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凛太郎、新規採用職員と会う

「おはようございます!」

 凛太郎が翌日事務所に出勤し、ドアを開けた瞬間、待ち構えていた大下おおしたたもつに大きな声で挨拶された。

「うわっ!」

 凛太郎は反射的に飛び退き、転びそうになった。

「今日からお世話になります、大下維です! よろしくお願いします!」

 大下は九十度以上大きく頭を下げた。

「あ、そ、そうですか。高岡凛太郎です。よろしく」

 凛太郎は心臓が飛び出そうな程驚いていたが、何とか挨拶を返した。

「大下君、私が紹介するまで待ってと教えたでしょ。ダメよ、そんな脅かすようなやり方は」

 綾子は腕組みをして大下を注意したが、顔が笑顔なので、凛太郎はムッとした。

(父さんから聞いてるけど、母さん、大下君に『美しさに魅了され』って言われて、喜んでいたらしいから、甘々な対応になりそうだな)

 綾子は凛太郎が睨んでいるのを見て、

(何何? 凛たら、ヤキモチ?)

 とんでもない方向に勘違いをしていた。凛太郎は何故かニコニコしている母に嫌悪感を抱き、自分の席へと進んだ。

「申し訳ありません、先生」

 大下は気持ちと言葉がすれ違っている笑顔で謝罪した。

(全然、反省していないな、この新人は?)

 凛太郎は大下の態度も嫌悪した。

「すみませーん、遅くなりましたあ!」

 そこへドアをバンと開き、ドンと閉じて、もう一人の新人の岸森きしもり真実まみが入って来た。

(うわ、こっちはガサツな子だ)

 凛太郎はその容姿とはギャップがあり過ぎの真実の動きに目を見開いた。

「岸森さん、ドアの開け閉めはもう少し静かにね」

 綾子は真顔で告げた。

(母さん、岸森さんには厳しそうだな)

 凛太郎は綾子のあからさまな態度の違いに半目になった。

「ごめんなさーい、先生」

 真実はちょこんと頭を下げただけだ。そして、じっと自分を見ている大下に気づいた。

「あ、紹介するわね。そちらは、貴女と同じく、今日から働いてもらう事になった大下維くんよ」

 綾子は二人に近づきながら告げた。

「大下です。よろしくお願いします!」

 大下はまた頭突きを食らわせるような勢いで頭を下げた。真実は身の危険を感じたのか、一歩退き、

「よ、よろしくお願いします」

 小声で応じた。綾子は大下に微笑んで、

「それで、こちらが岸森真実さん。日商簿記一級を取得していて、将来は税理士を目指しているのよ」

 チラッと凛太郎を見た。

(今の母さんの一瞥、明らかに俺への嫌味だ)

 凛太郎は素知らぬふりをして、出かける準備をしている。

「それはすごいですね。自分は簿記は二級しか取っていないので、これから頑張ります」

 大下は笑顔で真実を見てから、綾子を見た。

「そうね。貴方が税理士の資格を取ってくれたら、税理士法人を立ち上げられるわね」

 綾子はまた嫌味ったらしく、凛太郎を見た。

「頑張ります!」

 大下は綾子に激励されたので、鼻息を荒くした。

(こいつ、まさかとは思うけど、母さんを女性として見ているんじゃないだろうな?)

 凛太郎も綾子と同じく、とんでもない方向に推理を展開していた。


(気になるなあ)

 木場税理士事務所では、柿乃木優菜が気を揉んでいた。隆之助から、高岡税理士事務所に新人の男女が入所すると聞かされたからだ。

(女性の方は、二十歳だとか。凛太郎さん、大丈夫かしら?)

 優菜はまだ凛太郎を諦めていない。むしろ、以前よりも恋焦がれている。

(凛太郎さん、まなみさんと結婚してから、グッと男らしくなった気がする)

 優菜は凛太郎に気づかれないように彼を尾けたりしているのだ。

(きっと、まなみさんと毎晩……)

 優菜はそこまで妄想して、赤面した。

(私、何考えているの?)

 凛太郎を麻奈未に奪われた気がしている優菜は、麻奈未に恨みこそ抱いていないが、新しく高岡税理士事務所に採用された岸森真実の事は気がかりであった。

(凛太郎さんにちょっかいを出すようなら、許さない)

 優菜の思いは以前より歪んで来ていた。一色雄大というストーカーの存在が消えたので、優菜のタガが外れたのだ。その優菜も、まさか真実が隆之助狙いだとは思ってもいなかった。


