ゲームは一日一時間
注:恋愛要素はかなり薄いです
「大便く~ん。ま~た勉強してんのかよ」
「昼休みに勉強とかマジ気持ち悪い」
「参考書なんてトイレにでも捨てちまえよ」
「間違っても自分が流されないようにな」
「大便だからってか?」
「くそつまんねぇ! ギャハハハ!」
大便と呼ばれている男子生徒の名は磯貝秀太。
前髪を伸ばして顔を隠し、ひっそりと自分の世界に籠っているタイプの男子だ。
「(高二にもなって煽りが幼稚すぎる)」
大便というのは『大学受験のための勉強ばかりしている』を略した蔑称であり、確かにこのネーミングセンスは小学生的な香りが漂っている。
「はぁ……」
進学校なのに底辺高校に通っている気がしてしまい溜息が漏れてしまうのも仕方のない事だ。
そしてその溜息に、秀太を囲っている男子達が反応してしまう。
「何だその態度は」
「大便の癖に」
「どうせ勉強以外に興味ねーんだろ。いつもみたいにスカしたツラして勉強してろよ」
彼らが何故秀太に侮辱の言葉を投げつけているのか。
それは単に勉強ばかりしている秀太が気に入らないからだ。
彼らが通っている高校は進学校なので勉強に力を入れることは別におかしなことでは無いのだが、運悪く秀太は落ちこぼれの男子達と同じクラスになってしまったのだ。
勉強についていけなくなり、成績が悪くなったことを親から叱られる毎日。
それに引き換え秀太は真面目に勉強して成績優秀。
彼らにとって秀太は『成功者』であり自分は『敗北者』。
秀太が休み時間まで勉強しているのは勉強が出来ない自分達への当てつけであるなんて酷い一方的な逆恨みをしているのだ。
端的に言ってクズである。
そしてそのクズの筆頭で率先して秀太を侮辱する男子生徒が魚谷 陣伍。
大便という蔑称を使い始めたのもこの陣伍だ。
「なぁ、たまには俺達とゲームで遊ぼうぜ」
「僕はゲームはあまりやらないって言ったでしょ」
「優等生様はゲームなんかやらねぇってか! 馬鹿にされたもんだぜ!」
「(別に馬鹿にしてないのに。それにあまりって言ったのに何でやってないことになるんだよ)」
こんなに騒がれたら煩くて勉強どころではない。
いつものように図書室に避難しようかと立ち上がった時、彼を擁護する声があがった。
「やめなよ。磯貝君困ってるじゃない」
クラスメイトの女子生徒、海野 晴菜。
オタクだけでなく誰にでも優しく明るい女の子で、クラスのムードメーカー的な存在だ。
「別に良いじゃん」
「そうそう、そいつだって文句言ってねーんだし」
「貴方達が集団で囲っているから何も言えないんでしょ。まったく、男の子を寄ってたかって馬鹿にするなんて良い歳して恥ずかしくないの?」
なんて晴菜が秀太を庇うと男子達はすごすごと引き下がる。
それなりに気になる女子の印象をこれ以上悪くしたくないとの思いなのだが、彼女が秀太を庇おうとしていることがまた陣伍達の怒りの要因ともなっていた。
「磯貝君大丈夫? あんなの気にしちゃダメだよ」
「うん、ありがとう」
秀太はお礼を言ってそそくさと教室を出ようとする。
「(これでポイント稼いだつもりなんだから笑っちゃうよね)」
実は晴菜の優しさには裏があり、そのことを秀太は知っている。
以前、晴菜が仲の良い女子達と話をしているところを偶然聞いてしまったことがあるのだ。
『晴菜ったら大便なんか庇ってどうするのさ』
『だってあ~ゆう根暗な男子を庇う女子って男子ポイント高いじゃん?』
『なるほどね。でも大便に勘違いされるかもよ』
『その時はその時で丁重にお断りするか、それとも貢がせようかな』
『あの手の男子ってちょっとおねだりしたら何でも買ってくれそうだもんね』
『ほんそれ。見た目が良ければ彼氏キープしておいても良いんだけど、アレは無いわ』
『分かんないよ。案外髪整えたらメッチャ美形かも』
『ナイナイ。でももしそうだったらやっぱりキープかな。だってほら、勉強だけは出来るってことは稼げそうじゃん』
『そう考えるとキープはありな気がしてきた』
『でしょ?』
秀太はこの話を聞くまでは晴菜のことを優しくて可愛くて素敵な人だなと惚れそうになっていた。
真実を知った直後は『もう女子なんて信じられない』と軽い異性不信に陥っていたが、今ではもう慣れて晴菜の裏の顔を想像しながら対応するのを密かな楽しみとしていた。
そんなことを考えながら歩き教室の出口に差し掛かった時、猛烈な視線で射抜かれていることに気が付いた。
「(うわ、今日もめっちゃ睨まれてる。僕が何をしたって言うんだ)」
クラスメイトの女子、川端 江梨香が鬼のような形相で秀太を睨んでいる。
江梨香はとてつもない美人なのだが性格が苛烈であり孤立している女子だ。
その江梨香は話したことも無い秀太を何故か目の敵にしており、あまりの眼力に秀太は近づくことすら出来なかった。
「(どうしてこうなってしまったのだろうか)」
ただ真面目に勉強をしているだけなのに、クラスの男子からはいじめのような扱いを受け、女子からはポイント稼ぎのキープ候補として扱われ、特定の女子からは猛烈に嫌われている。
