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第四話

 ルーチェレンは特別に賢いわけではではない。

 普通だった。

 そう。

 普通なのだ。

 普通だから、分かる。

 分かってしまう。


「…………フェンフェン?」






 ルーチェレンは誰もが吸血鬼(リーギュスフェン)の『邪眼』により身体の自由を奪われ、石のように立ちつくす中を走った。

 人形のような着飾った娘達の森を抜け、氷点下の美貌に冷笑を浮かべるリーギュスフェンへと走り寄る。

 ルーチェレンが他の娘達と違って動けたのは、皆が玉座から立ち上がった“どう見たってご機嫌悪い城主様”に注目している中、一人だけ小花柄の長靴に視線を向けていたから。

 つま先に覚えの傷のついた、Mサイズの園芸用長靴。

 あの傷はルーチェレンが家庭菜園で作業中、スコップで傷つけてしまったものにしか見えなかった。

 そして、なによりも。

 城主様は言った。

 聞き間違うことなど不可能なほど、大きな声で。


 ――――これはるーちぇの靴なのじゃから、お前等が履けてはいかんのじゃぁあああ~!!


 と、言った。

 “これはるーちぇの靴なのじゃ”と、確かに言った。

 あの特徴のあるしゃべり方で、城主はそう言ったのだ。


「あなた、フェンフェンでしょ!?」

「っ!?」


 緩やかな階段をゆっくりとした足取りで降りて来たリーギュスフェンが、その足をぴたりと止めた。

 赤い目を持つ白皙の美貌を持つ顔が、ぜんまい仕掛けの人形のようにぎこちなく動く。


「な……なぜ分かった? ルーチェレンよ、お前は魔女ではなくもしや名探偵なのかっ!?」

「え?」


 見開かれた紅い目は、見る見るうちに色を変えていった。

 心の闇を暴き捩じ上げるような苛烈な色が、ルーチェレンの見慣れた灰色のものへと戻る。

 同時に彫像と化していた娘達が、次々と床へと崩れ落ちた。


「なぜ私が……わ…し……儂がフェンフェンだと分かってしまったのじゃ!? もしや、顔だけ蝙蝠化しとるのかっ!? 嫌じゃ、この身体で顔だけ豚っぱな蝙蝠なんぞ、恥ずかしいのじゃぁあああ!」


 フェンフェンと呼ばれて内心どころか見た目に焦りまくってるのがもろ出しなリーギュスフェンは、家臣の三狼達が「あぁっ! そのお口でもっと罵って、その眼でも~っと見下し蔑んでくださいませぇええ!」っと脳内で絶叫悶絶してしまうその顔を、自分の腕で隠した。

 いつの間にか口調も戻って、自分を【儂】と言っている。


「おい、お主等! 儂の顔、どんな状態なのじゃ!? 正直に申すのじゃ!」


 リーギュスフェンは忙しそうに大広間で駆け回っていた三頭の狼へ、そう命じた。

 灰色のカラーリング狼ファンガデンと長靴を持たされていたべーエルテン、舞踏会会場からあふれ出た不穏な空気に慌てて駆けつけた最年長のワンコル。

 彼等は身体が自由を取り戻すと、気を失った娘達を急いで全員避難させた。

 側近の人狼達はリーギュスフェンが久しぶりにひじょ~うにやばそう(・・・・)な状態になったので、ルーチェレンとお馬鹿なやりとりをしている間に大広間の娘達を口にくわえて風のように走り、次々と外へと運んで避難させていたのだ。


「「「じょ、城主様~!」」」


 三狼は尾を尻の間に入れ、城主の前に並んで躾けられた犬のように行儀良く伏せをした。


「……ん? ずいぶんすっきりしたのう」


 娘達を逃がしたことを叱咤され、殴打されるのも仕方ないと……されてもいいかもなんて思いつつ、狼達は床に付くほど頭を垂れた。


「まぁ、やり直す手間が省けて楽チンなのじゃ。褒めてつかわすのじゃ! で、儂の顔なんじゃが、どんな顔じゃ? 鼻だけ蝙蝠になっとらんかのう? 蝙蝠の時の儂の鼻は、見事な豚っぱなじゃからの~」


 物騒な事を言っていたクセに、それはもうどうでも良くなってしまったらしい城主様に安堵しつつ、三狼は答えた。


「「「いいえ、! 城主様のお顔はいつも通り、冷酷非情で美しいドS顔でございます!」」」


 相変わらず、彼等の答えは綺麗にハモった。


「そうか、いつも通りか。良かったのじゃ~。鼻が豚っぱなになっとらんで、良かったのじゃ」


 確かめるように自分の鼻をさする城主リーギュスフェンは、見た目はともかく中身はやっぱりお馬鹿なさんなフェンフェンだった。


「……その可哀相なほどお馬鹿加減……あなた、やっぱりフェンフェンね!」

 

