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二六 地獄の釜

 お互いの初撃は、弾幕による牽制であった。


 飛翔するランサーにしがみつく宗介が左腕に担いだ、巨大ガトリング砲“シュヴァルツェアレーゲン”。その化け物兵器が漆黒の雨を解き放つ前に必ず必要とする砲身の回転……ほんの数秒の射撃準備時間に、フェニックスの姿を模した“炎帝ヘリオス”は紅蓮の翼を大きく薙ぎ払い、無数の炎弾を周囲に浮かび上がらせる。


 しかし宗介は臆することなく、ガトリング砲のトリガーを引く。


 瞬間、漆黒の雨と紅蓮の炎弾が放たれた。


 実体ある弾丸と実体の無い炎。それらは一切弾かれ合うことなく、お互いを素通りして攻撃主へと肉薄する。


 しかし、宗介に迫る炎弾とヘリオスに迫る弾丸では、圧倒的に前者の方が少なかった。理由は単純、炎弾の半分程は魔法核を撃ち抜かれて霧散したからだ。


『ククッ、中々やるな』

「お褒めに預かり光栄で」


 もはや防御姿勢を取るまでもなく傍を抜けて彼方へと飛んで行く炎弾に、宗介はソニックブームによって炎の身体の殆どを掻き消されたヘリオスを嗤いながら、自分達を引き寄せる重力に身を任せた。


 勢い良く火口の中頃に飛び出したランサーは、現在絶賛フリーフォールの最中である。しかも、空中ではシュヴァルツェアレーゲンの反動を受け流すことが出来ず、激しく軌道を歪めている。高速で飛翔する戦闘機すら失速させかねない反動なのだから、当然だろう。


 車内からは、「ああぁぁ聖霊王オーベロン様、このまま逝く私をどうかお導き下さいぃぃぃ!!」とか、「頭に響く……黙ってて、うぷっ……」とかの声が聞こえるような具合だ。


 このままでは炎海に浮かぶ足場に着地すること叶わず、マグマの中に真っ逆さま。


 それを回避するべく宗介は、右腕を足場へと向け、ボウガン機構からワイヤー付きのアンカーを射出した。


 バシュッ! と放たれた鋼の棘は、眼下に佇む岩石島のど真ん中に勢い良く突き刺さり、展開した“返し”によって固定される。それを、ワイヤーを軽く引っ張ることで確かめた宗介は、更に左脚のパイルバンカーがランサーの車体にしっかりと突き刺さっていることを確認するや否や……義手からエンジン音を響かせてワイヤーを巻き取っていく。


 ランサーの車体とガトリング砲の、膨大な質量を一身に背負うワイヤーはギシギシと悲鳴を上げるが、こういうことも想定しエリスの力も借りて作ってあるのでまだ許容範囲内だ。


『面白いではないかッ!』


 それを見た炎帝も黙ってはいない。無数の炎弾を展開し宗介達を墜としにかかる。その数たるや、数えるのが馬鹿らしくなる量だ。


 歯を食いしばって全身でランサーの車体にしがみつき、【痛覚遮断】も使って右肩の負担に耐える宗介は、そのままランサーを操ってエンジンを停止させ、車体後部から三本のミスリル製ブレードを展開。そして車内のエリスに向かって叫んだ。


「ぐっ、迎撃頼んだ!!」

「うぷ……任せ、て……」


 明らかに先程からの超挙動の嵐に酔っているであろう、不安な声が帰ってくるが、声の主は“鮮血姫”と謳われた可憐にして最強の大魔法使い。その程度で彼女の魔法は揺らがない。


 開け放たれた車窓から周りを見回し、手を伸ばすエリス。


 途端に、迫っていた炎弾達が銀色に輝く三本の装飾剣によって叩き落とされた。ミスリルで作られたランサーのブレードを変形させたのだ。


 止むことなく放たれる炎弾の尽くを斬り払い、術者を守護する剣の舞。こと“固体”があれば最強であるエリスの力を目の当たりにした宗介は、迎撃を彼女に任せながら全力でワイヤーを引く。


