#106 ゲルナ
ストックホルム北部の郊外にある小さな村とも呼ぶべき場所にこの世界にまた一つ大きな災厄が現れる。
獅子の顔、山羊の胴体、蛇の尾を持つまるで地球の神話に現れるキマイラの様な外見、名をこれまた神話からなぞらえて『ベリアル』。
人間など一足で踏み潰せる程の巨体、幸か不幸かストックホルムの中心部とは森で隔てられている郊外の小さな村にあって中心部からその全貌が見える程である。
無論、そんなものが唐突に自分達の近くに現れれば人々はパニックに陥る。その上、今この時ストックホルムにはそんな人々を抑える為のイージスの姿は無い。
恐怖は伝達され、感染し、増幅する。ストックホルムは今未曾有のパニック状態に陥っていた。
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「で、作戦は?」
「セルディと美月が囮、私が固有能力で狙撃」
「まあ、妥当なところでしょうね。と言うよりそれ位しかあの巨体にはダメージが入らないでしょう」
そんな災厄を前に三人の女性は気負う事もなくただ平然と佇む。やるべきことは決まっている。それが果たせなかった場合の結果も決まっている。そしてその結果は三人にとって到底許容できるものではない。
あの男だけは生かさねばならない。
それは恋だとか、愛だとか、忠義だとかそういったものではなく、人間としての、いや、生命としての使命。
無論前半の三つも三人にとっては大事なものである。それこそそれだけでじぶんの命を賭けるほど。
だが、それよりも先にイージスとして、この地球に生きる一人の人間としての本能が叫ぶのだ、″あの男は生命の英雄だ″と。
故に義理も人情も恋も愛も恐怖も全てを胸に此処に立つのだ。たった一人の男を守る為に、自らの親友を守る為に、命を張って、その身に賭けて。誇りと共に。
「まあ、私達としてはあれを倒しきる必要性は無いわけだし。最悪鋼夜達が逃げ切れればそれで良いのよ」
「ふむ、確かにその通りだな。だが、まあまだ私は出来れば死にたくは無いな」
「あれぇ?美月、日本女子として命を賭して戦う時が有るとかなんとか言ってなかったっけえ?」
「そんな事言ってないし、私の持論は″生きよ常に″だ。そんな旧時代の大和魂など持ってこられても困る」
「旧時代ってあんたねえ……まあいいわ。それより、もうそろそろなんでしょう?」
「ああ、恐らくはもう一押しで至るとは思うのだが……」
「まあ、人によって結構進化の仕方は違うからね。最初の時を思い出したら?」
「……」
最初の時、を思い出しているのだろう。数秒美月の動きが止まる。そして直ぐに壊れたおもちゃの様な滅茶苦茶な動きを始めた。
「べべっ別に、そそそんなことっしなくっても……だしっ!」
「日本語喋ってね」
これから死ぬかもしれないという戦闘が始まろうとしているのにと言うよりも日常でも目立つであろうその動きは絶妙に見ていた他の二人の緊張を和らげた。
女子が三人集まれば姦しいとはよく言うが、まさかこんな状況下でも適応されるとは最初に思った人も思ってもみなかっただろう。
「お戯れを、ティナお嬢様、美月様、来ます」
その言葉に二人の顔は一気に引き締まる。
『ベリアル』はゆっくりとその巨体を、三人の方へと向け一際大きな咆哮を上げた。すると『ベリアル』の周りから大量の『悪魔』が現れる。
「うわぁ」
思わずと言った感じでティナが声を上げる。
『ベリアル』だけならば逃げと挑発に徹していればなんとかなったであろう。何せこちらにはセルディがいるのだから。彼女はかの『蒼天皇』がいなければ世界最速である。
だが、その周りに未だ得体の知れない『悪魔』が徘徊しているとなれば話は別である。触れるとどうなるか分からない、ならば触れるのは愚策。となると必然的に『悪魔』への注意は大きくなる。そんな中で『ベリアル』の注意も最大限払わねばならない。
『悪魔』。未だ人類は誰も知らないが正式名称を『ゲルナ』、この黒い靄の様な物体の性質はたった一つである。