あまりの理不尽に嘆きの言葉しか出てこない。
そんな世の中の不条理に嘆息しながら教室を出ようとした時、背後からクラスメイト達の騒がしい声が聞こえてきた。
「明日のゲーム授業マジ楽しみ」
「それな。まさかうちでもやるとは思わなかったし」
国語、数学、物理、化学、地理、日本史、世界史、英語、体育、家庭科、情報、その他諸々。
それらと同じく一つの科目として『eスポーツ』が高校のカリキュラムに初めて組み込まれたのが二十年近く前の事。
今では高校どころか小学校、中学校を含むほぼ全ての学校でeスポーツの授業が行われている。
なお『ゲーム』という言葉の方がなじみ深いためeスポーツの代わりにゲームと呼ぶ人が多くややこしい。
将来なりたい職業の中で、プロeスポーツ選手が男女共に五年連続一位となり、世界大会はオリンピックやサッカーワールドカップなどに匹敵するほどの規模のものになっている。
しかしeスポーツがどれほど普及して市民権を得られたとしても、アンチはどうしても一定数生まれてしまう。
「アタシの母さん発狂してたよ。転校だ! 転校だ! ってさ。バッカみたい。どこに行けって言うのよ」
「日本でゲーム授業が無い高校って言ったらもう後は専門くらいじゃね?」
そしてそんなアンチを親に持つ子供は、eスポーツ授業が無い学校を受験させられる。
秀太が通っている高校もその一つだったのだが、時代の波に押されてか、ついにeスポーツ授業の導入が決まってしまった。
その結果、モンペ、ではなく教育熱心な親たちが学校に抗議をしに押しかけたりと問題になっていた。
子供の方は堂々とゲームが出来るということで大喜びなのだが。
「絶対プロeスポーツ選手になってクソババアを見返してやる!」
「今からでもなれるのかな?」
「いけるいける。『しゅうた』に勝てば一躍注目の的だからな」
「あ~確かに『しゅうた』に勝てばスカウト来そう」
『しゅうた』とはネット上を騒がせている最強ゲーマーの名前。
プロeスポーツ選手が挑んでも勝てず、かといってチート使いでは無いとも証明されているが、正体不明とされている。
その『しゅうた』に勝てるほどの実力の持ち主であればプロでも通用するのは間違いない。仮に勝てなかったとしても『しゅうた』の試合はプロ団体が注目しているため、そこで良い試合が出来れば声がかかる可能性がある。
そのため『しゅうた』に挑む人が後を絶たないという状況になっている。
その『しゅうた』と同じ名前の秀太は、eスポーツ授業が始まることでテンションがダダ下がりだった。
「授業じゃ実技もあるんだよな。大便の野郎ボコボコにしてやんぜ」
「弱い者いじめかな?」
「真面目に勉強してるだけだぜ。大便と同じことやってるんだから文句言われる筋合いはねーぜ」
「キャハ、確かに」
「(はぁ……)」
今からeスポーツ授業が憂鬱でならない。
「(勝っちゃったら問題だよなぁ)」
秀太は決してゲームが下手なわけではない。
母親はアンチゲーム派ではあるが、完全に禁止されていたわけではなくてゲームをやる機会はそこそこあった。そしてそれなりの腕があるのを自覚している。
もしもゲームですらクラスメイト達よりも上だなんて証明してしまったら、彼らのプライドを傷つけて嫌がらせがより悪化してしまうかもしれない。
そうならないために下手な演技をして負けて彼らの侮辱を甘んじて受けなければならず、そんなくだらないことをするくらいなら勉強をしていたいと心が重かったのだ。
「俺は絶対『チー獣』になってやる!」
チーズ牛丼を獣のような勢いで食べる格好良くて強いeスポーツプレイヤーの男性。
どういうわけかポジティブな意味でそう呼ばれているネットミームを口にしてeスポーツプレイヤーとして強くなる宣言をした陣伍に心の中で空のエールを送りながら、秀太はとぼとぼと図書室へと足を運んだ。
――――――――
eスポーツ授業初日。
最近新設されたeスポーツ特別教室に秀太達は移動した。
「うわ、最新ゲーム機が全部揃ってる!」
「あたしこれやって見たかったの!」
「しかもほとんど新品じゃん!」
彼らが通っている高校は私立のそれなりに裕福な高校であり、機材の類は新品で質の良いものが整えられていた。これまでアンチeスポーツの世界で苦しい想いをしてきた生徒達は、目の前のお宝に興奮が止まらない。
「はいは~い。はしゃぐのは分かるけれど、席に着きなさい」
生徒達に遅れて臨時教師の先生が教室に入って来た。
「ええええええええ!?」
「うっそおおおおおおおお!?」
「マジで!?」
その先生を見た生徒達は驚愕し、口をあんぐりと開けている。
ただ一人を除いて。
「(何を驚いているのかな)」
eスポーツ業界に興味が無かった秀太だけはその人物が誰なのか知らなかったが、一般常識とも言えるレベルでの超有名人だったのだ。
年齢は彼らと同じにも関わらず、プロeスポーツトッププレイヤーとして活躍する現役プロ選手。
アイドルのように可愛く、鬼のようにゲームが強く、若者たちの憧れの存在。
早指 瞬嘩。
「早指さんが先生だなんて……これは夢……?」