「舌ぁ、噛むなよッ!!」

「ん……っ」

「ああ、死ぬ。私はここで死ぬんだ……。母上、私もすぐそちらへ向かいます……」


 一人、車内で祈りを捧げるフォルテは無視し、エリスは衝撃に備え、宗介は義手のエンジン音をギャルルルッ! と加速させる。


 ――――瞬間、ランサーの車体全体に途轍もない衝撃が奔った。


 高所からの落下の衝撃を受け止めるというのは、搭載されたサスペンションには荷が重かったらしい。ランサーから明らかに鳴ってはいけない破壊的な悲鳴が上がった。同時に、「ぐぇっ!」という、カエルを潰したような悲鳴――恐らくフォルテのもの――も上がったが、それは今のところ問題ではない。


 ともあれ、地に(タイヤ)を着けたことにより“龍脈”と接続。大地や流れる魔力を吸収し、破損個所が直ちに修復される。宗介のゴーレムには標準搭載された機能だ。形を変えられたブレードも元に戻り、即座に収納される。


「っし! エリス、無事か?」

「……なん、とか」

「重畳!」


 車内は無事そうだ、と満足気に頷いた宗介は、即座にアンカーを回収しつつ、ランサーを直接操作で鞭打ちエンジンを叩き起こす。けたたましい咆哮を上げた鋼の塊は、一瞬だけ後方から戦闘機の如く火を吹き、猛烈な加速を以ってその場を離脱した。


 その瞬間、その車体が数瞬前まで足を付けていた地面が、轟音と共に爆発した。上からの炎弾掃射と下からの座標噴火によるものだ。


 紙一重でそれらを躱した宗介は、ランサーの上で膝立ちになり、漆黒のガトリング砲を両の手で構え弾丸の嵐を途轍もない勢いでばら撒いた。


 圧倒的な反動さえも無理矢理に押さえつける義手によって支えられたシュヴァルツェアレーゲンは、万物を貫き破壊する威力と万を相手取る連射力に加えて、更に狙い違わぬ狙撃力まで獲得し、追撃の炎弾やその向こうに佇むヘリオスの炎翼を撃ち抜き、尽くを霧散させる。


 やがて炎弾の掃射が止み、ランサーもギャリリリィッ! と音を立ててドリフトし、その疾走を止めた。


「チッ、効かねえか」

『オレは“炎”だからな』


 大きく羽ばたいて熱風を巻き起こしながら舞い降りて来る炎の霊鳥を仰ぐ宗介。霧散させた筈の翼は、当然の如く再生している。


 宗介は面倒臭えと舌打ち一発、車体に突き刺した脚のパイルバンカーを引き抜いて飛び降り、ドアを開け、フラフラと助手席から降りてくるエリスを受け止めた。


「大丈夫か?」

「……なんとか」

「ここからが本番だからな、頼むぞ」


 若干顔を青くしているエリスも、宗介によって優しく抱きとめられ頭を撫でて貰ったことで活力を得たのか、小さく深呼吸してからヘリオスと対峙する。


 もう一人の、運転席側に乗っていたフォルテは……


「あぁ死んだ、間違いなく死んだ……。ここは天国か……? それとも地獄か……?」


 運転席側の扉を開ける気力も無かったのか、ズリズリと這い、エリスに続いてランサーから零れ落ちた。


 這いずって来る系の幽霊染みた動きに、宗介もエリスもドン引きである。


「あー、一応、死んでないと思うぞ? それよりも、寝転がってたら火傷するんじゃないか」

「あぁ、死ぬほど熱い。しかも頭がぐわんぐわんする……。死ぬより辛いかもしれんぞ……うぷっ……」


 ダラダラと汗を流しながら顔面蒼白で口元を抑えるフォルテの手を、明らかに嫌そうな顔をしつつも取り、立たせてやる。


 それを見たヘリオスが、火の粉を散らしながら、「やっとか」と言わんばかりの声で言った。


『ククッ……先ずは、素晴らしいと褒め称えてやろう。このオレの試練を乗り越えた者など、ついぞおらなんだからな。貴様らが、初めてこのオレと対峙する挑戦者という訳だ!』

