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ショート短編集

手放しました。後悔はありません。

作者: 福嶋莉佳
掲載日:2026/01/20

「もう昼か……」


薄暗い部屋で、私は天井を見つめたまま動けずにいた。


かつては、目を閉じる前に翌日のことを考えるのが楽しかった。

人が集まり、酒場が満ちていく光景を思い浮かべるだけで、自然と眠れた。


「どうして、こうなったんだろう……」


今は違う。

眠りは浅く、目覚めは重い。


「……だるい。でも……行かないと……」


そう呟いて、ようやく身体を起こす。


支度をする動きは遅い。


外に出ると、空気がわずかに張りつめているのが分かった。

村人とすれ違い、私は小さく頭を下げる。


「こんにちは」


返事はなかった。

以前は、向こうから声をかけてくれたのに。


視線が合うと、ひそひそとした会話が途切れる。


「また今夜も、あの音か」

「旅人が増えすぎて、落ち着かないわ」

「昔は、こんな村じゃなかったのに」


誰に向けたとも知れない声が、背中に突き刺さった。


酒場に入ると、店主がいつもの場所でグラスを拭いていた。


どのグラスもピカピカに磨かれている。


「お疲れ様です……」


私の顔を見るなり、手を止める。


「顔色が悪いな」


「そう見える?」


「ちゃんと寝てるのか?」


「寝てるよ……寝起きは悪いけど」


店主はグラスをコトンと置く。


「……もう、やめたらどうだ」


「っ……急に、何を言い出すの」


笑おうとして、うまくいかなかった。


「私がやめたら、みんな困るでしょう?……過疎化してた村が、やっと軌道に乗ってきたとこじゃない」


私は上着を脱ぎながら口にする。


「それに……ここは、私を受け入れてくれた村だもの」


転移してきたとき、よそ者だった私を受け入れてくれた。

だから――。


「そうよ。私はまだ、恩を返しきれていない」


店主が一瞬だけ目を伏せる。


「……お客が来る時間よ、準備するわ」


その一言で、会話は終わった。


その日の客層を思い浮かべ、私は曲を選ぶ。


「今日は、この曲にしようかな……」


この時間は、今も胸が弾む。


演奏を始めると、どんどん人が集まった。

酒が運ばれ、笑い声が上がる。


分かってる……。


これは、自分に言い聞かせているだけ。

それでも、盛り上がる客の姿を見ると思ってしまう。


ああ……やっぱり、手放せない。


ふと、店主が村人と話しているのが目に入った。


「前も言ったが、もう少し静かにできないのか?」


「……すみません」


店主が頭を下げる。


演奏が終わると、私は駆け寄った。


「あの……何かありましたか」


「旅人を呼んでるからって、調子に乗るなよ」


男は吐き捨てるように言った。


「村に住まわせてもらってるだけで、ありがたいと思え」


その言葉を残し、男は酒場を出ていった。


言われなくても……分かってるわよ……。


私は強く手を握りしめる。

店主が何か言おうとしたが、私は遮った。


「私は大丈夫だから。戻るね」


そう言って、演奏を再開した。


客が引けたあと、店主はすっと酒を差し出した。


「奢りだ」


「……ありがと」


杯を手に取り、私はぽつぽつと話し始める。


「元いた世界でさ……これと言った成果もないまま、続けてたの。

やめるのが怖くて、だらだらと」


酒を一口飲む。


「でもね、ほら、今は成功してるでしょ。

最初は、みんなも喜んで……村が潤ったって言ってくれて……

それが、すごく嬉しくて……」


グラスを眺めながら呟く。


「どうして、こんな風になっちゃったんだろうね」


店主は少し考えてから答えた。


「人が増えれば、村は変わる。

変わるのが嫌なやつほど、音やよそ者のせいにする。

それに――」


私は顔を上げる。


「恩が続くと、人はそれを“借り”だと思い始める。

返せない相手ほど、避けたくなる」


「そっか……」


私はグラスの氷を見つめた。


成功にしがみついている自覚はある。

それでも、手放すのが怖い。


「それに……この村を出て、生きていける気がしないし……」


元の世界にいた時と一緒。踏ん切る勇気がない。

だからといって、このまま続けたらどうなるか――考えたくもない。


グラスの氷がカランと音を立てた。


店主はしばらく黙ってから、店の中を見渡し、静かに言った。


「なら、一緒に逃げよう」


「……え?」


「ここに残れば、あんたは壊れる。

それに――この店も、もう潮時だ」


私は目を瞬かせた。


「そんな……このお店、大切にしてたのに」


「大切にしてたさ。

だから、これ以上汚したくない」


「……ごめん。私のせいで……」


「違う。

 壊れる前に離れるってだけだ」


私は、泣きながら頷いた。


村を出るために準備をする。

店主を待つあいだ、部屋の隅に置いた相棒を眺めた。


……本当に、これでいいの?


やっと居場所ができた。

楽しい時間だって、確かにあった。

ここに残れば――

まだ、やり直せるんじゃないか。


そう思って、手を伸ばす。


指先が、相棒に触れた。


……握りしめて、止まる。


「……だめだ」


小さく呟き、首を振った。


そのとき、店主が荷物を抱えて現れる。

「待たせたな」


「ううん……行こっか」


夜のうちに、二人は村を出た。


「置いていくのか?」


「いい。

持っていけば、また執着するもの。置いていく」


――翌朝、村がざわめいた。


「あの二人、出ていったのか?」

「まぁ……いいさ。誰かにやらせたら」


しかし酒場では、混乱が起きていた。


「誰だよ、簡単だって言ったのは!」

「この箱どうやって動かすんだ!」

「くっそ、円盤ギュギュッてするだけじゃねーのか!?」


酒場は静まり返り、村を訪れる人は次第に減っていった。


私は別の町で目を覚ました。


「あー……よく寝た……」


腕を上げ、背伸びをする。


胸の奥に、わずかな痛みは残っている。

それでも、呼吸は深く、頭は冴えていた。


「もう、行かないと」


軽やかに身支度を整え、扉を開く。


「行ってきます」


新しい人生が、もう始まっていた。

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― 新着の感想 ―
 防音設備がないままな世界や集落で、演奏設備と電力(?)供給源を含めて異世界入りとは、優遇されてるようで少々ちぐはぐな転移展開ですね。  まあ、迷惑に思う人がたまに現れるのを分かる気もしますが、こうい…
楽器の弾き語りをしていたのかと思ったら、DJだったので驚きました。DJブースごとの転移斬新な設定で面白かったです。
そりゃ迷惑だろうさwww
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