「うおおお、生きてて良かった……」
感極まっている生徒がいるが、決して大げさではない。
彼女と会えるだけでもレアなのに、ましてや教師として教えてくれるとなれば狂おしい程に嬉しがる子供は山ほど居るだろう。
それだけの人物なのだ。
「ほらほら授業を始めるよ」
尤も本人はそんな反応など慣れたもので、キラキラ営業スマイルを崩さない。
他の学校でもこうして臨時教師をした経験があり、授業を始めてしまえば勝手に落ち着くと知っているからだ。
「はいはーい! 早指ちゃん俺と対戦して!」
しかし極稀に空気を読まずに暴走する生徒が出てくる。
こんな進学校で珍しいなどと内心思う瞬嘩であったが、この場合の対処もお手の物。
「君は?」
「魚谷です! 世界一のプロeスポーツ選手になる男です!」
「ふ~ん、世界一ねぇ」
彼女の目の奥がキラリと光ったのだが、陣伍は声をかけて貰ったことが嬉しくて全く気付いていない。
「対戦してあげても良いよ」
「マジで!?」
「でもあたしが勝ったら、魚谷君は今後eスポーツ授業は座学だけね」
「そんな……!」
普通に考えて素人がプロに勝てるわけが無い。
つまり暗に対戦を拒否されたということであり、陣伍は不満を漏らそうとする。
「あたしの事を知ってるなら、あたしに対戦を挑むことの意味を知ってるんだよね」
「ひいっ!」
だが瞬嘩の鋭い視線に睨まれては文句など言えるわけが無い。
それどころか瞬嘩を怒らせてしまっていたことに今更ながら気付いた。
eスポーツが普及し始めた当初ならまだしも、世界的に大流行している今、プロのレベルはとてつもなく高い。その中で世界一を目指して誰もが血の滲むような努力をしているのだ。
それなのに軽々しく世界一になるなどと言われて何も感じないようではトッププロとしてやっていけない。
望みがあるならあたしに勝ってみせろ。
それが瞬嘩のキャッチコピーであり、プロとしての在り方であり、それを使って自身の本気の気持ちを陣伍にぶつけて分からせた。気迫あふれるプロの世界で戦っている瞬嘩の闘気を受けて、ぬるま湯につかっているだけの陣伍が、いや、それどころかクラス中のほとんどの生徒がビビってしまった。
ただ一人、秀太を除いて。
「(なんか怖い人だな。大人しくしてよ)」
eスポーツ授業に興味が無いからか、瞬嘩に興味が無いからか、あるいは別の理由があるのか、秀太はやる気なく脳内で英単語の暗唱を繰り返すサボりに意識を戻した。
これが秀太の致命的な失敗だった。
「(なんか面白そうな子がいるね)」
唯一ビビらなかったことが逆に目立ってしまい、瞬嘩の気になる生徒リストに登録されてしまったのだ。
――――――――
「eスポーツの種類には……」
eスポーツ授業と言っても実技ばかりではなく、陣伍を脅した時に話に出たように座学もある。
今回は初回授業なので座学半分、実技半分といった割合になっている。また、実技の方も生徒達の実力を測る簡単なものであり生徒達にとっては物足りなかった。
カリキュラムに沿った内容であるので仕方のないことなのだが、瞬嘩も授業をつまらないだけで終わって欲しくはない。彼らがこれまでゲームに積極的に触れられなくて苦しんでいたことは知っているのだ。少しでも楽しませてあげようと最後に二つのプレゼントを用意してあげていた。
「授業はもうすぐ終わるけれど、放課後ここを空けておくから自由に使って良いよ。今日だけは君達専用だからね」
「やったああああ!」
「絶対残る!」
プレゼントの一つ目はeスポーツ特別教室を解放してゲームを好きなだけプレイさせてあげることだ。最新ゲームやレアゲームをプレイするも良し、瞬嘩が監督として教室にいるので彼女と交流を深めても良い。
そしてもう一つのプレゼントだが、今すぐにこの場で渡される。
「後、授業の最後にこの中の誰か一人と対戦してあげる」
「マジ!?」
「はいはいはいはい!」
「あたしがやりたい!」
授業の最初では拒否したが、実はここで対戦してあげる予定だったのだ。
鞭から始めて飴で終わらせる実にあざといやり方である。
「沢山希望者がいるのは嬉しいけれど、あたしが指名するから」
ランダム一名だけのご褒美。
こういう時に誰を選ぶかは人によって特徴が出るだろう。
完全にランダムで選ぶ人。
強く主張して来る生徒を選ぶ人。
やりたそうだけれど主張が苦手な子を選ぶ人。
瞬嘩はプロとして意欲がある子にチャンスを与えたいと思う一方、多くの人にeスポーツを好きになってもらいたいと思う気持ちもある。そのため誰を選ぶかはその日の気分で変わるのだが、今回は脳内の『気になる人リスト』に登録者がいた。
「じゃあ磯貝さん」
「(うわ、マジか)」
露骨に嫌そうな顔をしなかったのは褒めてあげても良いだろう。
だがクラスメイト達は露骨な反応をしてしまった。
「ええええええええ!」
「よりによって大便かよ!」
「もったいな~い!」
自分が選ばれなかっただけではなく、秀太が選ばれてしまったことを不快に思う雰囲気に、瞬嘩はクラスでの秀太の立ち位置に気付いてしまった。
「(進学校でもこういうのがあるのね。くだらない)」