「だろうよ。あんな試練、常人じゃまず生き残れない。もっと難易度を下げるべきだと思うぞ?」


 さり気なく左手の、弾数に底が見えて来たガトリング砲を指輪に仕舞ってもらい、代わりに予備の義肢内蔵エンジン用魔石を手に取って義肢に嵌め込む宗介。


 それを見たヘリオスは、意にも介さずクツクツと笑う。


『それではオレが楽しめまい? 強者と戦う為の試練だというのに、難易度を下げては、それこそ本末転倒というものよ。魔王様が結界の守護を命じている以上、オレはこうでもせねば強者と戦えんしな』

「そうかい」


 ホルスターから引き抜いたシュトラーフェを片手に、宗介は肩を竦めた。


 魔王様とやらが、四大迷宮を造ってまで、特に意味の無い魔界を護る結界を張り、引きこもる意図は分からないが……今はどうでもいいだろう。


 と、不意にヘリオスが話を変えた。


『しかし、エリスティアよ。お前が魔王様に叛逆するとはな? あの御方に対する“鮮血姫”の忠義心は、相当なモノであったと記憶しているがな』

「……仮初めの忠義心だっただけ。魔王の隷属魔法から解放された以上、私は、私の意思で行動する」

『ククッ……それは――――自らの意思を持たなかったが故に、父と決別したことへの贖罪か?』


 その言葉に、ピクリと小さく反応するエリス。


 途端、宗介の“龍脈眼”に膨大な魔力の流れが映った。トリッド活火山に飽和する赤色の魔力を上から上書きするような、黄金の魔力の本流。もしくは暴風だ。


 それは、宗介も初めて見るレベルの、もはや物理的な圧力さえ持ってしまいそうな魔力の嵐である。


 何事かと目を剥く彼と、【直感】によって「何かヤバイ」ということを察したフォルテを差し置き、魔力はなおも吹き荒ぶ。その中心点に居るエリスは、酷く冷たい、されど明確な怒りを宿した瞳でヘリオスを睨んでいた。


「…………そんなこと、今は、関係ない」

『それはオレが決めることだ。しかし、その自らの意思が人間に与することとはな? それも、魔人族であるお前が……。魔王様も、決別した父も、さぞお嘆きになることだろうなぁ』

「違う……。私は、私を助けてくれたソウスケの力になるだけ。そこに、お父様も人魔の違いも、関係ないっ!」


 瞬間、膨れ上がった魔力に触発されたのか、彼らの居る火口のマグマがドクン! と脈動した。


 その脈動は火山全体へと伝播していき、さらにその先――――大地をも支配下に収め、そして大きく揺さぶる。こと大地の振動に関しては飛び抜けて図太い地震大国日本生まれの宗介でも、これは不味いと即座に判断するレベルの地震だ。震度七にも到達しそうである。


 そんな揺れが活火山を襲えば……溜まったマグマは途端に暴走を始める。


 煮えたぎるマグマの海が太陽フレアのように湧き上がり、至る所で爆発を起こす。飛び出した炎の蛇が踊り、炎塊を撒き散らしながら海を泳ぐ。地震で崩れた壁の岩盤が落ち、大津波を発生させる。


