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私が本当にやりたいことと世界

作者: ぬい葉
掲載日:2026/10/31

 こんにちは、こんばんは。ぬい葉です。

 今月のエッセイ、ぎりぎり間に合いました(10月31日執筆)。


 題材がなかなか無いんですよね。

 いや、あるにはあるのです。メモに纏めていたりするんですが。

 どれも今の気分じゃなかったり、少し前に考えていたもので今じゃ十分にその時の考えを語れない、みたいなものばかりで……。


 こうして、10月ももう終わりというタイミングでの執筆になってしまいました。あと学校の課題に追われていてやばいというのも、ありましたね。


 前置きはさて置いて、早速本題に入りましょう。



 今日は、私の本当にやりたいことと世界について書いてみました。一見するとあまり繋がらない二つですが、今回のお話ではちゃんと繋がっているはずです。上手く書けていたらね。


 タイトルからも自語りが過ぎますが、構わない方、是非見て行ってくださいませ。


 ※あと、説明が下手でちょっと難解になるかもしれません。ですができるだけ分かりやすく纏めたり頑張ります!




 人は、自分の目で見ることや、その他耳や肌などの五感で、この世界を感じ、意識、自我があるからこそ、その世界を解釈することができる。


 例えば「湖がある」という時。

 その湖は目で見るから、あるいは湖独特の匂いを感じるからその情報を受け取れる。

 そしてそれを「この液体は水、つまり湖」などと精神的な活動を行うことで人は解釈、認識する。


 つまり自身の五感と自我を通して、人は世界を認識している。


 そして五感と自我は、人それぞれ違う。


 ならば、人それぞれが異なった世界を認識していると言えるだろう。


 そしてその違った世界を構成する要素は多岐にわたる。


 生まれ育った国や地域、周囲の人々によって人間の中でも五感の鋭さや、自我に違いは出てくる。その他経験でも変わってくる。



 ただ、最終的に認識をするのは自我や意識の方。身体の差はあくまでも世界を認識する上での受け皿でしかない。そして大半の人は受け皿に大きな違いはない。

 たとえ身体的な障害で受け皿の大きさに違いがあり、人と比べて極小の世界しか受け取れなくとも、それをどう認識するかが自身の世界を形作るのに重要だと思う。

 なぜなら自我や意識は身体より大きく変化ができ、かつ具体的になれるから。

 自我は世界の最終的な認識門で、それが大きな変化をすることができ、具体的になれるということは、世界に対する認識は同様に変化させることができるという考え方。



 ちょっと硬い言葉ばかりになっているので、ここらでリラーックス。


 まぁ、イメージとしては受け皿の上に乗ったものの質を、自分なりに変えるのが自我、みたいな?


 そしてそんな自我は成長によって形が変わると思うんですよ、色んな人と会って影響されたりとかでね。

 あと、色々と経験や影響が蓄積もされていく。


 そうして自我が変化していくということは人の認識する世界の形も、捉え方、構成要素も変わってくる。


 だから、その人の世界に影響を与えた人は、その人の世界の一部になった、ということだと思うんだ。


 例えば、ある曲を聴いてから、雨の日への考え方が変わった、とかなら。その曲はその人の世界の捉え方の一部になったということ。つまり世界に変化が起きる、だからその人の世界を構成する一部になったと言える。



 まぁ、そんなこんなで、私は。そんな誰かに影響を与える存在になりたいということなのだよ。


 つまり誰かの世界の一部になりたい。

 多く望むのなら大勢の人のね。


 私の言っていること分かりづらいですかね?


 軽く要約すると。


 世界を認識するには五感と自我が必要。それらは人それぞれ違う。

 つまり人は皆異なる世界を認識しているということ。

 そして特に自我が重要で、それによっていくらでも世界の捉え方を変えることができる、と。

 そしてその自我は色んなもの、人に影響されて形作られる。

 ということは世界の捉え方、考え方、形も自我が変化するのに伴って変わってくる。


 その人の世界が色んなものの影響によって変わってくる=その影響たちはその人の世界を構成する一部になったということ。


 私は大勢の人のそれになりたい。



 おーけー?


