ宗介が幼馴染と共に歩む道を選んでしまうと、自分は捨てられるかもしれないのだ。そんなことは無いと信じているが、もしも宗介がエリスと幼馴染を天秤にかけた時、果たしてどちらに傾くのか……エリスには到底分かる筈も無い。
ならばどうするか? 宗介にとって幼馴染以上の“大切”になれば良い。つまりはそう言うことだ。
「まあ、エリスティアの婿殿に対する気持ちだって知っているし、何も言わないけどね……」
ふうっと息を吐いて立ち上がったフォルテは、風に揺れる機竜の背を伝って宗介の側まで歩み寄ると、背中合わせに腰を降ろした。丁度、シュンと折りたたまれた機械の翼にもたれかかる形だ。
「婿殿、これだけは覚えておいて欲しい。私も居るという事をね。今の私は婿殿の所有物。どういう選択をしようと、どんな道を選ぼうと、大きく違えない限りはどこまでも着いて行く所存だ。例えそれが、苦難の道であっても」
「フォルテ……」
「私だって今の婿殿の人となりを知っているんだ。君は決して一人じゃないよ」
「……ああ、そうだな。救われる、ありがとうな」
「うん、どういたしまして」
素直な宗介の礼の言葉に、思わず頬を緩ませるフォルテ。宗介を挟んで向かいのエリスは「……やっぱり、お邪魔虫。消す……?」と鋭い敵意の視線を向けているが、気にしないでおく。
そんなこんなで、涙を堪えて鼻を啜る宗介を中心に寄り添った三人は、重いような和やかなような得も言われぬ空気を纏いながら、小さな月を正面に遥々南へと夜空をひた走るのだった。
◆
「宗介くん……」
へたり込んだまま虚空に手を震わせ、幼馴染が消えて行った眼下の空を呆然と眺める葵。
その先に広がるのはプラネタリウムのような満点の星空と、漆黒の霞に覆われた地上の影だけ。自分達から逃げるようにその身を躍らせた幼馴染の姿は、気付けば既に消えていた。
「……行ってしまったわね。身投げした訳ではないようだけれど」
「西田の野郎、普通この高さから飛び降りたりするかァ?」
一触即発の空気に身構えていた槍水達は、一先ず武器を下ろして張り詰めていた息を吐く。仮にもクラスメイトに武器を向けたという事実が堪えていたのか、それともクラスメイトに銃口を向けられたことが突き刺さったのか、皆酷く疲れた様子だ。
「西田君、葵ちゃんを撃ったよね……」
「す、凄い威力だよ。もしも楠木さんに当たってたら……」
石畳を爆砕する十五ミリマグナム徹甲弾の威力にゾッと身を震わせる少年少女達。未だ、深く刻まれた弾痕の衝撃と真っ暗な銃口の恐怖が色濃く、足を踏み出して“距離”を詰めることが出来なかった。
望まぬ形であるにしろ決別してしまった彼が、もしも今後躊躇うことなく引き金を引いてきたら……クラスメイトとの殺し合いなど、想像もしたくない。悲劇以外の何物でもないだろう。
そんな中悠斗と葵は、何方からともなく寄り添い合って静かに目を伏せる。
瞼の裏に映るのは最後に見た幼馴染の顔。塔の縁から飛び降り消えていく宗介が、最後に見せたその表情だ。
「宗介くん……泣いてた」
「あぁ……そう、だね」
深淵の如き闇と血のような赤を宿した魔人の左眼から零れ、顔の左半分を覆う見るも無残な火傷痕を流れ落ちた、一筋の涙。
ほんの一瞬垣間見た、確かな人間性の証。
その光景が、いつまでも二人の心をキリキリと締め付けていた。
「もしかして僕は、焦りすぎたのかな……」
思い返されるのは、宗介の前に立ち塞がった鮮血姫の言葉。
押し付けだと彼女は言っていた。何とも要領を得ないその言葉の真意とは一体?
