それが彼らの初春の挨拶
清々と静かに流れる小川。
水は川底が見えるほど透き通り、せせらぎがあたりを響いていた。こぽりと、水が時たま音を立て、魚が滑らかに泳いでいく。見ているだけで心がすっとするような、そんな不思議な気配さえ見せる川。大小様々な石が小川沿いに並んでいる。それに少し苔むした緑色が着いている様は風情がある。その小川を挟んだ少し空いた空間。それを囲むように木々が立ち並んでいた。常緑樹の類だろう、緑の葉は日の光を受けて、宝石のようにきらめいていた。
背後に見えるのは切り立った波のような形をした山。岩や崖で常人であれば、登るのも困難であろう。所々平らになった場所も見えるが、どこもすぐそばにゴツゴツとした斜面がそびえ立っている。
しかしよくよく見てみれば、小川の流れている所も平らではあるが、同じく岩場があり、少し向こうへ行けば岩が段々と並んだ崖もある。そこから小川の水は流れているようで、滔々と急な斜面を水が落ちている。つまりこちらの方が少し足場が安定してはいるが、同じようなつくりなのである。
瑞々しい空気が流れていく。
空に鳥がバサリと羽音を立てて飛んでいく。
そこはどこかの山腹であった。
不意にさああああっと風が吹く。それと共に周りの木々が青い葉を揺らした。お互いに寄るようにしなりながら揺れる木々。それはまるでなにかを囁きあっているようであった。
すると揺れる木の一つから葉が一枚離れ、宙に舞った。
くるりくるり……
葉は円を描くように舞い、ゆっくりと川のほうへ落ちていく。それを見ているかのようにさわさわと木々が囁く。風が再び吹いた。
くるりはらり……
葉は徐々に小川のほうへ近づいていった。そしてあと川に落ちるまで数秒というところで、風が――――止んだ。
木々が囁きを止めた。
魚達が、どこかへと急いで泳いでいく。
そして葉が川に……
――――落ちた
バシャアアアアアアアアア
刹那、水しぶきが起こり、小川の上に水柱が立った。
よほど衝撃が強かったのだろう、数秒間水柱はそのまま上り続けた。しかしやはり重力の法則のせいでそれも落ちる。やがてゆっくりと落ちていく水柱。その中にふいに奇妙なものが見えた。
水柱が落ちる十数秒の中、二つの影があった。
一人は栗毛色の長髪を一つにまとめた二十代くらいの青年。
黒の刺繍の入った黄土色の上着をはためかせ、白い布地の着物に紅い腰帯をつけていた。
一人は象牙色の髪を持った十代くらいの子ども。
水色を基調とした布地に銀の刺繍を施された上着、深緑の腰帯に下に白の着物を着ていた。
そして二人は宙に舞いながら常人ならぬ速さで戦いを繰り広げていた。
「小癪な! このうんこ糞狸の分際でっ!!」
ぎりっと口をかみ締めながら子どもが言う。それと同時に相手の拳を横に流し、空中で回転蹴りをしながら次の一撃を繰り出す。
開いた瞳孔は臙脂。その双眸を相手に向けて力の限り子どもは睨みつけた。
「いや、「うんこ糞」って二つ同じ意味並べてどうするんだよ」
対して青年は少し笑いながら子どもの攻撃を二つとも避け、瞬時に後ろに回った。
向けられた眼差しは金色。その双眸は愉しそうに細められた。
こうして見ると子どもに比べあまりにも余裕があり素っ気なさを感じる。だが、その額にはかすかに汗が滲んでいた。それに小さくではあるが、先ほどはなかった赤い線がむき出しの手の甲に入っていた。
なぜ二撃ともかわしたのにもう一撃くらっていたのか。子どもは二撃しか繰り出していないはずなのだ。つまり――――常人の目では。
そう、子どもは見えない攻撃を左から二つ、右から三つ放っていた。
「かしましい! 貴様がうんこ×二乗ってことだっ!」
そう言うと子どもはかぁっと赤面しながら青年の突きと蹴りをかろうじて防いだ。しかし攻撃は防いだはずなのに、子どもの左足首に赤い跡がついていた。