彼女にとってこのクラスの評価が地に落ち、臨時教師として働くのは今日で止めようかと思った瞬間である。
「あの、僕は良いので他の人と対戦してあげてください」
「(この子も文句があるなら戦って……へぇ、おもしろい目をしてるわね)」
てっきり怯えているのかと思ったが、前髪から覗く秀太の目には単なる『面倒臭い』しか浮かんでいなかったことに瞬嘩は気付いた。
髪で顔を隠し大人しそうな見た目だけれど、その実、心が強く芯がしっかりしている人間だ。
eスポーツで勝つには単なる技量だけではなく相手のことを知り予測することも不可欠だ。時には相手の内面を深く分析して戦う事すらある。それゆえ瞬嘩は相手の内面を見抜く力が鍛えられていた。その力で秀太の強さに気付いた。
腐ったクラスの中にいるからこそ逆に目立ってしまっただけかもしれないが、瞬嘩にとって秀太の隠れた心の強さが好ましかった。そしてその好ましい生徒がゲームに興味が無さそうなのがどうにも勿体なく感じてしまった。
「だ~め、一度決めたら変えないのがルールよ。eスポーツの世界に『待った』は無いの」
だからこそ秀太の申し出を却下した。
「そいつゲームに興味無い奴だから止めましょうよ!」
「そうだそうだ!」
興味ないからこそ興味を抱かせたくなるのだ。
クラスメイト達の抗議は全く意味を為さないものだった。
「さぁやりましょう。時間が無いから格闘ゲームにするわ」
格闘ゲームといっても種類があるが、瞬嘩が指定したものは一ラウンド三分で二本先取が基本ルール。つまり最大でも九分しかかからないので授業最後のエキシビションマッチとしては適切だろう。
古くからある2D格闘ゲームシリーズ最新作で、ゲーム中の行動によってゲージが溜まり、ゲージがフルになるととても強い必殺技を繰り出せるようになるシステムのもの。
「(どうしてこうなった……)」
自分が選ばれるなんて運が悪すぎだろうと嘆息した秀太は、さっさと負けて終わらせようと雑にプレイしてあっさりと敗北した。
「うっわ下手すぎ」
「小学生でももっとマシなプレイ出来るよね」
「どうせ勉強さえ出来れば良いんだろ」
手も足も出ずにあっという間に敗北してしまった秀太にギャラリーが心無い言葉をかける。
「…………」
しかし瞬嘩だけは真剣な顔で何かを考えていた。
「(この子まさか……いえ、そんなはずは……でも……)」
負けても全く悔しそうにせず、ギャラリーの侮辱を気にする様子もなく、ただただやる気の無い秀太の顔を見る。その内面を見抜こうとする。
「ねぇ磯貝君。どうして本気を出さなかったの?」
「え?」
磯貝の反応を見た瞬嘩は確信した。
やはり磯貝は実力を隠していたのだと。
どうしてそんな質問をしてくるのかという『え?』ではなく、どうしてバレたのだという『え?』であると見破ったのだ。
「先生何言ってるんですか。そいつはマジで弱いだけですって」
「深読みしすぎ。それより時間余ってるなら俺と一戦」
「黙りなさい」
「!?」
「!?」
プロの真剣モードに豹変した瞬嘩の一喝で、教室内はシーンと静まり返ってしまった。
これで邪魔は消えたと周囲の存在を意識から消した瞬嘩は、もう一度磯貝に話しかける。
「今度は君の本気を見せてくれないかしら」
「元から本気でしたけど……」
「嘘よ。あなたのプレイは初心者特有の雑な動かし方でも無く、動かし方が分からず奇妙な動きをするわけでも無かった。敢えて当たりに来て早く負けようとしたでしょ」
「……そんな訳ないじゃないですか」
自分の狙いがバレていたことに驚いたのが表情に出てしまい、瞬嘩はやはりそうかと磯貝が手を抜いていたのを確信した。
「どうして手を抜いたの?」
「…………」
これ以上言い訳を重ねても聞いてくれないだろうなと思い磯貝は沈黙してしまう。
かといってこの場を穏便に済ませる言い訳などすぐには思いつかない。
焦って悩む磯貝に、瞬嘩が追撃を仕掛ける。
「まさか本気だったら私に勝てるからじゃないよね」
このくらいのことを言えば焦って本心を話してくれるのではないかと考えたブラフだった。
磯貝が本気でそんなことを考えているだなど思ってもいない。
「(嘘でしょ。この子、本気で私に勝てると思ってるの)」
だが相手の内面を読める瞬嘩だからこそ、そして磯貝が気持ちを隠すことに慣れていないこともあってか、磯貝の自信に気付いてしまった。
「へぇ……」
ゆらり、と瞬嘩から怒気のようなオーラが漂った。
それを目撃したクラスメイト達は自分が相手では無いのに怯えている。
これこそが世界トップクラスのプロの迫力。
何が何でも相手を倒してやりたいという気迫。
「(うわぁ怒らせちゃった。どうしよう)」
だが磯貝はそれを真正面から受け止めて、ちょっと怖がる程度の反応しか無かった。
それがまた瞬嘩のプライドを刺激する。
「磯貝さん。本気で私と戦いなさい」
「…………」
断ったりまた手を抜いたらきっと瞬嘩は本気で怒り、今以上に状況が悪化するだろう。
ここは言われた通りにやるしかない。
そうは分かっていても秀太はその後のことを考えると気が重かった。
