四五 緊急会議
突如として現れた人間達に、フォルテとエリスは咄嗟に口を噤み、幻影魔法でその身を隠蔽する。まさにコンマ数秒の早業であった。
「これ、木が斬り倒されてるのか?」
「小さいがクレーターまで出来てるぞ」
「一体ここで何が……? 一応、気を抜くなよ」
流石、エリスの魔法か。こちらの姿を見られる前に隠れることが出来たらしい。訝し気に決闘の舞台を検分し始める人間達に、フォルテはホッと息を吐いた。
(た、助かったよ。すまないな、エリスティア)
(……ん)
ドーム状に張られた陽炎の幕の中、その言葉に無言で頷いて答えるエリス。フォルテは、眼前の彼らをジッと観察する。
複数の金属片を組み合わせたプレートアーマーを着た、三人の人間。その鎧も腰に装備している剣も、見るからに一級品だと分かる。しかも鎧の作りやマントに刻まれた紋章には、どうも見覚えがあった。
――――“帝国軍”。それも、皇太子直属の精鋭だ。
確かに、この森に帝国の人間が侵入して来ていることはフォルテも聞いていた。が、まさかこんな大物がやって来ているとは……と思わず苦い顔を浮かべた。
皇太子直属の軍と言えば、帝国における最大戦力だ。人数は最大で千だったとフォルテは記憶している。本来はたかが奴隷確保などに出張ってくるような存在ではない筈なのだが……ここ暫くの不作に業を煮やした――森周辺を“龍巫女”が監視しているせいで迂闊に軍を派遣出来ない――のか、手加減も容赦も無く一切合財を回収しに来たらしい。
そんな帝国兵を、よもや見つかったりしないかと肝を冷やしながら観察していると、やがて検分が終わったのか、三人はぶつくさと愚痴を零し合いながら帰還の準備を始める。
「ったく、こんなだから哨戒任務は嫌なんだよ」
「魔物が暴れた、って感じではなさそうだが……要報告だろうな」
「だな。この破壊をもたらした張本人に出くわしたら事だ、さっさと済ますぞ」
「明日は早朝から亜人共の里に突撃だしなぁ。寝坊しちゃ大変だ」
ピクリと、何やら聞き捨てならない言葉を聞き取ったのか、フォルテが静かに反応した。
どうやら、既に亜人族最後の砦である集落の所在地が知られてしまっているようだ。一体どこから露見したのかは定かではないが、それを踏まえて今し方の言葉について考えれば、明日の早朝に帝国軍が隠れ里へと攻めてくると言うことになる。
これはとんでもないことを聞いてしまった……と冷や汗を垂らしながら、されど聞き逃すまいと必死に聞き耳を立てるフォルテ。帝国の兵士達は、そんな彼女が居る事など露知らず、下衆な笑いを浮かべて会話を続けている。
「褒美の奴隷は早い者勝ちだっけか」
「俺、絶対にエルフの娘貰ってやるんだ。皇太子様マジ太っ腹」
「しかも勇者様のお陰で勝ち戦だからな、これは久し振りに腕が鳴るぜ」
「ホントホント。異世界の勇者様々だわ」
「勇者様は俺達のお陰で迷うことなく塔に行ける、俺達は勇者様のお陰で安全に奴隷を補充できる……これぞ持ちつ持たれつってヤツだな」
「へへ、違いねえ。知らずに利用されただけの勇者様は気の毒だが」
「むしろ至れり尽くせりだぜ」
何が可笑しいのか、ゲラゲラと声を上げて笑う兵士達。
何とも酷い会話だ。完全に亜人族を獲物としか見ていない。加えて聖王国が召喚した勇者達を、私欲の為に利用したことを示唆するような内容まで。
これにはさしものフォルテも、険しい顔を浮かべる他無い。今にも剣を抜き放ち、眼前の屑共を処分してしまいそうな勢いだ。エリスはただ無言で、ゴミを見るような冷たい視線を送っている。
「さて、どやされる前に帰ろうぜ」
「正体は分からず終いかぁ。小言の一つは確実だぜ」
「あークソ、眠ぃってのに。畜生め」
やがて三人は、刻まれた破壊痕から血の染み込んだ土やスッパリと切断された木の欠片等を少量回収し、森の奥へと戻って行った。未知の脅威が残していった痕跡を分析するつもりだろう。とりあえずは一安心、なんとかやり過ごせたらしい。
兵士達の後ろ姿が森の奥に消えて行くのを身届け、幻影魔法を解除するエリス。途端、フォルテは踵を返して切羽詰まったように駆け出した。エリスの手を引いて。
その行為に不快気に眉を顰めたエリスが、グイグイと引っ張られながら抗議の声を上げる。
「……離して、いきなり何するの」
「すまない、急がないといけないんだ! 今の話、早く皆に伝えないとっ! 我慢してくれ!」
皇太子直属の精鋭軍、最大千人が一斉に不意打ちを仕掛けて来たら、冗談抜きで亜人族が全滅する可能性だってある。早く族長達の耳にこの情報を届け、対策を練る必要がある。その為には一分一秒も無駄には出来ない。
もしも遅れてしまえば……殺され、弄ばれ、故郷を蹂躙されて全てを奪われる――――
「そんなこと、もう二度と有ってはならないんだッ!!」
先の決闘のせいで全身が痛む。傷口から血が滲む。知ったことか知ったことか!