子どもと同様、青年もまた目に留まらぬ速さで攻撃を繰り出していたのだ。左からの二撃、背後の一撃、そして子どもにあざを作らせた、下からの一撃。
「うーんなるほど」
頷くと、防がれた攻撃に青年はちっと舌打ちをした。それにふんっと鼻を鳴らす子ども。
彼らは互角で渡り合っていた。
しかしここで一番注目すべきなのは彼らの格好であろう。あれだけ激しく攻撃を繰り出していたのに、服には一点の染みも汚れもない。なおかつ、彼らは一切、上質な上着に攻撃していなかった。触れてはいるものの、攻める時はいつも白地の部分か、相手の身体。それを瞬時に選り分けながら繰り返す彼ら。それはとても人業とは思えない。
否、彼らは人ではなかった。
彼ら、青年の方は『天狸』、子どもの方を『天狐』と人は呼んだ。
それらは仙人になった妖狸と妖狐をさす。
「それなら「うんこの二乗」だろう、伽羅? ×は余分だと思うんだが……」
「くおおおおおおおおおおおっ!! このこのっタンタン狸の焚之助めぇ! むかつくんじゃあああ!!!」
青年――焚之助の言葉に、子ども――伽羅は蹴り技の連打を見舞いながら叫ぶと、手を大きく振り上げるしぐさをした。
すると、そこには大量の水の柱が出来上がった。まるで水蛇のような透明な水の柱。
それを見ると、焚之助は驚きにやや目を見開いた。
「食らえええええ!」
バアアアアアアアアン
再び水しぶきと共に水柱が立ち上った。
「……うわあやってるなぁ」
激しい戦いを繰り出す仙妖達。それを少し離れている岩場から高校生くらいの少年――正岡邦雄が上を見上げながら呟いた。彼の着ているジャンパーに少しばかり、風となった攻撃の余波が当たった。それと共に彼の黒髪も吹き付けられる。離れているのに風が来るということにも少々驚く邦雄。
だが、なにはともあれ両手に持った大きな風呂敷をなんとかしたくて、彼は適当に良い岩を見つけるとそこに腰を落ち着かせた。そしてスニーカーを履いたままの足を組むと、彼はジーパンについている砂埃を払って風呂敷を広げた。
中から出てきたのは黒光する重箱が二つ、それに大きめのステンレスボトルと食器等。
とりあえず邦雄はそれらを並べていった。
当初、彼と焚之助は旧正月の挨拶のためにここ、仙界にやって来ていた。妖怪や妖精、精霊、異類達と交流を持つ正岡家。その代表として邦雄が来たのだ。
しかしそれがなぜか、焚之助と伽羅が会った途端、事が起きた。二人が対面し、数秒の沈黙の後、一瞬で目の前から両者とも消えたのだ。
邦雄が呆気に取られていると、古くから正岡と付き合いのある仙人、白露が慣れた態度でとある山の中腹に彼を連れていった。
するとそこに二人はいたのだ。
激しく戦う二人が。
そして今に至る。
「うぉい伽羅! 仙術は使うな!」
邦雄のそばにいた短い黒髪の男が伽羅に向かって叫んだ。無精髭を生やしたその男は三十代くらいに見える。服からのぞく腕は均整の取れた筋肉がついていた。彼の服はというと鼠色の布地に金と朱の刺繍を施された上着で、下には白い着物、そして紫の腰帯をしていた。
「わかってるよっ! 潤玄老子!」
どうやら彼は伽羅の師匠らしい。その言葉を受けてちっと舌打ちをする伽羅。そしてすっと手を下ろし、仙術――水の術を解くと、相手の状況を見るべく前を見た。
同時にゆっくりと音もなく水が川へと戻っていく。
飛沫であたりが霧に包まれた状態が徐々にあけていく頃、黒い影が現れた。露になったそこには岩で出来た半円状の壁。その下で焚之助が立っていた。
そんな彼の表情は愉しそうに笑っていた。ふんっと伽羅は彼を見下ろすと、気に食わぬ表情をした。
そして数秒の後、再び攻撃の応酬が始まった。
「って言うか何気に楽しそうにしてないか、焚之助」