「もし磯貝さんが勝ったら、あなたが望む物をプレゼントするわよ」
「望む物ですか?」
「(やっぱりこの子は私に勝てる気でいる。どういうことなの?)」
端から勝てないと思っているのなら勝利報酬など気になる筈がない。
勝てる可能性があると思っているから気になるのだ。
素人がプロに勝てると思っているなんてよくあること。
でもそれは妄言のレベルであり秀太もそうに違いない。
そう思っているのに、頭の中のどこかで警鐘が鳴らされている。
一体この少年に何があるのか。
まだ見ぬ強敵かも知れないワクワクとドキドキが瞬嘩の心に満ちて行く。
「例えば君の環境を変えてあげるというのはどうかしら」
「環境を?」
「クラスを変えるように学校に掛け合うとか」
「……そんなことが出来るんですか?」
「やるだけなら。もしダメだったらどんな手段を使ってでも改善してあげるわ。どう?」
「僕が負けたら? 先生と戦うには僕も何かを賭けないとダメなんでしょう?」
「良く分かってるじゃない」
磯貝は瞬嘩のことを知らなかったが、最初の陣伍とのやり取りで彼女の勝負にかけるスタンスには気付いていた。
対等で無い条件下で勝負をしたいのなら何かを賭けろと。
プロである瞬嘩が素人とゲームをするのは普通であればあり得ない。立場が違いすぎる。それでも勝負をしたいのであればそれに見合う何かを賭けなければならない。
「これからeスポーツの授業を本気で受ける事」
「……それだけですか?」
「ええ、それだけよ。なんならその上で負けても環境を改善するようにある程度口利きしてあげる」
「どうしてそこまでしてくれるのですか?」
「そりゃあもちろん、今はこの学校の先生だから」
「……分かりました」
白々しいとは思いつつも、提示された報酬は確かに美味しい物だった。
環境が改善されれば学校で嫌がらせを受けなくなり勉強に集中出来る。負けたとしても多少は対処してくれるのであればやらない理由が無い。
「(そこまでして僕と戦いたいのかな)」
今回は瞬嘩の方が磯貝との戦いを望んでいるからこそ、条件が対等に近く磯貝にとってほとんど不利なっていないことにしっかりと気付いていた。
「勝負はさっきと同じ基本ルールで良い?」
「はい」
三ラウンド中、二本先取。
瞬嘩の異様な雰囲気に教室は呑まれ、先程までのように磯貝に露骨なマイナスの感情が向けられることは無かった。
教室が静寂に包まれる中、ついに勝負が始まる。
ラウンドワン、ファイッ!
最初のラウンドはお互いに様子見だった。
相手の出方を確認し、牽制をしながら守備重視で試合を進めて行く。
「(この程度で私に勝てると思ってるの?)」
瞬嘩は秀太の実力を早々に見極め、がっかりする。
やはりただの妄言であり、大した実力が無いのだと確信した。
「(とっとと終わらせましょう)」
何もかも自分の勘違いだったと分かり落胆するが、普通に考えれば毎日修練を欠かさないプロである自分に勝てるような相手がそこら辺にいるわけがない。
瞬嘩は突然ギアをあげてラッシュをかけ、あっという間に秀太の体力ゲージはゼロになった。
瞬嘩の体力ゲージはほとんど減っておらず秀太の完敗だ。
ユールーズ!
秀太の画面に負けの宣告が表示されると、やっぱりそうかと教室の空気が弛緩する。
瞬嘩が纏う空気が和らいだことも大きい。
しかし。
ラウンドツー、ファイッ!
「!?」
二ラウンド目が開始したと同時に秀太が前に出てラッシュを仕掛けた。
「(うそ、うそうそうそうそ!)」
慌てて守備にまわるものの、ガードを崩されて着実に体力を削られてゆく。
「嘘だろ!? 早指さんがあんなにダメージ喰らうなんて!?」
「あり得ない!」
「手を抜いてるんじゃないか!?」
秀太がプロを押しているという事実に生徒達は騒然としている。
だが瞬嘩はすでに冷静さを取り戻し、劣勢になりながらもチャンスを待っている。
「(ここ!)」
秀太のラッシュに僅かな隙を見つけて、最大まで溜まったゲージを解放して最強の必殺技を発動する。
「(しまった! 誘われた!)」
だがそれは秀太が仕掛けた罠であり、秀太はタイミング良くそれを躱し、大技発動後に大きな隙を晒している瞬嘩のキャラに、逆に大技を発動し返して見事に撃破した。
秀太の体力ゲージはほとんど減っておらず、第一ラウンドのやり返しをしたという形だ。
「嘘でしょ……早指さんが一本取られるなんて」
「完敗じゃねーか」
「冗談だよね。手を抜いてるんだよね」
騒然とする教室とは対照的に、瞬嘩の気持ちは燃えに燃えていた。
「(強い)」
相手が素人だなんて思い込みはもうしない。
これまでしのぎを削って戦ってきたライバルたちと遜色ない、あるいはそれ以上の実力の持ち主だと認めよう。
だがそれでも勝つのは自分だ。
それだけの修練を積んで来た。
この程度の逆境などいくらでも経験して来た。
そう気持ちを鼓舞して最終ラウンドに挑もうとする。
だが……
ファイナルラウンド、ファイッ!
雌雄を決する最終ラウンドはあまりにも一方的なものだった。
ユーウィン、パーフェクト!