 ルーチェレンの顔は真っ赤だった。

 頭の中で色々な思いがぐるぐる回り、それは熱を生んでルーチェレンの身体と心を熱くした。 


「何故、るーちぇにはばれてしもうたのじゃ!? 儂の顔はいつも通りということなんじゃが……はて?」


 心底分からないといった表情で首を傾げるリーギュスフェンに、ルーチェレンは言った。


「分かるに決まってるでしょう!? あれ、私の靴じゃないの! 勝手に持って来たのね!? しかも“なのじゃ~”言葉で『るーちぇ』って言ってるじゃないのっ!」

「ふむ……なるほどなのじゃ。なんと鋭い指摘! るーちぇは頭が良いのじゃな!」

「ううん、普通よ。私は普通の……普通以下の魔女」

 

 ルーチェレンは自分の中にあった熱が、急激に冷めていくのを感じた。

 そう、自分は普通の……以下の魔女なのだ。

 箒に乗って夜空を駆けることもまだ出来ない、毒林檎すら作れない下級魔女。


「……私、帰る」


 ドレスを両手でぎゅっと握り、床に視線を落としてルーチェレンは言った。

 リーギュスフェンは額に落ちてきていた灰色の髪をかき上げ、目を細めて……ルーチェレンを見つめた。


「なら、儂も帰る。るーちぇと魔女の森の家に帰るのじゃ」

 

 リーギュスフェンの言葉に三狼達が一斉に顔を上げた。

 せっかく帰って来た城主様が、また城を出て行ってしまうなんてっ!

 困るっつーか、嫌です駄目ですっ、置いていかないでっ~!!

 思わずその長い足にすがり付いてすりすりしつつ懇願しそうになるのを、三狼はぐっと堪えた。


「「「お、お待ちくださいっ、城主様!」」」

「うるさい! 儂はお引越し希望なのじゃ。棺は宅急便で送ってくれ。さぁ、るーちぇよ。儂を連れて帰っておくれ……るーちぇ?」


 リーギュスフェンの差し出した右手は、宙を彷徨う。

 ルーチェリンがその手を握り返してくれないから、リーギュスフェンは自分からもう一歩近づいた。


「るーちぇ、どうし……っ!?」


 一歩近づいた彼から、ルーチェレンは三歩離れた。


「さよなら、フェンフェン」


 そしてそのまま、リーギュスフェンの……フェンフェンの前から去っていった。

 リーギュスフェンがルーチェレンを追えなかったのは、紫の瞳が濡れていたからだ。

 さよならと言ったルーチェレンの涙は、堕天使ルシフェルさえ蹴り飛ばしたリーギュスフェンの足をその場に縫い付けてしまった。 




 


「…………なぜじゃ?」


 リーギュスフェンは訊いた。


「なぜ、るーちぇは泣いてしもうたのじゃ?」


 分からなかったから、訊いた。


「お主等が言った通りに、儂はしたのにっ!」


 リーギュスフェンが考えていた計画はそこかしこに穴がずこずこ開いており、それに気づいた忠実なる三狼達が知恵をさりげなく出して補強したのだ。


「儂は当初の計画通りガラスの靴が良いと言ったのに……サイズが分からんならるーちぇ本人の靴を使うのが確実と言って、あれをこっそり盗んできたのはお前……“お主等その1”なのじゃぞ!?」

「申し訳ありません、城主様!」


 ワンコルは魔女の森に隠れ、ルーチェレンが城へと徒歩で向かったのを確認後に留守宅に不法侵入して靴を失敬してきた。

 急いでいたので一番手前にあった靴を掴み、城へと戻った。

 彼が持ってきた靴、それがあのMサイズの園芸用長靴だった。


「“お主等その2”がナイスアイデアじゃと自信満々自画自賛しておったかぼちゃの馬車召還券だって、使ってもらえなかったのじゃぞ!? そのせいで一番に靴を履くはずだったるーちぇが来るのが遅うなって、他の娘達が履いてしもうたのじゃぁあああ!」

「申し訳ありませんでした、城主様!!」


 べーエルテンはかぼちゃの馬車は外せないアイテムなのだと強く主張し、南の島でヴァカンス中の大魔女のところまで押しかけて馬車召還権を作らせたのだ。

 お人よしの彼は「かぼちゃの馬車は乙女の夢ですから!」と言って、招待状全てにそれを同封した結果、蝙蝠のフェンフェンを探しながら森を歩いてきたルーチェレンではなく、他の娘達が早く集まってしまった。