慣れてきたのか、邦雄はおにぎりをほお張るかたわらに見上げながら言った。彼の座っている大きな岩の上に、黒い漆の重箱が段毎に広げられ、その中からおにぎりを取ったらしい。その他に黒豆、かまぼこ、ブラックタイガー、くわい、昆布巻き、伊達巻などお節料理の数々がお重には詰められていた。横に大きめのステンレスボトルがあるが、おそらく彼らの手元にある茶碗を見ると、お雑煮が入っているのだろう。茶碗も用意していたらしい。
「それはそうじゃないか?」
雑煮の中の餅を口元へ運びながら潤玄は言った。にゅーっと餅が伸びる。
「焚之助君と遊べる相手、いないだろう?」
やっと餅を千切ると彼はほお張りながら邦雄に顔を向けた。
「うーん……かも知れないですね、人界には」
なるほどと頷きながら邦雄もまた、栗きんとんを口にほうり込んだ。そして二人は再び川の上空を見た。そうこう話している間にもまだ焚之助と伽羅の戦いは続いていた。
「そうでしょうね」
すると白髪の青年――白露が微笑みながら言った。
ちなみに彼らは重箱を真ん中に囲んで三角を描くように座っていた。そして潤玄と邦雄の間に白露はいた。
彼の衣は白の下着の上に黒の布地に銀と紫の刺繍を施された着物を着ており、紅の腰帯を巻いていた。腰までの白髪はたらしたまま、日の下銀糸のようにきらめいている。凛とした聡明さを感じさせる、潤玄の漢らしさとは又別の静なる強さを持つ麗人であった。
「白露さんもそう言うなら本当にそうなんだな。なんたって焚之助の師匠だし」
邦雄の言葉に、お茶をすすりながら白露はくすりと笑った。
「最初は仕方なさそうに相手をするかに見えて、存外楽しみにしているのですよ、焚之助もやんちゃですから」
「うちの伽羅もな。「嫌い嫌いも好きのうち」って言うだろ?」
白露と潤玄は互いを見合いながらふっと笑った。そして上空で肉弾戦を繰り広げる二人に視線を向けた。そして両者に自分の教え子を微笑ましく思う笑みが生まれた。
― 師匠馬鹿が二人! 師匠馬鹿が二人いらっしゃる! ―
一人、除け者にされた邦雄は心の中で呟いたのだった。
「これって毎年恒例なのか?」
とうとう崖の方へと移動しながら応酬を続ける焚之助と伽羅を尻目に、邦雄は誰ともなく聞いた。そして数の子に手を伸ばした。
「ええ」
「こちらに迷惑さえかけなければ放置してる」
― え、なんか今斜めに木が傾いだけどこれも放置? ―
両者の応答に邦雄は今しがた被害を受けた可哀想な仙樹を見た。声を上げているわけではないが、それだけに我慢して耐えているようで哀れに見えた。
「おー、ま、大丈夫だ」
邦雄の視線の先に気づいた潤玄は笑いながら言った。するとそう言ったとおり、程なくして倒れた木はせり上がった土によって元の位置に戻された。焚之助の地の術だろう。
― ……ああ、なんだか木々や周りにいる動物が不憫に見えてならない ―
先ほどの水撃に使われた川に住む魚や空の鳥に同情してしまう邦雄だった。
しかし、確かに今あげたこと以外被害は出ていないのも事実であった。つまり焚之助と伽羅はそれを計算に入れて乱闘していることになる。
そこまで考えて邦雄はただただ彼らの集中力の高さに感動した。それ以外のことは無理やり流すことにした。
「ああっ! くそっ正月だからってほんと、上等な上着を着るんじゃなかったっ」
不意に大声で伽羅が叫んだ。見ると崖の斜面に生えた横向きの木の上に着物をなにやら確認している伽羅の姿があった。焚之助はというと、その下の川の表面に立って、同じように自分もちらりと着物を見る姿があった。なにやら汚れがついてないか特に伽羅の方は気が気でないという様子である。
「てぃやっ」
「お? じゃあワシも」
すると急に伽羅が素っ頓狂なかけ声を上げた。そしてそれに焚之助も賛同したようだった。不意に空を見ると……
バサッ
同時に二着の衣が宙を翻り、空を飛んだ。
― あははは、ついには上着をほうり投げたやがった ―