 それはさながら、地獄の釜か。


『ク、ハハハハッ! 流石はクロノスの奴が目を付け、契約し、娘と呼んで愛するだけあるな! そうだ、オレと戦うにはそうでなくては!!』


 人の顔があったら、きっと盛大に嗤っているであろうヘリオスの声に、エリスは怒りを宿した目を向ける。


 つまり、ヘリオスはわざと地雷を踏み抜き、エリスを怒らせたのだ。


 本気を出させる為に。


 それが分かるからこそ、怒りは激しさを増すのだ。そして、感情に任せたエリスの魔力放射に共鳴した火山もまた、その胎動の激しさを増す。


 ……このままでは足場全てがマグマの海に沈んでしまうだろう。そうなってはもはや戦闘がどうのこうのという話ではない。


 宗介は「食えない奴だ」と舌打ちしつつ、怒りを宿してヘリオスに手を向けるエリスの肩に手を置いた。


「っ、ソウスケ……」

「落ち着け、乗せられんな。相手の思う壺だぞ」

「……でもっ」


 キッと、悔しそうに恨めしそうに歯噛みする姿は、完全に平静を欠いているらしい。


 父との決別という、エリスの過去……何があったのか、宗介には想像もできない。


 しかし、少なくともそれは、冗談で口にしていい話題でないことは分かる。ならば彼は口出ししない。


「お前の過去に何があったかは知らんし、別に追求もしないがな。ただ、今は目の前のあいつを見ろ。相手は仮にも火の大精霊、冷静にならなきゃ勝てねえ」

「……っ」

「木偶人形の言葉になんざ、耳を傾けるな。あいつは魔王の操り人形だ。で、悪堕ちした阿呆を叩き起こすにはお前の力が必要なんだ。分かるな?」


 ジッと見つめる宗介の目に、エリスの紅い瞳が少しだけ揺れ、そして静かに伏せられる。


 しかし、それもほんの一瞬。再び開かれた瞼からは、普段の冷静沈着な瞳が見えた。


「……ごめんなさい……少し、取り乱した」

「おう、気にすんな」


 エリスは、もう大丈夫だと言わんばかりに向き直り、スッと手を横薙ぎに振るう。


 瞬間、荒れ狂っていたマグマの海が一瞬だけ静まり返り……今度は統率されたように波打った。


 そして波打った火口のマグマは、その溢れる大地の力の一端を示さんが如く、火山全体を激震させて噴き上がる!


『ああ、素晴らしいな。火と地の両方を併せ持つ紅蓮の世界……オレとお前、どちらが上かを示すには絶好のフィールドではないか!』


 天を衝く大噴火。過去にも未来にも、これほどまでのものはありはしないだろう。


 宗介達の居る巨大な足場の周りは、完全にマグマの壁によって――――火属性と地属性という、全くの別物でありながら近しい存在である二つが合わさることによって生まれた、“炎帝”と“鮮血姫”が競い合うには絶好の素材によって覆い尽くされた。


 即席で作り出されたそこは、創世の大精霊とその秘蔵っ娘が争う決戦場である。


 しかし、そこに居るのは何も二人だけではないのだ。


「……お前と、私じゃない」

「そう言うことだ、クソ大精霊」

「私も、及ばずながらな」


 両手に拳銃を持ち構える宗介と、身体強化の無属性魔法を纏い直剣を構えるフォルテ。彼らもまた、目的こそ様々であるが打倒炎帝を掲げる勇者達なのだ。


 地獄の釜からは、もはや常人では逃げること叶わず。しかしどちらも常人ならざる存在なのだ。逃げるつもりなど毛頭無いが。


「……ヘリオス、忠告しておく。お前に勝ち目は、万に一つも、ありはしない」


 絶対的な自信を示す言葉と共に、スゥッと、小さく白い手が掲げられる。


 それに呼応して、噴き上がるマグマの壁から漆黒の大剣が姿を表した。まるで地獄の門から悪魔が這い出てくるように。


 三百六十度からフェニックスを狙う、美しい黒曜石の剣達。総数――――手始めに千。その一本一本が人より大きく、ギラリと輝く刀身は冷たい殺意を放っている。絶えず滴り落ちる紅いマグマは、見ようによっては鮮血にも見えるだろう。


 しかし炎帝ヘリオスは、流石というべきか微塵も臆することはなく、戯曲家が歓喜に震えて天を仰ぐかの如く、炎の翼を大きく広げて笑った。


『あぁ全く、最高ではないか! クロノスの愛娘に、その眷族にして未知の武器を扱う人間、金狼族の騎士とはな! 存分に楽しませてもらうぞッ!!』


 ヘリオスの周りに炎が吹き荒れ、マグマがとぐろを巻き、業炎を纏った紅蓮の龍が不定形のまま咆哮する。


 成る程、炎を統べる者に相応しい。


 ――――それがどうした?


 もとより、やることは変わらない。未だ魔王の支配下にある彼奴を下し、その身に刻まれた刻印を破壊してやるだけだ。


 小さく深呼吸したエリスは、短い号令と共に掲げた手を振り下ろす。


「《煌黒の剣舞(ネグロ・エスパーダ)》」



 一気に投射された黒い剣達により、頂上決戦の幕が、文字通り切って落とされた。

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