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君に捧げる花の色

作者: 藤安

 

 涼風が心地良い初秋。季節を感じさせる草花が揺れる。

 赤、黄、白、青。

 密集する色の中に立つ二人。幸せそうな笑顔と、薄紅に染まった頬。二人の髪が同じ方向へ空中を流れる。手元では、手折られた花たちが祝福するように揺れる。

 見知らぬ男は、両手いっぱいに抱えたそれらを、美しい笑顔と一緒に見知った彼女の腕へと優しく押し付けた。何か、男の紡いだ言葉に彼女の頬の紅が鮮やかさを増す。


 最後に見たのは、二人が視線と視線を絡ませているところだった。

 花束を、しっかりと両手で抱き締めて彼を見上げる彼女。それに目を細め、微笑をたたえて見下ろす男。

 ―――二人の唇は今にも触れ合いそうで。


 赤、黄、白、青。

 違う誰かのための色なんて見たくない。そんなものはいらない。

 ねえ、何で?

 お前に、私以外はいらないよ?

 嘘つき。嘘つき嘘つき。

 ねえ。

 ―――私に嘘つくような子にはお仕置きが必要だと思わない?ねえ?




 パン、と部屋の中に何度目かの小気味良い音が響いた。

「……っ」

 一瞬苦しそうな表情を見せた彼女は、次には真っ直ぐな光をその眼に宿らせてこちらを見上げる。唇が切れ、血が流れていた。綺麗な肌に、赤い血。なんともそそられる色合いだ。だが、目の光が気に入らない。自分を何だと思っているんだ。たかが官吏、たかが男爵家の官吏だ。

 また手を振り上げて、彼女の頬を打つ。

「……っく、ぅ……」

 先程よりも多く血が流れた。顎を伝い、床へと落ちる赤。それでも瞳の光は消えない。まるで彼女そのもののような光。背筋を伸ばし、人に屈することをしない。どこまでもどこまでも真っ直ぐな。

「……まぁ、いっか。やっぱ抵抗した方が楽しいよね?」

 いつまでその光を失わずにいられるか。考えるとわくわくした。

 高貴な獣が足を折る。一度人の手に落ちた獣は、もう人無しでは生きてゆけない。

 髪を掴んで上を向かせ、唇から顎にかけて線を引いた赤に舌を這わせる。彼女の身体は明らかに強張った。見開かれた目に、困惑と拒絶が揺れる。

「やめろ……っ!」

口から漏れる悲鳴のような声に、加虐心が刺激される。背筋を、ぞくぞくとした感触が駆け上がった。たまらない。でも、まだだ。まだ、我慢。

「何様のつもり?」

 冷たい声で言うと、彼女の身体は跳ねた。当たり前だ。今まで彼女にこんな声を聞かせたことなど、ない。

 わずかに震える身体。恐れ?怒り?それとも恨み?

 だが悪いのは彼女なのだ。今更何をしようが遅い。

「やめて欲しいのならそれらしくお願いしないとなぁ。それが官吏の礼儀だろ、なぁ?」

 耳元に囁くと、彼女は強く唇を噛み締めて、決心したのか静かに顔を上げた。

 やめて下さいお願いしますと、懇願してくるだろうか。

 だが予想に反して、彼女は思いの外力強い声で言った。

「どうなさったんですか、王子」

 苦い思いが体の中を巡る。

「私が何か……」

「うるさい」

 吐き捨てると、途端に彼女は口を閉じた。

 ―――どうやら気付いていないらしい。

 強く、強く拳を握った。それを見た彼女の目に恐れが走る。そうだ。お前は私だけを見ていればいい。

「お前は……」

 私のものだ。

 他の誰でもない、私のものだ。

 細い身体を殴る。もう一度殴る。もう一度、もう一度。

 分からないなら分からせてやる。

 お前が誰のものか。誰のための存在なのか。

 お前の心があの男に向いているなら、その心を無茶苦茶に。壊してやる。私しか見れないように。お前には、私だけでいい。

「……お、うじ……」

 あの男の名前は、どんな風に呼んだ?