ひらひらと舞う煌びやかな上着を見て邦雄は思った。ついでに「お金に換算するといくらぐらいになるのかなぁ」とか「仙人の衣って誰が作ってるんだろう」などと、いらない思考を働かせたのだった。
その先で背伸びをする伽羅と腕を回しながら少々体操をする焚之助がいた。まったく衣のことなど気にしていない様子である。
「これで心置きなく戦えるってことだな?」
「望むところ!」
そう言うと同時に二人の姿は消えた。常人の邦雄は見ることが出来なくなったのである。
しばらく彼らがどこへ行ったか探そうとした邦雄はそこでふと気づいた。
「って言うか上着どこいった」
「邦雄くん、ここだよ」
そんな声と共に彼の方に少女がやってきた。短い黒髪を持った少女は手元には二つの衣を大事そうに抱えていた。ほんわかとした雰囲気を持つ彼女は見た目、中学生か高校生くらいとも言える。一つ特徴があるのは、首筋になにやら模様があることだった。
彼女は緋色の布地に黄色と緑の刺繍を施された上着を着ており、下は邦雄以外の他の者達と同じ白い履物を着ている小柄な少女であった。
「日和ちゃん」
「お、日和導士」
邦雄と潤玄が少女――日和の方へ振り向いた。
「明けましておめでとうございます」
すると潤玄に会釈をしてから日和は邦雄に向いて言った。その際手に持った服を地に着けないように気をつけながらお辞儀をして。
「それにしてもすんげぇ上等そうな布なのに放り投げるとか、日和ちゃんがいなかったらどうしたんだよって感じだな」
日和の腕の上着を見ながら邦雄は言った。煌びやかな上着は細かく刺繍されており、実に高価そうだ。
その時遠くで衝撃音がした。今は本当に戦っている二人は近くにいないらしい。
「あ、それは大丈夫だよ。ちゃんと私が『任せて』って言ってから放り投げたから」
「え、いつ言った? というかいつあいつらと会話した?」
日和の言葉に驚いて、目を見開く邦雄。それに彼女はにっこり笑った。
「うん、念話でさっき。『正月のために卸してきた服で格闘するのはよくない。私があずかるから脱いだ方がいいと思う』って言ったら、二人から『わかった』って」
「あ、そっか」
― それほどまでに格闘したかったのかお前ら ―
そう思いながら乾いた笑みを浮かべる邦雄であった。
「日和、明けましておめでとう」
不意に彼らの後ろから白露が言った。その言葉に日和は彼を見た。
「うん、明けましておめでとう」
ぱぁっと笑顔になりながら彼の方へ寄る日和。それに微笑みを返す白露。二人の間に和やかな空気が流れる。
するとぽんっと彼女の頭に手を置くと、くるりと潤玄の方へ白露は振り返った。
「うちの娘は可愛いでしょう?」
「いや、白露お前、娘ではなくどちらかと言うと孫だろう」
日和の頭を撫でながら同意を求める白露につっこむ潤玄。そう、白露は齢千年を超える仙人。血縁ではあるものの日和は娘でない。しかしそう言った次の瞬間もはや、彼は聞いていないようだった。
「えーっと二人の上着……」
はにかみながら日和が言うと、白露はそれらをかわりに持ち、空へ放り投げた……ように見えた。が、それらはふわふわと近くの羽振りの良い枝にたどり着き、ゆっくりとかけられた。
「さて、あとは私がやりますから日和はゆっくりお節料理を食べなさい」
そう言うと白露はいつの間にか日和の横に浮かんでいた湯気の上がった水汲みに手をかけようとした。
「わ、私がやるよ。新しいお茶の淹れ方を仙女さん方に教えてもらったから……おじいちゃんに飲んでもらいたいんだ」
慌てて水汲みを掴むと、日和は白露に真剣な眼差しで言った。
「……わかりました」
白露は仕方がないという表情を向けながら言った。その言葉に彼女はというと、嬉しそうに柔らかく笑い、お茶の仕度を始めた。
そんな彼女を見ながら白露は愛おしむような笑みを浮かべながら呟いた。
