第9話
七月二十七日。
空模様はどんよりとしていて、街に人影がないことも相まって気味が悪い。
以前はあんなにも観光客でいっぱいだったのに、と思い返す。
初めて来たのは、小学校の修学旅行のとき。
あのころは簡単な勉強の時間が終われば毎日鬼ごっことサッカーばっかりしていれば良かったし毎日が楽しかったな、なんて今にしてみれば思う。
もちろんその当時の自分はそんなことを考えもしなかったわけで、宿題まじだりぃとかいろいろ文句たれてた訳だが。
次に来たのは大学生になってから、サークルの人たちといっしょに、だったはずだ。
正直最初大学に入ったときは話が違うなんてまた文句言っていた。大学に入れば彼女できるんじゃないのかって。
そんなぼっちまっしぐらだった俺のキャンパスライフをどうにか変えるべく入ったのが映研サークルなのだが…正直陰キャ男子の集まりという彼女作りたい俺からすればあんま意味ないサークルだった。
まあそれでも仲間はみんな良いやつで、よく映画見に出かけたりとかした。
……あいつら元気してるかな。思えば大学出てから全然連絡とってないな。
そんなことを考えながら、観光地だからとお客から惜しげなくぼったくる数々の店が立ち並ぶ商店街を過ぎると、大きな鳥居が佇む。
この鳥居もくぐるだけでお金がかかるというのだから酷い話だが、観光地とはそういうものなのだろう。
幼い日の自分はまさかこんなことになるとは夢にも思っていなかっただろう。
立ち並ぶ商店はほとんどが壊滅的で、崩れた建物がこの世界が変わってしまったことを証明していた。
そんなこともお構いなしに楽しそうにはしゃぐひとりの少女。
「わぁ、懐かしい」
「油断するなよー」
「分かってますって」
そう言う彼女の表情は明るく、まるでこの世界がこんなことになっているなんて信じられなくなってしまうような感じ。やっぱりそんな風に思わせられる。
だが、油断はしない。この三年間で俺が学んだことのひとつである。
「こんな遠かったけな…」
三度目の参道は、本堂がやけに遠く感じた。
「静かですね…」
「ああ」
そうだ。静かだ。
確かに静かだと言うことは分かっていた。
ふと、俺の脳裏にひとつの可能性が浮かぶ。
だが、遅かった。
遅すぎたのだ。
そう、静かすぎることに気づくのが俺は遅すぎたのだ。
俺の視界が一気にゾンビで埋め尽くされた。
まさか本当にそうなるとは。
そう思いつつも、俺たちはすぐに戦闘体制に入る。
いくら参道とは言ってもこの国のほとんどの人がゾンビになってしまっているのだから、一億体近くゾンビがいるわけだ。
なのに、この付近にはゾンビは全くと言って良いほどいなかった。そう、つまりゾンビたちがいないということは、この近くにより強い何かがいて、それがなにかしようとしている。ということが考えられるのだ。
上野駅での経験があったのにそれを活かせなかったのは俺のミスである。
このゾンビたちもその何かによって操られている可能性がある。
俺は相棒である不恰好な槍を手に、しっかりと構える。
握られたペットボトルがひしゃげる。中には黄みがかった液体が入っている。ポケットにはアレも入ってる。
いける、そう思い、前を向く。
俺は思う。その"何か"も相手を間違えただろう。
梓が、覚醒していた。
○
結果は予想通りだった。
この前作ったロングスピアも割と役に立った。
でも、主役はやっぱり彼女である。
今、ゾンビたちの亡骸は炎に包まれている。
人はたとえゾンビになろうとも火に弱い。知能がない分それを消化することもできないゾンビは余計に、だ。
だが、彼女の目にそれは写っていない。
代わりにその目が探すのはゾンビを操っていたと思われる何かである。
ーー突如、彼女が石を投げる。
「ひっ」
木の影から男が顔をだす。男はひょろっとしていて、顔色は悪い。
「何してるんですか?」
梓さん顔が怖いです。
というかあの男、明らかに怪しい。
、ら……まさかあの弱そうな男がゾンビを操っていた何かなのだろうか。いやでもどうやって?
「…たたた、たまたま通りかかっただけですよよよ」
しかし明らかに挙動不審だ。よよよっておじいちゃんかよ。
「私たちをなんだと思ってるんですか?」
彼女はなおも問う。至極真っ当だ。
俺たちはこの男になにもしていない。それなのに殺されかけたのだ。
いや、俺たちを殺そうとしたのはこいつだという確証はないが、少なくとも味方とは思えない。
梓はややあって答えないのですね、とだけ静かに呟き彼を睨む。
「死ね」
以前聞いたとき、その言葉はどこか投げやりに聞こえた。だが、今回は違った。
気づけば彼女は男に竹刀を突きつけていた。
どうやら激おこらしい。
「ひゃっ!す、すみません!許してください、この通りです!」
するとその男はDOGEZA をかましてきたではないか!
……なんか既視感が。最近ブームなのかな?まあこいつはなかなかすじが良い。
……じゃなくてっ!