 顎を掴みあげ、噛み付くように自分の唇と彼女のそれとを重ねた。ずっと焦がれ続けてきた人の、焦がれ続けてきた感触。

 喰いちぎりたい衝動に襲われた。それを抑えて、貪った。

「……っ、う」

 瞳の光が曇る。その様に、言いようのない高揚感が生まれた。彼女の目に、自分が、自分だけが映っているのが見える。

 それでいい。それが正しい。

 酸素を求めて薄く開いた唇に舌を滑り込ませる。その生々しい感触のせいか、彼女の瞳に光が戻った。

「っ、い……や、だ……っ」

 縛ってある両手を必死で動かそうとしているのが分かる。だが簡単に外せるわけがない。何のための拘束だと思っているんだか。離さない、逃がさないためだ。

 今までだって、何度も誘惑に駆られていた。いっそのこと、と思ったのは数え切れない。

 例えば書記官として彼女が初めて配属されたあの日に。例えば二人きり、夜遅くまで並んでペンを握っていたあの時に。

 ためらわずに、そうしていればよかったのだ。彼女の全ては私のものだと、分かっていると思ったから自由にさせておいたのに。それは間違いだった。

 抜け出ることは不可能だと、とうに分かっているだろうに、それでも彼女はじたばたと縄の拘束から逃れようと懸命になっている。その腹に、拳を一発ぶちこんだ。

「い、っ……」

 額を眉の中央に寄せ、歯をくいしばって痛みに耐える彼女。胸の中のどす黒い悦びが歓喜に震える。

 いいね、その顔。

 囁くと、彼女は苦しそうな表情のまま、こちらを睨みつけてきた。

 ……やはり、彼女は分かっていない。そんな表情で、こちらがくじけるとでも思っているのだろうか。

 抑えられず、その血色のいい首筋に唇を押し当てると、彼女の身体は一瞬反り返った。

 それから、頸動脈の辺りを舌でなぞっていく。ここを噛み切れば、さっき流れたものと同じ、いや、もっと濃い赤が溢れ出すだろう。

「やめてください……王子っ」

 無視をした。何も言わずに舌を這わせる。流れ出す赤を、全て飲み干してしまうのも悪くない。どうしようか。

 かり、と歯を立てると、歯は簡単に彼女の首筋に食い込んだ。

「いっ、た……」

 痛みのせいか、涙を滲ませて見上げてきた彼女は、それでもはっきりとした声で続けた。

「王子、私が何かしたのなら言って下さい。謝りますから……っ」

 心の中が冷たくなった。怒りで指先が震える。自分が何をしたのか、自覚もないのか。

「……嘘つき」

「え……?」

 低い声で、もう一度。

「嘘つき」

 彼女は顔を険しくした。

「私、王子に嘘をついたことなんてありませんが」

 真っ直ぐな瞳が憎らしい。

 自分の顔に冷たい笑みが浮かぶのが分かった。彼女の顔が怯えた表情へと変わる。

「嬉しそうだったなぁ、あの男」

「……は?」

 訝しげな彼女に、歌うように言葉を続ける。

「当たり前だよな。恋人にあげた花束をあんなに大事そうに抱き締めてもらえて、嬉しくない男なんていないよな」

 瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。その首元に顔をうずめ、声を低めて言う。

「見られてないとでも思った?」

「ちがっ、違います、おう……」

 言い訳など、聞くはずがない。最後まで言わせずに、再び唇を重ねた。まだ言葉を紡ごうとする口に無理やり舌をねじ込んで、歯列をなぞり、奥の方にあった彼女のそれと絡み合わせる。何かを言おうとしても、そんな隙など与えない。

 悪いのは彼女だ。彼女が悪い。彼女が悪い。彼女が悪いのだ。

 ためらいはなかった。ほとばしる独占欲の波に身を任せ、彼女の唇を、口内を貪り、襟元のしっかりしたシャツの下に手のひらをもぐりこませ、その下の肌に直に触れる。手に吸い付くような滑らかな感触に、小さな口から漏れる悲鳴に、酔いしれた。

「聞いて下さい、おうじ……う、うわぁ……っ!」

 頬を伝う生理的な涙を舐め取り、嚥下し、彼女が何かを言おうとする度に殴って蹴った。次第に身体に表れ始める痣はまるで青い花のようで。

 脳裏に、あの花束が浮かんだ。

「青だけじゃ足りないよなぁ?」

 白と青だけではぱっとしない。もっときつい色が。

 胸元に強く噛み付き、吸い上げる。口を離すと、途端に広がる鬱血の痕。

 綺麗だと思った。彼女の身体に、私が触れたという痕。

 首筋、脇腹、二の腕。体中に唇を寄せた。それは確実に、順番通りに己の軌跡を残していく。

 赤、青、赤、青。

 肌の白の中に散らばるそれらは鮮やかで、美しく彼女の身体を彩る。私が付けたもの。

 独占欲の表れと。歪んでねじれた愛情の証と。あとは何だろう?

「綺麗だよ」

 優しくそう言ったが、彼女は床に落とした目線を上げようとしない。返事もしない。唇を噛み、震えている。 嫌でもその細い肩や腕、柔らかそうな胸のふくらみに目が行く。

 自分が色を付けた身体に、堪らなく欲情した。彼女の敏感な部分を攻め上げ、無理やり身体を開かせた。


 望んでいない相手と身体を繋げるのを、犯すと言うことは知っている。それでも、嫌だ嫌だ、痛い痛いと抵抗しながらも、触れれば甘い声を上げる彼女を、狂ったように犯し続けた。声に、表情に、脳髄まで溶かされる。

 何度目かの絶頂の後、意識を失った彼女の身体に手を滑らせた。

「……あの男の花束より、ずっと綺麗だよ」

 ―――消えたら、また咲かせてあげるから。何度だって。

 そっと、囁いた。




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