「ええ、やはりうちの娘は一番」
「白露、爺馬鹿は大概にしたまえよ」
白けた顔の潤玄はふっと諦めたような、しかしそれでもこの一言は申し立てるという風に声をかけた。それをどう解釈したのか、笑顔で白露は彼に答えた。
「そんなに妬けるなら、子ども、作ればよろしいではございませんか」
「白露さん白露さん、壊れかけてますよ」
呆気に取られる潤玄の横から邦雄も突っ込みを入れた。普段の冷静な白露にしてはそれはぶっ飛んだ発言だったのだ。
「風の噂を聞くに君も好きな娘のことになると壊れるらしいな、性格が」
そんな潤玄の言葉に即座に一句一句感情を込めて邦雄は言った。
「それはあいつが超絶悶絶心臓爆裂するほど可愛いから悪いんです」
「心臓が爆裂してどうするんだよ君」
頭を押さえながら苦笑いをする潤玄。
「とりあえず、お茶、どうぞ」
そんな彼に丁度今しがた来た日和は労わる様な笑みを向けた。そしてお茶を手渡した。
「ん、ありがとう」
「日和は駄目ですよ」
急に真剣な眼差しでがっと肩を掴む白露。
「何の話だ」
いい加減顔が引きつってくる潤玄だった。
「え? っていうか早くね? お茶淹れるの」
邦雄も同じく日和にお茶をもらいながら言った。
彼が覗き込むと、玻璃のような縦に長い湯飲みで、なにか水中に浮いていた。小さな丸い、乾燥した草の塊のようなものだった。それは時間がたつにつれ、徐々に蓮の花のように開いていた。
「ちょっと特殊なお茶なんだ」
のほほんと笑いながら日和は笑った。
「もう少しで羽衣みたいな帯も出てくるよ。それで吉凶も占えるんだ」
「へー……」
面白そうに相槌を返すと、邦雄は湯飲みを見た。少しずつ開いていく花のようなもの。その中心からなにか薄い糸みたいなものが出てき始めていた。それが日和の言う『帯』なのだろう。ゆっくりと開いていくにつれ、それは薄っすらと紅く色づいていった。そしてやがて『帯』も完全に『花』から浮かび出て、ゆっくりと上へ上へと浮かび上がりとうとう水面に浮かんだ。
「んー……邦雄くんは小吉、かな」
日和が湯飲みを覗き込みながら言った。表面には『帯』の端と端が十字を描くように重なり、小さな円を作っていた。
「うわ、微妙」
「私のは吉ですね」
そばで白露が言った。
「俺のは、ん……?」
そんな声をあげると、潤玄は顔をしかめた。
「あ、それは珍しいのが出られましたね」
日和が彼の湯飲みを見ると言った。
「『変化』です」
― え、変化!? ―
邦雄と白露は潤玄の湯飲みを覗きこんだ。そこには『帯』が幕のように湯飲みのふちにぴったりとくっついてた。
「今日何か特別なお茶を飲まれました?」
日和が聞くと少し考えてから潤玄は言った。
「ああ、苦丁茶だけど。ちょうど頂いてな」
「では、『知らせ』ですね。なにかよい知らせがあるみたいですよ。特にこの『帯』の出方の場合は強い兆しを表します」
「へー……そんな違いがあるんだ」
ふーんと言いながら潤玄は少し嬉しそうに『帯』を見た
「ってかオレ、旧正月祝いに来たんだよな」
お茶を飲みながらふいに邦雄は言った。表面に浮いていた『帯』はというと唇が触れた瞬間消えたようだった。水中に浮いていた『花』は湯飲みの底へと沈んでいった。
「そうだったなぁ」
機嫌よく答える潤玄。すると彼はお茶を飲みながらおにぎりに手を伸ばした。
「神仙達にも祝いの品を持ってきたけど、オレ実際どうすればいんだろコレ」
横においてあるものを見ると邦雄は言った。そこにはもう一つ大きな風呂敷があった。
「ああ、仙妖達がそろそろ来るはずだ。世話になってやれ」
「いや、世話になるって」
妙な言葉の言い回しに邦雄は苦笑いした。
すると彼が言うや否や、服に身を包んだ牛頭に人の体をした者や猫、犬などの妖怪仙人達――仙妖が空から降りてきた。
「あ、ありがとうございま……――」