俺は男を睨みつける。親分の質問に答えろよって顔をする。
すると、彼は何かに気づいたような表情をして、口を開く。
梓はすでに剣は仕舞い、道端の石でも見るような視線で攻撃している。
「すみませんすみません。お願いですもう少しだけ待ってください!」
「……え?」
「どんなことをしてもこんな状況じゃなかなか難しくて……決して裏切ったとかじゃありません!今もお借りしたものを返そうと必死にやっていただけなのです。ですから命だけは勘弁してくださいっ!」
お借りしたもの?返す?裏切った?どういうことだ。
そもそも俺たちはこいつとは初対面のはずだ。借りるだの裏切るだのなにを言っているのか。
全く状況が呑めない。
そうだ、梓ならなにか分かるかも…そう思って見ると、彼女は彼女でなんだこいつって顔してるし。
とりあえず話を聞いてみよう。しばらくすると、そう思えるくらいには冷静さを取り戻していた。
○
遥か昔。人間がまだ漁や狩りで食糧を得ていたころ、人類は常に飢えとの闘いの日々だった。
後に農業が始まると、今度は食料をめぐって戦いが起こった。
このころになると、人々は全てを自給自足と言わず、物々交換で食料などを揃えた。
しかし、物々交換はどうしても公平さに欠けた。
そこで、登場したのが貨幣ーーお金である。これはひとつものの価値を統一し、さらに保存が効く。
人々はすぐにお金を集めようとする。
そうして、お金の量による格差は大きくなり、貧困問題も起こった。
そこにつけ込んだのが金貸し屋である。土倉などがこれにあたる。
これらは金を貸す代わりに、利子をつけ、高額で返済を要求する。あとは勝手に金が増えていく。なかなか悪趣味なもんだ。
そして今、目の前でひたすらに頭を地面に擦り付けている彼もその被害者である。
こういうと、金貸しが悪いみたいだが、もちろん金を借りる方が悪いことは確かだ。
でも、話を聞いてみれば、少なくとも彼は悪くないように思えた。
もう何年も昔に、彼の父親が金を借りた。ところがすぐに膨れ上がり、挙げ句の果てに父親はゾンビ化してしまったそうだ。そうして、借金を引き継いでしまったのが彼。
と、まあそういうことらしい。
「なんとか必死に返そうとしてみるものの、こんな状況では職場も潰れてしまい、このパンデミックに巻き込まれて妻にも先立たれ、借金とりから逃げ続ける日々でした。そんなときに、借金とりたちの親分みたいな人から言われたんです。……ゾンビを利用してみないか。それで上手くやったら、お前は晴れて自由の身だ、と」
こんな状況では行政も働いておらず、保険会社ももちろん意味をなしてない為に、自己破綻もできず保険金も降りず、どうしようもないそうだ。
「酷い…」
彼女が絶句する中、俺はというと……。
「借金とりの親分とかいつの時代だよ。ぶふっ。そんな昭和のドラマのお約束みたいな…」
どうやら俺の笑いを堪えた呟きは、梓に聞かれていたらしく。
「ぐふぉお!」
見事にワンパンくらいましたとさ。
○
「お願いです辞めてください!」
この治安なんて概念さえとっくに無いようなこの世界では、犯罪なんて掃いて捨てるほど起こっている。
だからこんな悲鳴、珍しくもなんともない……はずなのだが。
叫んでいるというか涙ながらに訴えるのは中年のおっさんで、そいつを泣かせているのがぴちぴちの女子高生だというのを知る俺としては、なんとも微妙な気持ちになる。
なんか見てはいけない物を見てしまったような……。
「だからこれは私たちが好きでやってることですから」
これはぴちぴちの女子高生(注:正確には高校生ではないが)ーーつまり梓氏の主張である。
「それでも、やっぱりあなたたちには関係のないことです。自分のことは自分でやりますから」
そしてこちらが薄汚れたウインドブレーカーを羽織る一人のおっさんの主張。
「じゃあ、あなた一人でどうするんですか?」
「どうって…」
おっとこの言葉は効いたようだ。おっさんがたじたじになってる。
「あなた一人でこれからどうしようとしてたんですか?まさかあんなことをこれから続けて……借金取りの言いなりになり続けるつもりでも?」
「それは……」
続いて梓選手の(言葉の)パンチが炸裂!見事に急所を突いていくぅ!
「……あなた、死にますよ。ゾンビが増え続け、治安とかそういう概念さえないような、この世界ですよ?あなたなんて使い捨てられるだけじゃないんですか」
「……」
おっと……?
てかあなたがさっき死ねとか言ってたのでは?なんて突っ込みたくてしょうがなかったが、必死に我慢する。俺の命のためだ。
「それに、あなたの借金じゃなくて、あなたのお父さんの借金なんでしょう。それを無理に息子の自分一人で背負い込もうとしなくても良いでしょう」
と、そのときふと気づく。
てかさー、なんでこんなことになってるんだ?俺、厄介ごとはごめんだよ?
だから俺は、この猛獣のような彼女に、ひとつの案を持ちかける。
「いや、こんな状況だ。俺たちだって楽な状況じゃないんだ。誰だって苦しい中彼だけを助けるのは良くない。なにもそこまでしなくてもお金だけ少し分けーー」
「ん?なにか言いましたか?」
俺は絶対に口喧嘩したくないランキングのトップに、そっと梓の名前を追加したのだった。




