『アポリアの群青』
第五話:砂の船に乗る日
【1】
だれに知らせるでもなく、
だれに見送られるでもなく──
ある夜、
この世界に疲れた人々は
**“静かな呼び声”**を聴く。
夢の中かもしれない。
街の雑踏のすき間かもしれない。
あるいは、
ずっと前から、心の奥で響いていた音かもしれない。
そして彼らは、
ある港に辿り着く。
それは、地図には載っていない。
Googleにも出ない。
名前もない。
けれど、たしかに存在する
「誰もいない夜の海」。
【2】
船は、砂でできている。
漆黒の帆も、
舵のない胴体も、
すべてはすぐに崩れてしまいそうな構造をしている。
けれど、誰もそれを怖れない。
なぜなら、
彼らもまた──
もう、壊れていたから。
【3】
女は、高層ビルの窓清掃をしていた。
男は、介護施設で食事をこぼしていた。
学生は、就職活動に落ち続けていた。
少女は、地下で指名を待ち続けていた。
みんな、名もなく。
誰にも見られず。
それでも確かに、
この世界で生きていた。
そんな彼らが、
ある夜にだけ“同期”する。
それが──この「砂の船」だった。
【4】
ひとりが船に乗ると、
もうひとりがそこにいた。
知らないはずなのに、
懐かしい顔。
言葉は交わさない。
名前も聞かない。
けれど、
涙を流す者がいた。
それだけで、
この船は、
この航海は、
“意味を持った”。
【5】
月は、いつもより低い。
空は、いつもより深い。
海に名前はない。
けれど、その先には──
アポリアの群青がある。
そこでは、名も、記憶も、過去も、
すべては風に還る。
そして、もう一度だけ“誰か”になれる。
【6】
夜の底で、
船は静かに進んでいく。
誰にも見られず、
誰にも祝福されず、
それでもなお──
砂の船は、群青へと進む。
「さようなら、わたし。
こんにちは、“まだ名もなきわたし ”。」
※本作およびその世界観、ならびに登場用語(例:メモリウム™、魂経済、共感通貨、ニーチェ的愛 など)は、シニフィアン・アポリア委員会によって創出・管理されたオリジナルコンテンツです。
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