わざわざ来てもらったことにお礼を言おうとしたところ、急に彼らが邦雄に突進してきた。
「――――すっ!?」
わらわらと邦雄に集まっていく仙妖達。彼は仙妖達に触られ、撫でられ、握手され、抱きつかれていた。まるで押し競饅頭のような状況である。
「流石正岡と呼ばれる者だな。妖怪の類を惹き寄せる、もとい好かれる体質、羨ましい限りだよまったく」
はははと笑いながら潤玄は小魚の煮干をつまんだ。まったく助ける気はなさそうである。
「いや、っていうかめっちゃ、い、いじくられ遊ばれているんですけどっ」
「いやぁその力制御できたら妖怪の世を制覇できるしな! 羨ましい」
うんとうなづくと潤玄は邦雄に構わず重箱をつついた。終いには邦雄はつんつんとつつかれたり引っ張られたり、ぺしぺしと叩かれ始めていた。
そんな彼をほっといて重箱に入っている料理をどんどん食べていく潤玄。
「え、ってちょ!」
それにぎょっとして慌ててもみくちゃの中を見事な身こなしで抜け出した邦雄。ばっと重箱の中を見た。すると、そこにはなにかがごっそり無くなっていた。
「俺の春巻きがああああああああああああ!!」
ムンクの叫びさながら絶叫する邦雄。その顔に仙妖はどっと笑った。なんでもネタにされる邦雄である。それに潤玄は何の気なし答えた。
「ああ、あれかなりおいしかったから食べた」
― あれ、というかなんでお節料理に春巻きが…… ―
自分もゆっくりお茶を飲み始めていた日和は、そんな邦雄の叫びに素朴な疑問に襲われた。だがそのまま黙って笑った。
「黒豆ならありますよ。日和のお茶も」
彼女の横で穏やかな笑顔を向けながら言う白露。しかしそれを耳に入れてないようだ。わなわなと震えながら邦雄は言った。
「オレの彼女が……あいつが丹精込めて作った愛情たっぷり春巻きがぁっ」
「いや、君彼女いないでしょ」
「なに言うか! もうすぐなるんだよっ」
自信たっぷりに主張邦雄。
「片思いの妄想だな、可哀想に……」
そんな彼に哀れむような視線を送りながら、ぽんっと彼の肩に手を置く潤玄。それに真顔で真剣な目で答える邦雄。
「妄想を現実にするのが大人になるということだとオレは思う」
「まぁ犯罪にならない程度に留めておきましょう」
するとはんなりと諭しながら白露が話をしめていった。
― 白露さん、犯罪ってオレそんなにやばいことしてますか…… ―
白露の言葉に少々熱が冷めた邦雄だった。
「疲れた、水ほしい、腹減った」
「ワシにもなんかくれんか」
するといつの間にか戦いを終えた焚之助と伽羅が彼らの前に来た。戦いはどちらの方に向いたかと言う感じはなく、おそらく引き分けであろう。彼らは汗ひとつなく、上着を着ていた。彼らにとって本当に軽い運動程度だったらしい。
「おや正月の挨拶は終わりましたか」
「挨拶なんかじゃないよ、白露」
白露の言葉に伽羅はくるりと彼の方を向いた。いくらか憮然とした空気を見せると、彼女は唇を突き出した。
「どちらかと言うと落とし前だし」
「左様ですか、お疲れ様です」
そう言いながら、彼女に水を渡す白露。それに思わずつっこむ邦雄。
「ってかやり過ぎですよ」
「五月蝿いぞ小僧」
伽羅はすうっと目を細めると瞳孔の開いた目で邦雄を睨んだ。それに少々背筋に冷たい汗が流れる邦雄だった。しかし彼がそのまま笑っていると、ふっとため息をついて先に折れたようだ。近くの形の良い岩の上に腰を下ろした。
「はい、焚之助さん。伽羅さんはこちらが先の方が良いですか?」
焚之助にお水を渡しお雑煮を前に出すと、日和は伽羅の方に果物がのった皿を差し出した。そこにはきらきらと目映く日の光を当てられて輝く、桃があった。清らかな気配から仙桃らしい。
「うお! 桃! 桃だ桃だぁ! しかも茉莉仙桃!」
ばっと日和に寄りながら食い入るように伽羅は桃を見た。