相手の体力を全く削ることが出来ずに倒れ伏す瞬嘩のキャラクター。
あまりにも衝撃的な敗戦に、息をするのを忘れて画面を呆然と見つめている。
何しろ秀太は必殺技を何一つとして当ててこなかったのだ。
必ず殺す技と書くのに守備にだけ使い、攻撃はノーマルのパンチとキックだけ。
それだけで瞬嘩を倒しきってしまった。
しかも無傷。
よほどの実力差がなければ出来ない芸当だ。
実力の違いを見せつけられた。
恐らくはそのために敢えてこのような戦い方をしたのだろう。
妙な難癖をつけられないようにと。
誰もが何も言えず衝撃に動けない。
そんな中で最初に声を挙げたのは陣伍だった。
「ふざけるな!」
机をバンと強く叩き立ち上がり、秀太を物凄い形相で睨みつける。
「大便がプロに勝てるわけ無いだろ! いかさまだ! チートだ! この卑怯者!」
「そ、そうよそうよ。素人があんな動き出来る訳ないじゃない!」
「弱いからってそこまでするか!?」
秀太の勝ちを信じられない生徒達が陣伍の叫びに同調したのだ。
「(こうなると思ってたよ)」
秀太は勝利に喜ぶでも無く、予想していた状況になってしまったことを面倒に思っていた。
この状況で何を弁明しても意味が無い。
彼らが望んでいるのは秀太がチートを使って勝利したという事実であり、身の潔白などどうでも良い。
例え嘘でも秀太が自分よりも劣っていると証明されなければ劣等感で心が耐えられないのだ。
だから秀太は自分のゲームの腕について秘密にしていた。
勉強についていけなくなったことで勉強に励む秀太を疎んだ彼らにとって、ゲームの腕だけは秀太よりも優れていると思い込むのは彼らが自尊心を保つために必要な事だった。だがゲームの腕すらも秀太の方が上だと分かったら彼らは嫉妬のあまり何をしでかすか分かったものでは無い。
瞬嘩が環境改善を約束し、彼らの暴走から逃げられるから本気を出しただけであり、本来は一生明らかにするつもりはなかった。
「(先生、約束通りそろそろなんとかしてくれませんか)」
その秀太の想いが伝わったのか。
戦いに完敗して呆けていた瞬嘩がゆらりと立ち上がった。
「いい加減に黙れ。クズ共が」
可愛らしい顔と臨時とはいえ先生という立場ではあり得ない暴言に、教室内は再び静かになってしまう。
「あたしを侮辱してるってこと分かってて言ってるんだろうな」
真剣勝負の勝者を疑うということは、その勝負を汚し、強いては敗者をも侮辱する行いである。
瞬嘩はまだ生徒達と同じ年齢であり若い。
そんな彼女がその怒りを抑えられるわけが無かった。
生徒達が落ち着き恐怖に怯える様子を確認した瞬嘩は、怒りを解いて秀太に向き合った。
「おめでとう。君の勝ちだよ。強かった」
本気を出して負けた。
そのことがとても悔しいはずなのに笑顔で勝者を讃えられるということは、やはり彼女はプロなのだろう。
「それだけ強いのに、磯貝君はゲームに興味が無いの? プロになれば間違いなく活躍できるし、賞金で億万長者だって夢じゃない」
大規模な大会では数千万円もの優勝賞金が出るものもあり、トッププロを倒した秀太であれば通常のサラリーマン人生を送るよりも遥かに多く稼げると瞬嘩は確信していた。
いや、それどころではない。
「(この子があのネットの『しゅうた』で間違いない。世界最強のゲーマーにこんなところで出会えるだなんて)」
先程の対戦から、彼女は秀太がネット上で最強とされている正体不明のプレイヤー『しゅうた』であることを突き止めたのだ。世界トッププレイヤーを悉く返り討ちにする『しゅうた』であれば世界一の称号を得る事すら不可能ではない。
「興味が無いので」
だが秀太はその未来をあっさりと捨て去った。
心から興味が無さそうにしている。
「(なんて勿体ない)」
そうがっかりする瞬嘩。
だがここで、秀太の言葉に大きく反応した生徒がいた。
「どうしてよ!」
いつも秀太を睨んでくる女子、江梨香だった。
「それだけ実力があるならプロを目指しなさいよ!」
彼女はどういうわけか激昂し、きつい口調で言葉を浴びせてくる。
会話に割って入って来るなオーラを放つ瞬嘩の様子に気付かないくらい興奮している。
「どうして親の言いなりになんてなってるのよ! 稼いで見返してやりなさいよ!」
それこそが彼女が秀太に怒りを覚える理由だった。
この学校は親からゲームを禁止されるなど、アンチゲームの家庭で育った子供が多く通っている。
そして多くの子供はそれを強く不満に思いながらも親に逆らえないでいた。
休み時間を使ってまでも勉強に打ち込む秀太は、親の方針に愚直に従っているのだと思い込んでいた。その姿を見ると、親の束縛から子供は抜け出せないのだと思い知らされているようで辛かった。お前もゲームが出来ずに勉強する未来しか無いのだと説教されているようで腹立たしかった。
しかし今日、彼女は知った。
秀太にはゲームで独り立ちできるだけの実力があると。
親の庇護から抜け出して稼いで生きる力があるのだと。
それなのに、それでも親の敷いたレールの上を歩こうとする秀太の姿をどうしても受け入れられなかったのだ。例え力があろうとも、運命は変えられないのだと言われているかのようで。
秀太は流石にそこまでの細かい事情は分からなかったが『親の言いなり』の言葉で、どうして江梨香が自分を敵視しているのか理由を漠然とだけれど察した。そして彼女の勘違いを正した。
「僕はお母さんに命令されてプロeスポーツ選手を目指さない訳じゃないよ」
秀太の家でのアンチゲームは母親だった。
