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「あらまあ、それならばミリーナ王女が適任なのでは?」
声高にそう言い放った義母に、ミリーナはぽかんと彼女を見た。
ここは謁見の間、本来ならば王妃といえど王の許しなく口を開くべきではない場所だ。だが、それを咎めるものはおらず、それどころか彼女の提案に「その手があったか」と言わんばかりの表情を浮かべる者までいた。
困惑した様子なのは、その「問題」について奏上している、国境地帯を守る領主が遣わした使者と、あとはミリーナ本人くらいなものである。
ここで異を唱えられるのはミリーナくらいだろう。そう判断せざるを得ず、ミリーナは王妃に向きなおった。
「本気で仰られているのですか? 本気で私に魔族領へ向かえと?」
この世界には人間と、それから超常的な力――魔法を操ることを得意とする魔族とか存在する。魔族は極一部を除けば意思疎通を図ることもできず、人間を捕食対象として襲う魔族の中でも魔物と分類される獣たちと、それを恐れ対抗する人間とで争いが繰り返されてきた。
その中で今目の前にいる使者は、こんな「問題」を持ってきたのだ。
全魔族を支配下に治めた王が、人間との和平を望んでいる――。
魔族領との境を治める領主は、どうするべきか判断を仰ぐべく、こうして使者を遣わせたのだ。
当然、場は騒然となった。
これは人間を殲滅するための罠に違いない。いや、そんなことをせずとも彼らには、それを成す力があるのだから、本当に和平を望んでいるのでは――。
相手は人間側との交渉を望んでいるようだが、どこまで本当か分からない。
そんな時に声を上げたのが王妃だった。
ミリーナが適任。つまり、ミリーナに魔族領へと赴き、魔王と交渉してくればよい、と言っているのだ。
ミリーナが確認するように問うと、王妃は真っ赤な唇を吊り上げて笑う。
「だってそうでしょう? 貴女ならば王族として身分は申し分ないし、何より……お仲間なんだから、話も聞いてもらいやすいんじゃなくて?」
お仲間、という言葉に、瞬間的に爆発しそうになる怒りを押し込めて、ミリーナは努めて冷静に口を開いた。
「……王妃殿下、魔法が使える人間と、魔族は同一ではありません」
「そうだったわねぇ」
王妃はなんでもないことのように笑う。当然だろう。わざとなのだから。
ミリーナはたしかに魔族が得意とする魔法が使える。そしてその魔法を使える人間は、人と魔族が交わったことにより生まれるのだ、などという馬鹿げたことを信じている人間がいるのも事実だった。
しかしそんなものはやはり噂に過ぎない。ミリーナの出自はしっかりしたものだからだ。それでも王妃がわざわざこれを口にするのは、それが事実かどうかが重要なのではなく、ミリーナを貶める材料がほしいからに過ぎない。
元々の身分が低い彼女は、自分の息子――ミリーナにとっての異母兄の王位継承を盤石なものにしようと必死なのだ。そのためには、高位貴族の娘で国民に「聖女」などと呼ばれて愛されたミリーナの母が、そしてその娘が邪魔で仕方ないのだろう。
「それで、ミリーナ王女。わたくしの提案についてはどうお考え?」
王妃の言葉にミリーナは言葉に詰まった。
王妃の提案は一見正しいものだ。
本当に魔族の王――魔王が、和平を望んでいるのならば、その交渉相手として王族を送るというのは一種の誠意になる。「お仲間」という言葉には賛同できないものの、魔法が使えるというのは、相互理解の点で有利に働くはずだ。
だがそれもこれも、本当にミリーナを「和平の目的」で派遣するのならば、だ。
あちらの真意も分からない時点で、それを本気で考えているとの思えない。
となれば、彼女の提案の真意はこうだろう。
ミリーナの「事故死」を狙った国外追放。
罠だった場合、魔族に殺される。もし真実魔族が和平を望んでいても、きっと王都へ帰還する前に何らかの理由で殺される。
「…………私は」
行きたくない、と言いたかった。
だが、断る理由がない。そして、周囲を見渡しても助けてくれそうな人物もいなかった。父も兄も王妃の言いなりだ。かつて彼女に諫言した臣下たちも、とっくに左遷されていてこの場にはいない。
「私が、参ります」
苦々しくそう言うと、王妃がぱあっと表情を明るくする。
「貴女ならそう言ってくれると信じていたわ! ああ、そうそう。話が纏まるまで、決して帰ってきては駄目よ?」
「…………えぇ」
ミリーナはどうにもならない状況に、ぎゅっと拳を握りしめた。