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第十五話・雨女?

 朝に家を出た時は晴れていたのに、午後になって急に大雨が降り出す。秋の天気は偏西風の影響で大気の状態が常に不安定だ。だから『女心と秋の空』なんていう言い回しが存在するくらい、この季節の天候はころころ変わってとても読みにくい。


 日中なら、空を見上げて雲の動きやその色から雨を察知できることもあるが、日が落ちてしまうとそれも少し難しい。暗い夜空の雲の動きなんて予測できる人は稀だろう。

 急に外から雨音が聞こえ始めて、千咲はハッとエントランスのガラス窓を振り返った。風もあるのか、激しい音を立てて雨粒がガラスを打ちつけている。


「朝は天気良かったのになぁ……昼は寝てたから知らないけど」


 自動ドアのすぐ手前に、いそいそと傘立てを設置する。出したばかりなのに傘立てにすでに何本もささっているのは、これまで客が忘れていった物達。半日近くを店で過ごした後に雨が上がっていたら、差してきた傘のことが頭から消えてしまうのも無理はない。そうして忘れ去られた傘達は、再び持ち主が迎えに来てくれるのを待ちわびていた。


「うわ、すごい降ってるなぁ。車に荷物取りに行きたいのに……」

「よろしければ、こちらの傘を使って下さいね」


 駐車場へ行くのを躊躇って自動ドアの前で佇んでいた客に、千咲は傘立ての中から『INARI』のラベルが貼られた物を選んで差し出す。長く持ち主が現れない物のうち、白色の柄の付いた似たり寄ったりなビニール傘は「コンビニで買ったようなのは、わざわざ取りに来る人はいないし、そもそもどれが誰のか判別が付かない」という店長の独断で、保管期限が過ぎた後には貸し出し用になっていた。彼のこういう抜け目が無いところはいかにも狸親父っぽい。


 自動ドアが開かれると同時に、強い風が雨と一緒に枯れ葉を店内へと運んでくる。その様子に、トイレから戻ってフロント横を丁度通りかかった客が「しばらくは帰れそうもないなぁ」とボヤいていた。


 侵入してきた落ち葉を拾い集めていると、再び自動ドアが開き、入り口の機械が「いらっしゃいませ」と反応する。雨を含んだ突風と共に現れた女は、恨め節を呟いていた。


「ハァ……ひどい目にあっちゃった。もう、びしょびしょ……」


 セミロングの髪から滴り落ちる水。雨に濡れて身体が冷えたせいか、血の気のない真っ白な肌と少し青褪めた唇。この季節にはもう寒いんじゃないかと思うような薄手の小花柄ワンピースは、濡れたせいで身体にぴったり張り付いてしまっている。そして、布地に包まった荷物を大事そうに抱えていた。

 女が歩く度、その靴跡が床に水溜まりを作っていく。


 ――あ、雨女っ⁉︎


 思わず身構えた千咲だったが、女に対しては言うほど恐ろしさは感じない。本当に彼女はあやかしなのだろうか? 女は少しばかり震える声で千咲へと話しかけてくる。


「すみません……タオルがあれば、貸していただけますか?」

「は、はい。少々お待ちください」


 カウンター後ろの棚からシャワー用のバスタオルを取り出して、女に手渡す。入って来た時のインパクトは大きかったが、普通の客のようだ。人とあやかしの区別がつかないだなんて、ちょっと末期症状かもしれない。

 女性がずっと抱えていたのは某インポートブランドのショルダーバッグ。羽織っていた黒色の上着でカバーして雨から守っていたみたいだ。バッグも中身も確認して、被害が無いことにホッとしている。

 タオルで拭いている間も、彼女の足下には小さな水溜まりができていく。


「シャワー室にドライヤーがございますので、宜しければご案内させていただきますが」

「い、いいんですか? 助かります!」


 着替えを貸し出すことはできないが、髪も服もドライヤーで何とかなるだろう。入店手続きをした後、そのままシャワー室へと女性客を案内する。恐縮しながらも女は廊下を歩きながら愚痴を漏らし続けていた。


「ほんと、すみません。お店の中びしょ濡れにしちゃって……飲み会を早めに抜けたつもりが、帰るに帰れなくなっちゃって。こんなことなら、二次会も参加しとけば良かった……イヤ、でもアレはね……」


 判断をミスったと本気で悔しがっている。気合いの入ったファッションを見るに、合コンとかだったのだろうか。そして、メンツがいまいちだったから早抜けしてきたら、急な豪雨に見舞われた、と。千咲は「お疲れ様でした」と心の中で女に同情する。


 シャワー室に着くと、照明を点けてから念の為に中を覗き見る。外は雨が降っているからか、河童の姿は無かった。いつも客が使う前に察知して上手く逃げているようで、河童と遭遇したという話は聞かない。というか、そもそも千咲以外にもあやかしが視える人はいるのだろうか。もしかすると、霊感があれば視えたりする?


 あれ以来は会っていない河童のことを思い出しつつ、千咲がフロントへと戻ると、濡れた床を拭き掃除していたらしい白井が、モップを片手に古ぼけた和傘と対峙していた。黒っぽい傘から真っ白の足が一本。ギョロりとした大きな一つ目。こちらは見るからに人外。


「なっ⁉︎」

「からかさ小僧が傘立てに紛れ込んでいやがった」


 それまで白井の方を向いていた傘の黒目が、ゆっくりと千咲のいる方角へと動く。大きな目と視点が合った途端、千咲の中に恨めしい感情が流れ込んでくる。寂しい、悲しい、空虚な、忘れ去られた者の気持ち。負の感情。


 ――からかさ小僧って、忘れ物の傘⁉︎


 分かってくれる人がいたと、嬉しそうに一本足でぴょんぴょん跳ねながら、千咲の元へとからかさ小僧が近付いてくる。だが、いくら気持ちを理解できたところで、傘のお化けに憑りつかれるわけにはいかない。後ずさりする千咲の前に、白井が盾になるようすっと立ちはだかった。そして、二本の指で空を切り、かくりよとの境界線を引いてこじ開ける。


「傘ならおとなしく、外でさされてろ!」


 掌をからかさ小僧へと向け、その身体を妖力で弾き飛ばす。飛ばされた先には、開いたばかりの別の世への入り口。隠り世は、あやかしが本来住まうべき世。常世で上手く生きていけないものが帰るべき世だ。


 和傘のあやかしの姿が消えた後、千咲は目の前に立つ白井の姿を茫然と見つめていた。すぐ目の前で揺れている、このモフモフとした太い尻尾は何だろう? そして、白井の頭にある三角の長い白毛の耳を見上げて告げる。


「白井さん、耳と尻尾が出てますよ?」

「ふん、咄嗟で力の加減を間違えただけだ……」


 照れ隠しなのか、白井はバツの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。

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