第四話:朝、夕
自分がどうしたいのかも分からないまま、俺はエーコを食事に誘うことにした。
朝。いつもの時間に駐輪場へ行き、エーコを待つ。
少し遅れてエーコが出てきた。互いに軽い挨拶を交わす。
今日もエーコの顔色は優れない。とても具合が悪そうに見える。
自転車を漕ぎながらできるだけ明るく笑顔を作って話しかけてみる。
「やっと金曜日だね!」
「あー。うん」
エーコは超ローテンションのまま気のない返事。
やはり俺か? 俺と一緒にいるのがそんなにつまらないのか?
胃をグリグリと拗られているように感じる。
「今日さ、帰りに一緒にご飯食べに行かない?」
「なんで?」
思考が止まる。
この返答は幾度かのシミュレーションで既に想定済みだったはず。
だけど、いざこの状況となってみると、今まで考えていたことなんて真っ白に飛んでしまった。なんで……なんで……。兎にも角にも、食事をしないことには、一緒に話す場を用意しないことには進展はありえない。
ここで不自然な受け答えをしたなら、詰む。
ここで言いよどみ続けて会話が止まるのは愚。
フル回転した俺の脳は今までに想定したことのない答えを生み出した。
「いろいろ愚痴らせてよ。そろそろメンタル的にヤバイから」
半分は本気だった。メンタルがヤバイのはこの上ない事実。
「愚痴か―。愚痴りたいの?」
「うん。ない? エーコはそういうの」
「ない」
暫く会話停止。
田んぼの間を自転車で進み、正面から向かっていくる小学生を交わす作業。
「どうする、晩御飯?」
「また、後で決めていい?」
「うん。じゃあ、帰りに駐輪場で駐輪場で待ってるから」
「愚痴ってどんなことなの?」
しばし思考停止。正直言って愚痴らしい愚痴なんて思い浮かばない。
小さな小さな引っ掛かりを感じたことはあるが、愚痴りたいと思ったことなんて今のところない。それほどまでに今の職場は良い人ばかりで、仕事も雑用ばかりだけど、そこそこ楽しい。だけど、俺は自分から愚痴りたいといったわけで愚痴る内容がないのはおかしい。しかししかし、愚痴なんて……。
「俺、仕事出来ないからさ。覚え悪いし……」
我ながらそれっぽいことが思い浮かんだもんだ。これならば角は立たない。
「そう? 先輩は仕事できるって言ってたけど」
「え? マジで」
その言葉だけで心が少し救われる。
「自分では、仕事全然出来ないと思ってたから、その言葉だけでちょっと回復した」
「他には?」
他、他、他……って、ちょっと待て。今の話はあれで終わりなのか?
「いろいろあるんだけどなー。ちょっと待って」
適当に時間を稼ぎながら思考を巡らせる。
別の愚痴を考えろ、俺。
「今、ずっと判子押しとかの雑用ばっかりしてるんだけど、職場の先輩が仕事の最終形を教えずに作業させようとしてくるのが辛い……とか」
「雑用も重要な仕事でしょ」
エーコは淡々とした口調で言った。
あ、はい。その通りですね。
「仕事はいろいろな人のやり方があるから、まずは謙虚に目の前のことをこなしたらどかな?」
「あ、うん。そうだね」
「他には?」
他、他、他……って、ちょっと待て。今の話はあれで終わりなのか?
バレーのレシーブ練習風景が思い浮かんだ。
ほら。「こい!」とか言ってレシーバーが矢継ぎ早にボールを要求して延々とレシーブする的な練習。
もしかするとエーコは、今の自転車を漕いでいる十数分だけで俺の愚痴を処理してそれで済ませようとしているのか? ということは食事は断る気満々?
そんな可能性を考えてしまい気が滅入る。
その後も適当な愚痴を考えてはエーコに言ったが、帰ってきた言葉は、啓蒙書が自己啓発セミナー的なところで語られそうなテンプレワードだけだった。
ついには諦め、会話を打ち切ることにした。
「この朝に愚痴るって言うのは……」
「……ふーん」
再び沈黙。
なんなんだこれは。
考えられる可能性は三つ。
一。エーコは俺の恋心に気づいている。
気づいていて、あえて嫌われようとしてあのような気のない受け答えをした。
二。エーコは俺の言葉なんて聞くのが面倒くさいと思っており、夕食に行く気などさらさらない。適当に聞いたことのある綺麗な言葉で会話を終わらせて愚痴を聞いたことにしようとしている。
三。エーコは何も考えていない。
全部が全部、素で言っている。
一番目だとするなら、惚れる。っていうか、好みドンピシャなだけに死ねる。
振り回されたいと思ってしまう。
二番目だとするなら、残念に思う。最初から分かっていたことだが、エーコは俺のことなんて恋愛対象とは見てくれていないってことハッキリ分かるのだから。
三番目だとするなら恐怖だ。
流石にないと信じたい。
敏いエーコのことだ。可能性は一番目が一番濃厚。
もしかすると、俺の及びもつかない思考をしているのかもしれない。
そんなこんなで会社へたどり着き仕事へ。
会社の敷地に入って、先輩社員に挨拶する段階になると、エーコの顔は見る間に変わる。
あっという間に素敵綺麗な笑顔に変身。はみかみながらにこやかに挨拶。
この変り身はすごいと思う。
各々の部署に行って仕事。
俺は延々と書類整理。最高効率を目指して、資料の並べ方を日々模索する。
反対側の島では、エーコが先輩社員と談笑しながら、いろいろと教わっているようだ。
にこやかに笑っている。エーコ可愛いエーコ可愛い。
胃が焼けるように熱い。
そんなこんなを乗り越えて就業後。
いつものように俺の方が先に仕事を終えて着替えに向かう。
そしていち早く自転車置場へ。
良かった。まだエーコの自転車はある。
この時の俺は性格が悪いことに、エーコなら忘れたふりをして先に帰ってしまうことがありえると思っていた。
だから、確実に会えるように待ちぶせする形をとることにしたのだ。
心臓がありえない程に脈打っている。胃が暴れ狂っている。
断られたらどうしよう。死にたくなる。
と、鞄に手を入れて、自転車の鍵を取り出そうとすると、鍵が見つからない。
ないないない。どこを探してもない。
……ロッカーか。
とんでもないタイミングでとんでもない失敗をしてしまった。
急いでロッカーへと向かう。案の定、そこに鍵はあった。
また急いで自転車置場へと。
ロッカーへ向かう途中も、自転車置き場に引き返す途中にも、エーコの姿は見えなかった。間に合った。きっとエーコはまだ社内に……。
自転車置場へたどり着くと、エーコの自転車がなくなっていた。
絶望。傍から見ても、はっきりと分かるくらい絶望。
周りに人がいなくて本当に良かったと心から思う。つい泣きそうになる。
待っててくれてもいいじゃないかと、自分が悪い癖に理不尽に憤る。
自転車を少し漕いで、近くのコンビニへ。
携帯でエーコに電話をかけることに。
一分ほどコールするも、出ない。
どうする? どうする?
打つ手なし。
悲しみに暮れて太陽に吠えながら自転車を漕ぎまくりアパートへと帰る。
現在、一日一話アップ予定、文章量は慣れるまで未定。ついつい書いたら書いただけアップしてしまうので不定期更新。
描写不十分なところなどは、連絡なく加筆修正する場合があります。
ご容赦下さい。
また、何かしらのコメントをいただけると泣いて喜びます。
誰かエーコを口説くアドバイスを下さい。切実。