今、彼女にできることは、全力で歯を食いしばり駆けるだけ。どうせ亜人の血が流れているお陰で身体は人一倍丈夫なのだ、この程度では止まらないし止まれない。
ただ一つ、“同胞”の無事だけを祈って、フォルテは金色の風となって宵闇の大森林を駆け抜ける。
一秒でも早く情報を伝える為に。
◆
「……で、どうして俺は呼び出されたんだ?」
全身から“苛立ってますオーラ”を暴力的に放ちながら、ジロリと細めた隻眼を会議室に集まった族長達へと向ける宗介。
その首元には左右に立つ虎族の亜人によって槍の穂先が突きつけられている。……が、構えている本人達は宗介の放つピリピリした空気にすっかりへっぴり腰となってしまっているので、あまり意味は成していないようだが。
宗介が連れて来られたのは、住宅となっている大樹の一本に存在する、会議室のような部屋だ。中央には即席だが円卓が置かれており、周りには各種亜人族の族長達が座っている。その面々の中にはいつぞやの白虎も居るし、隅の方にはフォルテも居た。各所に巻かれた包帯は、エリスとの戦いで負った傷を処置したモノだろう。
現在、この広間では、緊急の会議が開かれていた。その会議に宗介も召集されたという訳である。
そして、宗介が今にも銃を抜きそうな程に憤っているのは、エリスが“決闘”を終えて戻ってきて、「さあ、明日に備えて寝よう」と言う所に呼び出しを食らったからだ。今の時刻は深夜、草木も眠る丑三つ時である。言ってしまえば、それだけ緊急の要件と言うことなのだが……そんな事よりもゴーレム創造で疲れている宗介は休みたかった。
故に、眠気とストレスで手が滑って引き金を引いてしまうことも辞さない勢いで、この召集に応じたのだった。
と、そんな具合で亜人族の長達を前に恐ろしく不遜な態度で臨んできた宗介を、当の族長達は様々な色を含んだ目で一瞥する。値踏みするようなものから、嫌悪を多分に含んだもの等だ。
やがて族長の一人らしい好青年が口を開いた。エルフ族の長、ルフレだ。
「単刀直入に聞きましょう。帝国のニンゲンでないと言うのは確かなのですか?」
瞬間、「またそれか」と宗介は全力で面倒臭そうな顔を浮かべる。
「はぁ、白虎の奴にも言ったがな、俺の目的は“天空の塔”に向かうことだけだ。あんたらをどうこうしようってつもりは無い。……と言うか、流石に何度も鬱陶しいぞ」
眉間に皺を寄せてルフレを睨みつける宗介。しかし当の本人は手を組みながらその目をジッと見つめ返し、そして言葉を続けた。
「ニンゲンの言葉は信用出来ない、と言うのが亜人族の共通認識でしてね」
「俺はそこの白虎の信用を得られたからここに居ると思ってるんだがな」
「亜人族全体の未来を、一族長の判断に託す訳にはいかないもので。それではもう一つ聞きましょう。我々の隠れ里の場所を、帝国軍に売ったりしたのではないですか?」
「んなことはしてねえよ。ずっと地下に籠って作業してたことは、あんたらが一番良く知ってるだろ?」
そう言って、一人の族に目をやる宗介。目を向けられた彼……狼族族長ヴォルンは、「うぐっ」と言葉を詰まらせた。
エリスが建てた小屋は彼から許可を得て作ったモノだ。そこでゴーレム創りに励んでいた宗介は、小屋の周りを取り囲むように監視していた者達の存在を把握していた。自領内に信用できるか分からない存在が陣取っている以上、当然の対処なので、文句は言わなかったが。
「……と言っても、あんたは信じてくれなさそうだ」
呆れたように肩を竦める宗介。彼の予想通り、ルフレは信用していないらしく、「勿論ですとも」と目を細めてにこやかに笑った。思わず宗介も頬が緩む。というより引き攣る。
「私は貴方を、この場で処刑するべきだと考えています。疑わしきは罰せよと言いましてね」
「そりゃあ素晴らしい考え方だな。いや、止めはしないが、今の俺はちと頭に来ててなぁ……。その場合、帝国が攻めて来る前に滅びる覚悟をしておけよ?」