「時空間転移装置」
まるで御伽噺であるが、この『ゲルナ』の存在がアウターに地球への侵攻を決めたものである。
『ゲルナ』はその全体、または一部に触れたものをある特定の場所に送り出す能力を持っている。
殆どの場合繋がっているのはアウターの王国、『リル・クルファーナ』その王宮、そのグリモアの格納庫である。グリモアはこれを通って地球へと侵攻を繰り返しており、今まで人類がグリモアを探知することの出来なかった理由である。
最近ではオーストラリア大陸にあるいわば前線基地に繋がっている場合もあるそうだが人類にとっては知る由も無いことである。
『ゲルナ』は宝力から出来ている。無論グリモアも同じ原理で動いているのだが、それは未だ人類の技術が到達し得ない領域である。
それすなわち、宝力の遠隔操作。
この大気に存在している原子にある一定のエネルギーをぶつける事で生成される宝力は人間にとってはここ最近まで全く縁のないものであった。それは宝力と言うものが人体では触れる事が出来なかったからである。だが、『ジュエル』と呼ばれる特殊な器官を備えた人間が現れてからその価値は一気に跳ね上がった。『ジュエル』を持つ人間は宝力を触れるだけでなく、体内で生成する事が出来るからである。
だがそれは、ここ最近まで宝力というものを全く理解しようとしていなかったということの裏返しでもある。
だがそれとは逆にアウターは人間よりもずっと前から宝力の存在を感知し、利用してきた。その理由は簡単、アウターは全員が『ジュエル』を持ち、その力を当たり前に行使してきたからである。
その差が平気運用としての差としてここに今顕著に表れているのだ。
「それでも、私達は退くわけにはいかんのだ」
「ええ、その通りです。美月様」
「という訳で、怖かったら逃げても良いんだぞ?ティナ」
「ちょっと!誰が逃げるなんて言ったのよ、それに私がいないと『ベリアル』にまともにダメージ入らないでしょうが!」
「なんだ、怖じ気づいた訳では無いのか」
「当たり前じゃない!私だって『天将』の弟子よ!」
「では三人で参るとしましょう。この無謀な戦いに」
普段では決して見られない様なおどけた口調のセルディに二人が少し微笑む。
「では、ご武運を」
「ああ」
「ええ」
そして、
「まったりと時間をかけてくれてありがとう、『ベリアル』っ!」
およそチャージ時間5分のストラトス・ディーヴァを皮切りに戦闘が始まった。
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「今のって……」
「……ストラトス・ディーヴァ」
「あの馬鹿……」
時を同じくしてエレナ達は鋼夜とポーラを連れてベリアルから遠ざかるべくストックホルムの中心街へと急いでいた。
「まさか、三人だけで『ベリアル』と戦うつもりなの?」
「無謀だ!」
「オルトお兄ちゃん、もうちょっと静かに」
だが、正論である。たった三人で災厄級のグリモアと戦うのは無謀である。『シェムハザ』の時の被害を忘れるわけもないのだから。
それに、意図が分かるだけに余計に歯痒い。
「ふうー、全く。貴方の仲間は筋金入りの馬鹿ばっかりですね」
エレナは鋼夜の頭を撫でながらまるで自分に言い聞かせるように言う。
「エレナさん?」
「ライラ、オルト、鋼夜を……いえ、『蒼天皇』を頼みました。私はちょっとばかしやる事が増えたので」
そう言うとカバンから白銀のブレスレットを取り出す。
それは紛れもなく、フリーダムナイツであった。
「もう二度と使うまいと決めていたのですが……」
「エレナ……さん?」
「大丈夫です、戦う訳では無いので」
そう言ってニコッと微笑むと、短く囁いた。
「行きましょう、ハルピュイア」
眩い光がエレナを包み、そして、鎧となって飛翔する。
ボカーンとそれを見上げていたヴァネッサの腕を誰かが掴んだ。
思わず悲鳴を上げそうになるのをぐっとこらえ、視線を移すとそこには、
「ヴァネッサちゃん……頼みがあるの」
覚悟を決めたポーラが居た。