宗介は自分達を思って努力して来たと言っていた。その努力の結果と言うのが今の宗介であったならば? 機械の身体や顔の痛ましい火傷痕。色が抜け落ちた鉛色の髪。血色に染まった魔人の左眼。それら全てが自分達を思っての努力によるものだったとしたら?
贔屓目で言っても宗介は強くなかった。だと言うのに、彼は自分達ですら敵わなかった龍巫女を倒してしまった。果たしてそれ程までの境地に辿り着くまで、どれだけの苦労と努力があったのだろう。皆目検討も付かない。
そんな宗介を、自分は何と呼んだ? 彼のことを何だと言った?
頭の中で一つ一つパズルのピースが嵌っていく。そして完成に近付く度、ある答えが頭をよぎる。
「あぁ……僕は、取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない」
「悠斗くんだけの責任じゃないよ。わたしだって宗介くんを……」
流石は幼馴染か、同じ答えに至った葵が後悔の念に満ちた言葉を漏らす。
が、時既に遅し。口にしてしまった言葉を訂正しようにも宗介は去ってしまったし、刻まれた亀裂は消えずに残り続けるのだ。それこそ石畳に穿たれた弾痕のように。
もう一度会って話がしたい。謝罪したい。あぁ、我儘を押し付けて彼を否定した癖になんて虫の良いことを。どんな顔をして合えば良いのか分からない。会えるかも分からない。
再会に焦り、知ろうとしなかった罰がこの結果だと痛感させられ、がくりと項垂れる悠斗と葵。自ずと空気は重苦しい物となっていき、槍水達もどう声をかけて良いのか分からず居心地悪そうにしている。
その時だった。
「ッ、何だっ!?」
祭壇最奥の“空間”がぐにゃりと歪んだ。
それはさながら、ブラックホールが周囲の光を歪めるかの如く。新手か!? と即座に身構える勇者達。悲しみに暮れていた悠斗も咄嗟に葵の手を引き、彼女の盾となるべく立ち上がる。
そんな彼らの視線の先でスパークを放つ空間の歪みは、やがて巻き戻されるように元の形へ戻ると……いつの間にやらそこには、翠色の宝玉が安置された大理石の台座が据えられていた。
謎の事態に目を白黒させる勇者達。そんな彼らを前に、安置された翠色の宝玉――――高純度の風属性の魔石はフワリと浮かび上がり、瞬く間に魔力を纏って人影を形作った。黄緑色に淡く輝く風で構成されたシルエットだ。
勇者達は各武器を構えながら訝し気な目を向ける。そんな彼らを見回すように頭をキョロキョロと動かしたヒトガタは、やがてゆっくりとその口を――あるのか定かではないが――開いた。
『ふむ、君達が僕やミラを救ってくれたのかな。若き勇者達よ、君達の偉大なる勇気のお陰で僕は戻ってくることが出来た。最大限の感謝を送ろう』
中性的な声でそう言って空中で華麗に礼をする緑のヒトガタに、意味が分からず大量のハテナマークを浮かべる勇者達。暫くして顔を上げたヒトガタも悠斗達の反応に気付いたのか、同じように首を傾げる。
『あれ? もしかすると僕の早とちりだったりするのかな?』
「いや、言葉の意味がよく分からないと言うか……。助けた? それに、貴方は一体……?」
纏う魔力の膨大さから格上の存在だと認識した悠斗が、おずおずと尋ねた。
『まさか、何も知らないのかい? ……そうか、分かったよ。ならば一つ一つ、順を追って説明しよう。まず――――僕の名はウラノス。風の大精霊ウラノスだ』
「ンなっ!?」
「だ、大精霊って、あの大精霊!?」
聞き覚えのある名前に驚愕の声を上げる勇者達。
世界に遍く四つの元素。そしてそれらを司る四柱の大精霊、火の“ヘリオス”、水の“ネレウス”、地の“クロノス”、そして風の“ウラノス”。召喚されて間もない時に座学で学んだ名前だ。一応、この“天空の塔”がウラノスを祀る為に建てられたと言うのは知っていたが、それでも驚きを隠せない。