「どうしよう? 同僚に気づかれたみたいなんだけど?」

 神宮真帆は、聖生の言動に不審を抱き、遂に勇悟お兄ちゃんに電話で相談した。

「気のせいだよ。気づかれる訳がない。いつも通りにしていれば、何の心配も要らないよ」

 勇悟お兄ちゃんは取り合ってくれなかった。

「わかった。思い過ごしかも知れないね」

 真帆は勇悟お兄ちゃんの言葉で自分を無理に納得させた。

「どうしたの、真帆?」

 誰もいない会議室で電話をしていた真帆を変に思った聖生が声をかけた。

「別に何でもないよ」

 真帆は慌ててスマホをスーツのポケットにねじ込むと、聖生の視線を避けるように俯いて会議室を出て行った。

(やっぱり、おかしい)

 互いにそう思った聖生と真帆である。

(聖生は明らかに私を見張っている気がする。思い過ごしなんかじゃない)

 真帆は聖生への疑念を強めた。

(真帆が誰かと連絡を取り合っているのは間違いない。でも、問い詰められない)

 聖生は小さく溜息を吐いた。

「どうしたの、聖生?」

 大介が尋ねた。聖生は大介には真帆の事を伝えていないので、

「ううん、何でもないよ」

 作り笑顔で応じると、廊下を歩いて行った。

(どうしたんだろう、聖生は? ずっと神宮さんの事を見ていたみたいだけど)

 大介は聖生が真帆を監視しているのではないかと考えていた。


「高岡さん、まさか、担当が代わるんじゃないわよね?」

 大下を連れて顧客を訪問した時、社長夫人にこっそり訊かれた凛太郎は、

「いえ、違います。新人の研修で連れて来ただけですから」

 苦笑いをした。

「そう。ならいいんだけど」

 社長夫人は綾子が凛太郎を連れて行った時にも、同じ事を綾子に訊いたのを凛太郎は知らない。

「そうちょくちょく、担当が代わると、困るのよね」

 経理全般を受け持っている社長夫人にしてみれば、二年足らずの間に担当が入れ替わるのは迷惑なのだ。

「大丈夫です。自分がずっと担当しますので」

 凛太郎は言い切ったのだが、

(そう言いつつ、高岡先生は貴方を来させるようになったのよ)

 社長夫人は凛太郎の言葉を疑っていた。

「それならよかった」

 社長夫人は凛太郎が知らない事実を知っているので、作り笑顔で応じた。二人がそんなやりとりをしているのを大下は全く気づく様子もなく、通された応接室をキョロキョロと見回していた。

(初日なんだから、仕方ないか)

 親戚の家に遊びに来た子供みたいな反応をしている大下に凛太郎は項垂れそうになった。

「では、失礼します」

 凛太郎は社長夫人に告げると、まだキョロキョロしている大下を引っ張るようにして、応接室を出た。

「大下君、あまりあちこち見ないで、おとなしく座っていてよ」

 凛太郎は顧客の建物を出てから、大下に注意をした。

「え? あ、そうですか? すみません」

 全然自覚していない大下はヘラヘラして応じた。凛太郎は小さく溜息を吐いて、

「次、行くよ」

 鞄を持ち直して歩き出した。

「あ、はい」

 何を怒っているんだろうという顔をして、大下は凛太郎について行った。

(訪れた時も、帰る時も、挨拶もしないなんて、母さんはどうしてこんなバカな奴を採用したんだ? 帰ったら、きっちり報告して、試用期間で辞めさせるように言わないと)

 凛太郎は、大下は見込みがないと判断した。


(この子、すごいわ。育て方によっては、凛より優秀になるかも)

 一方、綾子は真実の物覚えの良さに感心していた。

(最初は、隆之助に好意を寄せているとんでもない女だと思ったけど、やっぱり、日商簿記一級は伊達じゃないわね)

 真実は一度綾子が教えると、パソコンの操作も、電話の応対もそつなくこなした。

(話し方はまだ難があるけど、それは追い追い改善できるだろうから、取り敢えずは本採用ね)

 早くも、真実は綾子に気に入られていた。

(大下君はどうかしら?)

 むしろ、綾子は大下が育ってくれればいいと思っていた。

「うん?」

 綾子は凛太郎からのラインに気づいた。

(あらら)

 凛太郎は我慢できずにラインで大下の酷さを伝えていた。

(一日で判断するのは酷だから、もう少し見守ってあげて)

 綾子は凛太郎を宥めるように返信した。

「それじゃあ、小口現金も教えるわね」

 綾子は真実に事務所の経理を全面的に任せる方向でいこうと考え始めていた。

「はあい、先生」

 真実はにこやかに応じた。

「私の事は、先生ではなく、所長でいいわよ。もちろん、取引先や顧客には、『高岡』と呼び捨てでね」

 綾子はあるテレビCMを思い出して告げた。

「はあい、所長」

 真実は理解しのか、していないのか、微妙な返事をした。

「はあいと言わない事。はい、と伸ばさずに」

 綾子は微笑んで訂正した。

「わかりましたあ、所長」

 真実は今度は語尾を伸ばして応じた。車庫は苦笑いするしかなかった。

(これは根気がいるかも)