元々ごく普通の幸せな家庭だったのだが、父親がゲームにドハマりしてまともに仕事をしなくなり離婚にまでなってしまった。母親は秀太が父親と同じ目に遭わないようにとゲームを制限した。
「お母さんはゲームが嫌いだけれど、僕がプロeスポーツの世界に挑戦しても構わないって言ってくれてる。その証拠にこのeスポーツ授業の反対運動に僕のお母さんは参加してない」
秀太の母親にとってゲームの存在は愛する人と家庭を壊すものであり苦痛でしかなかった。
でもそれでも秀太にその気持ちを押し付けることはしなかった。
秀太が父親と同じように壊れてしまう恐怖から制限をしてきたが、大人になってからは自分の責任で考えてゲームに関わりなさいと既に言われていたのだ。
「じゃあ尚更どうして!」
ゲームで世界を狙わないのか。
その理由はとても簡単なものだった。
「僕には別の夢があるから」
ゲームとは別にやりたいことがある。
秀太は単にそのために勉強を頑張って来たのだ。
「プロeスポーツ選手とかプロスポーツ選手とか尊敬する。皆に夢を与える素敵な仕事だと思う。でも僕はもっと世の中に必要とされる仕事がしたいんだ」
それはプロeスポーツ選手やプロスポーツ選手が世の中に必要でないという意味では無い。
世の中に無くてはならない仕事をやりたいのだ。
「例えば近所にあるスーパー。あそこが無くなったら多くの人が困ると思う。例えば車。車を作る人が減ったら多くの人が困ると思う。例えばネットワーク。これが無くなったら、さっき先生と戦ったような対戦も出来なくなる。僕はそんな無くなったら困るものに関わる仕事がしたい。世の中に無くてはならない存在として活躍したい。でも無くてはならない度合いが高ければ高い程に、必要な学力はきっと高くなると思うんだ。だから僕は勉強している。親に言われたからじゃなくて、夢に向かって勉強してるんだよ」
これまで何を言われてもボソボソと力なく反論するだけだった秀太が、力強く目を輝かせて饒舌に語り出した。その様子を見れば、彼が本気でその夢に向かって邁進していることは明らかだった。
秀太が瞬嘩のプレッシャーに負けなかったのも、彼もまた夢に向かって毎日勉強という戦いを続けていたから。対象は違えど心の底から本気で戦っているからこそ心が強くなっていた。
「そん……な……」
江梨香は自分の過ちに気付き愕然とする。
己の両親への反発心を、無関係で真っ当に努力していたクラスメイトにぶつけていたことが猛烈に恥ずかしくなった。
クラスメイト達も秀太の真っ直ぐな夢への想いを知り、これまで馬鹿にしていた自分達の行いを深く恥じた。秀太に対する劣等感は激増し、だがそれでいてほとんどの人のマイナスの感情は減少した。
純粋に真っすぐ夢を追い努力する人間を心の底から悪く思える人などほどんど居ないのだから当然の反応だ。
「磯貝君、素敵だね」
「え?」
江梨香が撃沈したからか、再度瞬嘩が秀太に話しかけた。
その頬が少し赤くなっている。
「でも個人的には夢を追いながらもゲームを好きになって貰いたいな」
「好きですよ」
「え?」
興味が無さそうにしていたのは、あくまでもこのeスポーツ授業に対してだ。
決してゲームが嫌いな訳では無い。
「毎日ゲームやってますから」
「そうなの!?」
「はい、息抜き程度ですが」
勉強の合間の息抜きとして毎日必ずゲームをやっていた。
好きだからこそやっているのだ。
そして瞬嘩はこの言葉で更に確信する。
秀太がネット上の伝説の『しゅうた』であると。
その『しゅうた』も毎日決まった時間にゲームをやっているのだ。
「じゃあさ、その『息抜き』であたしと勝負しようよ」
今度こそ倒してやると瞬嘩は意気込んだ。
「ああ~そうですね……」
でも秀太の反応は芳しくなかった。
「あたしとゲームするの嫌?」
弱すぎて相手にならない、などと思われているのではないか。
なんて思ってしまう程に先程の負けっぷりは彼女の中で衝撃的だったのだろう。
ネットで『しゅうた』と戦って手も足も出ずに完敗した経験もあるので、完全に格付けが終わってしまっているのかもしれない。
「いやそういうわけじゃなくて。限られた時間しか無いからどうしようかなって。やりたいゲームもいっぱいありますし」
「限られた時間?」
「ええ」
そう、秀太にはゲームをするにあたり、ある制限がかけられていた。
多くの家庭で取り入れられているであろう、ごくごくありふれた制限。
「ゲームは一日一時間だから」
それこそが秀太の母親が科した唯一の制限。
小学生のころは三十分。中学生からは一時間。
それ以上は絶対に越えてはならない。
秀太自身もゲームは息抜きだと思っているから長時間やってしまわないように制限があるのがありがたく思っていた。
「(そういうことだったのね)」
秀太の答えを聞いて瞬嘩は一つ納得したことがある。
ネット上に『しゅうた』が現れた頃、毎日決まった時間に三十分間しかプレイしていなかった。
それがある時を境に一時間に増えた。
早く終わることはあっても延長することは決してない。
『しゅうた』がその間しかゲームが出来なかったと制限がかけられていたのなら納得の話だ。
そしてそれと同時にもう一つ分かったことがある。
「(本物の天才じゃない)」
毎日プレイしているとはいえ、たったそれだけのプレイ時間でトッププロを負かすくらいに強くなった。しかも三十分間の頃、つまり小学生の頃にはもうその強さだった。
天才、神童といった言葉が瞬嘩の脳裏をよぎる。
もし秀太が本気でeスポーツに打ち込んだらどれほどに強くなるのかと戦慄する。