目を据わらせたまま、ピリピリした空気を纏って笑い合う二人。何と無く周りの者達も、気持ち一歩引き下がる。
ルフレはどうやら、相当に人間のことを嫌っているようだ。亜人族の中でも特に排他的な空気を感じる。流石はエルフということだろうか。
しかし、対する宗介も引き下がりはしない。
宗介の目的は、天空の塔を登って幼馴染と再会することだ。そしてその時は、今や目前まで迫っている。その直前に立ち塞がる者が現れたならば……強制排除だってしよう。亜人族の存亡と幼馴染、どちらが大事かなど考えるまでも無いのだから。今の宗介のトリガーを引く指は軽い。
そんな訳でスパークを迸らせながら微笑み合っていると、また一人の族長が重々しく口を開いた。白い体毛で覆われた虎の獣人、ティグルドだ。
「……今、我々がすべきなのは、帝国軍への対策を話し合うことではないのか?」
「……そうでしたね。ええ、そうでしたとも。しかし元を辿れば、事の元凶は貴方なのですよ? ニンゲンの少年少女如きに敗北を喫し、誇り高き亜人族の顔に泥を塗っただけでは飽き足らず! あろうことか独断でニンゲンを招き入れるなど、言語道断も良い所ですよ! どう責任を取るつもりですか!?」
「ぐうの音も出ないが、生憎と敗北したつもりは無い。それに、彼を招き入れたのは帝国軍に関する一件とは無関係であると確信したからだ。ならば無闇に藪を突いて龍を怒らせるより、手出ししないで放置しておくべきだろう」
淡々と述べていくティグルドに、宗介は感心したように頷く。成る程やはり、彼は見た目に反して話が分かるのだ。逆にルフレは頭が固いと言えるだろう。いや、あくまでも同胞達の事を思っての発言なのだろうが……。
「ここで放置しておけば、帝国軍との戦闘中に背中を刺されるかもしれないのですよ!? そうすれば我々亜人族は壊滅だ! 貴方一人の独断のせいでね!」
「ならばここでこの男達と戦い、帝国軍と戦う為の戦力を減らすか? フン、それこそ愚かであろう。帝国軍の戦力は多くて千。対してこちらの戦力は、女子供を除けば二百にも満たないのだ。現時点でも敵うかどうか危ういと言うのに、これ以上我々の頭数を減らす訳には行かん」
「っ……! それで、もしも何かあったら!」
「その時は我がこの男を断罪する。例え刺し違えてでもな」
これで文句はあるまい? と、族長達を見回すティグルド。対する反論の声は上がらない。ルフレだけは苦虫を百匹くらい噛み潰したような表情を浮かべているが。
やがて宗介が、やれやれと言わんばかりに溜息を吐いた。
「……話が済んだなら帰っても良いか? エリスが一人寂しく待ってるだろうし、明日は朝から出発する予定だから寝ておきたいんだが」
「っ、私はまだ貴方のことを信用していません!」
「貴様、往生際が……」
バンッ、と机を叩き、猛然と抗議の声を上げたルフレ。咄嗟にティグルドが制止するが、それすら振り払って族長達を見回す。
「往生際など悪くて結構! 何せ亜人族全ての命運がかかっているのですから! ……もう一度良く考えて欲しい。相手はニンゲンですよ? 果たして……信用に足りますか?」
「それは……」
円卓を囲む族長達は一斉に口を噤み、言葉を詰まらせた。
亜人族は、長きに渡って人間に虐げられて来た存在だ。その歴史は極めて古く、始まりは創世期……“光の時代”に“闇”という異分子が紛れ込んだその瞬間まで遡る。
それまでは上手く手を取り合って生きてきた筈がある日を境に種族間の争いが始まり、“調和”を重んじた亜人族は争いを止めるよう必死に各種族を説得するも、刃による返答を受け取ること幾数、講和後に裏切られたこと幾百、殺された同胞の数は幾千、幾万……。故に彼らは、最後の安住の地を求めてここ“ヴィルト大森林”に辿り着いた。
これは宗介が聖王国で詰め込んだ知識の概要だが、それでも、確かに彼ら亜人族が人間を信用出来ないのには納得がいく。