 顧客の中には、言葉遣いにうるさい人もいる。一番嫌われるのは、だらだらした口調だ。綾子はできるだけ早く、真実の口調を修正したかったが、それは困難を極めるとも思っていた。

(さっきの電話の応対は素晴らしかったから、この子、オンオフがあるのかも)

 ちょっと舐められているのかな、と勘繰ってしまった。


「只今帰りました」

 凛太郎は珍しく麻奈未が先に帰宅していたので、嬉しそうに言った。

「凛君、ここは職場じゃないのだから、もう少し柔らかい話し方をしてよ」

 可愛い猫の絵柄のエプロンをした麻奈未が玄関で出迎えた。

「あ、はい、すみません」

 凛太郎が本当に申し訳なさそうに謝ったので、

「もう、言ってるそばから! 堅苦しいのよ」

 麻奈未は口を尖らせた。

「あ、はい」

 凛太郎は苦笑いをするしかない。

「食事の用意ができているけど、どうする?」

 麻奈未がダイニングルームに進みながら尋ねた。

「今日は汗をいっぱい掻いたので、先に風呂に入ります」

 凛太郎は老名の途中にある浴室の前で立ち止まった。

「汗を掻いた?」

 麻奈未は何の他意もなく口にしたのだが、

「あ、その、いや、変な意味ではなくてですね、今日は新人と一緒に顧客回りをしたので、気を遣って疲れたっていう事で……」

 凛太郎はあたふたして弁解した。

「ああ、そうなの。じゃあ、一緒に入らなくていいよね」

 麻奈未は更に他意なく告げたのだが、

「ああ、はい……」

 凛太郎はショックを受けていた。


 一方、聖生は真帆がそそくさと帰ってしまったので、疑念を深めていた。

「神宮さん、またさっさと帰っちゃったね」

 大介も真帆の行動に不信感を抱いていた。

「うん。大介も真帆の事、変に思ってるの?」

 聖生は大介を見た。顔が近かったので、またデレが始まる。

「ああん、真帆をそんなに気にしないでよお。聖生、嫉妬しちゃう」

 聖生がいきなりすがりついて来たので、

「そんな、別に神宮さんを気にしてないよ、聖生。怒らないでよ」

 大介は大介で、聖生が怒っていると思って後退あとずさりした。

「怒ってないわよお。聖生、大介の事、大好きなんだからあ」

 聖生は更に縋りついて来た。

「見せつけないでくれる、お二人さん」

 調査から帰って来た武藤花蓮が半目で言った。聖生と大介は慌てて離れた。

「神宮ったら、『お疲れ様』って言ったのに、無視したのよ。酷くない?」

 花蓮が言ったのだが、

(それは貴女が悪いのでは?)

 聖生と大介は心の中で花蓮にダメ出しをした。

「多分、神宮は男ができたのよ。この前、駅前で一緒に歩いているのを見たから」

 花蓮は捨て台詞のように言うと、フロア奥の自分の席へと歩いて行った。聖生と大介は顔を見合わせた。

「お先に失礼します!」

 聖生と大介は連れ立ってフロアを出て行った。

「何よ、私が帰るなり、出て行くって!」

 花蓮は叫んだが、誰も彼女に反応しなかった。


 聖生と大介は、自分達のマンションとは反対方向にある駅へと急いだ。しかし、すでに真帆の姿はどこにもなかった。

(いない。もう男と合流してどこかに行ってしまったの?)

 聖生は悲しくなっていた。麻奈未から言われた時は、半信半疑だったが、真帆の一日の動きを見ていたら、疑惑が確信に変わるようなものだった。

「ねえ、聖生、神宮さんに何かあったの? 聖生がお義姉さんと会ってから、何だか変だよ?」

 大介は聖生の変化にも気づいていたのだ。

「実はね……」

 聖生は遂に大介に打ち明けた。もう隠し通せないと思ったからだ。

「そうだったんだ……」

 大介は目を見開いた。そして、

「だったら、神宮さんの事は、お義姉さん達に任せるしかないよ」

 大介は優しく聖生の肩を抱いた。

「うん……」

 聖生は大介に頭をもたれかけた。


(やっぱり、聖生は私を疑っている)

 真帆は二人の様子を建物の陰から見ていた。

(勇吾さんの言う通りだった。私は監視されているんだ)

 勇悟お兄ちゃんは私の味方。真帆はすでに茉祐子の指摘通り、完全に聖生達とは対立する立場になっていた。

(早く会いたい!)

 真帆はその場から走り去った。

(勇悟さん!)

 真帆は勇悟お兄ちゃんが待つホテルへと向かった。その真帆を中禅寺充が尾けていた。

(茉祐子さんの思惑通りになったけど、四季島はどういうつもりであの人を利用しているのだろう?)

 充の疑問は茉祐子の疑問でもあった。四季島の狙いまでは、情報部門ナサケもわかっていなかった。

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