そしてeスポーツ界の至宝になりえる人物が別の夢を抱いていることが少しだけ悲しかった。
――――――――
「あ、あの、磯貝君。もしよければ今日、私とゲームやらない?」
eスポーツ授業の翌朝、照れた様子で秀太にアプローチをかけてきたのは、クラスメイトの晴菜だった。
なんとこの女、頭が良くてゲームも強い秀太を本気で攻略しようとしてきたのだ。
クラスメイトの反応が変わるだろうなとは思っていた秀太であったが、流石にこの手のひらクルーは予想外だった。
「遠慮しておくよ。海野さんも彼氏がいるのに僕に声なんかかけちゃダメだって」
「彼氏なんていないよ!」
「そう? でも悪いけど僕はキープ君になるつもりはないから」
「え?」
ニッコリと笑うことで、お前の内心は知ってるんだぞと伝えてあげる。
晴菜はこれまでの自分の秀太への振る舞いの裏がバレていたことを悟り、バツが悪くなった彼女はそそくさと退散した。
「(このくらいは良いよね)」
別にざまぁさせたいわけでは無いけれど、これまで散々嫌な気持ちにさせられてきたのだからこのくらいはしても罰が当たらないだろう。
そう思っていたら次のざまぁ候補がやってきた。
「おはよう、磯貝君」
秀太を散々敵視して来た江梨香だ。
だが彼女にはざまぁする必要が無かった。
「これまで何度も睨んじゃってごめんなさい」
彼女は非を認めて素直に謝って来たのだから。
「勉強頑張ってね。それじゃあ」
そして余計なアピールなどせずに、すぐに自分の席に戻って行った。
下手に言い訳をしたり謝罪をし続けたりしても迷惑になることをちゃんと理解していたからだ。
秀太の好感度激増である。
「(これで平穏無事な生活が戻って来たかな)」
てっきりもっと険悪な空気になるのかと思っていたら、予想外にクラスメイトが静かになってしまったので拍子抜けだった。これなら勝利報酬は別のものにすれば良かったかなと思ったが甘かった。
「いいよな。才能のあるやつは人生好き放題できて!」
陣伍だ。
相手が純粋に努力していようが、自分が幼稚だろうが、嫉妬心を抑え切れずに攻撃してしまうクズ。彼こそがその手の人間だった。
「プロeスポーツ選手に勝ったからって調子のってんじゃねーぞ!」
しかも秀太よりも大きく自分が劣ることを自覚させられてしまったせいか、これまで以上に攻撃的になってしまっている。
このままではリアル格ゲーになってしまうかもしれない。
流石の秀太もそっちの技術は無かった。
「はいはい。そこまで」
一触即発の空気の中、一人の女性が教室に入って来た。
「え?」
その人物の姿を見た秀太は驚きで硬直する。
制服を着た女生徒らしき人物は一直線に秀太の元へと向かい、体を押し付けるように腕を取った。
「あたしの磯貝君に近づかないでよね!」
「ええええええええ!?」
あまりにも唐突な展開に教室中から怒号とも言える程の声があがり大騒ぎになってしまった。
「早指先生! 何やってるんですか!?」
その人物とは昨日eスポーツ授業の臨時教師としてやってきた瞬嘩だった。
「何って約束を守りに来たんだよ」
「約束?」
「君の環境改善。これからは私が傍で守ってあげるからね」
「ええええええええ!?」
環境改善の例としてクラス替えを学校に働きかけてくれるとは言っていたが、この方法は全く想像していなかった。
「プロeスポーツ選手の仕事はどうするんですか!?」
「しばらくお休みかな」
「なっ……」
「私も磯貝君と同じ年齢だから一緒に学校に通っても変じゃないでしょ」
「変ですって! 仕事をしてください!」
いくら瞬嘩にとって勝負が絶対だとしても、秀太を守るために仕事を犠牲にするなんてありえない。秀太としても申し訳なさ過ぎて絶対に止めてもらいたかった。
それは秀太が彼女のことを知らなかったが故の考え。
彼女には実はとある有名な話があったのだ。
「い~や。私はこれからずっと磯貝君と一緒にいるんだもん」
「もんって可愛く言われても……」
「可愛い!? あたし可愛い!?」
「(言われ慣れてるでしょうに)」
秀太にとって瞬嘩は可愛いけれど怖い人という印象だったから、こんなラブラブちゅっちゅな雰囲気で迫られると違和感しかなかった。
「本当にどうしちゃったんですか」
「その反応、やっぱり磯貝君はあたしのこと何も知らないんだね」
「え?」
「あたしね、前から公言してることがあったんだ」
それは彼女が可愛らしい見た目であるがゆえに降りかかる火の粉を払うための宣言。
ただし形式上では無く心から本気でそう思っていること。
プロeスポーツ選手として世界一になる夢と同じく、彼女が抱いているもう一つの夢。
「同世代の男性があたしに勝ったら全てを捧げますってね!」
強い人のお嫁さんになるということ。
本気の戦いで勝利した秀太は、彼女の恋愛的な意味でのターゲットになってしまったのだった。
「あ……あはは……」
衝撃の事実を知った秀太は平穏な学生生活はもう訪れないのだと悟ったのであった。
でも内心では可愛い彼女が出来ることを少しばかり嬉しく思っていたのは秘密である。
実は連載候補として考えていたものを短編としてまとめたものなので、私の作品では珍しくプロローグ的な感じになってしまっているかもしれません(描かない)
ほら、瞬嘩と江梨香の三角関係を描いたり、モンペ親と戦ったり、秀太がヒロイン達を鍛えて一緒に大会に出たり、『しゅうた』のライバル的存在が出てきたり、瞬嘩も実は親がアンチゲームで逃げ出して強くなったけど実は今は応援していて仲直りさせるとか、色々と描けそうでしょ?(絶対描かない)