そんな彼らの反応に、恥ずかしいのか申し訳ないのか何とも言い辛そうにウラノスは話を続ける。
『とは言っても、異空間の牢獄に幽閉されていてね。ミラが隷属状態から解放されたお陰で、やっと戻ってくることが出来たという訳だ』
「ミラとは……“龍巫女”の事ですよね? 隷属に、解放? 一体何の話を?」
未だ話が読めずに混乱しながらも、一先ずリーダーらしくざわめく皆を制止して話す悠斗。ウラノスはそんな彼をマジマジと、目らしき部位を向けて観察する。それの一環なのか不意に柔らかな風が悠斗を撫でると、納得したように頷いた。
『嘘の風ではない、か。どうやら“隷属の刻印”についても知らないようだね。……端的に言うけど、君達の言う龍巫女ことミラも含めて、魔王軍幹部は魔法によって洗脳されているだけなんだよ』
「っ!? そ、それは本当ですか……?」
そんな話聞いたことも無いぞ、と耳を疑う勇者達。
冗談であっても真実であっても、些か衝撃的に過ぎる話だ。ともすれば、これまでの「魔王軍は敵」という共通認識が百八十度ひっくり返る程に。
『初めは四大精霊を支配下に置くつもりだったんだろうね、僕らに“隷属の刻印”を刻むべく幾体もの“悪魔”がやってきた。だけどネレウスは海底に、クロノスは地下深くに、僕は空に避難することで事なきを得たんだ。……ヘリオスだけは馬鹿正直に戦った挙句支配されてしまったようだけど』
「それが、“炎帝”ヘリオス……と言うことですか」
『そう言うことだ。ま、戦闘狂のヘリオスは良いとして。なんとか魔の手から逃れた僕達だったんだけど、残念ながらそう簡単に事は済まなくてね。僕とクロノスは自分達の秘蔵っ子を、ネレウスは使い魔を奪われてしまったんだ……。皆とっても良い子だったのに、魔王の道具として扱われて……。それこそが君達も知る所の“龍巫女”と“鮮血姫”、そして“巨鯨”だね』
「おいおい、マジかよォ」
「にわかには信じ難いわね……」
明かされた衝撃の事実に、悠斗達は思わず目眩を感じた。
勿論、ウラノスが嘘をついているという線も無くはないが……もしもその話が本当なら、魔王軍幹部は悪ではないという事になる。ならば自分達はこれからどうすれば良いのか? 自分達は誰と戦えば良いのか? まるで分からない。
これまで悠斗達が抱えていた行動原理と言えば、宗介との再会及び魔王軍の討伐だ。
しかし、宗介との再会は自分達の過ちによって大きな亀裂を残す結果になってしまったし、魔王軍討伐という崇高な目的も今やガタガタに崩れかかっている。
もはや、歩むべき道が見えなかった。
『ふむ……僕はてっきり、それを知っていてミラを助けてくれたのだと思ったんだけどね。相当な荒療治だったようだけど、命に別状はないみたいだし』
むむむ、と顎に手を当てて考え込むウラノス。
聞けば、どうやら大精霊は自らと契約した者との間にパスが繋がっているらしく、互いの様子をある程度知れるのだとか。それによると現在の龍巫女は……いや、ミラは、大きく力を衰えさせているものの確実に生きており、無事に魔王の支配から解放されたらしい。
“隷属の刻印”について知ってしまった悠斗達からすれば、宗介が仕留め損ねた事を悔やむべきなのか一命を取り留めた事を喜ぶべきなのか、悩ましい所だ。
『誰かが彼女の角を切り落としでもしたんじゃないかと僕は踏んでいるんだけど、心当たりは無いかい?』
龍の角は力の源、もとい魔力の貯蔵タンクであり、心臓や脳に次ぐ重要な部位。そこを失った龍は力の大半を失う。それ故の推測に、悠斗は首を横に振る事で答えた。
彼らは龍巫女にコテンパンにやられた挙句、塔の頂上で宗介が戦うのを眺めていただけだ。助けるなんて滅相もない。