「日和! 私のために取って来てくれたのか!?」
「今日はおめでたい日だから……」
日和の手を握りながら彼女を見上げる伽羅。瞳がこれでもかというほど爛々と輝いていた。それに少し笑いながら日和は相手に答えた。
「日和!」
ぼんっ
そんな音と共に現れたのは先ほどの伽羅の姿を十年ほど足したくらい女性。二十才くらいであろう、少し気の強い天真爛漫と言う雰囲気のある仙女であった。
「ありがとう! 大っ親友よ!」
がばっと抱きつくと伽羅は日和をなでなでした。
「伽羅さんに本来の姿になられるほど喜んでいただけて嬉しいです」
目映い笑顔で頭に顔を擦り付けてくる伽羅に、ほわわんとした笑みを浮かべる日和。そこだけ華やかで和やかな空気が咲いた。
「……ああ、見てみるといい女なのだがな」
ぼそりとあごに手をつけながら潤玄は言った。男四人、そこだけ妙に温度差があった。それにかまわず焚之助はもらったお雑煮を食していた。さらにそこだけ空気が違った。なにやら彼はお雑煮をぶつぶつと一人で「これはあの出汁を使ったな」、「うん、これはいい」などと批評していたのである。
「潤玄さん、目付きがおっさんですよ」
とりあえず伽羅を見る潤玄を邦雄はつっこんだ。見られている彼女はというと日和と一緒に仲良く桃を食していた。
「やった、二千年若返った」
あごに手を当てながらふっと笑う潤玄。何気に嬉しそうである。
「いや違うだろ意味が」
「うん、というか狐仙達にばらまく写真、今撮るべきだな」
そう言うや否や、カシャっと音がした。見ると彼の手元にはいつの間にかコンパクトサイズの一眼カメラが握られていた。しかもその姿は妙に手馴れていた。つまり撮り慣れているのだろう。再びカシャカシャと潤玄はシャッターを切った。
「シャッターチャンスだ。あの顔は滅多にない。こりゃ高く売れる」
「もし現像されましたら、日和の写っている分を焼き増ししてください」
するとすっと横から白露が現れた。ものすごくいい笑顔で日和を見ながら。それに片手はカメラを持ち、レンズの覗いたまま、ビシッと親指を立てる潤玄。
「おう、そのかわり今度あの銘酒、持ってきてくれ」
「承知いたしました。潤玄様の腕、期待しております」
― もう、どこからつっこんでいいのか…… ―
邦雄が内心着いていけなくて呟いた。そのそばで一応話は聞いていたらしい、おにぎりを食しながらそばにいた焚之助もつぶやいた。なぜか手元には酒が注いである。
― 言っておくが、普段のお前も彼女に対してはあれらと並んでも溶け込むくらいだぞ ―
― オレの彼女は超絶可愛いから ―
― いや、そっちの「彼女」じゃなくて ―
― いや、オレの彼女決定だから ―
― 相手の意思は関係なしか ―
その『彼女』に大きな期待を疑うことなく持つ邦雄。焚之助はずずっとお茶を飲みながら呆れ気味に思った。
「うん、つか可愛いよなあいつ。もう全部ツボ。仕草から声から表情から性格まで完璧。つか、今すぐ帰っていい? それであいつに会いに行っていい?」
「待て、ワシはこんな大人数を一人で突っ込みきれん」
慌ててがしっと邦雄の肩を掴む焚之助。
そんなわけで今日も愉快な彼らであった。
実はシリーズもの一部という代物です。
メインは正岡家の少年で、彼にまつわる妖怪のどたばた話シリーズ。
その短編用に書き下ろしたものですが、もしかしたら話がわかりにくくなっていたかもしれません。
またこちらで小説を掲載したのは初めてなので、見にくいということもあるかもしれません。
もし何かご意見・感想・アドバイスなどありましたら是非コメント下さい!
一言でもとても嬉しいです!
それでは拙い小説でしたが少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
ここまでお読み下さりありがとうございました!