5
「ん……?」
目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
王女の自分に与えられていた部屋と遜色ないような、豪華な――貴人のための部屋だ。
どうしてこんなところに、とミリーナは辺りを見渡す。
そもそもどうして眠っているのだったか。
そんな風に記憶を辿って、魔物に追いかけられたことを思い出した。それから、何故かその魔物が逃げ去って、それから……
「――目が覚めたか」
ノックの音もなく扉が開いて、そんな男の声が聞こえた。
ミリーナはそちらを向いて固まる。
そう、そうだ。魔物が逃げた後、こんな男が空に――
「い……、」
「『い』?」
男が持っていた水盆を近くの卓に置きながら、首を傾げる。
可愛らしく小首を傾げても駄目だ。その頭には人ならざる証が鎮座している。
ミリーナはかぶっていたシーツを握りしめ、力の限り叫んだ。
「いやぁ――――っ!!!」
自分はこれからどうなるのか。食われる? 美味しく頭からバリバリされてしまうのか? あの水の入ったボウルはなんだ? 捌いた後に手を洗う用か!?
混乱ここに極まれり、というのがここまで相応しいほど、ミリーナの頭が動転していたことはなかった。
ミリーナはベッドの端ににじり寄って、身を縮こまらせる。
だが、ミリーナの中で荒れ狂う混乱は、それ以外の変化をも、もたらしてしまった。
「あっ……!?」
ぶわりと熱風が吹いた気がした。
いや、これはただの熱風ではなかった。ミリーナの身体から、意志に反して魔力が漏れ出して、それがどんどん炎へと変換されていく。
「あ……あ……」
自身の魔力で作り出した炎が肉体を傷付けることはない。だが、それが制御できないとなれば恐怖が湧き上がる。それになにより、それらの炎が他のもの、たとえば今ミリーナが握りしめるシーツに燃え移れば、瞬く間にそれは全てを燃やしてしまう。ミリーナ自身も含めて。
「やだ……、きえて、おねがい……!」
その時、角を持った男がミリーナの手首を掴んだ。
「落ち着け」
「は、放して! 貴方まで、燃えてしまう!」
「大丈夫だ」
その男の声は、何故だかミリーナを安心させた。
男はミリーナをそっと抱きしめて、耳元で囁く。
「大丈夫。目を閉じて、深く息を吸うんだ」
そんなのできっこない。そう思ったが、ミリーナは目を閉じた。それ以外の動作を封じられていたというのが大きな理由だったが、そうしてみると心が落ち着いてくる。炎の熱はまだ感じたが、それよりも男の体温が心地よくて、周りの出来事を曖昧にする。
ミリーナはゆっくりと息を吸った。
「そう。今度はゆっくりはいて」
男の言葉に従いながら深呼吸を繰り返すと、次第に熱気が消えていく。
「もういい。目を開けてみろ」
男の身体が離れ、ミリーナはゆっくりと目を開いた。
その時にはすっかり炎は無くなり、周囲は何事もなかったかのように落ち着いている。
前はこんなに早く収まらなかった。
ミリーナにとって今回のような出来事――魔法の暴走は初めてではなかった。ほんの小さな頃のことではあるが、あの時は風の魔法が暴走し、一部屋丸ごと吹き飛ばしてしまったのだ。
「あ、の……。ありがとう、ございます」
ミリーナは意を決して角を持つ男に頭を下げた。
もしかすると、頭からバリバリするつもりではないのかもしれないと、ようやく思えたからだ。
先程の炎のせいか、額に浮いた汗を拭うさまは、人間となんら変わらない。角があるだけだ。
男はミリーナの全身に検分するような視線を向ける。
「……怪我はないな」
「あ、はい。助けて……いただいたので」
「気にすることはない。我々の中ではよくあることだ」
「我々……?」
ミリーナが問うと、男は不思議そうな顔をした。
「分かって来たのではないのか? ここは魔族の国」
男はミリーナの手を取ってその手に口付けを落とした。
「ようこそ、人間の国の王女よ」
ミリーナはもう一度卒倒しないのを、誰かに褒めてほしいと思った。