と、その事を説明しようとしてふと気付く。龍巫女を沈めた最後の一撃は、宗介の仲間が繰り出した角への斬撃だったと。その斬撃が角を切り飛ばした瞬間、天龍の闇が晴れて堕ちていったと。
「……もしかして宗介は、全部知っていたのか?」
フォールン大空洞第五十層で奈落の底へと消えた宗介。その後、間違いなく鮮血姫と戦った筈だ。少なくとも先程一緒に居たのだから地の底で会っているのは間違いない。
ならばその時、ひょんなことから“隷属の刻印”について知ったのではないか? と、そんな推測が頭をよぎった。
勿論、推測は推測。信憑性は皆無であり、それを指摘するように槍水が呟く。
「……そんなこと、あり得るのかしら?」
「分からない。……だけど、可能性は高い気がするよ」
もしもそうだとすれば龍巫女を殺さなかった事も納得できるし、宗介と鮮血姫が一緒にいる事にも説明が付く。その場合、彼の言っていた『色々と事情があって仲間になった』とはきっとこの事を指すのだろう。
『どうやら心当たりがあるようだけど、教えてもらえるかい?』
「あくまでも推測ですけど、宗介が……僕の幼馴染が、龍巫女を助けたのではないかと」
否定した分際で幼馴染と呼んでも良いのかという葛藤を押し潰し、悠斗はそう答える。後ろの槍水達は半信半疑な様子だが、まぁ今は良い。
『成る程、戦ってくれた子は君達の他にも居たという事か。出来れば直接会って礼を言いたいんだけど、君達に着いて行けば会えたりするかい?』
「それ、は……」
ウラノスは少し考えて納得したように頷き、そして事情を知らないが故に軽い口調で尋ねて来た。途端に悠斗は顔色を曇らせる。話を聞いていた葵や他の勇者達も同様に。
むしろ会いたいのは自分達だ、と言いたい。もう一度あってゆっくり話がしたい。
だが無理だ。宗介が何処に行ってしまったのか分らないし、例え居場所が分かった所でどんな顔をして会えば良いのかも分らない。あれ程までの仕打ちをしてしまって、今更会わせる顔が無かった。
酷く落ち込み、後悔するような重い表情を見せる悠斗に、ウラノスは途端にオロオロと狼狽する。
『ど、どうしたんだい? 何か不味い事を言ってしまったなら謝罪するけど……』
「……いえ、そういう訳では。ただ少し事情があって、今の僕達が宗介と会うことは不可能だと思います」
『ふむ……。一応、その事情とやらを聞かせてもらっても良いだろうか?』
ウラノスの提案に、「どうする?」と顔を合わせる勇者達。
これは彼らにとってある種のの“恥”だ。正直、あまり人に話したいと思える内容ではない。
『もしも何か気掛かりがあるのなら、ここで聞いた話は絶対に他言しないと約束しよう。相談に乗っても良い。助言くらいはしてあげられると思うよ?』
大精霊と直々に言葉を交わすなんて滅多に無い機会だよ、と促してくるウラノス。悠斗もあまり話したくないと渋るが、勢いに押され、やがて諦めたように溜息を吐いて葵と視線を交わす。
「……話しても良いかい?」
「うん、わたしは良いと思うよ。大精霊様なら、道標を示してくれるかもしれないし……」
「そう、だね。どうせ今の僕らには、きっと必要だ……」
助言が欲しいと言うのは、確かに有った。何せ今の勇者達には、宗介との再会も魔王軍討伐も、何一つ目的が無いのだ。ならば、創世の時代から生きる最大の年長者に頼るというのも、アリかもしれない。
彼らは勇者であるが、しかしまだ若い。所詮は高校生、誰かしらの導きと言うのはやはり必要不可欠なのだ。
「分かりました、話します。実は……」
悠斗は、自らの過ちを再確認するようにゆっくりと、事のあらましを語り始めた。
この世界に召喚された所から宗介が奈落に落ちて行った事、そして今日この日の再会に至るまで、全てを――――
◆
「……と言う訳です。もう、僕達にはどうすればいいのか……」
半ば泣きそうになりながら語る悠斗の話を静かに聞いていたウラノスが、話が終わって最初に放った第一声は……