「……なら、どうすりゃ信用してもらえる?」
宗介は心底面倒臭そうな顔をしながら、そう尋ねる。
歴史は覆せない。亜人族の人間族全体に対する考え方も覆せはしない。少なくとも宗介には。だが個人なら、果たしてどうだろうか? という話だ。
宗介はこれから、天空の塔に向かう。そこを後ろから襲われでもしたら面倒この上ない為、可能ならば彼らの信用を得ておきたかった。宗介とて、手ずから亜人族を滅ぼしてやるのは気乗りしないのだから。
「……帝国軍の撃退に参加してもらう、と言うのはどうだろう?」
やがて、おずおずとヴォルンが口を開いた。
「正気ですかッ!? ニンゲンに背を預けるなどッ!!」
「わ、分かっているとも! だがルフレよ、主こそ冷静になれ! 帝国の兵士が“勝ち戦”だと豪語する以上、我々だけでは奴らに敵わんのだ! ならばプライドをかなぐり捨ててでも助力を請うべきではないのか!?」
「そうかも、しれませんが……っ!」
「それに、かの者が真に帝国側の刺客でないなら、彼奴等に剣を向ける以上に信に足る行動は無いだろう? 信用を得るには行動あるのみ、だ。どうだろうか、宗介殿。我らに手を貸してはくれぬか?」
その提案にギリッ……! と歯噛むルフレを尻目に宗介は腕を組み、考え込むように頷く。
「ま、そうだな、あんたらの信用を得るならそれが妥当な線か。敵の敵は味方理論は嫌いじゃねえよ」
「と言うことは……」
手を貸してくれるのだな? という、見るからに顔を明るくしたヴォルンの言葉は、しかし直ぐに、宗介の冷酷な言葉によって遮られた。
「だが断る」
「なっ!? そんな、どうして!?」
信じられない、と言った風に声を荒げるヴォルンに、宗介は指を立ててつらつらと理由を述べていく。
「まず一つ、あんたらを助ける義理が無い。二つ、俺にも目的があるから時間を無駄にしたくない。三つ、亜人族と帝国軍の戦いに部外者の俺が手出しするのはお門違いだ。やるなら勝手にやってくれ、俺を巻き込むな」
「し、しかし……」
ある種暴論とも言えるような主張に、ヴォルンは必死に食い下がろうとする。が、無駄だ。宗介の主張は簡単には覆らない。
「それ見たことですか! やはりニンゲンは信頼するに足り得ないでしょう! 私は断固として、彼をこの場で処刑することを主張しますよ!」
「ぐっ……」
ルフレはエルフ族だけあって、この場でも最年長だ。故に発言力が違い、他の族長達もゆっくりと流されかけている。
「む、婿殿! そんな、どうしてっ!? この場で信を勝ち取ることが出来ればそれに越したことは無いだろうにっ」
あまりの判断にフォルテが猛然と食ってかかるが、宗介は「知ったことかよ」とそれを一蹴した。
「別に必須って訳じゃないからな。最優先である幼馴染との再会の障害になると言うなら、亜人族の信用くらい切って捨てるさ」
「……そう、か」
大切なものを優先したが故の判断ならば、もはやフォルテに口出しは出来まい。今の彼女はエリスに……ひいては、宗介に服従するべき立場の存在なのだから。
宗介は、もう話すことは無いと言わんばかりに踵を返し、フォルテを引き連れて悠々と歩き出す。
「早朝、帝国が攻めてくる前にはここを出て行く。それでこの一件は終わりだ。処刑するかどうかは任せるが、その時は覚悟を決めろよ。俺の目的を邪魔するってんなら容赦はしない。……それだけだ、邪魔したな」
ルフレやヴォルン達に手をヒラヒラと振りつつ、部屋の入り口を護衛していた亜人に会釈をして会議室を後にする宗介。フォルテも、申し訳なさそうな悲しそうな顔をしながら急ぎ足で後を追い、消えて行く。
「……本当に、とんでもない輩を連れて来てくれましたね」
「……面目無いとは、思っている」
「……仕方あるまいて。あれはきっと、災害のようなものだ。協力を得られなかったのは痛いが、議題を戻そう……」
会議室に残る、渋い表情や疲れた表情の族長達は、一斉に溜息を零すのだった。