「“お主等その3”! フェンフェンだと分かりやすいよう蝙蝠姿で舞踏会に出ると言った儂に、“城主様のチャームポイントであるサドっ気全開鬼畜美麗顔で出たほうが、今どきの女子には受けます♪ そして正体をドラマチックに明かすのも萌えポイントなのでございます!”などと言いおったが……ちーっとも受けんかったのじゃぁあああ!! だいたいるーちぇがお気にな『あら~しぃ』なるアイドル小僧共と儂の容姿では、月とすっぽん! 全く違うのじゃぁああ!!」

「申し訳ありません、城主様!!!」


 ファンガデンは月とすっぽんの誤用に気づいたものの、『あら~しぃ』なる者達を知らなかった自分のミスに深く深~く反省し、カラーリングしたご自慢の毛を……全身を丸刈りにしてお詫びしようと心に決めた。


「とにかく全部、お主等のせいなのじゃぁああああああ~っ!! この馬鹿者共がぁああ!!」


「「「え? 全部そうな……申し訳ありません、仰るとおりでございます城主様!」」」


 ――――いや、泣いちゃったのは城主様のせいなんじゃないですか?


 なんてことは、口が裂けても……狼フェイスだからそれなりに口が裂けてる三狼達も言うことは出来ず、いかずちのような怒気を前にその大きな身体を丸めるしかなかった。


「……るーちぇ……るーちぇっ、るーちぇ……ルーチェレン!!」


 リーギュスフェンは両手で顔を覆い、叫んだ。

 ルーチェレンの涙を思い出し、叫んだ。


「るーちぇ! ルーチェレン! わかっておるじゃっ……馬鹿なのはお主等ではなく、儂なのじゃ! 儂が馬鹿なのじゃっ! 馬鹿者なのじゃぁああ!!」


 怒った。

 生まれて初めて……自分に、怒った。

 言うべき事を。

 言いたかった事を。

 すっかり忘れていた自分へと、怒りが湧き出る。


「儂っ、わし、わ……私、私は……わ、し……私は……儂はっ!」


 昔、リーギュスフェンが自分を『私』と呼んでいた頃……リーギュスフェンの脳が、もうあまり思い出せないくらい昔。

 リーギュスフェは堕天使ルシフェルと戦った。

 理由は忘れたが、戦ったことは覚えている。

 堕天使ルシフェルはとても強かった。

 リーギュスフェンの身体は堕天使ルシフェルに何度も壊され、何度も潰された。

 不死の吸血鬼であるリーギュスフェンは何度も何度も甦り、再生し……堕天使ルシフェルが飽きるまで……長い長い時間、延々とそれを繰り返した。

 特に、頭部を念入りにやられた。


 ――――僕、君のその顔が気に入らないんだよ。大嫌いで大好きなあの方を思い出すから。


 あの時のルシフェル表情……笑っているのに泣いていて、嬉しそうなのに悲しげな顔。

 その顔を過去の【私】が美しいと感じたのは覚えている。

 だが、【儂】の脳の中では見惚れてしまったはずのその表情すら、おぼろげなものと成り果てていた。

 数え切れないほど……限界以上の再生を繰り返した頭部。

 その結果。

 リーギュスフェンは少々“お馬鹿”になった。


 頭の中のどこかが壊れているリーギュスフェンは、一度にたくさんの事を考えるのが不得手。

 ルーチェレンが舞踏会に来てくれたら、言いたい事や伝えたい事が……言うべき事があったのに。

 次々と起こる彼としては予想外の出来事の連続に、言うべき事を言い忘れてしまった。


「儂と一緒にいてくれなのじゃ、るーちぇ……私の傍にいてくれ、ルーチェレン」


 徹底的に痛めつけられ、再生能力を酷使した過去の後遺症。

 リーギュスフェンという個体を維持するのために、棺で休む時間が他の吸血鬼よりも必要だった。

 深い眠りは傷ついた肉と心を……脳を癒す。

 その過程で、頭の中にあったはずの何か(・・・)をリーギュスフェンは失うのだ。


「これ以上離れていたら……【儂】も【私】も、君を忘れてしまう……」


 るーちぇと蝙蝠の姿で生活してる間は眠るルーチェの枕元に丸くなって、寝たふりをして過ごした。

 城に戻ってからも、棺の中で横になることは一度もなかった。

 記憶が薄れるのが怖くて、眠れなかった。

 忘れてしまうのが恐ろしくて、眠れない。

 

「るーちぇ……ルーチェレン」


 涙が、一粒。

 白い頬を伝う。

 リーギュスフェンが泣いたのは、初めてであり。

 誰か忘れたくないと、強く思ったのも初めてだった。

 

 ルーチェレンに出会ってから寝ていないリーギュスフェンは、寝たくないのに眠たくて。

 とてもとても、眠たくて。


「るーちぇ……」


 その灰色の目を、ゆっくり閉じた。

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