『そんなことで悩んでいるのかい?』
呆れたような言葉だった。
「……“そんなこと”、ですか。自分としては、真剣な悩みのつもりですけど」
『あぁ、すまない。馬鹿にした訳ではないんだ。ただ、僕と君達とでは価値観に大きな違いがあるようだから……。うん、一先ずは僕個人の価値観に基いて意見を言わせてもらうけど……』
失言を取り繕いつつ、ウラノスは一拍の間を置いてキッパリと告げた。
『まず君達は、根本的な所から考え方を間違えている』
「考え方を、間違えて……?」
『そうだとも。人間だから、魔人族だからなんて馬鹿の考えだよ。人間族も亜人族も魔人族も、皆ひっくるめて同じ“ヒト”だ。そこに差異なんて無いだろう?』
「っ、そんなに簡単な話ではっ」
『いいや、簡単な話だよ』
猛然と上げられる抗議の声を退け、ウラノスは話を続ける。
『確かに、三種族の間には多少なりとも見た目や能力に違いがある。そもそも精霊王様が、各々に役割を与える一環で「そうあれ」とお創りになられたのだから、当然と言えば当然だけどね。だけど考えても見るといい。その程度の差異、人間族同士にだって存在するだろう? だと言うのに同じ種族だけを受け入れて亜人族や魔人族を排斥するのは、“小さい”と言わざるを得ないよね』
「……それは」
全くもって言葉が出なかった。
分かっている。これはあくまでも大精霊と言う遥か高みに位置する者の意見だ。天上から見下ろせば、人間族も魔人族も同じ“人の子”に見えてしまうことだろう。そして何より、勇者達は異世界人だ。この世界の創造神である“精霊王”の被造物ではない。
つまり、ウラノスの価値観は少なくとも悠斗達には適応されないと言える。
だのに何故か、その意見を否定することが出来なかった。
『人々の性質に差異があるとするならば、それは“善”か“悪”かの違いだけだ。今となってはそれもある種の個性になっているけど……果たして君の幼馴染とは、受け入れ難い邪悪かい?』
「そ、そんなことはっ!」
『だろう? ならば悩むことは無い。後は、種族の垣根を無くした寛容な心を持つだけだ。それこそ、地上に遍く全てを包み込む大空のように広い心をね』
人の差異は善か悪かだけ。流石は大精霊だと言わざるを得ないその考え方は、あくまでも人間である勇者達にとって完全に目から鱗だった。
しかし、そもそも異種族という物自体が存在しない世界で育ったからか、それとも実際に人と魔人族との間に残された争いの歴史を知らないからか。だからこそストンと腑に落ちた。
「あぁ、そうか……種族の違いなんて、関係なかったのか……」
『どうやら僕の助言は役に立ったようだね。で、どうだい? 僕はミラを拾って礼を言いに行くつもりだけど、着いてくるかい? これでも人探しは得意だし、ついででもよければ再会させてあげられるよ?』
うわ言のように繰り返す悠斗に、そう提案するウラノス。ハッと正気に戻った彼はどうするべきか暫く考え込むが、やがて苦い顔で首を横に振った。
「お言葉は有難いです。けど、やはり今の僕達には宗介と会う資格がありません……。否定して、押し付けて、突き放して……今更どんな顔をして会えば良いのか……」
種族なんて関係ないと、この話は良い。だがそれ以前に、もう一度再会するには些か致命的に過ぎる亀裂が出来てしまった。こればかりは種族がどうこうと言って解決する話ではない。
この深い深い亀裂をどうにかしなければ、再会など出来ないのだ。
『ふむ……。なら、“今の”幼馴染を知る所から知る所から始めてはどうだい?』
「今の、宗介を……」