 なかなかに説明が難しい題材です。私自分で書いてて、「何を言ってるんだ」ってなりましたからね(笑)。


 先程の要約で伝わっていると良いのですが……。



 では気を取り直して。

 なぜ私が大勢の人の世界の一部になりたいのか。


 うーん、多分。認識されたいという思いとか、単純に人に影響を与えるのが好きだからとか、でしょうかね?

 自分でもなぜなのか、あまり詳しく分からないのですが、恐らくはこれ。


 やっぱり承認欲求は誰でもありますよね。

 誰かに認識されたい、誰かの世界の中に入りたい。


 ……あれ、承認欲求こそが誰かの世界の一部になりたいという思いなのでは?

 思えば、他人に影響を与えるのが好きというのも、承認欲求から来ているのかもしれませんね。他人の心に残りたいというものが。



 うーむ、今日考えすぎたからか、もうあまり頭が回らなくなってきました。

 今日中に完成させて、投稿したいのでこのエッセイ今大急ぎで書いているんですよね。



 ちなみにどうやって他人の世界の一部になるのかというと、私の場合は創作活動です。このエッセイを始め、様々な創作物が多くの人の世界に影響を与えてくれたら、良いなと思っています。



 うん、誰かの世界の一部になるって、すごい良いですね。想像巡らせるだけで、なぜだか良い気持ちになります。

 どこか、人間の本質的な部分が見えてきそうです。


 なぜ世界の一部になりたいかは、時間をかけての探求か、承認欲求で片付けるかですね。

 私は前者で処理していきたいものですが、今のところ後者が有力。



 余談ですが、私の世界に対する考え方はもう一つあってですね。

 結構この話の延長線上の話だと思うのですが。


 自分の見ている世界は自分にしか分からない、他人の世界とは違うもの。

 そして世界の全ては、自分という媒体を介して映される。

 自分を介さないと認識することができない世界。その世界は自分色に染められていて、自分の体、自我に基づいて構成されている。

 自分が変わると世界の見え方も変わってくる。


 つまり世界は自分の意識そのもの。

 もっと言うのなら世界は自分そのもの。


 という考え方。


 どうでしょうか? 論理があまり繋がってないということが無いと良いのですが……。多分大丈夫なはず。


 今回のエッセイでよく出てくる、世界の認識。

 その認識は個人で違い、それは自分依存のもの。


 自分が居ないと存在できず、自分の形で見え方も変化する。

 そんな世界は自分を客観的に反映した存在なのではないか。


 この理論私、哲学者のような気分になれて好きなんですよね(笑)。



 そんな感じで「私の本当にやりたいことと世界」でした。


 誰かの世界の一部になりたいという思いは実は、数か月前に感じたものでして、いつかエッセイで書こうと思っていたテーマでした。

 今回はどちらかというと、世界に対する考え方が多かったですね。


 数か月前に感じたことなので、当時の考えを十分に語れているかは分かりません。理由の方も曖昧ですし。



 ……実は今は世界の一部になりたいという思いはそこまで強くないんですよね、一応あるにはあるのですが。


 創作活動でそうなりたいという思いよりも、単純に創作活動をしたいという思いの方が強くてですね~。


 今回のエッセイの考えは、確かに私の世界の一部ではあるけど、積み重ねの上の方には今は居ないのです。


 そんなこんなで今回のエッセイはここらで終わろうと思います。早いですね~。



 ちょっと説明が難解だったかもしれませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました。


 このエッセイが、誰かの世界の一部になったら幸いです。

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― 新着の感想 ―
興味深い考え方ですね! 読んでいて、禅の考え方「足るを知る、一期一会」や、「全は一、一は全」という思想に少し似ているなと思いました。 一人ひとりが自分だけの世界を持っているけれど、その世界は自分一…
お初ですm(__)m なんか難しい哲学です。 爺さんには難解、でもなんかストレートに書いている感じが好感持てました。 語尾が統一してあった方が良いような気もします。
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