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「少しは落ち着いたか?」
「……はい、ご迷惑をおかけいたしました」
ミリーナは緊張に手を震わせながら、今ナイフとフォークを握っていた。
魔法の暴走から暫し。危険な目にあわせたにもかかわらず、ミリーナを歓待すると言った男は、侍女――人間と殆ど見た目は変わらないが、目の覚めるようなピンク色の髪をした女性の魔族――に着替えをさせ、今は夕食を共にしている。
食事も人間のものとなんら変わらない。パンにサラダに肉の焼いたもの。それからワイン。
「あの、この肉は……」
そろりと口を開くと、優雅にワイングラスを傾けていた男が目を瞬かせた。
「ああ、魔物の肉は抵抗があるか? 牛とそう変わらないと聞いたのだが」
「魔物の肉……」
どうやら、魔物と魔族というのは、彼らの中では同族ではないらしい。
ミリーナは意を決して、その肉にナイフを入れた。そして小さくそれを切って口に運ぶ。
「……おいしい」
たしかに牛の肉とよく似ている。こちらの方が筋肉質で固いが、食べられないほどではない。肉にかかったソースも独特の風味だが、ミリーナの舌には馴染んだ。
ちらりと男の方を見ると、安堵したように微笑まれる。整った微笑にドキッとして、ミリーナは慌てて視線を外し、肉に集中しているフリをした。
「――それで、どうしてあんな森の中に王女が一人でいた?」
食事も終盤に差し掛かった頃、彼が不意にそう尋ねた。
「……その前に、確認したいことが」
ミリーナはナプキンで口元を抑えたあと、男に向き直った。
「貴方は、魔族の方々にとっての王……、という認識でよろしいでしょうか」
男は頷く。
「そうだな、全ての魔族を抑えている、という意味で『王』と名乗っても差し支えがないだろう」
やはり、彼は「魔王」だったのだ。
ミリーナはとんでもない人に助けてもらったのだと、少し緊張する。
「では、我が国との和平を望んでいる、とお聞きしましたが、それも真実ですか?」
「ああ。これまで魔族たちは……それぞれの種族ごとに争い、統率されることもなかった。それでもこの地を守り続けられていたのは、人間に比べ我々の力は優れていたからだ。――だが時代は変わる。人間たちは我々に対抗できる武具の開発を進めているだろう?」
「はい。魔物たちに黙って殺されるわけには参りませんから」
「その通りだ。だがそれによって、魔族たちの生活もいずれは脅かされる」
「だから手を組む……。そういうことですか」
男は頷いた。
ミリーナは悩んだ。彼の和平への気持ちは本物だろう。自分たちの生活を守るため、敵になりうる存在と手を組むことで脅威を潰す。魔族がどれほどの人数存在するのかは分からないが、人間より数が少ないことは領土の広さから分かる。それならば実に合理的な判断だ。
ミリーナは個人的に助けられた恩を除いても、手を組むべきだろうと思った。魔物の被害を抑えることも出来るかもしれない。だが、事はそう簡単ではない。
「私個人としては、貴方と手を組むのは悪くない考えだと思っています」
男が眉根を寄せる。
「『私個人』ということは、国としては違うと?」
「というよりも、交渉する権限がありません」
ミリーナが苦笑いで言うと、彼はますます怪訝な顔をした。
「どうして? 貴女は王女だろう」
「……私が何故、たった一人で森にいたと思われますか?」
真実を語るのは、家の恥を晒すようで少し気が咎める。だが言わねば納得はしてもらえないだろう。ミリーナは続けた。
「私は魔族との交渉人という肩書きを名目にして、魔族領に捨てられたのです。国は魔族との友好関係を結ぶ気がないというより、そもそもそういったことが出来ると想定すらしていません」
男は王としての顔で黙りこくる。
ミリーナは考えを巡らせているのであろうその表情を見ながら、父が彼の十分の一でも自分の頭で考えるということが出来れば、と思わずにはいられなかった。
「失礼を申しましたが、そのくらい……人間社会における魔族のイメージは良くないのです」
「……ならば貴女はどうして単身でここへ? 噂を信じていなかった、というわけではないはずだ」
はじめに卒倒したのを言われていると暗に感じ、ミリーナは苦笑した。
「言ったでしょう、『捨てられた』と。私は王妃に嫌われていまして。実子を王位につけるべく、彼女は私の死を望んでいます」
彼は難しい顔をした。
「ということは、貴女を国許に返せば無事では済まないと?」
「あ……、そうなりますね」
そこを伝えたくて言ったわけではなかったが、彼の言葉は真実だ。
「――わかった。ならば暫く……身の振り方を考えるまで、ここにいたらいい」
「えっ……!? あの、そういうわけには。私は貴国にとって、なんの益をもたらすこともできません」
「別に行くところがあるのか?」
「それは……、無い、ですが……」
正直に言えば、彼の申し出はありがたかった。だが、人間たちとの間を取り持てるわけでも、交渉材料になるわけでもない自分を、どうして置いてくれるのかわからない。
理由のない好意は怖い。
「そう警戒しなくていい。ここにいる間に貴女には魔法のちゃんとした使い方を身に着けてほしいだけだ」
「ちゃんとした……?」
「そう。先程のような暴走は、魔法を学ぶ前の幼子しか通常起こさない。なのにそれが起こった、ということは、人間の国では魔法を体系的に学ぶことができないのだろう?」
「そう、ですね。魔法を使える人間は稀なので……」
幼子しか、と言われて少し恥ずかしいが、彼の言葉にそれを責めるような響きはない。
「きちんと魔法を扱えるようになることで、人間たちの魔法に対する偏見を減らしてほしい。……これが、貴女を滞在させる対価だ」
優しい人だと思った。
何か理由がなければ、ミリーナがこの場所に滞在することへ負い目を感じると察したのだろう。
「そういう、ことでしたら……喜んで」
ミリーナは微笑んで頷いた。
「では改めて。暫くお世話になります、魔王陛下。私のことはどうぞ、ミリーナとお呼び下さい」
丁寧に頭を下げてみせると、彼はぱちりと目を瞬かせた。
「そういえば、私も名を名乗ってなかったな……。失礼した、私はアルフェン。よろしく頼む、ミリーナ」
そう言ってアルフェンは笑った。