『そうだ。幼馴染君を知る者を探して話を聞くなり、歩いて来たであろう軌跡を一から辿ってみるなり、方法は幾らでもあるだろう? エリスティアと共に居た以上、どうあっても絶対に顔を合わせているだろうから、もう一度“フォールン大空洞”へ潜ってクロノスに会いに行っても良い。今し方伝わってきた風の噂によると、未知の武器を使う灰髪の新人冒険者達が“炎帝”を倒したらしいね。西に向かって大陸横断も良いんじゃないかな』
炎帝を倒した冒険者と言うのは、十中八九宗介の事だろう。操られていたとは言え仮にも魔王軍幹部、それを下すことの出来る実力者など、少なくとも人間の中には勇者の他に存在しない。だからこそ召喚されたのだから当然だ。
フォールン大空洞を自力で攻略した宗介はその後、西のトリッド及びトリッド活火山を目指したのだろう。そして炎帝ヘリオスを討伐、もとい魔王の支配から解放したのだ。きっと。
どうしてその道を選んだのかは分からないが、彼の後を辿れば、間違いなく今の宗介を知る者に突き当たる。誰とも関わらずに過ごすなどこの人の世ではほぼ不可能だし、今の宗介は酷く特徴的な姿だ。記憶に残らない筈が無い。
つまり、一からやり直してみろ、と。そう言ってくれているのだ。
『そうして納得がいったなら、もう一度会って話をすれば良い。人の一生はとても短く、失った時間は決して元には戻らないけど、君達はまだ若い。幾らでもやり直せる。ならばたった一度の失敗を悔やむより、前を見て歩き続けるべきだ』
「……出来る、でしょうか」
『出来るとも。精霊王様によって創られてこの方、ずっと空から人の営みを見守って来たこの僕が保証するよ。君達が心からそれを望み、一心に努力するのなら、不可能なんてない。人にはそう言う力がある。……それこそ、異世界から来た君達なら僕よりも詳しく知っているだろう?』
それもそうだ、と頷く悠斗。
人類史を紐解けば、不可能を可能にした例と言うのは枚挙に暇が無い。何せ勇者達の故郷では人は空を超えて宇宙にまで到達しているし、遺伝子等という神の領域にまで手を出しているのだ。
ならば幼馴染との関係をやり直す程度、出来ない筈が無い。
さて、とウラノスは話を畳む。
『僕からの助言はこんな所だけど、少しは役に立ったかい?』
「それはもう、凄く」
爽やかに、されど新たな決意を宿した表情で笑って礼をする悠斗。ふぅっと息をついて葵と顔を合わせる。
無言で葵と見つめ合う悠斗は、胸の前でギュッと手を握る彼女と共に力強く頷き、そして静かに視線を送ってくる槍水や周防達の方へと向き直ると、おもむろにその頭を下げた。
「皆、何度も僕の我儘で振り回して、本当にすまないと思ってる。……その上で頼む、どうかもう一度だけ付き合ってほしい!」
「わたしからも、お願い! わたし達だけじゃ、きっと宗介くんには届かないと思うから……」
やはり、宗介との関係をやり直したい。せめてもう一度会って話をしたい謝罪したい。そうでないと、これで終わりなんて死んでも死に切れなかった。
だから悠斗は、“今の”宗介を知ると決めた。彼の軌跡を辿ると決めた。
しかし、それはきっと険しい道のりになる。少なくとも龍巫女に手も足も出ないようでは話にならない。である以上、先ずは力を付ける必要があるだろう。せめて遥か高みに居る幼馴染の影を踏めるくらいには。せめて魔王軍幹部と善戦出来るくらいには。
悠斗と葵だけでそこに辿り着く事は恐らく……いや、間違い無く不可能。槍水や周防、緋山に岩井と言ったパーティメンバーの協力は必須だ。
だが、彼らにはそこまで宗介に入れ込む理由が無かった。言ってしまえば友達の友達、もしくは一クラスメイト等、所詮はその程度である。宗介自身、召喚される前は他者との間に距離を置き気味だったせいで関わりもあまり深くない。
ともすれば、槍水達にも協力を仰ぐという行為はやはり我儘に過ぎない。本来ならば幼馴染の二人だけでケリを付けるべき問題なのだから。
それ故の懇願を受けた槍水達は、どうしたものかと若干の困惑を露わに顔を合わせると、呆れたように息を吐いて悠斗へと歩み寄る。
そうして、槍水が四人の総意を代表し……
「馬鹿」
悠斗の頭にチョップを落とした。
「っ!? な、何をするんだ瑠美っ」
「本当、貴方って馬鹿。そんなに改まらなくたって着いて行くに決まっているでしょう? 私だって、西田君に言いたいことくらいあるのだし」
頭を押さえて猛然と抗議の声を上げる悠斗に、「当然でしょう?」と自らの選択を告げる槍水。周防や緋山、岩井も続く。
「そう言うこった。俺達ゃ二度もあいつに命救われてンだからな、礼の一つでも言わねえと男が廃るってモンだぜ」
「私も行くよっ! クラス全員、誰一人として欠けずに帰る以外、ありえないもんね!」
「そ、それに、魔王の脅威は健在だから、今よりもっと強くならないといけないのは変わらないし……」
「み、みんな……っ」
四人の優しい言葉に、思わず感極まって目元を潤ませる葵。泣くのはまだ早いでしょうと槍水によって苦笑いしつつ宥められるのを横目に、悠斗は皆に何と感謝を伝えれば良いのか分からず呆然としていた。そして一拍の逡巡の後、溢れそうになっていた熱いモノを拭うと、次の瞬間にはリーダーに相応しい凛とした表情を取り戻す。
もはやそこに迷いは無かった。
「皆、本当にありがとう。こんな僕に付き合ってくれて。……それじゃあ、次の目的地は西だ。修行も兼ねてトリッド方面へ向かい、宗介の軌跡を辿ることにする。異論は無いよね?」
力強く頷いて肯定の意を示す勇者達。それを見たウラノスは、腕を組んでカラカラと笑う。
『うんうん、良きかな良きかな。もう僕の助言は必要無いようだ』
「ええ、おかげで吹っ切れました。ありがとうございます、大精霊様」
『そう畏まらなくても良いさ。人の子を導き見守るのは、僕の楽しみでもあるんだからね』
満足そうにそう言ってカラカラと笑うウラノス。そのやたらと軽い物腰は、風の大精霊が故か。少しだけ大精霊たる威厳を出そうとしつつ、されどあまり圧を感じさせない柔らかな口調で最後の言葉を送る。
『若人よ、君達の人生はまだまだこれからだ。きっとこれからも、同じような経験を何度もすることになるだろう。だけど決して挫けること無く、色々なことを学びたまえよ。それらはきっと、より良い未来の糧となるからね』
「肝に銘じておきます」
『うん、それじゃあ僕はミラを拾って一足先に宗介君に会いに行くとしよう。君達が無事に幼馴染と再会出来ること、雲の上から祈っているよ』
そう言い残して霧散する緑光のシルエット。途端に一迅の風が吹き、その風が凪いだ頃には既に核の魔石も微かな気配すらも綺麗さっぱり消えていた。
……雲の上から見守るって死人か何かかよとか、神にも等しい存在の一柱とは思えない程軽かったとか、色々とツッコミ所はあったが、何はともあれ。
次の目的は決まったと、勇者達は早速下塔の準備を始める。よもや宗介のように飛び降りる訳にもいかない為、一度登ったこの塔を今度は反対に下って行くのだ。
登りよりは降りる方が楽だろうし、塔内部の異界化も治まっているだろうが、階層は百。流石に気が滅入るものもあったが、その程度で今の彼らは止まらない。
……否、贖罪の為にも止まれない。一度は否定した今の宗介を知り直し、胸を張って再会を果たすその日まで。
「――――さあ、行こう。全部、一からやり直すんだ」
その目に消えて行った幼馴染の背を見据えて、勇者達は再び歩みを始めるのだった。
やっと更新出来ました。
忙しい続きで期間が空いてしまったこと、ここにお詫びさせて頂きます……。
それと、次の更新も恐らく間が空くと思われますので、先に謝罪させて頂きます。申し訳ありません。
モン○ンの発売日と忙しさがあいまって……それはもう……。
一応、今のところエタる予定は無いので、気長にお待ち頂けたら幸いです。